第5話 魔法と真理が及ぼす脳への汚染について。
―—どうやら、で切り出すのもいかがなものかもしれないが、再び目が覚めた時、世界は終焉に近づいていたらしい。何もかもを置き去りにされているようで、目まぐるしいことこの上なかった。
「ユウキ君」
女性の声がした。その声は池に投げられた石のように、頭の中に揺らぎを生んだ。それは確実にユウキを覚醒へと導き、粘り気のある泥の様な倦怠感は次第に払われ、深く沈んでいた意識がクリアになってゆく。
「…………あなたは」
咳と共に声が出た。身を起こそうとしても身体は全く思うように動かなかった。古びた機械を久々に動かしたかの様に、身体は軋み喉は錆びついていた。
「よかっ……たッ……」
ユウキのぼやけた視界には赤髪の女が映っていた。彼女は今にも泣きだしそうな顔をしてユウキを見つめていた。すると彼女は瞳を潤ませて突然ユウキに抱きつく。
「よかったあああああああああああああああああ!」
「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおっ……!」
ユウキは鈍い声を漏らす。痛みも口にできず、彼女の身体に押さえつけられてわたわたする。柔く、健康的な身体も、今のユウキにとっては苦痛でしかなかった。寝起きの人間が受ける仕打ちではない。ただの嫌がらせだ。
「そうだ! まずは水だよね! あと、飲めないだろうから飲ませてあげるね!」
そう言って彼女は迷いなく水を口にする。そしてユウキを抱き寄せた。何が何だか分からないが、色々とダメなんだろうということは何となく理解できた。しかし、そんなことを口にするよりも、抵抗するよりも早く、彼女はユウキの口にソレを流し込んだ。
「……〜〜ッ!! うあああああああぁっ!」
「お、元気出たのかな?」
ユウキは後ずさりしてベッドの端まで逃げ込んだ。顔は真っ赤。胸がバクバクする。余りに突然の出来事とその衝撃で、ユウキは自身の意識がようやく覚め切った事を今になって理解した。
ちくしょう。未だに口元にはみずみずしい何かが吸い付いた感覚が残っている。柔らかくて、やけに生暖かいその感触が、まだ脳に置き去りにされている。だからこそ意識してしまう。彼女の健康的に育った四肢を。シャツを纏ってなお主張する身体を。それらは目を背けたくなるほどで、ユウキの脳に刺激をもたらす。ユウキは赤らめた顔を手で隠し、他所を向いた。自分が考えていることを彼女に悟られたくなかった。
ただ、そんな考えも、次の言葉で吹き飛んでしまった。
「一か月もキミは寝ていたんだよ」
ユウキは唖然とした。
「…………一か月も?」
「そう、一か月も」
彼女はそれ以上は何も言わなかった。だから何故それだけの期間眠りについていたのか分からなかったし、ユウキはそれ以上問い掛ける気も起きなかった。それよりも気になることがあった。
「しかし、ここは一体どこなんですか?」
「どこだっていいんじゃないかな?」
んなわけあるか。
いい加減な返事をされたので、ユウキは仕方なしにあたりを見回した。窓もないコンクリートの壁。新品同然のパリパリとしたシーツが敷かれたベッド。そしてクッションのない椅子と足だけ生えたテーブルが見えた。よく言えばさっぱりとした部屋だった。悪く言うと独房の様な部屋だった。
ユウキは更に周囲に目を凝らす。天井には結界用のしめ縄がかけられていて、目の前には制服姿の赤髪ロングの女性がいて、隣にはきれいなブロンド髪をした裸の少女がすやすやと寝息を立てていた。
待ってくれ。最後のソレは知らない。ユウキは目頭を押さえる。頭痛がする。
「……一体どうしたっていうんでしょうか、これは」
同じベッド、同じ布団を共にして、裸で寝転ぶ。この事象が何を示しているのか言うまでもない。
「どうしたもこうしたも、ユウキ君から誘ったんじゃないの?」
「いやいやいや! そんなワケないでしょ! そもそも、この子とは会ったばっかりで……!」
