ビター アンド スイート パスト ストーリー
その日、俺は夢を見た。長い長い夢だ。そしてとても短かったお話だ。
確かこれは俺がコールドスリープを受ける一年半くらい前の事か。俺は出張で北海道を訪れていたんだ。東京にある本間商社ってとこに務める商人だな。
まあ、二人には教えたがあそこは表は生活雑貨を扱う会社で裏は日本政府公認の
俺は普通に就活をして幸い何社か落ちる程度で就職に成功した。友人からは羨ましいと言われたが、運も実力のうちだ。
……そう思っていた。
そうしてさっきの話に戻る。俺が就職したのは殺人請負会社。はっきり言ってブラック企業の方がまだマシだったかもしれない。
入社して半年後、それまではごく一般的な企業の研修があって様々な作業を行った。そしてある日呼び出されたのは社長室。聞いた話だとこれくらいの時期に社長に呼ばれて、新入りは会社のバッジが貰えるそう。
この会社独特の物だけど、先輩曰く、半年の勤続祝いらしい。
「来たな。ならこれを、そいつに刺せ」
バッジが貰えると思い気分よく社長室に行って見たもの。
電気椅子のように椅子に拘束された一人の男性と、何度か話したこともある社長、そして俺の方に手渡されようとしている一本の注射器だった。
明くる日、俺はベッドの中の人だった。
布団から出る気分でもなく、出ようとしたら胃の中の物がぐっと上がってきてとても気持ち悪く手が震える。既に先輩からは連絡が来て今日は休んでもいいとの事。あんな事があってすぐに出勤させるようなことは無いらしい。
あの日、俺は注射器を渡された直後黒い服を着た何者か数名に囲まれ、背中に銃を突きつけられ、こう言われたのだ。
「それをこいつに刺せ。そうすれば晴れて新入りの卒業だ」
無表情でそう言われ、拘束された人を前に俺はどうすることも出来なかった。困惑に次ぐ困惑で話すこともままならなかったのだ。
そこまで狭い訳でもない社長室の中には社長、俺、黒服数名、拘束された人しかいないのに、動くことが出来ない圧もあった。当時はそこまで考えることが出来なかったが、今考えても異常だった。
俺は背中に銃を突きつけられた状態で抵抗することも出来ず、二時間くらいかけて結局その注射器を刺した。
そして動かなくなった人を見て俺はこう思ったのだ。「ああ、俺はついに人の道を外れてしまった」と。
そうして今に至る。
社長から送られてきたメールには会社の正体が簡潔に、かつ詳しく綴られていた。しかもそれは開封してから5分で消去される仕掛けでさらに他の端末に送信することの出来ない特殊なメールとなっていた。俺が動くことが出来ないことを見越したものだった。
そして会社での正確な役割が伝えられ、正式に俺はこの本間商社に、殺人企業会社に属する殺人者として生きていくことを確定させられてしまったのだ。
ただし結果として俺が人を殺す事はほとんどなくなる。なぜならこの会社は複数人によるターゲットの追い込みを行って処理をする人間も何役か別れているからだ。
後日、俺が会社を訪れた時社長から俺の役割を、そして誰から技能を教わればいいのかを伝えられた。
この日から俺は麻酔薬を用いた暗殺者の露払いを行う〈
時はしばらく飛んで二年後。俺は仕事で北海道を訪れていた。二年もやっていれば嫌でも技能は高まるし、仕事も一人でやらねばならなくなる。表向きは商談のための出張。本当の仕事はとある街のホテルに泊まっている会社の幹部のボンボンの暗殺……の露払い。強力な麻酔薬で処理して本命の暗殺者が気づかれないようにするのだ。
最初はこれにも抵抗があったが、政府の監視で会社がどう足掻いても辞められない事、俺が人を殺す訳では無いこと、そして万一の時も生活が保証されていることの三点で俺はこの仕事に従事していた。……が、今思えばどこか狂っていたのかもしれないな。
既に俺の使う
「ふぅ……なんも無きゃ観光で楽しめたんだけどねえ」
俺は部屋で缶ビールを飲みながら独り言ちる。
