第3話 変わりゆく街と人の渦で。

 ――20XX年6月6日PM6時6分。九龍地区に突如巨大な魔物発生源、通称『タルタロス』が発生した。発生した直後、直径五キロ圏内にいる人口のうち三分の二が瞬く間に消失した。残る人間のほとんどは火災や建物の倒壊などによる二次災害に巻き込まれたり、次々と出現する魔物に襲われているとのことだった。それが発生から一時間後の最新情報だった。

 その中にはユウキの父も含まれた。彼はトドロキ・ユーリという名だった。そしてタルタロス発生時、死ぬ間際にユーリはユウキへこう告げた。

「俺には勇気がなかったんだ」

 そう告げて彼はユウキに何かを託し、その直後この街は崩壊を迎えた。閃光が世界を包みユウキは気を失い、再び目を覚ました時には目の前でユーリは瓦礫に身を挟まれ、炎に焼かれて悶えていた。

 ユーリは誰からも好かれる人だった。勇気がない。初めにその言葉を聞いた時には、そんなワケがないとユウキは思っていた。ただ、ユーリから託された『聖遺物』と呼ばれる存在の意味を知った時に、ユウキは少しだけその意味を理解することになる。

「……ハァッ……ハァッ」

 ユウキは後ろを振り返る。誰も追って来ないことを確認すると、走る速度を段々と落としてから足を止めた。そして膝に手を付いて、顔を下に向けたまま、がぶ飲みするように酸素を肺に送り込んだ。一呼吸置いてからユウキは怒りに身を任せて膝を叩く。

「一体何がどうなっちまったってんだよ!」

 その手の甲には深く十字の傷が刻まれていて、どくどくと血が流れていた。

「ユウ……キ……?」

「…………?」

 ふと、背後から女の声がした。それはどこか聞き覚えのある声だった。ユウキは振り返ると、そこには見覚えのある長い黒髪をした少女がいた。

 彼女はユウキと同じの、学校が指定する制服を着ていた。ただ、ユウキの目に映った彼女は、ユウキの知っている彼女の姿をしていなかった。

「たす……けて……」

 ユウキは目を疑った。彼女の背中からは人の身の丈よりも大きな、蜘蛛の手足の様なモノが幾つも生えていたからだ。

「分かる……? 私、アイだよ……?」

「どうして……そんな姿に……?」

「どうして、だろうね……」

 まるで胸が締め付けられる思いだった。アイはユウキと親しかった人物だ。だからこそ、今のアイの姿をまともに見ていられなかった。恐らくこの状況下でどうしようもなくなり、魔物に身体を捧げることになったのだろう。

 ただ、アイを悲観的に眺めていたユウキの立場は次の言葉で逆転する。

「でも……ユウキには助けられないよね」

「え…………?」

 不意にかけられたその言葉がユウキの脳に突き刺さる。アイの言葉の真意が理解できず、ユウキは固まってしまう。だからユウキは十分な覚悟もできないまま、次の言葉を真正面から受け止める羽目になった。

「私を守ってくれなかったもの」

 どくん、とアイの言葉でユウキの胸は強く脈打った。タルタロス発生時にアイの側にいてやらなかったこと。どうしようもないと言えばそうなのだが、取り返しのつかない状態になってしまったアイを見てしまえば、返す言葉もない。そうしなければならなかったはずなのに、できずにいた自分の不甲斐無さに、ユウキは唇を噛み締めたまま沈黙する。アイは後悔させる間も与えず言葉を続ける。

「あのね」

 アイは虚ろな目をしたものの、貼り付けた様な笑みだけは絶やさなかった。

「あたしね、ユウキしか頼れる人がいなかったんだよ……? 嫌われたくなくて、それ以上のことも何も求めなかったんだよ……? だから……ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと……」

 口にする言葉には加速するように感情が募り、頂点に達したところでアイは一度言葉を止め、目を大きく見開いてユウキへこう告げた。

「我慢、していたんだよ?」

 その後、アイの姿が瞬時にして消える。ユウキがマズいと思った時にはアイは既にユウキの真後ろに回り込んでいた。

 噴き出す汗。早鐘を打つ心臓。頭の中では警報が鳴り止まない。その時、突然頭の中に声が響く。

『しゃがむんだ』

 ユウキは言われた通り、とっさにその場にしゃがみこむ。すると同時にアイは蜘蛛の腕を真横に振っていた。そのまま何もしていなかったら身体は半分に引き裂かれていただろう。しかし、一体何の声だったのだろうか。だが今はどうでもいい。一方で、アイは蔑むような目線をユウキに向ける。

「何で避けたの?」

「ならどうしたら……許してくれる……」

「じゃあこうしようよ」

 アイはある方向を指差した。そこには異様な光景が広がっていて、ユウキはそれを見て絶句してしまった。

 そこには老若男女問わず人がたくさんいた。たくさん、たくさんいて、みんな手には刃物が握られていて、その刃物を互いの身体に突き立てては抜き、突き立てては抜いていた。体育の授業の時のように二人一組になって、二人は見つめ合って、涙を流して、あるいは悲鳴を上げて、頭から、腹から、至る所から血を流し合っていた。

 それを見てアイは再びユウキへ微笑んで見せた。

「あたしたちもやってみようよ」

 よく見れば、アイのスカートの中から地面へ向けて光る細い糸のようなものがいくつも垂れていた。そしてそれは人々の方へ伸びている。

「『警告』しておくわ。あたしの宿した能力は『接触操作』なんだって」

 そして、アイは自身の頭を指先でつつく。

「頭の中で、誰かがそう言ってるんだ」

 このままではいけないと分かっている。

「もう……止めにしよう……アイはそんなことができるヤツじゃなかっただろ……!」

 けれどもこんな弱い言葉しか口にできなくて。

「違うでしょ」

 だから世界はこんな風に姿を変えてしまったんだ。

「今までできなかったことを神さまがやってくれたんだよ。そう……」

 アイは恥じらいもせずスカートをたくし上げる。するとそこにはおぞましい光景が広がっていた。無数の蜘蛛の子がソコに巣食うようにして群れていた。

「神様があたしを変えてくれたんだ」

 アイは変わってしまった。いや、神により魔物に変えられてしまった。きっとこのままではいけない。しかし。

「……どうしたら良かったんだ」

 ユウキには分からない。自分がやってきたことが間違っていて、それをどう償えばいいのか。どうしたら誰もかもが助かる最善手があるのか。

『あるさ』

 どくん、とユウキの胸がまた強く脈を打つ。

 それはユウキの心の奥底で理解していた事。けれども決断できなかった事。それを答えとして導き出してしまったら後戻りできない事。だがユウキに囁く何かは答えを平然と口する。まるで崖を目前にした人の背中を押すように、絶望へと突き落とす。

『戦えばいい』

 ユウキは思い切り左右に首を振る。それはユウキ自身の魂が否定している。なぜなら自分のせいでアイをこんな姿にしてしまったからだ。だからこそ彼女は然るべくして救済しなければならない。

「俺が犠牲になればいいんだよ……」

 ユウキは歯を食いしばる。そうだ、それでいいのだと自身へ言い聞かせる。だが、それを頭の中の声が許さない。

『嘘を吐くなよ。口にするんだ。自身が持つ、強大な魂の形を。聖遺物の名を』

 するとアイはクスリと笑ってから、誘うように手を伸ばす。

「こっちにおいでよ」

 ユウキはその言葉に従うまま、一歩を踏み出す。すると……

「ダメよ!」

 今度はまた別の女の声がした。それはユウキも聞いた事のない声だった。

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