第2話 異変

 翌日の朝、ミリアはベッドから起き上がり身支度を始める。

 太陽の刺繍が入ったいつものローブを身に纏い、寝る時も外さずに付けていたネックレスをローブの上に出す。

 白を基調とした服が、ネックレスの結晶石が持つ黄色を際立たせる。

 金色の長い髪を軽くとかして、広がらぬように結って束にすると、ストールを肩に掛けて自室を出た。


 今日は神殿へ行く日。


 祈り場の部屋に入ると、壇上手前で歩みを止めて聖杯に向かい一礼する。

 一段高い壇上に上がり、聖杯が置かれた台座に近づいていく。

 聖杯の器からは暖かみのある黄色の光が漏れ、強く輝いている。

 魔法の力が集約し、何の変哲も無い小川の水が、聖水へと変化している証だった。

 聖杯は片手で持てる大きさだが、台座から大事そうに両手で抱えた。

 その行動に、彼女の慎重さが伺える。

 実際、溢してしまっては取り返しがつかないから当然だろう。


 部屋を出て、教会の出入り口に向かう。

 すると、両開きの扉を開けてドルフが待っていた。

 彼は聖水を持っていく際、必ず護衛として神殿の入り口まで付き添うのが習わしだった。

 そんな彼に挨拶をする。

 「おはようございます、ドルフさん」

 にこやかな笑顔でしたが、彼は相変わらずの無表情。

 だが、応えるように小さく頷いた。


 教会の外に出ると、暖かな日差しがミリアを照らした。

 ーー今日も温かいなぁ。

 心地良い暖かさを受け、ミリアが外の新鮮な空気を大きく吸い込み、体に取り入れていると、ドルフは教会の扉を優しく閉めた。

 「ありがとうございます、いい天気ですね」

 扉を閉めてくれたお礼を言いながら彼の顔を見ると、少しだけ口元を緩ませながら小さく頷いていた。


 神殿への入り口は、教会の出入り口とは反対方向にある。

 つまり、教会の裏手を進んだその先に位置しているのだ。

 「では、行きましょうか」

 ミリアが声を掛けると、ドルフはエスコートする様に先に歩いた。

 二人は教会を壁沿いに、ゆっくりと歩いて行く。


 教会の裏手に、神殿に通ずる道が見え始める。

 道といっても綺麗に舗装された物では無く、長年歩いた事で踏み固まった土の道だ。

 だが、獣道とは違い、大人二人は並んで歩ける広さがある。

 その道を、二人は並んで進んで行った。


 神殿への入り口とは、昨日ミリアが見ていた岩壁に開いた洞窟の事だ。

 岩壁は、教会より十分程歩いた場所にある。

 ゆっくりと歩く中、心地よい風が木々の枝を抜けていき、サワサワと音を立てながら、気持ち良さそうに揺れている。

 木々の枝にいたリスや小鳥達、草むらにいるウサギが、ミリアの姿に気付く。

 ミリアも気付いて微笑みを見せると、遊んで欲しそうに、こちらを見つめていた。

 しかし、ドルフが近くにいたからだろう。

 多少は歩み寄って来たが、それ以上は警戒して、近づいて来る事はなかった。


 岩壁に近づいていく。

 三十メートルは隆起した岩壁は、この辺りの地層が隆起して出来たと伝えられている。

 岩肌はゴツゴツしており、他を寄せ付けぬ荒々しさを感じさせた。

 岩壁のふもとには大きな洞窟の穴があり、奥の方は光が届かず、暗闇が続いている。

 この洞窟の奥に、目指す神殿があった。


 二人は洞窟の入り口で立ち止まり、暗い洞窟内を見つめた。

 ミリアからは、先程まで見せていた笑顔が立ち消え、緊張で強張った顔をしている。

 「では、行ってきますね」

 彼女がそう告げると、ドルフは頷きながら、手にした袋から小さな木槌を取り出して差し出した。

 木槌を受け取ると、ミリアは一人で、洞窟に足を踏み入れていった。

 なぜなら、ドルフは洞窟には入る事が出来ない。

 洞窟の入り口には、堅固な結界が張られており、神の加護を持つ者しか入ることが出来なかった。

 ゆえに、ミリアが神殿に聖水を捧げに行った際は、洞窟の入り口で周囲の警戒をしながら、彼女の務めが終わるのを待つのが常だった。


 ミリアは、洞窟をゆっくりと同じ歩調で進んだ。

 聖水が溢れない様に、慎重に歩いていた。

 この洞窟は、人間が削り出して作ったことが容易にわかる。

 洞窟内部の壁は、綺麗なアーチ状に整えられているからだ。

 静かな洞窟に、彼女の足音だけが響いた。


 奥に進んで行くと、段々と太陽の光が届かなくなる。

 足元を照らす明かりを確保する為に、壁へ金具で固定されている鉱石を、持ってきた木槌で軽く叩いた。

 そうすると、鉱石を中心として黄色の光が放射状に広がっていく。

