第3話 別れ

 「ミリア様っ!」


 周囲を包んだ静寂を、男性の叫び声が突き破った。

 近くの村へと続く森の奥から、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 聞き覚えのある声に、その場に立ち尽くた。

 森の奥を見据えていると、現れたのはドルフだった。

 ーーそうだ、あの声はドルフさんのだ。

 一度しか聞いたことのない彼の声を思い出していると、ドルフはこちらに気付いて近づいて来る。

 ーーなんだろう。

 いつもの無表情を崩し、必死の形相で走ってくる姿に、言いようのない不安が込み上げてくる。

 ましてや禁じられているはずの言葉を発する彼に、ミリアは嫌な予感がした。

 「ドルフさん、どうしたの?」

 彼の顔は悲壮感と焦りの色が色濃く出ていた。

 どんな内容が飛び出してくるのか分からず身構える。


 ドルフは肩を上下させるほど深い呼吸をし、ある程度息を整えながら言葉を振り絞った。

 「ミリア様、お逃げ下さい。神殿がいいでしょう」

 息が絶え絶えながらも、彼女が怖がらない様に配慮しながら、神殿への避難を促した。

 「なんでそんな」

 「お早くっ!」

 疑問をぶつけ様としたミリアの声を遮り、ドルフは彼女の手を引いて、神殿の方向へ駆け出した。

 ミリアは疑問をぶつけるのをやめ、黙って背中を追った。

 父の命に背いてまで、自分を助けようとする彼の行動に、余程の理由があるのが伺えたからだ。


 教会を横目に通り過ぎて、神殿への道を入っていく。

 ドルフは走りながらも、「まだ走れますか?」と気遣い声を掛ける。

 走る事で精一杯のミリアは黙って頷く。

 彼女の肯定を確認すると、視線を進路に戻し走り続けた。


 神殿の入り口である洞窟が見えてきた。

 懸命に走り続けたミリアは、ドルフ同様に肩で息をする。

 走るのが苦しくなってきたが、目標地点となる洞窟が見えてきて、安堵の気持ちが芽生える。

 ーーあと少し。

 彼女の表情は少し緩んだ。

 辿り着けば、避難してきた状況の説明もしてくれるだろう。

 そう考えていた。

 だが、鼓膜が捕らえた音に、緊張が高まった。

 明らかに人間の物とは違う足音が、後方から近づいて来る。

 四足歩行の生き物で、それも複数いるように足音が重なる。


 その足音はドルフにも届き、彼は瞬時に反応した。

 腰に携えた剣を抜いて、ミリアに聞こえるように叫ぶ。

 「ミリア様!先にあの洞窟へ!わかりましたか!?」

 有無を言わさぬドルフの言葉。

 「はい!」

 ミリアは力強く答え、洞窟を真っ直ぐ見据えて走り続けた。


 ドルフは繋いでいた手を離して立ち止まり、渾身の咆哮を上げた。

 「ウォォッ!」

 それと同期して、獣独特の唸り声が重なる。

 彼の無事を祈りながら、ミリアは一心不乱に走り続けた。

 

 洞窟に辿り着くと、すぐ様振り返る。

 そして、視界に入った光景にギョッとする。

 人間の二倍はあろう巨躯の魔獣が三匹もいた。

 鋭い爪と凶々しい牙を携えた犬型の魔獣だ。

 それらに囲まれて、ドルフは剣を奮い応戦している。

 しかし、爪や牙の脅威を凌ぐことで精一杯の様子。

 明らかに防戦一方で、不利な状況だった。

 戦闘に疎いミリアでも、彼に残された時間が短い事が理解できてしまう。

 助けに入りたいが、戦った事などないミリアは、願う事しか出来ない。

 ーー頑張って!死なないで!

