第2話 朝食
窓から差し込む、暖かな日差しが部屋を照らす。
そんな朝日の光に誘われて、ミリアは目を覚ました。
「居ない」
部屋を見渡す限り、男の子の姿が見えない。
昨晩は、サリーと一緒に寝たのだろうか。
そんな事を考えていると、隣の部屋から、無邪気に笑う子供の声が聞こえた。
ーーあの子の声だ。
昨晩の怯える声とは明らかに違い、とても明るく楽しそうだ。
ベッドから起き上がろうと、上半身起こした。
「あれ?痛くない」
昨日、痛烈に感じた痛みを感じない。
背中を引っ張るような違和感が少し残る程度だ。
この国で一、二の腕を争う薬師の薬だとサリーは言っていた。
その言葉が嘘偽りのない真実だと実感せざるを得ない。
ーー凄い効き目。一日でこんなに違うなんて。
ミリアは薬の効果に驚いていた。
ふと見たベッドの隅。
足元あたりに、畳まれた衣服が置いてあった。
手に取り広げると、女性用のワンピースのようだ。
薄らベージュの色をした、シンプルな作り。
普段着用だろう。
サイズが少し大きいように見えた事で
、サリーの服ではないかと予想できた。
ーーサリーさんが、用意してくれたのかな?
確証はないが借りる事にした。
ベッドを出ると、早速着てみる。
「やっぱり、少し大きいな」
全体的にダボついてしまう。
袖も長く、手が隠れてしまうほどだ。
だが、用意してくれただけでもありがたい。
無ければ包帯姿なのだから。
袖を折り込み、腕の長さに合わせる。
丈も長いが合わせようがない。
幸いなのは床に擦らない程度だった事だ。
部屋のドアを目指し歩いていく。
ドアに近づくのに比例して、子供の笑い声が大きくなる。
楽しそうな声に、警戒する必要は無いだろう。
だが、この先は見た事がない。
確かめるように、そっとドアを開いた。
ドアの隙間から覗き見る。
リビングの様だ。
木彫のダイニングテーブルが、中央に置かれている。
目を見張るのは、その大きさだ。
体格の大きい獣人用らしく、テーブルや椅子が一際大きい。
クレスタではお目にかかれない代物だろう。
その椅子に、男の子は座っている。
子供が座ると、余計に家具の大きさが目立ち、目の錯覚かと思うほどだ。
サリーは男の子の隣に座り、朝食を食べさせている。
「美味しい!」
そう感想を漏らしながら、男の子は笑顔を振りまいていた。
少し甲高い声が、実に子供らしい。
ーーあんな感じで笑うんだ。
その声に誘われる様に、ミリアはゆっくりとドアを開けた。
「あっ!」
ドアが動いた事に気づき、男の子は食事を止めた。
椅子から勢いよく滑り降り、こちらに駆け寄ってくる。
そして、ミリアの足元に抱きついた。
「良い匂い」
男の子はスカート部分に顔を埋め、そう言った。
匂いという言葉に、恥ずかしさが込み上げる。
ーー私の匂い?それとも服の匂い?
