第4話 My fair lady
教会から讃美歌が漏れ聴こえる。しかし、そんな神秘的な光景は、車道の反対側の中指を立てた落書きに掻き消される。
十九世紀のロンドンは、深淵を覗き見した様な光景だった。疫病、戦争、売春、犯罪そんな悪魔が這いずり回っていた。今も、さして変わらない。繁栄の輝きには、影が付き物とは、良く言ったものだ。
これ、写真に撮って風刺画として飾ろうかな。英国人は、ブラックジョーク好きだし。此処では、ブリティッシュジョークって言うんだっけな。
インターネットの鳥頭共は、こんなの見たらギャーギャーけたたましい声で鳴くんだろうな。自分の意に酔いしれて、凶悪な善意に制されているから。
そうこうしている内にあっと言う間に、約束の場所に着き、悠のいる203号室に向かった。扉の前までたどり着きノックをした。
「やぁ、亮!待ってたよ」
「うん、おはよう。ハッピークリスマス」
乱れたシャツに鼻辺りまで下がった眼鏡。つり上がった目と泣き黒子。以前より高くなった身長に恨めがましく睨む。
「また身長伸びたな」
「だろう?」
そう言って、俺の頭を雑に撫でる。
嫌な奴では無いけれど、遠慮なく言って来るのが少し厄介なんだ。
それから、此処の生活はどうか?と言う話皮切りとし、昨日貰ったプレゼントを自慢したり、互いの趣味の話で盛り上がった。その後、ヘンリーの知り合いが営業している洋菓子店に赴きクリスマスケーキを堪能した。
「折角こっちに来たのにベイカーストリートには行かないのか」
彼は、れっきとしたシャーロキアンだ。ロンドンと言えば、ホームズとワトソンが住んでいたゆかりの地だ。
「そうだけど。今回は、ダートムーアに向かうんだ」
「あんなとこ岩と野原だけで何も無い場所だぜ。それに、車で移動しないと全部回るのに一週間は掛かるんじゃないか?」
イギリスの南西部デボン州にあるダートムーアは、シャーロック・ホームズ『ヴァスカル家の犬』の舞台だ。彼ほど、知っている訳じゃないけれど、結構好きな小説だ。まぁ、それでもにわか程度だろう。だから、彼が定期的に話すその情報で、満足していた。
「勿論、車で行くよ。ツーブリッジを見て、アシュバートンで一泊するんだ」
「アシュバートン…か。じゃあ、やっぱりアシュバートンドメインも行くんだ」
「そうそう。フィットネストレイルの方まで行くつもり」
「だろうな、唯一の名所だし。確かに、息抜きするには丁度いいな。彼処は、優しい人が多いから気兼ね無くゆっくり出来る」
そう呟くと、悠は驚いた顔で此方を見た。
「良く知ってるね。行ったことあるんだ」
「まさか。昔、テレビで観ただけだよ」
亮輔は、クスリと笑った。
※※※※※※
「ヘンリー!ちょっとセオじぃさんの所に行ってくる」
ウェストミンスター区にある例のアンティークショップだ。此処は、シティオブロンドン。テムズ川に沿って自転車で弱二十分の場所だ。
「あっ…ちょっと待って」
ガサゴソと何か探している様子が玄関から見える。何だろう?と見ていると、白髪混じりのブロンドの髪を乱しながら、早足でキャンパスを抱えてやって来た。
「彼処の主人に頼まれた絵なんだ。持って行ってくれるかい」
「… あぁ、分かった」
「うん、気をつけて行っておいで。それとリョウ、君に忠告だ」
グリーンの瞳がじっと恭輔を捉えた。ビクッと背筋を正し同じ様にヘンリーを見る。
「へ?」
「その絵画を直視すると呪われてしまうから。けして、開けてはいけないよ」
「プッ…分かった。ドン・ボニロの絵画はきちんと渡すよ」
冗談を言い合い、手を振って彼の家を出た。
もう、日が落ち街灯がついている。鼻先が赤くなり息が湯気のように白くなる。ロンドンブリッジを通り掛かり、ロンドン橋落ちたを鼻歌で歌いながら、自転車をこぐ。我ながら不謹慎だと思う。だが、どうしても歌ってしまう。
(そう言えば、この絵…どんなものが描かれているんだろうか)
浮いた気分でいる亮輔は、ふと紙に包まれた絵画に視線を落とす。アンティークショップはもう少しした所にある。少しぐらい覗いて見ても大丈夫じゃないか。
亮輔は、首を振る。
駄目だ…店に着くまで開けたら駄目だ。それに着いたらセオじぃさんも見せてくれるだろう。
でも…見たい。
思わず溜飲が下がる。
少しだけ…少しだけなら…
悪魔の誘惑に流される。
しかし、どんな話でもある。忠告されているのに見てしまう…または、開けてしまうと言ったものは。
そして、どうなる?
忠告を破ってしまった者には、どんな罰が下る?
または、最後に待ち受けているのもの、それはバッドエンドなのかハッピーエンドなのか。
「…これは」
開いて出てきたその絵は、飽きるほど見た顔…
そう自分の顔だった。
その瞬間、突風に煽られ橋の外へ放り投げられた。
途端、まっ逆さまに落ちて行く。そして、徐々に、橋との距離が遠くなる。
ふと、目を細めると人影が此方を向いて立っていた。
誰だ?
亮輔は、そこで…記憶が途絶えた。
ーUntil morning light…good bye
可愛いお嬢さん…
誰かが、ぼそりと呟いた。
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