 だが、結末が変わらないのを知っているのか、ドルフと接した記憶が脳内を回り始める。

 孤独な生活を支えてくれたドルフ。

 母が亡くなって以来、受けることがなかった優しさ。

 それが今、消え入りそうになっている。

 自然と涙が溢れた。

 「お願い、死なないで」

 懇願と言うべき願いを口にする。


 しかし、その願いも虚しく、凶刃の牙がドルフを捉える。

 「ぐっ」

 魔獣に剣を折られ、肩口から大きく噛み付かれた。

 苦しそうな声と共に、ガクッと膝を落とす。

 「やめて。お願い、やめて」

 通ずるわけのない懇願を繰り返す。

 人間を餌と捉える彼らに伝わるわけも無く、魔獣はそのまま肉を引きちぎった。

 そして、骨を砕く音を発しながらドルフを貪る。


 「いやぁぁぁ!!」


 悲鳴を発しミリアは耳を塞いだ。

 同時に目を閉じることで全ての情報を遮断した。

 受け入れ難い光景を前にして、拒絶するように蹲る。

 閉じた目は蓋の役目をせず、涙が溢れ出る。

 悲しみと絶望が心を支配し、全身が小刻みに震える。

 そして、ドルフの顔が頭から離れない。


 彼はミリアにとって、大事な人だった。

 だが、救うことはおろか、ただ殺されるのを見ていただけ。

 そんな無力な自分が申し訳なく、呪文の様に言葉を繰り返す。

 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 そうする事で、罪悪感から逃れようとした。


 しかし、懺悔する時間すら許してくれない。

 ドン!

 目の前の結界を発信源とした、大きな衝撃音に驚く。

 蹲って下を向いていた顔を上げた。

 そこには、結界に弾かれた魔獣の姿があった。

 目の前の獲物を逃すものかと、再度突進して来る。

 「こ、来ないで!」

 結界が効いているのに、思わず腕で壁を作る。

 ドン!

 再度弾かれた魔獣は怒り狂い、激しい咆哮を上げた。


 咆哮が体を突き抜け、身が竦むような感覚に襲われる。

 しかし、ミリアは違うものを見て慄いていた。

 ドルフを最後に見た場所に出来た血溜まり。

 広範囲に飛び散る赤黒い血が、その凄惨さを物語る。

 「ーーーーっ!」

 言葉にならない悲鳴を上げ、身体を後ろへのけ反らせる。

 反射的に、恐怖の対象から身を遠ざけたかったのだ。


 血溜まりの中には、彼の着ていた鎧のプレートと、折れた剣のみ残されていた。

 プレートは大きくひしゃげて形を成しておらず、赤黒い血がベットリと纏わりついている。

 骨も残らぬ恐怖を目の当たりにして、ミリアの顔からは血の気が引いて青白くなった。

 カタカタと体が震えていると、追い討ちをかけるように恐怖が迫る。 


 ミリアの絶叫を聞いた魔獣は、より一層興奮して結界に張り付いた。

 巨躯に備わる牙と爪で、障害を切り裂こうと踠き始める。

 その姿が恐ろしく、ミリアは動けない。

 「嫌。死にたくない。死にたくないよ」

 呟くように言葉を漏らす。

 自分で何とかするしかないのは理解しているが、どうしたらいいかわからない。


 悪戯に時間だけが流れて行く中、結界の耐久力が気になり始める。

 ーー破られたらどうしよう。何とかしなきゃ。

 これ以上、魔獣の興奮を煽らない為、喋らないように口を押さえる。

 その手は、経験したことのない程震えていた。

 ーー怖い。誰か助けて。誰か。

 見知らぬ誰かが助けに来てくれる想像をするが、本心では分かっている。

 そんな事はあり得ないと。

 その本心が流す涙が頬を伝う。

 

 魔獣達が発するうなり声は、さらに苛烈さを増す。

 その勢いは凄まじく、爪を強く結界に押し付けている。

 ーー壊れるかもしれない。

 そう思った。

 ーーここから逃げないと!