どちらにせよ、恥ずかしい気持ちには変わりがない。
少し顔が赤くなるが、直ぐに冷静さを取り戻す。
ーー子供の言うことなんだから、気にしない方がいいよね。
そう思うと、男の子に向けて挨拶した。
「おはよう」
男の子は、不思議そうな顔をして見上げる。
その変な間に、ミリアは違和感を感じた。
ーー何だろう。
男の子が見せる表情が、どうゆう意味を表しているのかわからなかった。
そして、男の子から発せられた言葉は意外なものだった。
「おはよう?おはようって何?」
一瞬、思考が止まる。
知らないのだろうか。
この子にも両親がいるはず。
挨拶くらいした事があるだろうに、と疑問に思った。
「挨拶の言葉だよ?朝起きて誰かに会ったら『おはよう』って言うんだよ」
そう伝えると、男の子は考える様な仕草をする。
新しい知識を取り入れているのだろうか。
しばらくすると笑顔を浮かべる。
「わかった!」
男の子は大きな声で返事をした。
まるで、知らない言葉を聞いたような反応。
男の子に対する疑問は増える。
解決する為に、質問を始めた。
「今まで、おはようってした事ないの?」
「誰もいなかったもん」
伏し目がちになりながら、男の子は答えた。
ーー誰もいない?どうゆうことだろう。両親の事ならわかるかな。
そう思い、両親の事を聞く。
「お父さんとお母さんは、どこにいるのかな?」
その質問に、男の子は再びキョトンとする。
「お父さんとお母さんって何?」
男の子の答えに、ミリアは悲しくなる。
悲しいというより哀れんだのだ。
ーーこの子は自分の両親の事がわからないんだ。
記憶を無くしているのか、それとも最初から存在しないのか。
どちらにしても、不憫に思った。
それでも、以前は何処かに住んでいたはず。
「お家は何処にあるの?」
その質問した所で、男の子は目に涙を溜め始める。
自分の知らない言葉と、優しくはない口調。
怒られた子供の様に、ミリアが怖くなったのだ。
男の子は首を横に振ると、床を見て俯いた。
そして、ポロッと涙を流した。
その涙にミリアは焦った。
「ごめんね。怒ってるわけじゃないんだよ」
男の子を抱き寄せ、優しく頭を撫でた。
ただ、男の子を知りたいだけだったのだが、泣かせてしまった事に後悔の念が湧く。
男の子の背中を摩りながら、反省をした。
一部始終を見ていたサリーが口を開く。
「この子は出会う物、全てが新しいみたいだね。食べ物でもそうだし、食器ですら使った事がないみたいだったからね。小さいのに、今までどう生きてきたのか。救いなのは、見る物触れる物、全てを楽しそうに接してることかね」
そう言うと、憐みの表情を見せた。
男の子が落ち着くまでしばらくかかるだろう。
ミリアはそう思っていた。
バン!!
リビングから直結する玄関の扉が、轟音と共に、勢いよく開いた。
ーー何っ!?
前触れもなく突然開いたことに驚く。
そして、リビングにいた全員が同じ方向を向いた。
扉の開いた場所に、身長二メートルを超える男が立っている。
そして、当たり前のようにズカズカと入って来た。
体格が良く、まるで巨大な壁が迫って来るようだった。
「お?嬢ちゃん怪我治ったか?チビ助も元気そうだな」
獣人の大男は、ミリアと男の子を見てそう言った。
獣の特色が強い顔立ちをしている。
尖った獣耳や、大きく突き出た口元。
サリーと同様、狼族の獣人だと言う事がわかる。
ーーもしかして、あの時の。
魔獣に襲われたあの時、助けに来てくれた人に似ている。
「あの」
確かめる為に、質問を投げかけようとした。
だが、サリーの大声にかき消される。
「ディーバ!そんなに乱暴にしたら、ドアが壊れるでしょう!壊れたらどうするのよ!」
サリーは、声を張り上げた。
ドアが壊れてないかシゲシゲと見ながら、彼を睨みつけている。
その姿から、かなりご立腹な様子が伺える。
だが、彼はそんな事は気にも留めない。
そのままリビングの椅子に向かい、ドカッと音を立てて彼は腰を下ろした。
「母ちゃん、メシ」
「もう!」
あっけらかんとする『ディーバ』と呼ばれた男の要求に、サリーは憤慨した様子ながらも台所へ入って行った。
展開について行けず、その場で突っ立ちながら思う。
ーーディーバって、サリーの息子さんのことよね?じゃあ、この人が助けてくれた人で間違いないのかな。
