第2話 異端なる彼ら

「やあ、久しぶりだね」

とあるボロボロな建物の屋上で、黒猫は明るく言う。

夕暮れの中、黒猫の目の前には、本が浮いていた。黒猫の言葉に反応するかのように、本はゆらゆらと浮きながら、黒猫に近づく。

『君か、黒猫』

見せびらかすように開くと、白紙のページに、文字が刻まれる。その文字を読んだ瞬間、黒猫の頭に直接声が届く。

「ああ、僕さ、白紙の本」

『互いに、名前がないと言うのは、考えものだね、黒猫』

「名前がそこまで意味があるのか、僕にはわからないよ」

そう言うと、黒猫は、夕陽に背を向けながら軽く伸びると、自らの手を猫らしく舐める。

「ところで、君はこんなところで何をしているんだい?」

黒猫が問うと、本は黒猫の見やすい位置に行き、文字を刻む。

『知っている君がそういうのは、性格が悪いのではないかな』

「たしかに、だね」

黒猫は少し間を置くと切り出した。

「また、誰かが呑まれたのかい」

冷たい風が両者を撫でるように吹く。

『彼は警察官だったのだろう、私に女の子を預け、彼はあの怪物の囮りになったんだ。自分が消えることを承知でね』

「なるほど、つまりその警察官は、自らの職務を全うしたわけか、なんともいい話じゃないか」

『黒猫、君はそう思うのかい』

本の問いに、黒猫は毛繕いをするだけだった。

『彼は助けを求めていた。死にたくないと。君はそれでも彼がハッピーエンドを迎えたというのかい』

「さあね、僕はまだ召されたことがないからね。憶測で死んだ奴の心を理解したように語るのは気がひけるよ」

黒猫は変わらず穏やかな口調で言う。本は、そうか、と言うだけだった。

「ところで、まだ君は人助けを?」

そう言うと、黒猫はまっすぐ本を見つめる。

「いいかげん、諦めるべきだと思うがね。あの怪物を止めることは不可能だ。あいつは何人もの負の感情を蓄えている。憎しみ、殺意、怒り、とにかくなんでもだ。そして、あの怪物は欲しし続けている」

黒猫は先ほどとは打って変わって、攻めるような口調で言った。

「ほっとけばいいじゃないか、あいつは僕たちには興味を示さない。求めるのは人間だ。何人死のうと僕たちには関係ない。そうだろう?」

同調を誘うかのような口ぶりで本に問う。本は少し待ってから返答する。

『悪いね、黒猫。私は難しい問題には何時間でも向き合える体質なようだ』

自信満々に答える本に黒猫は苛つきを覚える。

「本気で言ってるのかい。君」

黒猫は透き通るような青い瞳で本を睨みつける。

「理解できないね、君の思考を。そこまでして何になる? 善行を積んで、天国にでも行こうと?」

黒猫が言うのと同時に、下の方で物音がする。それと同時にサイレンのような甲高い音がする。それが人間の悲鳴だということに気づくまで両者とも数秒もかからなかった。

『黒猫。私はね。何のために生まれて来たかよくわからないが、ひとつだけ...なんというか、信念みたいなものがある気がするんだ』

「それは?」

『困ってる人間を助けることさ。だから私はやる。たとえ無謀だろうと、最後まで足掻き続けるよ』

そう言うと、本は黒猫から離れ、空中に黒い穴のようなものをつくると、その中に本は飛び込む。まもなく、穴が閉じると、黒猫は諦めたように夕陽の方へ振り向く。

「なんともなんとも、僕が知っている友人はあんなにも盲目だったのだろうか」

誰に問うわけでもなく、黒猫は喋る。

「らしくないね、僕はこんなにも孤独に弱かったものかね」

溜息を吐くと、黒猫はボロボロな建物から、地上を目指すように降り始める。普通の猫とは思えない程の身体能力で、僅かなヒビや突起を足場にしながら、地に足を着く。

「友人よ、僕は最後まで君の全てを理解することはできなかったよ。自分を犠牲にしてまで助ける義理が一体何処にあるんだい」

木々が騒めく。廃墟の建物があるおかげで、より不気味さを増す。

「僕にもいつか、理解できるものかね」

つまらなさそうに吐き捨てると、黒猫は夕陽が沈む街に密かに消えていった。


「誰か、誰か助けてーっ」

少女が叫ぶ。しかし、足の動きは止めない。止めればすぐ後ろにいる怪物に追いつかれてしまうことは明白だったからだろう。

廃墟の中、廊下を右に曲がると、すぐ近くにあった扉のノブに手を伸ばす。素早く部屋に入ると扉を閉め、部屋の隅で息を潜める。

グチャグチャと、怪物が廊下を這う音がする。少女は手で口を覆うと、目を閉じ、怪物が部屋に入ってこないように祈り続ける。

祈りが効いたのか、やがて物音は通り過ぎていった。少女は目をゆっくり開き、息を吐く。すると、少女はあらためて自身の置かれた状況に、思わず泣き出してしまう。

「お母さん、お母さん」

そうしている内に、少女は異変に気づく。

さっきまで、あったのかわからない本が床に転がっていたからだ。少女は開かれたページを見ると、ひゃっ、と思わず声を上げる。

『やあ、こんにちは、お嬢さん』

本はやさしく、少女に語りかける。

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