 危機を察知して、ようやく動き出そうとするが、足がガクガクと震えて立つことが出来ない。

 動く上半身を使い、這ってその場を離れる。

 床の土埃や汚れが、彼女の白いローブを汚していく。

 そんな事など一切気が付かずに必死に進んだ。


 時折、嗚咽が漏れる。

 ーー気持ち悪い。

 精神に多大な負荷がかかったせいだろう。

 ミリアは吐き気を催しながら、暗闇が広がる世界へ入っていく。

 魔獣達から距離を取るまで進むと、足の震えが少し治まった。

 壁を使い、ヨロヨロと立ち上がる。

 未だに全身が震えて、自分の体じゃないような感覚に襲われる。

 ーー夢ならいいのに。

 そう思うも、魔獣の咆哮が現実を突きつける。

 ーーこれからどうしたら。

 考えるも『恐怖』『喪失』『無力』『絶望』が脳を支配して、答えがわからない。

 その時、ポッとドルフの顔を浮かぶ。

 口元を緩ませ、目尻を下げて笑っている。

 「ドルフさん」

 潜んでいた涙が、ブワッと一気に流れる。

 そうして彼の死を偲んだ。


 暗闇の中、ただただ魔獣の声を聞きたくなくて奥へ進み、神殿へと辿り着く。

 神殿の隅にもたれて、鉱石を叩いた。

 フワッと黄色い光が広がっていく。

 その光に安堵して、力無くその場に蹲った。


 一時間程の時が流れた。


 ミリアは動く事なく、すすり泣いていた。

 変化があったのは、結界に阻まれていた魔獣の唸り声だ。

 いつしか鳴りを潜めており、彼女の嗚咽だけが神殿に響いていた。


 頭の中で考えるのはドルフの事ばかり。

 よくよく考えれば、彼はどうするつもりだったのだろう。

 二人で神殿を目指して来たが、神の加護を持たない彼は結界の中に入れない。

 洞窟まで送り届けたら、違う場所に避難するつもりだったのか。

 それとも、自らを犠牲にして自分を守ろうとしたのか。

 もはや答えを知る術はない。

 どちらにせよ、彼は命と引き換えに自分を助けてくれた。

 だが、その事実が彼女の心を締め付ける。

 自分が殺したようなものだと。


 罪悪感が押し寄せる中、これからどうすればいいのか考える。

 救って貰った命なだけに、無駄には出来ない。

 ーーここで助けを待つ?でも、誰も来るわけない。

 彼女がそう思うのも不思議では無かった。


 教会に従事してからの半年間で、ドルフ以外の訪問者は見た事がない。

 恐らく父の影響があるのだろう。

 果たして自分の事を知っている人が、この付近にどれほどいるのか。

 知っていたとしても、見知らぬ他人を助けに来るだろうか。

 そう考え、助けは期待できないと思った。


 「私、このまま死んじゃうのかな」

 ポツリと呟いた。

 ネックレスについた母の形見の結晶石を手に取り見た。

 薄暗い場所でも、鉱石の光を受けて黄色く艶めいている。

 母の胸元を綺麗に飾っていた頃と、何一つ変わらない美しさ。

 ーー死んだらもう一度、お母さんに会えるかな?

 母の姿が頭の中に浮かんだ。


 ミリアの母親は、彼女が八歳の頃まで生きていた。

 愛情を注ぎこんでくれ、優しい笑顔と声で接する母が好きだった。

 甘えたい盛りの時期に亡くなり、とても寂しかった記憶が呼び起こされる。

 ーー会えるなら、もう一度会いたいな。

 儚げに想った。


 母との最後が光景として蘇ってくる。

 棺に入り、冷たい姿で帰ってきた母。

 血の気が引いて青白く、そして動かない。

 呼びかけても、いつもの様な笑顔をしてくれない。

 幼いながらも覚えている。

 人形の様な母の姿が怖かったから。


 このままでは自分もそうなる。

 冷たくて寒い空間が、その思いを強くした。

 ーー嫌。

 母の姿とドルフの最後が重なり、死の恐怖が再び彼女を襲い始める。

 ーー死にたくない。

 結晶石を強く握り、滲んでくる涙を抑えるために瞳を強く閉じた。

 そして祈る様に思った。

 ーー死にたくない!死にたくない!

 彼女は追い詰められていた。

 そして、涙を滲ませながら、消え入りそうな声で呟いた。


 「誰か助けて」


 その瞬間、握り締めた結晶石が光り始めた。

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