仕掛けるのは明後日。本間商社は複数人で一人のターゲットを仕留める方式を採用していて、情報収集担当、露払い担当、実行担当と分かれていて、この前まで俺も情報収集を担当していた。と言ってもどれも専門技術だからこの露払いが俺の専門であって情報収集は見学レベルなんだけどな。
ターゲットはこの数階上に泊まっていて、この時間は確実に部屋にいる。連れ込んだ女性とよろしくやっているようでたまーに嬌声が聞こえる。聞こえる時点でどれだけギシアンやってるかわかるだろう。
はあ、俺だって男だからそっち方面についても興味はあるし彼女を作りたいと思ったこともある。ま、出来たことないけどな。はあ、運がないってのもそうだけどチキンだから女性と話すことが出来ない。そのくせして手元の情報だとターゲットは女をとっかえひっかえ。ったく、同じ男でこうも差が出るかね。
ただ笑えることに今ターゲットとギシアンやってる女は所詮資産目当てっていうな。ターゲットは馬鹿なくせに変に情報知ったから始末されることになった哀れとも言えるやつでアホみたいに持っている金を大して使うことも無く死ぬわけだ。
さてと、明日はターゲットの尾行だ。さすがに今日はなにか起きるとは思えんし体調のためにも早く寝て────
ドガアアァァァンッ!!!
「グハッ!」
寝ようと立ち上がった瞬間襲った轟音と凄まじい衝撃。とても近い。衝撃のせいで俺はクローゼットに叩きつけられ、肺の中身は全て出てしまう。そして鉄っぽい味を感じる。どこか口の中を切ったようだ。今感じられる傷らしい傷はそれだけ。あと感じられるのは……
「くっ……ははっ、テロにも程があんだろ」
それに気づいたのは辛うじて息を吸って呼吸を整えた矢先だった。
初めは自分が倒れ込んでいるのだと感じた。かなりの勢いで叩きつけられたからだ。だが、目の前の鏡に映る俺は真っ直ぐのまま。ならばなんだ?
その答えはただ一つ。
俺のいる四階の二つ下。二階で起きた大爆発によりホテルは横に倒れようとしていたのだ。
丘の上にあるホテルで10階建てと小さめではあるがそれなりにお高く要人が泊まることもある。
詳細を俺が知ったのは後からだが今回の爆発はチェンソーで木を切る時のように爆発で大きな穴と小さな穴を作って倒れる方向を制御するというものでそれには耐震などもあまり役に立たなかったそうだ。
クローゼットに寄りかかったままの俺は倒れゆくホテルの中で動くことも出来ず、走馬灯とでも言うべきものが流れていた。
昔からの友人、家族のこと、殺人請負会社という環境でも新入りの俺に良くしてくれた先輩たち、部屋に残されたままの同人誌たち、消去出来ていないPCのデータ……そして、幼なじみであり双子の従姉妹のこと。
「あいつら、怒るだろうな……ごめん」
あいつら二人が海外に留学する直前に意味深なことを言っていたが、当時の俺はあまり信じていなかった。なのでこの時俺は本気で謝っていたのである。
ふわっと浮く感覚があって、そこからあとの記憶はない。あったのは……硬いコンクリートに叩きつけられる感覚のみ。
ピッ……ピッ……ピッ……
う……うぅ、俺……は?
あ、あれ……?この音は?
前が明るい。死んだのか?天国ってアホみたいに明るいのか。
痛つうっ!!
痛み……つまり俺は……生きてるのか?
重い瞼を無理やり持ち上げ、あまりの眩しさに思わず目を細める。LEDにしても相当明るい。
しかもやたらと怠い。なんだろう、全身麻酔した後の怠さというか。あと気持ち悪さも残っている。吐く前の気持ち悪さと言うよりは体の中身が弄られた感じの不快感と言うのが正しいだろう……
「うぅ……し、知らない……天井……」
よし、ノルマ達成だっ……痛て。
「うにゅ?」
うん?なんだ今の声。女性っぽいな。看護師だろうか。
俺はこの数年で嫌でも鍛えさせられた技能で反射的に分析する。
声は右側から聞こえたな。比較的幼めで多分ティーンエイジャーくらいじゃないか?
