第2話 青色の瞳

まさか自分の人生の中で、白衣を着させられる日が来るとは思ってもみなかった。


いつものスーツ姿でも良いと思ったのだけれど、施設でその少年を管理するには24時間体制で見守っていなければいけないらしい。


ということは、必然的にその施設に泊まり込みでの仕事になるということで。


一日中ずっとスーツを着るのは辛いだろうと、楽な私服の上に羽織る用の白衣が支給された。


カツカツと靴を鳴らしながら、部長が歩く足についていく。


もしかしたら数年後までここで暮らすことになるかもしれない。


早く施設の仕組みと場所を理解しておかなければ。


いちいち地図を開くだなんて無駄なことはしたくない。


一通り場所を確認したあと、一番奥にある鉄の扉の前へようやく到着した。



「ここからは、いつ爆発が起きても良いように頑丈に作られている。」



部長が手に持った書類の文字をそのまま読んで、ゆっくりパスワードを入力した。



唾の飲み込む音が聞こえたことで、爆弾処理のエリート部長でも、恐ろしさを感じていることがよく分かる。


普段、爆弾について恐怖はあるものの躊躇はしない俺だったけれど、やっぱり少し足が竦んだ。


ギィ、と重たい音をして開いた鉄の塊の奥は、天井も床も壁も、全てが白で統一された無機質な部屋。


そして廊下を進むと、隣にガラス張りの部屋が現れた。



「このガラスは爆発に強い。それに、もし割れたとしても飛び散らないように工夫されているから危険ではない。安心してくれ。」



指でそっと触れてみると、確かに触り心地はか弱いガラスとは全く違った。



「で?その〝爆弾人間〟は?」



やっぱり何度聴いてもネーミングセンスは宜しくない。


俺が少しふざけて部長に聞くと、部長はこちらを振り返って訂正した。



「正式には、〝心臓型爆発装置〟だ。ベッドで眠っている。」



どうやらあれは仮名だったらしい。


それにしても名前が〝装置〟だなんて。


人間だとも認識してくれないのか。


少し可哀想だと初めてその対象者に同情したが、別に愛着は全く湧く気がなかった。



部長が指を指すその先には、確かにベッドがあり布団が1部分だけ盛り上がっているのが微かに感じられる。


けれどベッドも白だし壁も白だから結局よく分からない。


顔1つくらい見せて欲しかったのだけれど、それはどうやら難しいようだ。



「その心臓型爆発装置は、俺が面倒を見てその後どうなるんですか?」



姿の見えない物体を見つめながら、俺は問い掛けた。



「恐らく処分だろうな。スイッチが見つかれば、あとはそれを押してわざと爆発させる。」


「なんとも残酷なことを思いつきますね。」


「これは僕の考えじゃないからね。警察とこちらの偉い人が決めた方針だよ。」



他人に罪をなすり付けることだけは、人間誰しも特技だな、と感じた。



残酷な事だと思ったけれど、正直それ以外方法を見出すことが出来ないから仕方が無いとも思う。



幼い子供が爆発に巻き込まれて死んだ、という事件から爆弾処理班になった人間の言葉とは全く信じ難いかもしれないが。


結局は単数よりも多数を助けなければならないのだ。


そんなことは、この心臓型爆発装置もよく分かっているだろう。











「また分からないことがあったら連絡します。」


「おう、理解が早くて助かる。困った時はいつでも電話をしていいから。」



部長が黒い車で帰っていったのを、視界から消えるまで見届ける。


頭を深く提げて、タイヤと地面が擦り合う音が小さくなり、やがて消えると頭をゆっくりとあげた。


元々自分が暮らしていた小さなアパートは引き払ったし、荷物も全てこちらに移した。


正直、無料でこんなに広い場所で暮らせるだなんてそんな良い事はなかなかない。


アパートよりも素晴らしい住み心地になるのではないか。


少しウキウキしながらも、施設に戻ると早速あの装置へと会いに行った。


確認しなければならないのは、朝昼晩の1日に3回。


心臓へ専用の装置をを当ててもらい、鼓動の奥に聞こえる小さな電子音をヘッドホンで確認する。


異常がなければ、顔色や体調などを聞いて具合悪くないかを確認する。


あとは、取り付けられたカメラを自室のパソコンに繋げて、たまに監視しながら別の仕事をこなすということだけだった。


24時間監視しなければならないというけれど、普通に夜は寝ても良いし、もし何か異常があればカメラが音を出して知らせてくれるらしい。


毎日現場に走り回っていたあの仕事と同じ職種だとは思えないくらいだ。


ガラスの奥を見ると、ちょうど布団の盛り上がりがモゾモゾと動き始めたのを見た。


そろそろ夢から覚めたのだろうか。


部長も上司も彼のことを〝少年〟と呼んでいたけれど、俺よりも2歳年上なのだから、果たしてその年齢が少年と呼べるものなのか。


顔も見た事がなければ身体も見た事がない俺が、彼を少年と形容するにはまだ早いだろう。


まるでカルテのような書類だけれど、心臓の音という欄は爆弾の調子という欄になっているし、やっぱり医者とは管理の仕方が違う。


それにしても、他の人間に一切口を開かない人間が、歳が近いと言うだけの理由で俺に心を開くだろうか。