そう考えていると、ディーバが先に口を開いた。
「嬢ちゃんケガは良くなったか?」
「えっ?えぇ、不思議と痛みは殆どないです」
ミリアが素直に答えると、彼は笑った。
「あいつの薬は良く効くな」
そう言いながら、テーブルの上にあった水を飲んだ。
薬師と知り合いなのだろう。
どんな関係性なのかまではわからないが、親しそうな言い振りだ。
ミリアは昨日決めた事を実行した。
「私、ミリア・グランデールと申します。助けてくださって、本当に感謝しています。ありがとうございました」
ミリアは救い出してくれ事に対して、深々と頭を下げる。
「おう、あの時はやばかったな。もう少し遅れてたらあんたら食べられてたぜ」
ディーバは笑いながら言ったが、ミリアは恐ろしい事を言うもんだと思った。
彼はケラケラと笑っていたが、突如笑いを止める。
そして、何かを思い出したかの様に真剣な顔つきをした。
「嬢ちゃん、今、グランデールと言ったか?」
真剣な眼差しに見つめられ、ミリアは肯定する為に頷いた。
「そうか」
その頷きを見て、彼は視線を落とした。
何か考え事をしている様に見える。
ーー何か関わりがあるのかな。
ミリアが考えていると、ディーバは男の子に視線を移す。
「チビ助は、名前なんてゆうんだ?」
その言葉に、ミリアはハッとした。
そういえば名前を聞いていない。
一番初めに聞いたらよかったと思ったが、今は男の子の回答に耳を寄せる。
ディーバが怖いのか、男の子はミリアの後ろに隠れていた。
スカートの一部を力強く握りしめ、彼を覗き込んでいた。
怯えているのか、声を発しない男の子。
ミリアは目線を合わせる為にしゃがみ込んだ。
「私はミリア。あなたの名前は?」
「わかんない」
そう答えると、またもや俯く。
悲しそうにする男の子の姿が、見てて痛ましかった。
「なんだ?嬢ちゃんの子供じゃなかったのか。チビ助は記憶がないのか?」
ぶっきらぼうなくせに勘が鋭い。
実際、男の子には記憶が無かった。
知っているのは神殿にある、泉の水底の世界だけ。
目覚めた時から、あの場所に居たのだから、それ以外の情報を持ち合わせていないのだ。
そんな事情など、知る由もないディーバは、突拍子もない事を言った。
「じゃあ、珍しい黒い髪をしてるから、今日からチビ助の名前は『クロノ』な」
突然過ぎる意見に困惑するミリア。
ーー勝手に決めていいのかな?この子にも名前はあるはずだけど。
だが、そんな考えは杞憂だった。
男の子は赤い瞳を輝かせている。
まるで宝物を見つけた様に。
「名前、クロノでいいの?」
ミリアが確認すると、男の子は満面の笑みで何度も頷いた。
自分に名称が付いたのが、よほど嬉しかったのだろう。
すぐさま台所のサリーの所に走って行った。
「クロノだよ!」
そうやって元気に報告すると、サリーは微笑んだ。
「よろしくね、クロノちゃん」
新しく付けられた名前を呼ばれて、クロノは嬉しそうに笑っていた。
ご機嫌なクロノを他所に、サリーはミリアとディーバの朝食を用意する。
そして、盛り付けたお皿をテーブルに並べた。
「ミリアちゃんも、お腹空いたでしょ?一緒に食べましょう」
微笑みながら朝食を勧めてくれる様に、ミリアは思った。
怪我の治療やら、食事の用意やらで、お世話になりっぱなしだ。
申し訳ないと思う反面、とてもありがたいと思う。
椅子に座り、朝食に手を付ける。
焼きたてパンの香ばしい匂いが、口に広がり鼻から抜けていく。
今日のスープは、トマトをベースにしたようだ。
赤みががっており、その塩加減はちょうど良い塩梅だ。
決して豪華な物ではないが、手作りの温かい料理はとても美味しかった。
ディーバは、母親の用意した料理にがっついている。
食べると言うか、飲み込むと表現した方が良いくらいの速度で平らげてしまう。
サリーは『もっとゆっくり食べなさいよ』とでも言いたげな顔をしているが、何も言わない。
恐らく毎度のことなのだろう。
おかわりを経て満足したのか、食事が済むと話し出す。
「嬢ちゃんこれからどうすんだ?」
唐突に聞いて来たので、スプーンに掬っていたスープを戻した。
ーーこれから、か。教会に戻る事になるのかな。今の所、あそこ以外居場所が無いし。
教会が無事なのか。
周囲は安全になったのか。