俺はまだ朦朧としているとはいえだいぶハッキリしてきた意識で顔を少し右へ傾ける。怠いし気持ち悪さもあるがそれくらいはできる。
そちらには窓があるようで天井の灯りと合わさってかなり明るい。そして逆光で分からないが誰かいるようだ。多分あの声はこの人だろう。
「目、覚めたんだね」
「あ、んたは……」
目だけ向けて口を動かすのもしんどいからこんな言い方になってしまっていた。
「それは後でね。でも私は危害を加えたりしないから安心して。とりあえずここは病院だよ。あの事故の近くのね。あれからもう一週間経ってるの。よかった、目覚めないんじゃないかって思ってたの」
「そ、うか……ありが、とう」
眩しくて目を細めているのを見たのか、彼女はカーテンを閉めた。それである程度は彼女の顔が分かるようになる。
予想通り若い。高校生くらいか?
「あなた、瓦礫の下に居たの。偶然見つけてなかったらそのまま死んでたかも」
そうか、本当に命の恩人なんだな。彼女は。なら尚更だ。なぜ彼女はあの場に?
俺が埋まっていたとして当時の俺のリミットは落下時の傷とかを考えてもせいぜい数時間。地震などだとリミットは72時間と言われているが、それは傷などが少ない場合だ。全身打撲に近い状態で何十時間もは不可能。つまり俺は救助活動がされている最中、または一時的に中断されている時に彼女に発見されたことになる。
「君……は?」
「私?かわいい女子高生ちゃんです」
「そう……じゃ、なくて、だな……」
きょとんとした顔でそう言われても困る。視界もハッキリしてきて、自称女子高生の彼女の目鼻立ちなんかもわかってくる。どうやら日本人じゃ無さそうだ。見た感じロシア系だ。ただ髪の色が染めているのか薄いピンク色。それで日本語ペラペラってことはハーフか、生まれた時から日本住まいか?
「とにかく、あなた随分酷い傷だったの。全身打撲にあちこちに裂傷。それにあの事件での数少ない生存者。死んだ中にはどこかの御曹司もいたんだって。全裸で女性と盛りあってる状態で死んだって聞いた時には笑っちゃったけど」
なるほど、あれがテロなのかは知らないがターゲットは死んだようだ。ま、報酬はこの入院費で消えそうだな。なんせ動かそうとする度に身体中に激痛が走るし足にはグルグル巻きの包帯。こんなんじゃ仕事も難しいかねえ。
「とにかく、まだまだ安静にね!」
彼女は動こうとする俺を見咎めつつ何かを取りに行くのか立ち上がって個室っぽい病室を出ていった。そこには心地よいフローラル系の香りが残っていた。
またときがしばらく飛ぶ。
俺は社長と連絡を取っていた。
『ターゲットの死亡が確実になった。確認に二ヶ月も掛かってしまうとは情けない話だがこれで君の仕事も終わりだ。既に金は振り込んである』
「ええ、ありがとうございます。ほとんど入院費で消えましたがね」
『どうだ、あの病院の個室過ごしやすかっただろう』
「ええとっても。そのせいで一泊も高いしそれが数ヶ月だ。金もなくなりますがな」
数ヶ月かけようやく退院し、東京の自宅に戻れたのだ。金も無いがしばらく休みを貰っていた。
『ははは、でも許してくれ。お上がうるさくてね……さて、この前君から依頼された彼女の事だが』
「何か、わかりましたか」
俺は社長に彼女の素性について探って貰っていた。最初は俺が気になる女の情報を裏のネットワークで漁っているということで疑われたが、事情を話していくうちに徐々に向こうも何か気になることがあるようで調査を受け持ってくれた。それから一月、まだまだ完璧とまではいかないだろうが集まってはいるだろう。
『ああ、不自然なくらいにな』
「不自然?それは一体?」
