第4話 緑色の香り
「彼は極度の洗脳状態にあり、この生活を苦に思っていないだけでなく、今の生活が本の中の自由というものだと勘違いしている。」
「……可哀想なやつだな。」
「健康状態はなんの問題もなく、心臓は変わらぬまま鼓動を続け顔色は良い。」
彼についての書類をみた画面上の上司は、首を傾げながら同情の目で彼の写真を見つめる。
一応監視している身なので、施設から安易に出られない。
そのために、オンラインでのビデオ通話によって互いの近況を報告しあっているのだ。
上司は、彼に興味があるようでずっと文字の少ない紙を見つめていた。
名前と生年月日のみ、しかもその全てが推定であるし本人もよく分かっていないみたいだから信用は出来ない情報。
けれど、空白が多いその書類の角にいるのは、ふにゃっとした笑顔で何も知らずに笑う、無邪気な彼。
「警察は必死で爆弾のスイッチを探してるみたいだが。……見つからない方が良いと思ってしまうな。」
「え?どうしてですか?ずっとあの変な施設に閉じこもってろってことですか?」
「違うよ違う。俺は彼にあった事がないし、どんな人柄の子なのかはお前の言葉を通してしか知らない。けれど、それだけでも、彼に犠牲になって欲しくないって思ってしまう。」
上司は、缶コーヒーに口をつけながらフゥと溜息をついた。
そして、さらに俺の目を見て続ける。
「お前の方が彼と一緒にいるんだから、爆発処理だなんて残酷なことしたくないなんて、1番理解できるだろ?」
上司の言葉に、俺は何も言い返せずただ頭の中にハテナが浮かぶだけだった。
「……別にそんなことはありませんけど?」
「……は?」
上司は、目が飛び出て落ちてしまうのではないかと言うくらいに目を見開き、俺の事を人間じゃないかのような眼差しで見つめる。
そこで俺は、彼を危険物としか扱っていないことに気付いた。
「俺たちは、爆弾を処理するのが仕事ですよね?彼も人間とはいえ、爆弾の一種。もし街のど真ん中で突然爆発でもしたら、被害は尋常じゃない。」
「それは俺でも分かっているけど……」
「俺らはそのために仕事してるじゃないですか。人々を守るために処理をする。彼が一人の人間であろうが、1人で数百人程度を殺せてしまう威力があるのなら、一般意志優先なのは変わりないでしょう。」
人数じゃない、多数決じゃない、そう言われるかもしれないが、この世界はそんなもので決めていかなくては進まない。
10人が助かるなら、1人犠牲になってもそれは必要のある犠牲だったと考えることしかできない。
それがこの世の定めで、そうしていかなくては大勢を人を消え去ってしまうのだ。
「……強気でいいな。俺がお前と同じ仕事をしてたら、今頃彼と2人でどこが見つからない場所へ逃亡してたかも。」
「そんな派手なことは出来ませんよ。俺だって監視している身ですけど、上司から監視されている身でもあるんですから。」
俺は、部屋に設置されたカメラに眼差しを送って瞬きをした。
1人で行う仕事は、上司達にとって信用出来ないらしい。
「……まぁ、情が移らないように頑張れよ。変な気持ちを抱いたらそれで最後だ。お前は彼と共に粉々になるから。もしそうなりそうになったら、俺のとところにいつでも帰って来い。心変わりさせてやる。」
心強い上司がいてくれて大変助かった。
上司とのビデオ通話が終わると、俺は実家から持ってきた重たい本を取り出した。
いや、正式には辞書と呼ばれるもの。
俺が中学生時代に沢山付箋を貼ったり線を引いたりして使っていた汚い辞書だが。
彼が意味を調べる程度の使い方なら、対して支障はないはずだ。
それに、一つ一つ意味を伝えなくてはいけないのも、なんだか面倒くさいような気がしてならないからだった。
「これは何!?また新しい本!?」
いつも検査をするために入る部屋に足を踏み入れた瞬間、彼は俺に気づいてニコニコと笑うとこっちに近づいてきた。
「これは、辞書っていいます。分からない単語を調べると、意味が全部書いてあるからとってもわかりやすいんです。俺が説明するよりも、何倍も正しいし、人間が都合良く意味を曲げることもない。君の先生みたいにね。」
少し皮肉混じりに言ってみたが、彼は目の前の分厚い本を見て目を輝かせていた。
