第6話 破廉恥、素描、一旦接触。
「ねぇ」
その言葉でユウキはハッとした。まるで横からこん棒で不意に殴られたような気分だった。
「これはどういう事なの……?」
その言葉を聞いて、意味を理解して、戦慄できたのはしばらくしてからだった。ユウキは横目をやると、そこには顔を真っ赤にしたブロンド髪の美少女がいて、シーツを引きちぎるくらい無理やり引っ張って、露出した肌を隠そうとしていた。
その光景を目にした数秒後に物理的な暴力と言葉の暴力が飛んできて、ユウキの頭からはゴキンと鈍い音がした。
「なんで?! どうして!? もう最悪! なんでこいつとなんかッ……!」
「俺にそう言われても!」
怒り狂うフローレンス。ユウキはローズの方を向いて助けを求める。しかしながらローズはニコニコしたまま何もしてくれなかった。むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ見えた。ド畜生である。
その後は大変だった。フローレンスが余りにシーツを引っ張るものだから、今度はユウキが隠していた下半身があらわになりかけ、ユウキは慌ててシーツを引っ張り返す。しばらく綱引きの状態になり、二人の間には罵詈雑言が飛び交った。
「この変態! アンタがシーツを独占したら私は肌を晒すことになるのよ!」
「それはこっちの台詞だ! それに、無理にそっちが引っ張るからそうなってんだろうが!」
「もしかしてわざとなのかしら? そんなに女の子のはだかが見たい変態さんなのかしら? 見たこともない可哀想な否モテさんなのかしら?」
「バカ言うな! モテないとかはさて置き……そもそも、お前なんかの裸を見たところで何の足しにもなるかってんだ!」
「何よ! この変態! 短小! 童貞!」
「……んだとこの……変態以外は当てはまってたとしても、言っちゃいけない事くらいはわきまえろってんだよ!!!」
「うわ、涙目になってる。女の子に責め立てられて涙目になってる。可哀想。心底、可哀想」
「うるせぇ! 分からさせてやろうか?!」
以下、省略。
「さて」
「『さて』じゃないんですが」
ローズは病人用の簡易的な服を二人に渡してから話を切り出した。
ふざけんな。もっと早くそれを渡せ。そうすればこんな惨めな思いはしなくて済んだだろうに。とりあえず受け取った服に着替えた二人はローズの話を聞くことにした。
「これから君たちには九龍地区を取りまとめるガーディアンに会ってもらうわ」
二人はローズに従い、身支度をしてから外に出ることになった。フローレンスは女の子だけあって、支度にずいぶんと時間がかかった。その間、もう一眠りくらいできただろうなと思いながらユウキはあくびをした。
「おまたせ」
フローレンスは白いワンピースを纏って再び現れた。それは細身の白い肌に調和し、よく似合っていた。小綺麗になったフローレンスを見て、身支度を待つのも悪いことではないなと、ユウキはふと思った。ただ、フローレンスがまんざらでもない表情をしていたのに気が付いて腹が立った。
ふと、ユウキはローズの方を見た。断然こっちの方が美人だった。スタイルよし、容姿よし、ユウキはウンウンと訳もなく頷いて、フローレンスを再び見て鼻で笑った。そうしたならば、ユウキはフローレンスにぶん殴られた。
それから一悶着あったのだが、キリがなくなったところでローズに止められた。
「いい加減にしよっか」
いやに優しく、たっぷりと含みが加わった言葉だった。畏怖を感じて二人は黙り、ようやく皆は外に出た。
「……ここがほんとに九龍地区だと言うのか?」
