第7話 命の灯火

 ーー今日は天気が良くなさそうね。

 目を覚ますなり、そう思った。

 今日は窓から射し込む日光が薄い。

 ベッドから起き上がり、窓から空を見上げる。

 どんよりとした雲が、太陽を遮っているようだ。

 クロノの為に、夜通し灯した鉱石の光。

 それに比べると、外の薄暗さが際立って見えた。


 同じベッドで寝ていたクロノは、まだ夢の中だ。

 スピスピと、可愛い寝息を立てている。

 起こさないよう、静かに身支度を始める。

 服を着替えて髪を結い始めるが、なかなか髪の形が決まらない。

 天気が悪いので気分が乗らないからだろう。

 いまいち納得はいかないが、髪結の手を止める。

 そんな気分を察しているのか、胸元に艶めく結晶石も輝きが少ないように思えた。

 ーー気分が乗らないなぁ。

 そんな事を思うが、気合いを入れ直す。

 「よし!今日もお掃除頑張ろう!」

 「ん、んん」

 思わず大きな声を出してしまい、寝ていたクロノが反応する。

 ーー起こしちゃったかな?

 しばらく様子を見たが、寝返りをうつと再びスヤスヤと眠りだす。

 ホッと胸をなで下ろすと、部屋を後にした。


 リビングに出ると、奥の台所から何かを焼いている音が聞こえる。

 台所を覗き込むと、どうやらオムレツを作っているようだ。

 「おはようございます」

 「あら、おはよう。体調は大丈夫?疲れは残ってない?」

 慣れない仕事をした次の日などは、筋肉痛や疲労が残っているものだ。

 長年の経験によってサリーはそれを良く知っていた。

 ーーちょっと張ってるかな?