 この鉱石は、照明として広く重宝されている。

 軽い衝撃を与えると光を放出する物で、鉱石の種類によって、様々な色の光を出す事ができる代物だ。

 洞窟内に設置されている鉱石は、『神』の色とされる黄色で統一されている。

 彼女のローブに刺繍されたモチーフが黄色いのも、その影響だ。


 壁に設置されている鉱石を叩き、光を灯しながら少しずつ進んでいく。

 奥に行く程、次第に冷気が強くなり寒くなってくる。

 寒さから体温を守る為に、肩に掛けたストールを、隙間ができないようにきつく巻いた。


 しばらく進むと開けた空間に出る。

 それほど広くはなく、奥行き十五メートル程で天井も三メートル位と低い。

 手始めに、明かりを確保する為、四隅に設置してある鉱石を叩いて回る。

 明かりが灯されると、神殿内の様子が露わになる。

 中央に大きい泉があり、枠組みは石で作られている。

 煉瓦のような形のブロックで整えられており、泉の左右にある二体の石像が、向かい合わせで設置されている。

 細やかな部分まで手の込んだ石像は、四百年前にドラゴンの封印に尽力した人物を模している。

 クレスタ国の英雄として讃えられる、『理の賢者』バイスと、『知の賢者』リーニッヒだ。

 石像の瞳が見つめる泉は、水面が揺らぐ事なく静寂を保っている。

 鉱石の光を反射して、まるで鏡の様だ。


 ミリアは聖水を捧げる前に、泉の水面を覗き込んだ。

 鉱石の明かりに照らされ、水面より、三メートル位は下が見える。

 だが、その先は暗闇が広がり、延々と下に続いている。

 ーーどれくらい深いんだろう。

 そんな疑問を持つ程、泉の中は暗かった。


 水面に自身の姿が写り込む。

 引き込まれる様な闇が囲い、畏怖の感情で背筋が強張るのを感じた。

 水面を覗き込むのをやめ、聖杯を泉の正面にある台座に置くと、その場を少し下がった。

 両膝を地に付け、両手を胸の前で軽く握り合わせ、祈りの言葉を口にする。

 「主の恵みに感謝を。我らの祈りをお受け取り下さい」

 言い終わるとスッと立ち上がり、聖杯を両手で手に取った。

 大事そうに抱え、聖杯をゆっくりと泉へ傾けていく。

 黄色に輝く水が、聖杯を離れて少しずつ泉に流れていく。

 闇が支配する水中に、淡い黄色の光がユラユラと溶け込む様に広がっていく。

 ーー何回見ても神秘的ね。

 フワフワと舞うような、光の帯が織りなす不思議な光景が広がり、魅入られるように、ミリアは暫く眺めていた。


 その後、泉に向かって一礼すると、四隅の明かりを消す為に、木槌を持って鉱石を叩いて回る。

 神殿内は再び暗闇が覆ったが、泉の周りだけ淡く光っていた。

 ーーどれくらい光っているのかな。一週間後には消えてるから六日くらいかしら。

 そんな疑問と共に神殿の広間から出る。


 とりあえず聖水を無事に捧げる事ができて、ミリアの緊張した顔は緩んだ。

 ーー何事も無く、終わる事が出来て良かった。

 そう思いながら、来た道の明かりを消しながら戻っていく。

 緊張から解放された足取りは軽やかに進み、コツコツとリズムの良い足音が響いた。


 暫くすると、洞窟の入り口で、ミリアの帰りを待っているドルフの後ろ姿が見えてきた。

 彼は洞窟内から聞こえる足音に気付き、体の向きを変えて洞窟内部へ顔を向けた。

 その顔がフッと綻んだのを見て、ミリアは笑顔を向けた。

 「お待たせしました。無事に終えることができました」

 洞窟に入っていく際の強張った表情が解け、いつもの笑顔で報告する彼女に対して、ドルフはいつもの様に小さく頷いた。

 「では、帰りましょうか。お腹ぺこぺこです」

 目覚めてから何も食べていなかったミリアは、お腹を手で押さえながら無邪気に笑った。

 その言葉に彼は、口元を少し緩ませながら教会の方へ足を向け、エスコートする様に前を歩き始めた。


 来た時と同じ暖かな日差しが、神殿で冷えた体を温めて行く。

 ーー暖かいなぁ。風も気持ちいい。

 心地良い風がミリアの髪を撫でていくと、達成感が相まり、彼女の気分を弾ませた。

 ーー今日は時間に余裕があるから、難しい料理に挑戦してみようかな。

 ミリアは空腹感から、料理の事を考えながら歩いていた。

 今ある食材で、何が作れるか思考を巡らしていると、視界の端で周囲の違和感を感じる。


 辺りを見回すと、来る時に姿が見えたリスや小鳥、草むらにいたウサギ達の姿が見えない。

 遊んで欲しそうにしていたのに、気配を感じないほど周囲は静まり返っていた。

 ーーさっきまで居たのにな。ご飯の時間なのかな?

