2. ホームレスに打ち明けた

 高校に到着して教室に入った私に、挨拶をしてくる人はいなかった。

 私も、誰にも挨拶はしない。

 例外があるとするならば、廊下ですれ違った先生に会釈をしたことくらいだ。


 ――どうして挨拶を交わさないのか。

 その理由は至って単純。

 私がクラスで浮いているから。

 ただ、それだけだ。


 小さい頃から、私は人付き合いが苦手だった。

 どうやら私は、適切な距離感を掴む能力に恵まれていないらしい。

 押し時と引き時がわからなかった私は、クラスメイトに引かれてしまったり、逆にクラスメイトと疎遠になってしまったりすることが多かった。


 そんなこともあり、高校に入学する頃には人と関係を持たないようになった。

 無理して関わろうとするから、面倒なことになる。

 厄介事を避けるには、最初から関わらなければいい。

 そう思ったのだ。

 まぁ、成長した今ならもっと上手くやれるのかもしれないが。


 ――結局、誰とも話すことなく昼休みを迎えた。

 当然、今日の昼休みも一人だ。

 私に興味を持つ人はいない。


 幸いなことに、私の席は最後列の窓際。

 ホームレスの男に渡したパンの代わりとして、校内の売店で購入したパンを食べながら、ここにひっそりと座っていよう。

 そう思った矢先――、


「あいつ、まじでウザイんだけどぉ」


 愚痴が聞こえてきた。

 誰が言ったのかは、その声ですぐにわかった。

 スクールカースト上位に位置する一人の少女――名前は思い出せない――が言ったのだ。


 彼女は度々、生徒指導担当の先生からお叱りを受けている問題児。

 校則に反して髪を金色に染め上げたり、ゴチャゴチャしたネイルをしてきたり、キラキラしたピアスを耳につけてきたり――。


 こっぴどく叱られたこともあり、今はネイルもピアスも装着していないようだが、髪は茶色に染まっていて、スカートは甚だしく短い。


「宝生のやつ、推薦使って楽に合格しやがってぇ。うちらはまだぁ、勉強頑張ってるのにぃ」


 突き刺すような視線を浴びて、私は気付く。

 彼女は私――宝生ほうじょう なぎの悪口を言っているのだと。


「ほんと、ほんと」

「リィちゃんの気持ちも考えてほしいね」


 取り巻きの女子たちが、賛同する。

 私に聞こえるように、わざと声を張っている。


「やっぱり?みんなもそう思うよね」


 そう言って笑うのは、言い出しっぺである問題児本人。

 『リィ』と呼ばれていたが、本名はわからない。


「………………」


 まったく、勝手なことを言ってくれる。

 三年間の努力に、小論文と面接の対策。

 それらがあったから、私は指定校推薦で有名私立大学に合格できたんだ。

 一、二年生の頃、大して勉強していなかった人間に見下される覚えはない。

 これまでの模試の点数だって、私のほうが高いに決まっている。


 ――そう言ってやりたかった。

 でも、私は言えなかった。

 行き場をなくした言葉たちは、私の喉頭に引掛かっていた。




◇◇◇




 放課後、私はそそくさと学校を去った。

 背に担いだリュックと、大きめの手提げバッグで人目を遮るように歩き、私は今朝通ったトンネルに辿り着いた。

 授業中ずっと、あのホームレスのことが気になっていたのだ。


「――ぁ、いた」


 私は、例の男を見つけた。

 数秒後、男のほうも私を視界に捉える。


「また、来ちゃったのかい?」


「――――――」


 困惑する男の横に、私は黙って座る。


「知らない男と二人きりの状況で警戒心を解くのは、やめたほうがいいよ。自分の体は大切にしなきゃ……」


「今朝会っているから、知らない人じゃない。それに、本当に危ない人ならそんなこと言わない」


「まぁ、たしかに……」


 忠告をあっさりと受け流されて、男は困ったように頭を掻く。

 一方、私はあれだけのことを豪語したくせに、少し横に移動することで男から距離を取った。


 理由は一つ。

 単純に臭かったからだ。

 自分でも、失礼な理由だと思う。

 こちらから近付いておいて、臭いだなんて……。


「何か嫌なことでもあった?」


 不意に、男が尋ねる。


「どうして、そう思うんですか?」


「君が、浮かない表情をしていたから」


「――っ!」


「話なら、いくらでも聞くよ」


 冬のかじかんだ心を温める、優しい言葉。

 心を揺さぶられて、私は話し始める。

 クラスに馴染めていないこと。

 今日、クラスメイトに悪口を言われたこと。

 それらを、全部話した。











 ――行き場をなくしていた言葉たちに、切れることのない蜘蛛の糸が、救いの手を差し伸べてくれた。

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