第1章 第1話 ミリア・グランデール
物語は、森の中にある教会から始まる。
ここは人間達が住う国『クレスタ』と、獣人達が住う国『バネーゼ』との国境付近に広がる大森林に囲まれた、クレスタ国の小さな教会。
この教会の歴史は古く、四百年前に建造された木造の建物で、人間達の王族が崇める『神』へ、祈りを捧げる場所として存在していた。
長い年月を経ているにもかかわらず、建物が朽ちずに形を保っていられたのは、近くの村が保全と修理を担ってきたからだ。
王族の命令がなければ、教会としての尊厳を保つのは難しかっただろう。
古くから重要な祭事を行なってきた教会。
ここには多くの者が従事し、祈りを捧げてきた。
古来のしきたりにより、この教会に従事する者は、王族の人間が務めてきた。
だが、時代が移り変わりと共に、辺境にある教会に行きたがらない王族が増え始め、従事者は減り続けてた。
いつしか王族で罪を犯した者や、政権で失脚した者など、王族内で厄介者として扱われる者が、追いやられる形で就く要職となっていた。
現在、教会に従事している者は一人の少女だけ。
名前は、ミリア・グランデール。
彼女は罪を犯したわけでもなく、政権で失脚した訳でもない。
ただ、グランデール家当主である父の意向で、この教会へ厄介払いされる形で従事者となった。
歳は十八。身長は百六十センチ程。細身の体で、整った顔立ちをしており、その瞳の色は青い。
金色の髪を腰のあたりまで伸ばし、動きやすい様に束ねて結っていた。
白を基調としたローブを身に纏い、そのローブには太陽を模した黄色の刺繍が施されている。
首から下げたネックレスのトップには、雫の形をした黄色に艶めく結晶石があり、胸元を飾るように揺れていた。
彼女の一日は、祈る事から始まる。
自室にて身支度を終えると、教会内の祈り場がある部屋に向かう。
部屋に入ると、壇上に置かれた銀製の器が目を引く。
煌びやかな宝石こそ付いていないが、熟練の職人が施した細やかな装飾は、見る者を感嘆とさせるような品。
この器は『聖杯』と呼称され、教会では重要に物として扱われていた。
聖杯の中には透き通った綺麗な水が注がれており、その水は黄色く輝いている。
ミリアの仕事は、教会の近くを流れる小川から綺麗な水を汲み、聖杯に注ぎ込んで、その水を『聖水』に変化させる為に祈りを捧げる事だ。
一日に三度、朝、昼、夜と、時間通りに祈りを捧げ、それを六日間続ける。
そうすると、普通の水が黄色の輝きを放つ聖水になるのだ。
六日目になる今日。
いつもの様に両膝を床につけ、両手を胸の前で軽く握りあわせると、壇上にある聖杯に向け、祈りを始めた。
彼女が目を閉じて頭を垂れると、体全体が淡く光り始める。
聖水と同じ黄色く輝く光には、とても暖かみがあり、太陽の光によく似ている。
「主よ、我らをお守りください。主よ、我らをお救いください。主よ、我らの心は貴方と共に」
祈りの言葉を言い終わると、体を包む黄色い光は次第に消えていく。
この不思議な力は『神の加護』と言われ、王族の人間にしか使えない。
ミリアは、王族であるグランデール家の長女として、この力を授かり生を受けた。
この教会の従事する者が王族でなければならないは、神の加護を受けている事が条件として必要だからだ。
何の変哲もないただの水を、聖水に変えるには魔法の力が必要だった。
朝の祈りが終わると、彼女は台所へ向かい、一日分の食事をまとめて作り出す。
台所で小麦を練ってパンを焼いたり、野菜と挽肉の腸詰でスープを作ったりする。
食材は、教会の護衛とミリアの世話係を務める『ドルフ』が、一日置きに持ってくる事になっている。
彼は近くの村に住んでおり、その村で収穫された野菜や果物、購入した食肉などを調達する。
その代金は国から支払われ、そこから彼の給金も賄われていた。
ミリアが台所に入って調理を始めようとすると、ドルフが食材を届けに来た。
今日は小麦が入った麻袋があり、小さい手押し車に乗せてきたようだ。
「おはようございます、ドルフさん」
明るく微笑みながら挨拶する彼女に、ドルフは固い表情のままで小さく頷いた。
彼の年齢は五十歳近くで、目尻には年輪を刻む様にシワが寄っている。
両手剣を腰に携え、鎧を着込んでいる。
鎧と言っても、国の騎士団が装備する豪壮な物ではない。
胸部と腹部を守るために、上半身のみ鉄のプレートが埋め込まれている皮の鎧といった具合の軽装備だ。
しかし、護衛を請け負っている分、首筋や腕などの肌が見える部分から、鍛え上げた肉体であることが伺える。
そんな彼が持って来た食材を台所に運び入れると、慣れた手付きで棚に収納していく。