ユウキの顔はたちまち青ざめる。
「嘘だよ」
彼女はそう言ってからけらけらと笑った。全く、調子が狂う。
「二人とも治療を受けていたんだ。身体制御術式『帰炎(きえん)』。自然回復力を強化する魔法だよ。体細胞を焼くのと同時に再生させる。さながら、老いた不死鳥が炎に包まれて蘇る様にね」
「良く分からないけど、アンタのおかげで今があるってことは分かりました……けどなんで裸?!」
彼女は目を輝かせた。
「いい質問だね! 服は暑くなるだろうから脱がしておきました」
「余計な気遣いだっ! だとしてもおんなじベッドで寝かせる必要なんて無いでしょうが!」
「指定範囲が狭いんだよ。許しておくれ」
にやにやと笑みを絶やさない彼女を他所に、ユウキはため息を吐いた。
「ところで……アンタはどちら様なんです?」
「おっと、自己紹介がまだだったね。私は『ローズ・バトラー』」
次の言葉を耳にしてユウキは口をあんぐりさせた。
「そして、レッド・ガーディアンの統括だよ。レッド・ガーディアンの中で一番えらい人、って言えば分かりやすいかな?」
「……はい?」
聞き間違えだと思った。こんな若くて綺麗な女性がレッド・ガーディアンのトップにあたる人だとは到底思えなかった。そして、余りに身近で、余りに普通過ぎるようにも感じられた。
こんなにも無邪気に笑って、こんなにも茶目っ気があって、こんなにも優しくて、でもあの時彼女は泣いていた。そうだ、あの時だけは違っていたんだ。
「あ、あの……」
「さて、じゃあそろそろいいかな?」
聞くこともままならず遮られてしまった。なんだか空気が変わった気がした。
「ここからは大切な話をするよ」
その言葉から何となく自分たちが置かれている立場が良く理解できた。そう思うと、ローズは声さえ明るかったが、やけに淡々とした口調に感じた。だからこれはきっと、誰かを諭そうとしている訳ではなく、警告しているのだと理解できた。
「ここで死ぬか、私たちに従うかどちらかを選んでね」
思った通りだ。そうだ、普通であるはずがないのだ。ユウキは一度深く息を吸い込んで直ぐにそれを吐き出した。
「どうしてですか?」
「知ってはならない事象を知った時、一度刻まれた記憶は容易に削除できないから」
まるで刃物を喉元に突きつけられた気分だった。逆らう気こそなかったが、有無を言わさせないその返答を聞くと相手が数段上手なのがよく分かった。
「俺の何がいけなかったんでしょうか?」
「脳がいけなかったんだよ」
「脳?」
ローズは表情を変えることは無かった。随分と突拍子もない話だが、どうやらからかっているワケでもないらしい。
「脳は最も危険な記憶装置なの。五感にまつわる非常に複雑な情報を記憶し、脳内で再現することができる。……たちまちは、あの日に起きた事だけじゃないわ。生まれて過ごしてきた過去も、子供のころの記憶も、今まで経験したすべての事全ての出来事について、ユウキ君は口外してはならなくなった。それは私に対しても言えることだよ」
何だか無茶苦茶な事を言われている気がしたが、これまた逆らう気が起きなかった。生まれたての赤子に宇宙の真理を説いているのと変わらない。つまりは訳が分からずユウキはぽかんとしてしまった。
「どうしてですか」
「ユウキ君が経験した記憶は汚染度が非常に高い内容なんだ」
「汚染度?」
「そう、汚染度」
ユウキは嫌気がさして目頭を強く揉んだ。
「どういう事ですか?」
「私達が崇拝している神様って何だと思う?」
もう何でも良くなってきた。しりとりに始まり、りんご、ごりら、らっぱと答えても問題ない気もした。
「質問の角度を変えよっか。神様は何処に居ると思う?」
ユウキは首をひねって考えてみた。
「空の上?」
「違うかな」
安直すぎたかもしれない。では、さっきの話に重ねるとこういうことだろうか。
「……なら、脳内って事ですか?」