外に出てからユウキは様変わりした世界に愕然とした。
左右には外壁がひび割れたビル群が並んでいたのはいつも通りだったが、そのビルにはツタが絡みつくどころか、大樹が根付いて腕には立派に葉をたくわえていた。地面は干ばつが起きたようにコンクリートがひび割れ、隙間からは無駄毛のように節操なく草花が生い茂っていた。
飲食店の看板はくしゃくしゃに歪み、電球がところどころ割れていた。古びてはいたが、荒廃までには至らなかったことだけが取り柄の九龍地区がこんな事になるとは思いもしなかった。
「……たったの一か月だろ?」
三人が歩く橋の支持物もひどく錆びていて、歩くたびに下手くそなヴァイオリンのような音が漏れた。足元には剥げた塗装の屑が無数に散乱していた。ただ、そんな状態なのはここだけではなかった。この街全体の至る所が、劣悪環境で使用されていた老朽設備のように赤黒く酸化していた。それは流行り病に侵され枯れた畑を思わせた。その割にはクソの役にも立たないツタやら雑草やらはやけに瑞々しくイキイキと育ち、街全体に覆いかぶさっていた。
「魔力の制御がきかなくなってきている証拠だね。こうなるまで一か月もあれば十分だったんだ」
橋から下を覗くと、ユウキたちが歩く同じような橋が下層にいくつも架かっていて、暗がりに橙の光が点々としていて、それ以上奥は深い闇になって見えなくなっていた。
「さて、この世界はどうしてこんなことになってしまったのでしょうか?」
ローズはユウキとフローレンスにこう問いかけた。まるで世界の滅亡を皮肉る物言いだった。
「難しく考えないで。常識のお話だよ。どうして私たちはこんな生活ができるのか、分かるかな?」
ローズは二人に優しく声をかけた。まぁ、気楽に答えてみるかと、胸を借りる思いで、頭の中に浮かんだそれをユウキは口にした。
「人々が魔法を使うようになったから?」
魔法は人類の文明において最大の恩恵をもたらした。それは人々の生活に浸透し、生活を営むためにも、機械を動かすにも、そして戦うためにも利用されるようになったのだ。
「正解。じゃあ今まで人類は魔法を使えなかったワケだ。その理由は?」
「えーっと……本来、人は精霊や魔物と違って体内に魔力の受容体が無いから?」
自信なさげにユウキは答えた。
「おー。それも正解だよ。ならどうやって魔法を使えるようになったのかな?」
「それは……魔法を発動できる人工マナが開発されたから。おかげで俺たちは人工マナでパッケージ化された魔法のみですが使用できる様になりましたからね」
「すごいなぁ、ここまでよく言えたね! おおかた、正解だよ」
ローズはユウキへ満面の笑みを見せ、頭を撫でた。まぁ、父からの受け売りをそのまま話しているだけなのだけれども、誉めてもらえるなら聞いておいてよかったと思ってしまう。ただ、随分とほめてもらったが、ユウキには少しばかりしこりが残った。おおかた、と言うことはこの世界が変容した理由にはまだ何かあるのだろうか。
「あのね」
明らかに不機嫌そうな声がした。振り向けば膨れっ面で白けた目線を向けるフローレンスがいた。
「どうしたのかなフローレンスちゃん?」
「私は一体何を見せられているのかしら」
それはそう。彼女を他所に会話を進め、しまいには同い年の少年が年上のお姉さんに甘やかされるを見て思うことは一つしかないだろう。
「きもいんですけど」
「俺だって好きでやってるんじゃねーよ!」
ユウキは我に返り顔を赤くする。まぁユウキ自身、甘んじて受けた自分も悪いとは思っている。一方でローズは少しシュンとしている。あぁもうどうしたらいいのさ!