 実際、慣れない作業をした身体は、全身の筋肉が若干の強張りを見せていた。

 しかし働けないほどではない。

 「大丈夫ですよ」

 「そうかい?怪我が治ったばかりなんだから、あまり無理しないでね?」

 「わかりました」

 ミリアは笑顔で会話を締め括った。


 ふと見た調理台に用意された三枚のお皿。

 ディーバが未だに帰ってきてない事を物語っている。

 それを裏付ける様に、昨日ディーバの為に残しておいた夕食も、同じ皿に盛り付けられていく。

 「今日は天気が良くなさそうね」

 憂鬱な物言いで喋るサリーに、ミリアは頷き応える。

 「そうみたいですね」

 「雨が降ったらいけないから、レインコート用意しておくわね。クロノちゃんに合うのは、どこにしまったかしら」

 詳しく聞くと、ディーバが子供の頃に使っていた物があるらしい。

 それもオモチャ同様に、思い出が深く捨てられてずに残っていた物。

 「倉庫に片付けたのかしら」

 サリーは頬に手を当てながら、どこにしまったのブツブツと呟いている。

 そうこうしている内に、朝食の用意が整う。


 ミリアは寝室へ行き、クロノを揺り起こした。

 「クロノ、起きて」

 寝惚け眼で、体がフニャフニャしているクロノの着替えを手伝う。

 今日用意した服は、可愛いウサギのワッペンが付いている。

 クロノに着せながら、可笑しくて笑ってしまう。

 ーー可愛いワッペンね。彼の子供時代が見てみたいな。

 幼いクロノには良く似合うが、本当にディーバが着ていたのだろうか。

 疑問に思うほど可愛いデザインだ。

 これを着て遊びまわっていたかと思うと、微笑ましい限りだ。

 微笑むミリアを見て、何が面白いのか理解できないクロノは不思議そうな顔をする。

 「どうしたの?」

 「なんでもないよ。さ、ご飯食べよう」

 二人は寝室を出た。


 食卓の椅子に座り、サリーは二人が来るのを待っていた。

 クロノはサリーが目に入ると、一目散に駆け寄っていった。

 そして勢い良く抱きつく。

 「おはようサリー!」

 「おはよう、クロノちゃん」

 サリーは嬉しそうに、表情を緩めて受け止めていた。


 朝食を食べ始めるが、クロノは時折玄関の扉に視線を送る。

 ディーバが帰ってくる時を、今か今かと待ちわびているようだ。

 しかし、食べ終わる頃になっても、その扉は開くことはない。

 おかしいなと思ったクロノは、サリーに視線をやり質問した。

 「ディーバは?」

 「今日も忙しいのかしらね?残念だけど、帰ってこないかも。夕方には帰ってくるんじゃない?」

 「そうなんだ」

 サリーの言葉を聞いて、残念そうな顔をする。

 だが、仕方ない事だ。

 「その内会えるから、ね?」

 「うん」

 元気付けようと諭す様に言うミリアに、クロノは頷いた。


 食器を片付けた後、寝室にて仕事に向かう為の準備をしていると、サリーがある物を持ってきた。

 「子供用のレインコートあったわ。見て!カエルさんだよ?」

 サリーの手には、カエルを模した子供用のレインコートがあった。

 それを見たクロノは、一瞬で目を輝かせる。

 「何これ!すごいね」

 サリーから受け取ると、角度を変えながら嬉しそうに眺めた。

 よほど気に入ったのか、雨は降っていないのに着ていくと言い出す。

 その様子が可愛く、ミリアとサリーは顔を見合わせて笑い合った。


 「それでは行ってきますね、サリーさん」

 サリーが普段使っているレインコートと、用意してくれたお弁当を受け取り、運び屋へ向かう為に家を出た。

 ミリアの隣で、カエル姿のクロノが、サリーに向かって手を振っている。

 「いってきまぁす」

 「気をつけてねぇ」

 サリーはその光景に、恍惚の表情で手を振り返していた。


 小高い丘の坂道を下りながら、空を見上げる。

 雲が厚く重なり、黒くなっている。

 ーー今日は雨が降るだろうな。

 そう思いながら、カエルになって上機嫌なクロノの手を引く。

 露店が立ち並ぶ街の中心部まで来るが、いつもの活気が落ち着いているように見える。

 空模様が良くないせいか、人手が少ないのだろう。

 「あ!」

 飴細工のお店が近づくと、クロノはお店の主人に向かって手を振った。

 飴職人のおじさんは、カエル姿のクロノに気づいてくれ、笑いながら手を振り返してくれた。

 「今日も買って帰ろうね」

 「うん!」

 クロノは嬉しそうに返事をした。


 運び屋の建物に着くと、カリムが二人を出迎えるように入り口で立っていた。

 「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

 「おはようございます、カリムさん。今日も頑張ります」

 ミリアの頑張るポーズを見て、カリムは微笑む。

 「クロノもがんばる!」

 ミリアの真似をして、クロノも同じポーズを取ってアピールした。

 「怪我しないようにな?」

 「うん!」

 クロノの顔を覗き込むように、カリムはそう言った。

 彼もまた、キシムの様に思慮深い人物なのだろう。

 ミリアはそう思った。


 「ミリアさん。今日は荷車の往来が多いですから、周りを良く見て行動して下さい。くれぐれも、荷車の周囲に近づかない事。お願いできますか?」

 「はい、わかりました」

 カリムは今日の注意点を伝えると、自分の持ち場に戻る為、荷車用の大きな出入口に向かっていった。

 偶然居合わせたと思っていたが、先程の伝言を話す為に、ここで待っていたのだろう。

 ーー良い人だなぁ。

 その配慮が嬉しく、彼の後ろ姿にミリアは微笑んだ。


 その後、二人は倉庫内の建屋に向かった。

 建屋に入ると、ミリアは持ってきた荷物を置いて、クロノのレインコートに手をかける。

 「このままがいい!」

 脱がされると思ったクロノは、手をすり抜けて逃げた。

 カエルのレインコートを気に入っているのだろう。

 ーーしょうがないなぁ。

 汚れてしまうと考えたが、洗えば良いかと自分を納得させ、脱がせる事を諦める。


 建屋から出ると、体を伸ばすために大きく背伸びをする。

 ーーさてと、お仕事お仕事!

 気持ちを仕事に切り替えて、クロノに指示を出す。

 「それじゃあクロノ。昨日と同じ様に、大っきいゴミを集めて行こうか」

 「うん!」

 昨日も集めていたが、倉庫はとても広く、未だ多くのゴミがたくさん放置されている。

 クロノはカエルのレインコートを着たまま、ゴミを拾いはじめた。

 小さい体でしゃがんだり立ったりするのが、カエルがピョコピョコ跳ねているように見える。

 ーー本当のカエルみたいね!