あまりにも単純すぎる考えのような気がしてならないけれど、ここまでしてそんな意見を言うとまた一からになってしまい可哀想なのでやめておく。


あ、また、白い布団が動いた。


寝返りを打ったのか、それとももう既に目を開けているのか。


一定の距離を保たなければいけないし、そもそもガラスの奥と手前では随分距離があるからその様子は分からない。


ほぼ様子見でしかないのに、どうして俺はずっとこの人間の前にいるのだろう。


目を覚ましてからでも、全然間に合うのに。







ふと、書類をペラペラ捲っていると、ゆっくり毛布の中で膨らみが動き始めた。


書類を椅子において、ゆっくり立ち上がる。


時間にしてはほんの数十分だったのだろうが、無意識に期待していたようで、物凄く長い時間を待っていたような気がした。


そんな体感時間とは全く比例しないまま、案外簡単に捲られた布団から出てきた人物に、目を奪われる。


根元までしっかり染められた金に、ふわふわと緩いカールがかかっている髪。


顔立ちは幼く、もし道端で出会っていたとしたら間違いなく俺より年下じゃないかと思ってしまうくらいだった。


確かに周りが言っていた、〝少年〟という言葉がぴったり合うような。


あながち言葉に誤りはなかったらしい。


相手をじっと見つめていると、少年も大きく伸びをしてこちらを見た。


ハッとした顔と目が合う。


そして見事に数秒で逸らされてしまった。


これじゃあ、いけない。


これから数年も一緒に共同生活を行っていく人なのだから、せめて自己紹介と挨拶くらいはしなければ。


俺自身も人見知りだったが、勇気をだしてガラスへ近付いた。



「俺は、ここの施設と貴方を管理する者です。」



少し硬すぎたかと心配になったが、相変わらず返答がないのでさらに続けた。



「俺より年上なんですってね。二歳、でしたっけ?俺、兄貴は居ないんです。だからちょっと新鮮で。」



そう言うと、少年は顔を上げてこちらを見てくれた。



「……新鮮?」



そして初めて呟いた言葉は、そんな二文字で俺は首を傾げた。



「ええ、新鮮。とっても。」


「…僕の知ってる新鮮は使い方が違う。」


「使い方?」


「……うん。新鮮って魚とか肉とかが新しいっていう意味じゃないの?」



その言葉を聞いて、ああこの人は本当に長いこと世間知らずで育ったんだと察した。


きっと、地下室に何年も閉じ込められ、教育も上手く行き届いていないのだろう。



「えーっと……なんて言うんでしょうか。そういう意味もありますけど、今までと違って新しいって感じることも新鮮って言いますよ。」


「そうなんだ……またひとつ勉強になった……」



彼は、顎に手を当てて考えたあと、ニカッと笑った。


こんなに懐っこそうな彼が、今まで誰にも口を開かなかっただなんて、想像できない。



「君みたいに若い人も居るんだね?」



ふわふわとした髪を弄りながら、相手は嬉しそうに笑った。


年齢が近いというだけで任命されるなんて大変安易な考えだ、と思っていたけれどどうやら正解らしい。



「心臓の音を聞きたいんです、そこにある装置を胸につけてくれませんか?」



俺は、首にかけたヘッドホンを握って問い掛けた。


さすがに会って数分の人間に、心を許すわけが無いと思っていたのだが、案外彼はすぐに頷いて壁にかかっている装置を胸に取り付ける。


やり方は俺が来るより先に教わっていたらしく、簡単に検査は終わった。


なるべく近づく事がないように、工夫してある。


ヘッドホンからは、彼の早い鼓動に混ざってピピッとかすかに電子音がなっていた。



「ありがとうございます。これを今日から一日3回します。それ以外はこの部屋に来ないので、ゆったりしていてくださいね。」



どうせ、スイッチが見つかり次第処理される相手だ。


深く関わると、後で抜け出せなくなっては管理者失格。


ガラス張りでしか合わないのだから、極力距離は保ちたかった。



「わかったよ。でも、お願いがあるんだ。」


「……なんでしょう?」



彼は、いくら人間だと言っても、警察と爆弾処理班の中では〝心臓型爆発装置〟と呼ばれるただの装置だ。


装置に何かを与えることなど難しいし、無理な願いは引き受けたくなかったのだが。


どうやら面倒くさそうにしていた俺の表情に気づいたらしく、彼は遠慮がちに目を逸らしながら言った。



「本を、読みたいの。なんでも良いから、本を1冊持ってきてくれないかな?」



……無理な願いじゃないし、面倒臭い願いでもなかった。


少しほっとしながらも、俺は彼に頷いて部屋を出た。


さて、彼にはどんな本を読ませてあげようか。


俺は勉強嫌いで、どちらかと言うと身体を動かす方が専門だったが、意外にも読書は好きだった。


世間知らずの年上に読ませる難しくない本。


頭の中にある書庫を必死に漁っては、タイトルとあらすじを照らし合わせた。


どうして。


初対面の彼に、そしてあと数年しか生きられない運命の彼に、わざわざ本ひとつでこんなに悩むんだって?


部屋を出る直前に、嬉しそうな顔を俺に向けていた彼の顔など、全く気にしていない。


きっと。




……多分。



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