ホームレスになりたい

桜楽 遊

1. ホームレスに会った

 朝、目を覚ました私を襲ったのは、冬の冷気だった。


「うぅ〜、さっむ」


 布団から出た私は、あまりの寒さに身震いする。

 まだ微かに温もりの残る布団に戻ろうとしなかったのは、寒さで眠気が吹き飛んでしまったからだろう。

 二度寝をする気も起きない。

 そんな私を見下ろして、一月初旬の寒さが嗤っているような気がした。


 私が住んでいるのは、あるアパートの一室。

 リビングに足を運ぶと、慌てた様子でスーツに着替えている母の姿があった。


「ごめんね、なぎ。寝坊しちゃって、朝ご飯もお弁当も作れなかった。今日の当番、お母さんだったのに」


「気にしないで。コンビニでパン買うから」


 申し訳なさそうに謝る母に、私は微笑みかける。

 女手一つで私を育ててくれている母を非難する資格なんて、持っていない。


 ――身支度を整えた私が家を出たのは、母が「行ってきます」を言った三十分後だった。




◇◇◇




 コンビニでパンを二つ――朝食用に一つと昼食用に一つ――買い、近くの自動販売機で温かいお汁粉も買った後、私は高校へと向かう。

 私が通っているのは女子校。

 偏差値はそこそこで、生徒からは自称進学校と呼ばれている。

 そんな高校に向かって歩きながらパンを頬張っていた私は、唐突に思いついた。

 ――今日は、いつもと違う道を歩こう。


 そんなこんなで見慣れない道を歩いていると、暗くて小さなトンネルが視界に入った。

 私は一瞬だけ怯んだが、残ったパンの一欠片を飲み込むと、意を決して足を踏み入れた。


 暗さ故か、一段と寒く感じるトンネルの中。

 足音が冷たく響く。

 落ち着かず、きょろきょろしながら歩いていると、暗闇の中に蹲る人影を見つけた。


「誰!?」


 ざっと片足を引き、私は警戒態勢に入る。

 すると、私の声で目を覚ましたのか、その人影はもぞもぞと動き始めた。


「う、うぅ〜ん。……何か用?」


 薄汚い毛布から顔を出したのは、三十歳前後と思われる男だった。

 無造作に伸ばした髪と髭が、不清潔感を醸し出している。


「いえ、なんでもありません。起こしてしまい、申し訳ありませんでした」


「ああ、うん。気にしなくていいよ」


 見知らぬ男と二人きりといった状況は、あまり好ましいものではないため、私はその場を立ち去ろうとした。


 ――と、その時。

 私の耳に『クシュン!』という、くしゃみの音が飛び込んできた。

 少し遅れて、鼻をすする音も響く。


「――――――」


 ――ああ、私は何を考えているのだろうか。

 このパンは、今日の昼食にするつもりだったのに。

 自動販売機で購入したお汁粉で、冷え切った体を温めるつもりだったのに。


「これ、あげます」


 ガタガタ震えている男の横に、私はパンとお汁粉を置く。

 すると、男は驚いたように言う。


「そんな……! これは、君のだろう?」


「気を遣ってほしくないなら、私の前でくしゃみなんてしないでください」


「えぇと、……ごめんね?」


「謝ってもらいたいわけではありません」


「そうだよね、うん。……本当にありがとう」


 今度こそ、私はトンネルを後にする。

 別れ際、男は優しい声で言った。

『危ないから、もう二度と人通りの少ない道は通らないほうがいいよ』、と。











 ――冬、私はホームレスに会った。

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