 とても可愛らしかった。


 昨日の作業でコツを掴んだのか、大きいゴミ拾いは順調に進む。

 ーーこの調子で行けば、倉庫内の大きなゴミ拾いは、今日中に片付づきそう。

 そんな事を思っていると、雨音が耳に届いた。

 大きな荷車用の出入り口を見ると、縦に流れる雨の線がいくつも下に流れていく。

 「降って来たなぁ。外に出る時はレインコート着ないと」

 そんな雨を眺めていると、昨日と同じように、出入口で外を見つめるカリムの姿が目に入った。

 その横顔は昨日と同じく、不安な感情を露わにしている。

 その心配事が、ディーバの事なのか他の事なのかはわからない。

 だが、おそらく前者の事だろうとミリアは思った。


 「こっちも人手を寄越してくれ」

 「ちょっと待ってろよ、もう終わるから」

 カリムが言っていた通り、今日は荷車の出入りが多いようだ。

 積み込みや荷下ろしなどで、たくさんの働き手が忙しそうにしている。

 「カリム、この荷物どこに置くんだ?」

 「あ、はい。今行きます」

 しばらく外を見つめていたカリムだったが、仲間に呼ばれて、その場を離れた。

 その姿を見て、ミリアもゴミ拾いの作業に戻る。

 ーー私が心配をしても仕方がない。

 ここで心配していても、何か出来るわけではない。

 気持ちを切り替え、掃除の作業を続けた。


 お昼休憩を迎える前に、倉庫内に放置されていた大きなゴミを、集め終わる事ができた。

 ーー沢山あったなぁ。

 ゴミを詰めた麻袋は三十個程になっていた。

 午後からは、外のゴミ捨て場へ持って行くだけだ。

 「クロノ、休憩してお弁当食べよ」

 「うん!」

 今日は雨が降っているので、倉庫内の建屋でお弁当を食べる事にした。

 手を洗い、サリーが用意してくれたお弁当を広げる。

 「いただきまぁす」

 それが合図の様に、事件は起きた。


 ギギギギギッ。

 荷車についている走行車輪が、地面に激しく擦れる音が聞こえる。

 その音が鳴り止むと、緊急を要する男性の叫ぶ声が響く。

 建屋内部では、何と言っているのか分からなかったが、その声に不吉な物を感じた。

 ーー何だろう、何かあったのかな?

 建屋の扉を開けると、倉庫で作業していた人たちの慌てる様な声が響いている。

 あまり良くない文言が聞こえ、不吉な予感を増幅させていく。

 「クロノ、見てくるからここでお弁当食べててね」

 「うん」

 クロノを建屋内に残し、ミリアは騒ぎの中心地に向かった。


 どうやら荷車の出入り口付近で、何かが起こっている様だ。

 大鳥が引く一台の荷車を、作業員達が囲んでいる。

 「早く手当てを!」

 「みんな!降ろすの手伝え!」

 近づいていく中、荷車から数人に抱えられながら降ろされている人物が見えた。

 茶色い毛並みがチラリと見え、ミリアの脳内にディーバの姿が過る。

 ーーまさか、そんな。

 『手当て』と言う言葉から、誰かがケガをしているのだろうと予測できる。

 ミリアはディーバであって欲しくないと思った。

 だが、嫌な予感は的中してしまう。

 「毛布持ってこい!手当てに使える道具もだ!」

 「キシム様に早く知らせろ!急げ!」

 運び屋の男達は彼の姿に慌て、現場は混沌としている。

 「アニキ!しっかりしてくれ!」

 カリムが必死に呼びかける先に、雨に打たれてずぶ濡れになり、全身に裂傷を負ったディーバが横たわっていた。

 中でも腹部の裂傷が酷く、服には血が滲み、苦しそうに呼吸をしている。

 どう見ても重体で、命に関わるほどの状態だった。

 先程まで乗車していたであろう荷車の操舵席からは、雨で滲んだ血が滴り続けている。

 おそらく彼の物であろう。


 「アニキ!死んだらダメだ!必ず助けるから、しっかりしてくれっ!」

 ディーバの傍らで、カリムが助けると口にする。

 しかし、なす術がないのか、布で出血を抑えることしか出来ていない。

 カリムの顔は、絶望に苛まれ歪んでいる。

 「泣くな、バカ野郎」

 苦しそうな声で、ディーバが喋った。

 一昨日会った時に比べ、その声は弱々しい。

 直ぐにでも事切れてしまいそうだ。

 ーーサリーさんに知らせないと!