『知っての通り我々のネットワークは相当深くまで調べることが出来る。だがそれでも調べることの出来ないこと……例えば深層心理的な思想について』
「そりゃあ個人で考えてる事は出てこないでしょうに」
あえて言うがこの本間商社、実は社員と社長との距離は案外近い。特に裏で活動している連中は特にな。つまり俺なんかだ。必然的に話し方もある程度砕けてくるのだ。社長もコミュニケーションが上手くいくという理由で気にしてはいない。暗殺稼業やってるとは思えぬフランクさだよな。
『出てきちまった。その女、表向きの素性は割れたが裏がわからねえ。出来すぎてるくらいに出てきやがった。なのに怪しいと思えねえ』
「なるほど……っ」
個人情報ってのは裏のネットワークでもSNSなんかから調査を開始することが多い。勝手に写真あげてくれるんだから調べるのも容易。裏じゃないチンピラレベルでも個人情報集めるくらいはできてしまう。それが今の社会なのだ。なので居住地域どころか正確な住所までも調べられてしまうのだが、それでも偏りが出るのが常だ。だが社長はその偏り無く全てが出てきたと言っているのだ。まるで作られたように。
『だが調べてもどこの国のスパイなんて噂も全く出てこねえ。生まれはロシアだが育ちは日本。出身学校も全て実在している。シーズン事に日本とロシアを渡り鳥のように行き来していて、祖父が日本人のようだ。今はその伝手で一人日本で過ごしているらしい。ここだけでも全くもって普通だ。留学生ならともかくそうでも無くて一般生徒だからな……接触は可能か?』
「気にしすぎだといいがな……接触か?可能だ。というか向こうからやってくるからな。どうやら俺は気に入られたみたいでな」
『ティーンエイジャー相手に25歳か。下手したら通報もんだぞ』
「仕方ないだろ向こうから来るんだから。万一の時は頼みますよ」
暗殺の露払いやってる手前あんまり騒がれたくないのだ。ま、ロリコン言われるくらいまでなら耐えようか。
社長との通話を切った瞬間、家のドアが開く。バアーンッと。
「リュウジ!ここ行こ、ここ!」
「はあ……遊びに来ていいとは言ったけどさ。いや、退院して三日でこっちまで遊びに来たお前さんには無駄か」
そう、彼女である。
北海道で出会ったロシア系の少女だ。なぜかこっちにいるのである。
そして彼女はスマホの画面をこちらに向けて何かを指さしている。
「これは……東京大電波塔か。行ったことないのか?」
東京大電波塔、元は東京スカイツリーと呼ばれていて2035年の建物一部老朽化の補修のために工事、そのとき大阪に出来た電波塔に高さを抜かれたのとツリーの名前を取られたため大電波塔と改名した。タワーじゃだめだったのかと思わなくもない。
「うん、東京初めて来た!すごい人いっぱいいてびっくりだよ」
ニーッと笑いながら彼女は楽しそうに東京がどんな所だったのかを話す。……彼女、初めて来たと言っているが、転校までしたのだ。何故かはわからない。ただ、それが簡単に出来るくらい頭がいいのと金があるって事はすぐにわかった。
「なら行ってみるか。でも日曜だから混んでるぞ?」
「そう?ならこっちでもいい」
同じように画面に映されたのは去年オープンして有名になったローズガーデン。屋内型で映像やホログラムなどを駆使して実際のバラと組み合わせたかなり珍しい施設。その名もテク・ローズガーデン。
「こっちも混んでるだろうが……俺も行ってみたかったし行ってみるか」
「うん!」
こうしてティーンエイジャーと25歳のコンビは街へと繰り出す。
そしてまた時は飛ぶ。
この夢……目覚めた今だから思うが、何を基準にしていたのだろうか。強い記憶か?