小麦が入った麻袋をドサッと重ねると、無言のまま台所から外に出て行く。
その背中を追い、ミリアは声をかける。
「助かりました。ありがとうございました」
彼は小さく頷きながら、自分の村へと立ち去って行った。
一見すると無愛想で不躾な態度だが、彼女は笑顔で彼を見送った。
それは彼の事情を知っているからだ。
ドルフは会話が出来ないわけでは無い。
ミリアがこの教会に従事した日に遡る。
彼女は、王都から案内人と一緒にやって来た。
護衛兼世話係として、案内人からドルフを紹介して貰った際に、長い間お世話になる人物に対して、彼女は明るく努めて挨拶をした。
しかし、彼は無表情のまま頷くか、首を横に振るといった行動しか取らず、声を聴く事は無かった。
無愛想で興味がなさそうな態度を取られ、理由はわからないが嫌われていると感じた。
もしかしたら、一生ここで暮らさなければならないのに、その生活が不安になり、気分が落ち込んだ。
そんな気持ちを引きずりながら、案内人を見送った。
だが、案内人が教会から去った事で状況は変わった。
ドルフは、案内人の姿が見えなくなったのを確認すると、彼女の元を訪ねてこう言った。
「貴方の父上から、貴方と会話するのを禁止されています。案内人と名乗っていましたが、彼は監視役でしょう。先程は挨拶もせずに、失礼な態度を取り申し訳ありません。どうか悪く思わないでください。貴方のような、若い方がこちらに来るとは。生活面では私を頼って下さい」
頭を下げ非礼を詫びると、自分が置かれている立場を伝えに来てくれた。
この辺境の地にある教会に追い払って、なおも追い詰めるような父の仕打ちに、彼女は悲しくなり俯きそうになった。
ーー私が『役立たず』だから。
暗い感情に、心が支配されそうになるが、彼の見せた申し訳なさそうな顔に希望を見出した。
好意的な彼の行動に応えるため、悲しい気持ちに蓋をして気持ちを立て直す。
「悪く思うなんて、そんな。父の命令では仕方ないですね。私は大丈夫ですから、これからよろしくお願いします」
「ん」
ドルフは、彼女の愛らしい笑顔に見つめられ、気恥ずかしそうにした。
彼のそんな顔を見たのは、これが初めてだった。
それ以来、父の命令通りに彼は口を開く事は無い。
恐らく監視役が何処かに居るのだろう。
だが、彼が話せない事には特に問題はなかった。
日常生活で困る事は無いし、例え困った事があったとしても、彼はさりげなく助けてくれる。
そんな関係性を持てた。
今日の食材を持ってきた時も、ソレが伺えた。
ミリアは一般の女性並みの筋力しか備わっていない。
彼女には持ち上げるのが難しいであろう、重たい小麦の袋や瓶に入った油など、使いやすいように置き場を考えてくれ収納してくれるのだ。
それが彼の仕事としての勤めなのか、優しさなのか判断する事は出来ないが、後者であると信じていた。
ミリアは、ドルフが助けてくれるたびにお礼を言った。
彼はお礼を言われる度に、気恥ずかしそうな顔をするのだが、その顔を見るのが楽しみだった。
最近では隠すのが上手くなりつつあり、表情を変えないようになっていたが、彼女には分かっていた。
そんな彼の優しい気遣いが、教会で一人で暮らす孤独な生活に潤いを与えていたのだ。
朝食を食べ終わり、教会の外に出る。
暖かな日差しが心地良い。
大きく背伸びをすると、近くの森へと駆け出した。
教会での暮らしでは、一日三回あるお祈りの時間を除けば、空いた時間は自由にして良かった。
ミリアは、その時間のほとんどを外で過ごした。
彼女は幼少の頃より、生物に愛される傾向があり、彼女自身も草花や木々の生命感を愛でるのが好きだった。
もちろん動物も好きで、たくさんの動物に触れ合うのに喜びを感じていた。
大人になった今も、それは変わっていない。
森へ辿り着くと、木々に住まうリスや鳥、野を駆けるウサギなどが自然と寄って来て、ミリアのそばに寄り添う。
そんな動物たちと触れ合うのが、何よりも心を弾ませた。
昼のお祈りで一度教会に戻ったが、終わると再度戯れる。
それほど、彼女にとっては至福の時間なのだ。
時間を忘れて触れ合っていると、陽が傾き始める。
夜のお祈りがある為、そろそろ教会へ戻らなくてはならない。
「また明日ね」
ウサギの体を撫でながら、名残惜しそうに動物達へ別れを告げると、教会に足を向けた。
教会に戻る途中に、大きな岩壁にポッカリと開いた洞窟が視界に入る。
「明日は、聖水を捧げる日ね」
ポツリと呟く彼女の青い瞳は、使命感を帯びて真っ直ぐ洞窟を見据えていた。
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