懸念は多いが、屋敷に戻りたくない以上、その選択肢しかない。
「私の居場所は教会にしかないので、そこへ帰る事になると、思います」
歯切れ悪く答えた。
その返答を聞いたディーバは、その場所を尋ねる。
「どこにあるんだ?」
「助けていただいた場所の近くにあります」
ディーバは渋い顔をした。
「難しいな。あの辺は、今も魔獣どもがたくさんいるみたいでな。昨日も街道が封鎖されていたし、しばらくは無理かもな」
「そう、なんですか」
ミリアは肩を落とした。
今後の見通しが立たない事に不安になる。
ーーこれからどうしたらいいんだろう。
ミリアは悩む。
今まで周囲の人が決めた事に従っていただけに、どう行動したら良いがわからなかったからだ。
そんなミリアを察してか、サリーが助け舟を出す。
「しばらくここにいたらいいわ。たくさんいた方が、この家が賑やかで楽しいもの。息子はいつも帰って来るわけじゃないし、一人は寂しいしね。そうして?ミリアちゃん」
ミリアはありがたいと思った。
この国で頼れる人がいないからだ。
サリーの好意に甘えて、この家を基盤として、今後を考える事にした。
「しばらくお世話になります。手伝える事は何でも手伝いますので、よろしくお願いします」
深々と頭を下げるミリア。
その姿を見て、クロノも真似をして頭を下げた。
「可愛いわねぇ」
クロノのお辞儀が愛らしく、サリーは黄色い声を出して喜んだ。
ディーバが椅子から立ち上がる。
「んじゃあ、オレはそろそろいくからよ」
そう言って玄関を目指す。
「今日は帰ってくるのかい?」
「たぶんな」
サリーの問いかけに、含み笑いしながら彼は出て行った。
先程帰ってきたばかりなのに、もう出て行ってしまった。
サリーが運び屋をしていると言っていたが、忙しいのだろうか。
「お仕事ですか?」
ミリアが聞くと、サリーは頷き答えた。
「そうだよ。職業柄、一度出たらいつ帰ってくるかわからなくてね。危険も多いし心配だけど、気に入った仕事みたいだから応援するしかなくてね」
サリーは息子のことを想い、憂いながら目を細くする。
「そうだ!」
突如、何かを閃いたかのように手を叩く。
「ミリアちゃんに、お仕事お願いしようかしら」
ミリアの顔を見て、ニコニコしながら言う。
「息子の仕事場のことなんだけどね。お客さんから預かった荷物とかを、保管する場所があるんだけど、男衆しかいないもんだから、散らかって汚いったらないの。怪我が良くなってからでいいから、お掃除お願いできないかしら?」
「ハイ!喜んで」
断る理由もないので、ミリアは笑顔で了承した。
少しでも恩を返せるなら、掃除くらい容易いものだ。
「助かるわ。それじゃあ後で、倉庫まで一緒に行ってみましょうか。体を動かすのも大事だし、外に出てみましょう。外の空気も吸わなきゃね」
サリーは朗らかにそう言った。
ーー外に出れる。
ミリアの気分が高揚した。
見知らぬ土地だからこそ、目新しい物に巡り合える。
そう思い、出掛けるのが楽しみになった。
だが、運び屋とはどこにあるのだろう。
この近くなのだろうか。
「その場所は何処にあるんですか?」
ミリアの質問に、サリーは方角を指で示した。
「あっちの方向に街があるんだけどね。その中心部にあるのさ。ここからそんなに遠くないし、目立つ建物だから、すぐに分かるさ」
なるほどと思いながらも、街の存在が気になる。
どのくらいの規模なのだろう。
どんな人達がいるのだろう。
想像が膨らむ。
それに、この辺りはとても静かだ。
教会のような自然に囲まれた場所だと思っていた分、期待は増していった。
サリーが空いた食器を重ねだす。
「洗い物しちゃうから、ちょっと待っててね」
その言葉にミリアも席を立ち上がり、自分とクロノの分の食器を持った。
「私も手伝います」
「あら?それじゃあ、お願いしちゃおうかしら」
その申し出にサリーは喜んだ。
ぶっきらぼうに育った息子は、後片付けなどを手伝うことはなかったからだ。
ーー娘が居たらこんな感じなのかね。
内心ほくそ笑んでいた。
並んで洗い物をする二人。
まるで親子の様な空気が流れる。
その姿を見ていたクロノは、笑顔を振りまいた。
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