だとするならばこの順も頷ける。なぜなら最後は……
「はぁ、はぁ、はぁ、こっちだ……」
「リュウ、早く病院に……」
北海道のとある町の路地裏に僅かに積もった雪に足跡と赤い斑点が続く。その先には一組の男女がいた。
「ダメだ。お前が逃げろ。狙いは俺だ!」
「でも!リュウ、傷が!」
ああそうだ。この少し前あたりから彼女は俺の事をリュウと呼ぶようになった。そして一方的に婚約を叩きつけられたりもした。思えば彼女と出会ってからの1年はかなり濃密なものだったな。
「くっ、油断した……」
「リュウ、あいつらはなんなの」
「はっきり言えば暗殺者だ。痛てて……、俺とお前が初めて会った時の事件覚えてるだろ。それの逆恨みさ。俺じゃねえってのに……」
「そんなので……」
「そんなのでポンポン死んでく世界なんだ。ほら、こっからならタクシー捕まえりゃすぐに駅だ。逃げろ。まだ陽は落ちちゃいないから難しくはあるがな」
少し落ち着いたので少し座り込んで俺は彼女に一万握らせて大通りの方へ行かせようとする。だが彼女は首を振りながらそれを俺に突き返してくる。
「頼む、行ってくれ。あれは前に民間人でも躊躇なく殺すような連中と聞いた。そんなのに女のお前が捕まったらどうなるか……わかるよな?」
彼女もそれくらいはわかるようで、ゆっくりと頷いた。夜になったら逃げれる可能性は高いが万一の危険が恐ろしく高まる。対して昼間は常に危険だが、万一の危険も夜ほどでは無い。
何とかして逃がさねば……
「頼む……」
「嫌だよ……置いてくなんて……」
「泣くな、傷こそあるが深くは無い。まだ十分動ける。だけどお前まで一緒に狙われる必要は無いんだ」
嘘だ。傷は深くは無い。ただ寒さによる疲労と傷によって俺の体力はかなり消耗していた。
「違う……。私は言ったはず。私たちは夫婦になるって。確かに私は無理やりだった。でもあなたは婚約を受け入れたの。だったら一緒にいさせて……」
「ほんと、無理やりな婚約だったな……でもこれとそれは違う。泣いても無駄だ。俺はお前に死んで欲しくない」
死なれちゃ困るってのもあるけどな。なんでって?将来の妻が殺される姿なんて誰も見たくないだろう。
「ここなら大通りまで道を一本挟んでるだけだ。車の音が聞こえるだろう。大丈夫、俺も後から行くさ」
お前が逃げ切ってからな。
「そうだ、社長さんは!?あの人ならきっと……」
彼女は名案を思いついたように肩を掴んで言ってくるが……
「無理だよ。連絡がつかない。見捨てられたか……別の理由か。わからんけどあいつは俺を逃がすつもりは無いらしい」
俺が見つめる先を彼女も見る。そして気づいてしまった。
雪に溶け込む白いコートを着た目出し帽スタイルの刺客の存在に。
「安心しろ。なーに、あいつの銃の腕は下だ。そうそう当たらん。現に俺は掠っただけだからな。今の距離じゃ絶対に当たらねえ。だから早く!」
俺は焦っていた。今の言葉はこれも嘘なのだから。
あいつは一流とまで行かずとも刺客になりうるレベル。ただ街中で見かけたら仕掛けてしまうド三流だが、銃の腕は確かだ。さっきはあえて掠らせたのだ。どうやらあいつは標的を甚振る趣味があるらしい。仮にやるなら懐に潜り込まなきゃなあ。
なんにせよとりあえず逃げなきゃな。
それにしても……こいつがここまで強情とはな。それとも俺の血が流れてるせいで冷静な判断が出来てないか?
ははっ、それは俺も同じかな。だってあいつを倒す算段を考え始めてしまった。
そういえばさっきまでいろいろ言っていたが逃げるために立ち上がった時から何も話さない。何かを考え込んでいるようだが……
そうしてしばらく逃げ回っていた時だった。
「ちっ、袋小路……まずいぞ」
ここ数分で刺客との距離はかなり縮まっていた。それもすぐに曲がってくるくらいに!