 ミリアの足は踵を返し、建屋へ急いだ。


 お弁当を食べていたクロノは、勢いよく入ってきたミリアに、呆けた表情を見せた。

 「どうしたの?」

 「クロノ。サリーさんを呼びに行ってくるから、ここで待っててね。出来る?」

 血相を変えて喋るミリアに、クロノは黙って頷いた。

 本当は離れたくなかったが、只ならぬ雰囲気に言い出す事が出来なかった。

 「いい子ね。すぐ戻ってくるからね」

 そう言い残すと、ミリアはレインコートに袖を通し、駆け出した。

 

 外に出ると、雨が本格的に降りだしたのがわかった。

 大きい雨粒が降り注ぎ、露店が立ち並ぶ通りも、人通りが少ない。

 そのおかげで走りやすく、サリーの家を目指して走り始めた。

 考えたくはないが、ディーバが亡くなってしまう可能性がある。

 ーー生きているうちに、二人を会わせないと。

 その一心で、走り続けた。

 雨の冷たさが、レインコートを伝い体温を奪っていく。

 しかし、小高い丘の坂道を走り続ける体は、段々と火照りだし、レインコート内に熱気が溜まり始める。

 暑苦しさを感じる様になる頃、サリーの家へたどり着いた。


 ノックをせずに、玄関の扉を勢いよく開ける。

 リビングにいたサリーは、椅子に腰掛け編み物をしていた。

 彼女は勢いよく開いたドアに驚き、体を強張らせる。

 「どうしたの?」

 ドアを開けたのがミリアだと解ると、胸を撫で下ろしてそう言った。

 「サリーさん、大変です!ディーバさんが、大怪我を。今、運び屋にいます!」

 ミリアは荒ぶる息を堪えながら伝えた。

 すると、サリーの表情が瞬時に変化し、纏う空気も変わった。

 「すぐ行くわ!」

 そう言うと雨具を一切持たずに、家を飛び出していった。

 ミリアも慌てて後を追った。

 