まだ見た事がなかったものなのだろう、新しい発見が何より好きな彼にとっては、とっても嬉しいことに違いなかった。
「どうやって使うの?」
知りたがりの彼に、辞書という本は一番のプレゼントだったのかもしれない。
一通りの使い方を教えながら彼を観察していると、彼は俺が今までに見た事がないくらいに嬉しそうだった。
こんなに喜ぶなら、新しい辞書を買ってあげた方が良かったのかも。
そんな感情が湧き上がった自分の脳みそに、俺は勢いよく首を振って我に返った。
干渉しすぎてはいけない、離れられなくなる。
「おい、まだ吐かないのか?」
取調室では、相変わらず一人の老人が口を噤んで座っていた。
向かいにはその道のベテランがどっかり座っているというのに、なかなか上手くいかない。
この老人は、若い青年を利用して敵を殺そうとした。
内戦は、思っていたよりも激しくなり新しい新兵器を作り出して敵を倒そうとするのが現代の戦い方。
今の時代に生きる、年配の人達はまだかつて敵であった向こう側の地域には偏見がある。
「もう戦争は終わったんだよ、爺さん。なぁ、今吐けばあんたが死ぬ前にここから出してやるよ。だから早くスイッチの場所を言え!」
滅多に感情を荒ぶらない刑事が、怒鳴りつけてテーブルを強く叩いた。
それでも老人は、ただ黙って目を瞑っているだけであった。
「……爆発させたくないから場所を言わないのか?勝手に爆弾を仕掛け、監禁してそんな青年に今更同情でもしてるのか?彼はそんなこと望んじゃいない。」
ふるふると手が震えている老人は、何か隠している感情があるからなのだろうか、それともただの歳のせいか。
「あのな、あんたに監禁されて爆弾を仕掛けられた彼が、あんたに同情して欲しいとかそんなこと思うわけないだろ?」
「ちょっと……落ち着いてください。取り調べに熱が入りすぎですよ……。」
扉ががちゃりと開いた瞬間、彼の頼りない相棒が申し訳なさそうにそう告げる。
今の時代、脅迫のような取り調べは訴えられてしまう場合があるからだ。
それにこの老人は、裏にどのくらいの資金を隠し持っているのか分からない。
心臓の手術でさえも難しいのに、その繊細な臓器に爆弾を取り付けられるなど、よっぽどの金とその金で買われた闇医師が必要であることなど、容易に理解出来た。
慎重に行わなければならない取り調べは、刑事やその周りを肉体的にも、精神的にも苦しめる。
普段は食事の時間や睡眠時間、用を足す時間だって、危険物がこの地域のどこかに発見されればすぐ向かわなければならなかった。
そのためこの仕事はいつも寝不足、おかげでちょっとした数分でもたっぷりの睡眠を取れるようにもなってしまった。
本当はいけない事らしいのだけれど。
だが、この施設で泊まり込みの仕事を初めてから、そんな緊急なことはなく、ゆっくり睡眠を取り走り回っていた時よりも落ち着いている。
それに、仕事しているのかしていないのかよく分からなくなってしまうくらいに自由が効くような仕事だった。
……いつ爆発するかもしれない爆弾の隣で生きているということを、ハッと思い出す度に全身が恐怖で震えるが。
取り調べもかなり難航しているらしい。
どうやら彼を閉じ込めていたクソジジイがなかなか供述しないのだと。
取り調べを担当している刑事は、珍しく機嫌を損ねながら上司に報告したのだと言う。
彼に同情しているから、スイッチの場所を明かさず永遠と彼を救おうとしているのだと。
けれど、俺はそんなふうに思わない。
彼は間違いなく人間のひとりだけれど、わざわざ自分が作り出した爆発装置に同情するなんてこと、有り得るはずがないだろう。
後々同情して後悔するのなら、一層そんな危険なことなどしなくちゃいいのに。
「……どうしたの?ぼっとしてる。」
頭をはたらかせながら色々なことを考えていると、いつの間にかガラス越しに手を付きながら俺を見つめていた彼と、目が合った。
「ごめんなさい……少し考え事です。」
俺は頭を抑えながら、彼を視界に入れずに話しかける。
「ねぇ。」
彼とは、もう既に数週間一緒に生活しており、まるで同棲しているかのようだ。