「くっくっくっ……よーやっと追い詰めたぜ。〈
「ったく、どこのもんか知らねえが、ボクちゃん
目出し帽ルックだが明らかにムカついてんのがわかる。
こういうタイプに追い詰められた時の対処法その一!激昂させて単純な動きにする!
「うるせえ、俺が用あんのはてめぇだけだ。うちのボスが馬鹿みてえに怒っててな。仕事取られたってうるせえんだわ。仕事横取りしたてめぇを殺せって言ってきやがった」
ベラベラ喋ってくれてどうも。本当に逆恨みだな。しかも俺殺してねえし。
「ま、これ以上喋ってもめんどくせえ。とりあえず殺すわ」
くっ、動けない!傷は深くは無い。ただ動きが阻害される位置にあるのだ。つまり反射的に避けるのは不可能だしそもそもこの距離では……っ!
ハゲがニヤニヤしてるのが目出し帽越しでもわかる。そのまま引き金に指かけている。これでちょっと引けば俺は終わり。彼女がどうなるのかは想像にかたくない。最悪な手さえされなきゃ無理してでも……
「ダメ!」
「あん?」
「おいバカやめろ!」
なんてこった。フラグ回収早すぎって言いたいが、一番最悪な手をやりやがった!
両手を広げ俺の前に立つ。それで守っているつもりなのか。手が震えている。刺客も馬鹿なことをと笑っている。普段なら俺も笑い飛ばしたが今は状況が違う。こんな手をされたら俺が動けねえ!
「ダメ。私の旦那は殺させない」
「旦那ぁ?はははははっ!てめぇ、情けねえなぁ?女に守られてよぉ」
刺客は片手を目に被せ上を向いて大笑いする。銃だけはこちらに向けているが、それでも照準は外れている。もしかしたら……
「てめぇみたいな人殺しが真っ当な生活送れると思ってんのかぁっ!」
「そんなの関係無いわ、私の旦那に手を出すなって言ってんの」
「知らん。俺は仕事でやってんだ。女、今なら見逃してやる。逃げな。俺とて民間人を殺すことはしねえ」
嘘つけ。速攻で殺すくせに。
「ならこうしよう。1分待とう。その間にどうするから決めな。逃げるか、諸共死ぬか」
刺客は銃口をこちらへ向けたまま数歩下がる。だが、それでもこちらをすぐに殺せる位置だ。
「おい、何やってんだ!」
「ねえリュウ、もしも私が撃たれれば逃げられる?」
「何言ってんだ!そんなことさせるわけがねえだろ!」
「教えて。どうなの?」
そんな馬鹿な質問……と思ってしまったが彼女の目は真剣だ。何を考えている?まさかさっき考えていたことか?
「…………逃げられる。だがそんなことさせねえ───」
「わかった。リュウ、よく聞いて。私ね、二人から言われたの。『私たちはまた会える。私たちのまま、また会える。たとえ死んでも死なずに会える。全ては私たちの掌の上。万事、安心なさい』って。だからね」
俺はこの時彼女の言葉の半分しか理解出来ていなかった。だが、何をしようとしているかは理解出来てしまった。
「お、おいやめ──」
「リュウ、ありがとう。大好きだよ」
「時間だ。決めたな?」
「もちろんっ!」
ぐうっ!あいつ思い切り俺を突き飛ばしやがった!それもわざと傷に触れることで俺を動けないようにして!
クソっ!動けよ俺の身体!
「そうか、なら死ね」
刺客は笑いながら彼女に銃を向け──
笑う彼女はこちらを向いて、
「リュウ、またね──」
パァンッ!!
「──また会おう?」
言葉と共に白い世界に赤い雨が降る。同時に俺は駆け出すっ!
何とか彼女の身体が地面に着く前にキャッチした。傷が痛むがそんなの知らん!とにかく救急車……の前に!
「死ねええっ!!」
懐から取り出した針銃を発射。中の麻酔薬は量の調節などされずに全量注入。これでいい。針は突き立った。生きれるもんなら生きてみろ。
「おい!死ぬな!」
「えへへ……まだ死んで……ないや。熱くて、とても、痛いのに」
胸を撃たれた彼女は笑っていた。おびただしい量の血を流しながら。
「なんでだよ……なんでなんだよ!