 不思議に思ったが、自然界に暮らす動物達だ。

 自分には分からない事もあるのだろう。

 ーーご飯を済ませたら、いつもの様に会いに行こう。

 彼女は気分を切り替えて、教会への帰路を進んで行った。


 森を抜け、教会に辿り着く。

 「付き添いありがとうございました」

 ミリアは笑顔で頭を下げ、ドルフにお礼を言った。

 いつもの様に小さく頷き、責務を果たした彼は、村へ帰ろうと足を向けたる。

 その後ろ姿を見てある事を思い立ち、ミリアは帰ろうとするドルフを呼び止めた。

 「あの、ドルフさん。明日野菜を持って来てくださる時に、お砂糖と玉子を、買って来て下さいませんか?」

 明日持ってきてもらう食材の追加を頼んだ。

 普段ならば迷惑になるだろうと思い、追加で頼む事は無い。

 だが、今日の付き添いも含めて、日頃の感謝を形にする為に、焼き菓子を作ろうとしたからだ。


 突如呼び止められた事で、眉を少し上げて驚いた表情を見せたドルフ。

 しかし、内容を把握すると、了承の意味を込めて大きく頷いた。

 ミリアが初めて見せた自己主張が嬉しく、彼の頬を緩ませた。

 「ありがとうございます」

 彼女は愛くるしい笑顔を見せお礼を言った。

 彼は右手を軽く挙げ、いつもの歩調で去っていく。

 その姿を、ミリアは手を振って見送った。


 教会に入ると、聖杯を手に祈りの部屋に向かった。

 いつもの様に壇上前で一礼してから、台座に聖杯を戻す。

 「さて、と」

 ひと段落した所で、空腹を満たすために台所へ向かった。


 台所に着いて調理を始めようと思ったが、食べ物を視界に入れた事で、彼女の空腹感が強まった。

 ーーお腹空いたなぁ。あ!そういえば、昨日の余りが。

 昨日食べきることが出来なかったパンの存在を思い出す。

 「確かここに。あった!」

 戸棚にしまっていたパンを取り出すと、一口大に毟った。

 「いただきます」

 口に運んだものの、焼いてから一日経過したパンは、乾燥して硬くなっていた。

 口の中の水分が、乾燥したパンに吸い取られる。

 ーーお水!

 慌てた様子で陶器製のコップを手に取り、飲み水が入った樽へと急ぐ。

 樽の中に入った水を、コップですくい取り一気に飲み干した。

 「パサパサだったな。それにしても、先に水を汲みに行かないとなぁ」

 再びパンを口に含みながら、樽の中を見て呟いた。

 樽の中の飲み水が心許ない量に減っていたのだ。

 スープを作るためにも水が必要で、このままでは足りない。


 飲み水として使っていた水は、教会から少し離れた井戸から汲んでいた。

 細身の体で、相応の筋力しか備わっていない彼女にとって、井戸の水を汲みに行くのは重労働だった。

 しかし、教会にはミリアしかいない。

 何事も一人でこなさなければならない生活を始めて、もう半年になる。

 彼女の精神は鍛えられ、今の億劫な気持ちを切り替えて、取手のついた木桶を手にした。

 「頑張ろう!」

 自分自身を応援する様に鼓舞し、外に出て井戸に向かった。


 しばらく歩いていた所で、辺りを包む異変に気付く。

 ーーあれ?音がしない。静かすぎる、よね?

 教会の外の様子が、いつもと明らかに違う。

 まるで、動くものを許さないかのような静寂が訪れている。

 思えば、神殿からの帰り道も静かだった。

 だが、あの時以上の静寂が、辺りを包み静まり返っている。


 違和感を感じ、辺りをキョロキョロと見回す。

 鳥達の囀りや、動物達の発する気配が一切ない。

 明らかに違うのは、草花や木々までも、その存在を隠す様に静まり返っていたことだ。


 ミリアの中で不安が増していき、顔を曇らせていく。

 「こんな事、今まで無かったよね?みんな。どうしたの、かな」

 あまりにも静かな世界に、不気味さを覚え、その場で立ち尽くした。

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