するとローズは満足気に、にっこりと笑みを浮かべた。
「大体あってるわ。正しくは認識の中に存在する。例え誤りだとしても、それが事実だと認識されてしまえば、それはその認識した人にとって正になる。ある人物にとってある断片的な情報がキーとなり、拡大解釈が起きた時、頭の中に信仰、あるいは神様が生まれる可能性がある」
そして、ローズは付け加えるようにこう告げた。
「それが汚染」
神様を考える事が汚染だ何だと言うのはあんまりな言い方だと思ったが、仕方のないことだ。ある日を境に神でさえ人類へ攻撃をするようになったのだから。
「神様の存在そのものは脳のエラーだって言いたいんですか?」
「厳密にいえば神様は存在するの。けれども、実体は存在することはできなかった。人の脳では神様のアウトラインを描くことができなかった。だから存在もしなかったのだけれども、この世界に実体化する出来事が発生した」
「それが厄災(マキア)ですか」
「そういう事。ここまでが一般人が知りえない、ガーディアンまでに公開されている事実。汚染レベルは『伍(ご)』段階中の『弐(に)』。そしてユウキ君が経験している事実は『肆(よん)』よ。まぁ、ユウキ君は経験した事の真意を知らないから、今の汚染度は『弐(に)』に相当するのかな?」
ユウキは今の話を聞いてため息をついた。
「……待ってください。俺の脳みそは今の会話で『弐(に)』段階へ汚染されたって事でいいんでしょうか?」
ローズはくすりと笑った。
「そうね。だから私達に従ってってコト」
「……後だしじゃんけんじゃあないですか」
「でも、ガーディアンって職場は良いところだよ」
「今の話の流れからは到底そうは思えないんですけど……」
「簡単だよ。神様の攻撃から人類を守るだけなんだから」
「それをどうして簡単と言えようか!」
とんだベンチャー企業、と言うかアドベンチャー。それを飛び越えてドラスティック企業と言っても過言ではない。平たく言えばブラック企業だ。
「でもユウキ君は初めから私達に従うつもりだった。そうじゃなくって?」
「何でそんなことが言えるんですか?」
「原典がそう言っていたから」
またよく分からない事を話す。頭がこんがらがってしまいそうだ。
「まぁ、分からなくて大丈夫。むしろ理解しない方が良いのかもしれないね。ユウキ君はただ経験したすべての事象を口にしなければいいだけの事」
「……そんなんだったら俺は殺された方が良いんじゃないんでしょうか?」
「そういう訳にもいかなくってね」
ローズは困った表情をしてから頬をかく。そして少しもったい付けてからこう告げた。
「ユウキ君はこの世界を守るカギなんだよ」
唖然とした。余りにも突拍子もなくて、訳が分からなくて、ちょっと待ってくれと言う前に、ローズはさらにこう付け加えた。
「もう、この世界は終わっちゃうかもしれないんだ」
「世界が……終わる……?」
頭が痛くなってきた。
「……俺は一体何者なんですか?」
「さぁ」
「さぁって……」
真剣な問いかけに対して余りにさっぱりとした返事をするものだからユウキは呆れてしまった。
「だって本当のところ、私にも何が起きているのか分からないんだもの」
無責任だとも、めちゃくちゃだとも思った。しかしながら、これまで話された内容も、昨日できた出来事もめちゃくちゃだったのだから、もうこんなものなのだと思い込むほかになかった。ため息も出なくなった。
しかし、分からない事がある。
「でも、どうして統括直々に俺の面倒を見てくれているんですか?」
それを聞いたローズは口元に手を当てて、少し顔を赤らめてから、たははと笑ってこう告げた。
「キミが好きだからだよ」
その後、二人は言葉を失ったまま何も口にできなかった。その言葉を起点にしてユウキの胸は脈打ち始めた。
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