リーズ!」
「なんで……?それはね、愛……だよ?」
愛?ならこんな……
「だったらこんな形でなくても!」
「私ね……独占……欲、強いん、だって。だから……」
「だから?」
額に玉のような汗が浮かぶ彼女。俺にはわかる。もう救急車を呼んでも助からないと。殺人請負会社の露払いとして活動してきた知識がそう言っていた。
「だから……ね?リュウの……中に、のこ……れた、でしょ?絶対……忘れ、ない……でしょ?」
「忘れられねえよ。忘れるつもりもねえよ。失うつもりだってなかったんだ!」
向こうで誰か叫んでいる。どうやらここの様子が周囲の住人にバレたらしい。救急車を呼んでいるようだ。感謝だけするよ。だけど今は!
「リュウ、愛して……る」
彼女が目を閉じた。だんだん動きが弱くなっているのが明らかにわかる。
「俺もだ。リーズ」
返す俺も顔は涙でぐちゃぐちゃだ。そういう意味なら彼女が目を閉じてくれて良かった。この顔は……見られたくない。
「フル……ネームで、呼ん……で?」
なんでだよ……普通はただ名前でだろうが……
「リーズリンデ・ノワール……これでいいか?」
「ありが……とう、リュウ……」
すると彼女は最後の力を振り絞るように空に向けて手を伸ばし始めた。
そしてそっと頬に触れ、俺の顔を引き寄せようとする。口が微かに動いた。何かを言おうとしている?その意を汲み取って俺は彼女の口元に耳を近づける。
「リュウ……『……・………・……・……』大…好き」
その言葉を伝えきった時、力が抜けた。重力に従って弱々しく倒れゆく彼女の腕をそっと受け、胸に抱く。
そしてずっと今まで堪えていたものが言葉にならない言葉、むしろ咆哮として決壊したダムの如く溢れ出る。
「───うわあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!」
獣の如き悲しき叫びは静かな街に響き、何も知らぬ街の人はその様子に圧され、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
「また、この夢か……」
何度目だろう。何度失ったのだろう。
俺はそっと隣に眠る薄桃色の髪の彼女の頭を撫でる。
再会こそ成ったが未だ再会では無い。兆候はある。ならば、成すため押すのみ。
完全に俺のエゴだ。俺のためだけに行う行動だ。今の彼女は消えてしまうかもしれない。今の彼女もかつての彼女も変わらないのだ。
ならば何が正解か?いや、その結果すらも彼女たちはわかっている。今も未来も、俺は掌の上なのだ。
これは自らの思うがままに生きよとの思し召しなのかもしれない。
「メーデン……リーズ……愛しているぞ」
頭をそっともう一撫でして俺は再び眠りへと落ちていく。
そしてほんの少し後。モゾモゾと布団の中で動く影。
その影は隣で眠る男の胸に収まろうとちょうどいい位置を探しているようだ。
「……この姿のいいところはこれができること」
またしばらくしてようやくいい位置が見つかったらしい。満足気に彼女は眠る準備をする。
「前も良かった。馬乗りになれた。けど今もいい。膝に乗れる。あと甘えられる。……リュウ、私ね、夢を見たの。それでね、全部思い出したよ。何者なのかも、全部」
またモゾモゾと今度は頭を胸にマーキングの如くグリグリ擦りつける。まるで私のモノと主張するように。
「私の婚約者。私の旦那さん。私の愛しい人。私は正妻。私は彼の中に残り続けることが出来た女」
彼女は起き上がり、彼の顔の横に手を置いて馬乗りのように見下ろす。
「私はメーデン。でもリーズ。私はリーズリンデ・ノワール。でもメーデン。私はメーデン・リーズリンデ・ノワール。リュウ、愛してる……んっ」
誰もが寝静まる夜更け。とある宿の一室で誰も気が付かないまま溢れんばかりの愛情と肉欲による熱烈なディープキスが行われていたのを知るものはいない。
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