 獣人特有の優れた身体能力で、一目散に走るサリー。

 人間の脚力ではとてもついて行けず、サリーとの距離が離れていく。

 途中、サリーが振り返った。

 ミリアを気にかけたのだろう。

 ーー私に構っている時間はないはず。

 そう思いミリアは叫んだ。

 「先に行って下さい!」

 その言葉を受け前を向き直すと、サリーは走り出した。

 そして露天立ち並ぶ通りにたどり着き、あっという間に姿が見えなくなった。


 この道を往復をしたミリアは疲れ始める。

 ーー苦しい。たくさん走れないわ。

 息が苦しくなると整えるために歩いて、整ったら走るというサイクルを幾度と繰り返しながら、運び屋を目指した。

 運び屋の建物にミリアが辿り着いた頃、倉庫内の騒めきは一際大きくなっていた。

 男達の慌てふためく最中、二人の女性の声がよく通り聞こえる。

 「アンタ、しっかりしな!」

 「どうしよう、どうしよう」

 一人はサリーの物だと分かったが、もう一人の声は聞いた事がない声だ。


 すぐに向かいたいが、待たせているクロノを気にかけて、倉庫内の建屋に向かう。

 レインコートを脱ぎ、荒ぶる呼吸を整えながら歩いたが、体は火照り、汗が滲んだ。

 建屋に入ると、クロノは部屋の隅で小さく蹲っていた。

 ミリアの姿を見つけると、一目散に駆け寄り、足元に引っ付く。

 一人になったのが怖かったのか、若干の震えが伝わってくる。

 寂しかったその顔に、いつもの明るさはなく、無言で顔を埋めていた。

 「おまたせ。ごめんね、一人にして」

 クロノを抱き上げ、背中をさすりながら宥める。

 机の上のお弁当を見ると、出ていった時のままの状態で手がつけられていない。

 おそらく自分が出た後に食べるのを止めたのだろう。

 一人になった孤独感から、部屋の隅で小さく蹲ったクロノの行動が可哀想に思い、胸が締め付けられるような感情が覆った。

 彼の背中を優しく叩き、安心させながら、ディーバの元へ向かう。


 大勢の運び屋仲間に囲まれた輪の中に、サリーとキシム、そして見知らぬ小柄な獣人の女性がいた。

 セミショートで緑色の髪、人間に近い顔立ちから半獣人だと伺える。

 狼族のような獣耳は無く、耳の代わりに白い翼の様な羽が生えていた。

 細身の体で、白く伸びた腕。

 その手は、ディーバの血で赤く染まっている。

 塗り薬を傷口に伸ばして、必死にタオルで止血しているが、その顔は悲しい結末を知る様に窄んでいた。

 「私の薬では内臓は治せない。どうしたらいいの?」

 狼狽る女性に、ディーバが口を開く。

 「ジジ、気にするな。オマエのおかげで痛みはマシになった」

 今にも消え入りそうな声で、『ジジ』と呼んだ女性を気遣う。

 その言葉が琴線に触れ、涙が溢れ出す。

 「ディーバ、死なないで。お願い」

 女性の悲痛な願いが、周囲を囲む人達の雰囲気をより深く沈せる。

 皆一様に落胆して肩を落とす。

 おそらく彼女の治療が、最後の希望として期待されていたのだろう。


 サリーは息子の頭を撫でながら、慈しみの表情で最後の別れを惜しんでいた。

 「何かして欲しいことあるかい?」

 涙ながら話すと、ディーバは答えた。

 「腹減ったな、母ちゃんのメシ食いてぇ」

 そう言いながら口から血を吐き出す。


 その光景にミリアの心は掻き乱され、締め付けられた。

 ーーどうしよう。でも。

 自分には救う力があるかも知れない。

 だが一度も成功した事がなく、それが原因で今まで辛い目に遭ってきた。

 ここで出しゃばり、過度に期待をさせておいて失敗したら、あの時のように失望される。

 蔑まれるような視線を永遠と向けられてしまう。

 そんな想いが頭をめぐり、後退りしてしまう。


 だが、サリーの悲しむ様が、心を突き刺してくる。

 ましてや、自分とクロノを救ってくれたディーバの命だ。

 ーー救いたい。助けたい。けど。

 拒絶された悲しい過去の記憶に縛られ、体が強張り動けなかった。


 クロノはミリアの異変を感じ取っていた。

 彼女の顔を見上げると、表情が固く引きつっている。

 心配で声をかけたかったが、その場の雰囲気にのまれて何も言い出せない。

 知らない人が、周りに沢山いた事も大きい要因だろう。


 ディーバの側で様子を見ていたキシム。

 彼は消え入りそうな友の命を、悲しそうに見つめていた。

 幼なじみとして育ったのだから当然の反応だろう。

 だが、暫くして何かを思い出す。

 そして、周囲を見回した。

 彼はミリアの姿を見つけると、人を掻き分けて彼女の元へ急いだ。

 「ミリアさん。貴方に聞きたいことがあります。貴方は王族のグランデール家の方ですか?」

 ミリアはその言葉に驚いたが、肯定の為素直に頷いた。

 「そうでしたか。あの能力は使えるのですか?治癒の力です」

 キシムはグランデール家の事を知っていた。

 ミリアが王族の人間だと知らなかったが、人間の娘でグランデールの姓を名乗った彼女に可能性を見出した。

 もしそうであるなら、その血筋を継いで救う事ができる能力があるのではと思ったのだ。


 「能力は、その。使えるかどうか、わからないです」

 ミリアは自分の素直な状況を伝えて、キシムに判断を委ねた。

 救いたいが動く事ができない。

 そんな自身の背中を、一押しして欲しかったのだ。

 「助かる可能性があるなら、どうかお願いします。ディーバを救って下さい」

 いつもの落ち着いた口調を崩して、熱く懇願するキシム。

 ミリアの心は揺り動かされ、臆する心を前に進ませた。

 「やってみます」

 そう口にしたミリアの顔に、迷いはなかった。

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