第三章 第一話 1

 連れ去られたクロノは、ベッドに寝かされていた。

 シルクの様な肌触りの良いシーツや、豪奢な刺繍が施された柔らかい掛け布団に挟まれ、気持ち良さそうにしている。

 その傍らで、魔人の女は添い寝をして目覚めの時を待っていた。

 とても優しい瞳を向けて。


 彼女の趣向なのだろうか。

 部屋は全体的に黒色で統一されている。

 そしてベッドやテーブルなど、置いてある家具類はどれも豪奢な物ばかりだ。

 それらは清掃が行き届いており、どこか生活感を感じない。

 部屋全体が薄暗い事も、その雰囲気を助長しているのだろう。

 鉱石で明かりを灯しているが、窓から差し込む光が弱い影響もあり、非現実的な空間になっている。


 クロノの寝顔を見て、魔人の女は慈しむ。

 「昔みたい、ね。あの頃も、こんな感じだったわ」

 そう言って頭を撫でた。

 クロノの獣耳がピクッと動く。

 「ツノが無くなってるのは、なんでかしら、ね?それにこの耳。半分は獣人の血が受け継がれているのだから、不思議ではないけど」

 訝しげに眉を潜めるが、すぐに顔が綻ぶ。

 「それでも、生きていてくれて良かった。ずっと探していたのよ」

 そう言ってクロノの頬を指で小突いた。

 柔らかな感触に、更に顔は綻んでいく。

 そしてクロノの顔に自らの顔を近づけ、おでこをすり合わせ、目を閉じ誓った。

 「もう、離れないから、ね?あの時みたいにならないように、貴方は私が必ず護るから」

 彼女の吐息が顔に触れ、クロノは目を覚ました。

 知らない人物だが、自分に向けられる優しい瞳に安堵する。

 その感情も束の間、魔人の女が話しかけようと口を開く前に、絶叫を発する。


 「いやぁぁぁ!」


 黒で統一された暗い部屋に、泉の底を連想してしまい、ゾワっと恐怖心が湧き上がったのだ。

 ミリアのおかげで、暗闇に対する恐怖心は薄まっていたが、今は彼女が居ない。

 心の拠り所が居ない事で、クロノは酷く取り乱した。

 「閉じ込めないで!閉じ込めないで!」

 小さく蹲りながら泣き出す彼に、魔人の女も慌ててしまう。

 「どうしたの?閉じ込めたりしないわよ?」

 自分の記憶にないクロノの様子に、戸惑いの表情を見せたが、上半身を起こしてクロノを抱き上げた。

 しかし、腕の中で泣き震え、顔を上げようとしない。

 「どうしたものかしら、ね」

 背中を摩りながら、魔人の女は対処に悩んでいた。


 そんな中、クロノは落ち着きを取り戻し始めた。

 彼女の優しい口調が、そうさせたのだろう。

 「暗いの、怖いの。もう閉じ込めないで」

 泣き声を混じらせ、ボソボソっと懇願した。

 その言葉に、魔人の女は胸の内で激昂した。

 ーーよくも長きにわたって封印してくれたわね!人間とエルフ共は絶対に許さないわ!

 怒気を孕んだ彼女の雰囲気を察知して、クロノは離れようと暴れ出す。

 「離して!」

 「ど、どうしたの?」

 「嫌な匂いがする!」

 「匂い?」

 魔人の女はハッとした。


 ーーそういえば、あの人は感情を匂いとして感じる事が出来たわ。恐らく先程の怒気を捉えたの、ね。

 感情を抑えないと警戒されてしまう状況。

 憎しみを胸の奥にしまい、慈愛の心で手を差し伸べた。

 「ごめんなさい。もう嫌な匂いはしないから、一緒に明るい所に行きましょう?」

 クロノは蹲りながら上目遣いで彼女を見た。

 黒い部屋から出るには、この人に頼る他ない。

 それに彼女に見捨て置かれたら、一人ぼっちになってしまう。

 選択肢が無く、差し伸べられた手を握った。


 魔人の女は再度抱きしめた。

 「ほら、嫌な匂いしないでしょう?」

 クロノは確かめるように鼻を鳴らした。

 先程の怒気がなくなり、優しさと慈しみの匂いが香る。

 「うん。良い匂いがする」

 「フフッ。さっきは驚かしてしまったわ、ね?私の名前は『パルム』。覚えているかしら?」

 魔人の女は名前を伝えるが、クロノは首を振る。

 そして黒い部屋を見たくなくて、彼女の胸元に顔を埋めた。

 ーー覚えてないの、ね。でも、この子はマージュで間違いないはず。何か理由があるはずだわ。

 そう考えるも、今の状態では真面に会話ができない。

 ーーとりあえず明るい所に移動して、この子を落ち着かせないと、ね。

 そう思い、移動を開始した。


 クロノの背中を摩りながら、寝室を出た。

 廊下も黒一色で統一されており、ボコボコとした歪な突起が目立つ壁が続いている。

 それを横目で見たクロノは、目を塞いで震えた。

 ーー明るく模様替えしないといけないわ、ね。前は好んでくれたのに。それほどのトラウマを与えるなんて。

 沸々と怒りが込み上げそうになったが、いけないと思い直し、気持ちを沈める。

 代わりに慈しむの気持ちで、クロノの背中を撫で続けた。

 「この先に、ね?とっておきの場所があるの。明るい場所だから、もう少し待って、ね?」

 クロノは胸元で黙って頷いた。

 

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