ブラックドラゴン

青香

 プロローグ

 「ギャーーッ!」


 男性の断末魔が聞こえる。

 それも、そんなに遠くはない距離から発せられている。

 肉を引きちぎる音や、骨が砕ける音が悲鳴に混じる。

 御馳走へ舌鼓を打つ様に、獣達の息遣いが荒ぶり、歓喜しているのが良くわかる。


 鬱蒼とした森の中、大木の幹に背を預けて、少女はソレを聴いていた。

 ーー次は私の番。

 そう思うと、恐怖で体の震えが止まらない。

 見つからない為に、震える手で口を抑えて、呼吸音が出ないようにする。

 経験した事のないほど震える手が、敏感な唇から伝わり、恐怖心を強く煽る。

 ーー怖い。死にたくない。

 そう思えば思うほど、体の震えは強くなっていった。


 男性の声が聞こえなくなる。

 それと同時に、獣達の咀嚼音が消える。

 唸り声も静かになり、徘徊する足音だけがリズム良く刻まれる。

 ーー気付かないで。気付かないで!

 祈るように願い続ける。

 たが、遠くに行くような気配は無く、次の獲物を探している様子だった。


 ーーく、苦しい。

 気配を消す為に息を止めていたが、次第に辛くなってくる。

 心臓がバクバクと高鳴り、肺が酸素を求めて呼吸をしろと促す。

 ーーもう、ダメ!

 限界点を超えてしまい、か細くだが呼吸をしてしまう。

 欲張りな肺は、『もっともっと』と酸素を送るように命令する。

 その力に抗えず、幾度となく呼吸を繰り返してしまう。

 すると、指の隙間から漏れでた空気が、風を切るように音を発した。

 微かな音だが、静寂が支配する森では響いてしまい、獣達の尖った耳に届いてしまう。


 音の発生源を探すように、草ズレを伴う足音が近づいて来る。

 再度呼吸を止めてみるものの、「グルルル」と獣が発する唸り声は、確実に迫って来ている。

 その気配を感じて、少女の緊張と絶望は最高潮を迎えた。

 ーーどうしよう。どうしよう。どうしよう。

 走って逃げたとしても、人間の足では獣達には敵わない。

 すぐに追いつかれて、喰いちぎられてしまう。

 ーー襲われる。食べられてしまう。

 容易に想像できてしまう未来に、恐怖で涙が溢れて頬を伝う。


 冷たい涙が落ちた先には、小さな男の子がいる。

 潤んでボヤける視界で、腕に抱いた子供を見つめる。

 緊迫とした状況なのにも関わらず、愛くるしい顔を見せている。

 男の子に落ちた涙を親指で拭うと、少女の心はキュッと締め付けらた。

 助けると決めたのに、道連れにしてしまうことが悲しかった。

 だが、それ以上に自分の非力さが申し訳なかった。

 ーーごめんね、守ってあげられなくて。

 心の中で謝罪すると、恐怖心から何かに縋りたくなり、男の子をギュッと抱きしめた。

 そして蹲り、最後の時を待った。


 ガラガラガラガラーー。


 街道の方角から、石畳の道路を激しく走行している音が聞こえた。

 ーー何?

 パッと顔を上げ、街道を見据える。

 大きな鳥が荷車を引き、勢いよく走行しているのが見えた。

 荷台の上で荷車を守ろうと、獣人の大男が武器を持ち戦っている。

 ーー助かるかもしれない!

 その光景は、少女には絶望の底へ垂らされた、希望の糸に見えた。

 しかしながら、街道までの距離は、約五十メートル程はある。

 走った所で獣に追いつかれるだろう。

 だが、それに縋るしか方法は無いのだ。

 ーー行くしかないっ!

 覚悟を決めて、浅い呼吸を二往復する。

 苦しかった肺に酸素が行き届き、スッとする。

 その後、大きく息を吸い込み、肺に酸素を貯めた。

 そして、腕に抱く男の子を強く抱きしめ、勢いをつけて飛び出した。


 獣達は、街道の荷車に意識を向けていた。

 そちらに移動しようと動き出した際に、大木の幹から少女が現れた。

 遅れを取ったが、目の前の餌を追いかけ始める。

 少女は、背後に迫る軽快な足音に、生きた心地がしなかった。

 みるみる血の気が引き、顔が青ざめていくが走り続ける。

 ーーもう、追いつかれる!

 ここらが限界だと踏み、最後の力を振り絞り叫んだ。


 「助けてっ!!」

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