「なんにせよ、私たち青の国では人工マナを使った『論理魔法』は御法度だし。行使すれば精霊に嫌われちゃう」
「青の国は『自然魔法』主義だものね」
ややこしい話になるが、そもそも『魔法』とは『魔力を望んだ形として、出力及びそれを制御(コントロール)するもの』である。
精霊たちは魔法を出力する回路を体内で自在にリアルタイムで変えられるが、人工マナは設定された一定の魔法しか出力することができないのだ。その前者が『自然魔法』で、後者が『論理魔法』。『自然魔法』の方が勝手が良い気もするが、精霊を使役して力を頼るしかないのでこれはこれで手間がかかる。
「まっ、私は『論理魔法』なんかに頼らなくても精霊から愛されてるからカンケー無いんだけどね!」
「へぇ、精霊ってのは器がデカいなぁ」
「……何か言った?」
「いや、世界は愛にあふれているってことが良く分かったよ」
フローレンスは文句言いたげな顔をしてからユウキの足を思い切り踏みつけた。
「ぎゃああああああああ! 何すんだこのッ!」
「あらごめんなさい。踏んで欲しそうな顔をしていたからつい」
踏んで欲しそうな顔って何だ。そんな奴いたらド変態じゃねーか。
ユウキは涙目で睨め付ける。横目でそれを見ていたローズはニコニコしながらこう答えた。
「ユウキくん。彼女はね、天才なんだよ」
ローズは諭すように告げた。
「十歳も満たない頃に聖遺物に選ばれブルー・ガーディアンに入隊。九十九もの精霊を使役できて、その数は他の隊員と比べても抜きんでている」
「天才ねぇ」
ユウキは斜に構える様な態度で応じた。天才だか何だか知らないが、フローレンスは人として終わっている。歩き続けている間、ユウキは心の中でぼやき続けていた。
それからしばらくして、いくつかの鉄橋を経由して街から街を移動した。コンクリートでできた無機質な階段を上がり、配管の入り組んだ小道を抜け、開けた道に出ると目の前に巨大なビルが現れた。ユウキを何十人積み重ねてもその高さには届かないだろう。その光景にユウキは息を呑む。
「す……げ……」
そのビルの頭から三分の一程度までは刀で袈裟状に切られた様に半身が斜めに崩れていて、中の階層が丸見えになっていた。崩れたところからは傷口から体液が溢れ出たかの様にツタが群がり垂れていた。空は鮮やかな青色をして、くっきりと輪郭を持つ千切れ雲がわずかにだけ浮かんでいた。まるでこのビルの背景となるために作り上げた様な空だった。
「あれがレッド・ガーディアンの九龍支部だよ」
ローズはビルへ向けて指を差した。そして、そのビルへの道筋には、真っ赤な鳥居が群を成して一列に並んでいた。それは周囲の荒廃した風景からすれば浮いてしまう程によく手入れされていて、しっかりと塗り込まれたうるしによりくっきりとツヤが浮かんでいた。
「ここから結界に入るよ。私の傍を離れないでね」
ローズは腰にある革製の黒いカードホルダーから一枚カードを取り出した。ローズはそれをじっと見つめるとカードは赤い炎に包まれる。
「魔導回路(マギシーケンス)起動。空間制御術式『護炎(ごえん)』」
ユウキはその一連の流れをじっと見つめていたところで、ただならぬ雰囲気に気が付いた。ふと見れば、ローズの背後には赤茶色の石板が浮かんでいた。それはごつごつとして、ところどころひび割れていて、厚みがあった。無数の線やら記号やらが刻まれていて、無言でその空間に佇むその石板の姿は不可思議で得体の知れない雰囲気を孕んでいた。
ローズは不意に、聞こえるか聞こえないか位の声でこんなことを呟いた。
「人類は魔法があるから豊かになった訳じゃないんだ」
すると石版に刻まれた溝から、どろりとした赤黒い液体がにじみ出した。それは加速度的に量を増やして、溢れ出したソレは地面に滴るようになった。
「奇跡の業を盗んだばかりに神に虐げられるようになったんだよ」
ローズの言葉はよく理解できなかった。今、目の前で起きている現象ももちろん同様に理解できなかった。ローズの周囲には淡く紅い空気が流れ、それは明確な境界線をもって外界とその内側を分け隔てた。線など見えはしなかったが、その存在ははっきりと感じられた。
まぁ、考えていたって仕方のないことだ。その空間から離れないよう、ユウキはフローレンスと共にローズの後ろを付いて行った。
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