毎日、1時間ほどだけれどそれを3回も繰り返して合計3時間程度は一緒にいるのだから、彼もどんどん心を開いてくるのは自然なこと。
それに俺も、彼をやっと人間として認識できるようになってきた。
「君は、僕に辞書っていう凄い本をくれたよね。すっごく勉強になるし、本の中身で分からない言葉があったら、直ぐに調べられるし、とっても便利なんだ。」
「それは良かったですね。…汚いやつでごめんなさい。」
「汚くなんてないよ!……でもね、」
彼は珍しく顔を赤らめて目を揺らした。
その表情は、初めてみせる顔で少しドキリと心臓が脈打ったのが分かる。
「僕は、君に言葉を教えてもらいたいな。……忙しいのはわかってるんだけどね。」
ふにゃりと笑ったその顔は、書類に貼り付けられたものと同じ顔。
だけど、その微笑みを初めて向けられた人間は、あっという間に彼の奥へと引きずり込まれてしまうのがわかった。
見てはいけなかった表情なのかもしれない。
俺の心臓は、通常の倍で暴れ回っている。
「……分かりました……。全然忙しくなんてないです。いつでも……言ってください。」
「んふふ、嬉しい!ありがとう!」
俺は彼のことを危険な装置だとしか思っていなかったんじゃないのか?
人間だと、俺と同じ人間だという認識は全く持っていなかったのではないのか?
結構な出来事がなければ動揺しないこの俺が、久しぶりに戸惑っている。
彼はそんな俺の様子に気づかないまま、また本を開いて俺に問いかけた。
「これはなんて読むの?」
俺は彼のそんな無邪気な声に答える。
同じ施設の中で、毎日必ず会っていたというのに、この新鮮な気持ちにどこか疑問を感じていた。
彼の短い指が文章を辿っていくのを、目で追いかけ問い掛けられた部分の言葉を語彙力のない俺が解説する。
その流れは、いつの間にか日常と化して当たり前となった。
一つ一つ、新しいことを覚えていく彼は、日に日に賢くなり、気づけば俺よりもすらすらと小説が読めるようになっている。
結構な厚みがあり、1ページに二段もの文章がびっしり並べられている本を読み出した時は、さすがに驚いてしまった。
すると驚いている俺の顔があまりにも面白かったのか、彼は大きく吹き出して笑った。
俺は、彼の優しい目と笑い方も好きだけれど、どんどん親しくなっていく中で見せてくる新しい表情を見るのがさらに楽しみで仕方がない。
「君は、笑った方が可愛いよ。」
彼はある日突然、俺にそんなことを言った。
「……はい?」
「だって、君全然笑わないじゃん。」
「それは……元々感情が表に出ないんですよ。」
「じゃあ楽しい時は笑ってみてよ。」
彼は、眩しい笑顔でガラス越しの俺に触れてきた。
もちろん手が直接触れることは無く、あくまで彼はガラスに手を合わせただけなのだが。
「その本、もうすぐ読み終わりそうですね。」
「うん、だからまた新しいもの持ってきて欲しいなぁ。」
「今度はどんなお話が良いですか?確か貴方はサスペンス系が好きだったような。」
「うふふ、その系統も好きだけど今回は恋愛系を読みたいな。」
「……珍しいですね。」
「だって面白そうなんだもん。恋愛って。」
対して恋愛のことなんて分かっていないくせに。
一度聞いて調べたものは、全て吸収したかのように威張ってくるから。
どこか年上の意地というものがあるんだろうな、と何となく遠慮をしてしまう。
「……恋愛は、楽しいの?」
「……どうでしょうか。人によっては楽しくない人もいます。」
「ええ!?なんで!?」
「色々問題があるんですよ。貴方みたいに全く経験がない人間には言ったって理解できませーん。」
「酷い!ケチ!」
「……ど、どこでそんな言葉覚えたんですか!?」
あとから考えてみれば、歳の近い男2人が同じ空間でしばらくの時を過ごしていたら、相手がよっぽどの変人じゃない限り、仲良くなってしまうのは当たり前ではないだろうか。
干渉しすぎるな。
上司が言ってくれた未来の俺を守る言葉。
そして自分が自分を守るために繰り返していた言葉。
けれどそんなマイナスな言葉なんて、仲良くなってしまった俺達の間には全く浮かんでいなかった。
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