第2話 領域主
猿の経立は困惑していた。こんなはずではない。こんなはずでは。
「キキィ!!」
陰陽師との戦闘以降、自分で外に出て女を攫うのは危険だと考え、周囲に蔓延る下級怪や小妖怪を配下にしていたが、それらは全て突然現れた上級怪によって躯に変えられた。
そして、経立は、その上級怪の配下と思われる中級怪と戦闘を強いられているが、自身の領域だと言うのに、勝機が見えない。しかも、その後ろには、様子をうかがう、下級怪が6体も控えている。今は一対一だが、参戦されると、面倒だ。
「無駄だ!」
「キキィ!?」
身軽さを生かして後ろに回り込み、爪による攻撃を繰り出すが、敵は後ろに目が有るかのように、易易と躱す。
「早く俺を倒して忍殿を追いたいのだろう?だが、そう簡単に殺られはしないぞ!」
「ギィィ!!」
中級怪の言葉に経立は忌々しげな声を上げる。眼の前の中級怪は確かに強いが、経立には時間を掛けて戦う事はできない。
なんせ、この中級怪の主君と思しき上級怪が、領域の奥に進んで行ったのだ。楔を砕かれては、領域が自分の物ではなくなってしまう。
楔の近くには大量に罠を仕掛けたが、上級怪相手では時間稼ぎにしかならないだろう。
「ギギギィ!!ギギャァァァァ!!!」
焦る気持ちから、早く倒さねばと、中級怪に向けて爪を振るう経立だが、カウンターの要領で腕を斬り落とされてしまう。焼き砂と体毛で作られた高硬度の鎧を纏う経立だが、敵の刀は鎧ごと経立の腕を切断する。
「ギギャァァァ!!」
痛みに悲鳴を上げながら転げ回る経立を中級怪は更に追撃する。
「お前に殺された恨み。晴らさせて貰う!!」
「キィ!?」
恐ろしい速度の斬撃が経立の首に迫るが、経立は何とか身を捩って躱す。
「ちっ!躱したか。だが、終わりだな」
「キィ?」
中級怪の言葉に経立は疑問符を浮かべるが、すぐにその言葉に意味することに気づく。
「キキィ!?」
経立の体からは、今まで溢れんばかりに滾っていた力が一気に抜け始め、更に体が重くなっていく。妖気も凄まじい勢いで減少し始める。
「キィ!ガッ!!」
更に周囲の光景が様変わりし始める。今までは領域内も外の山中と同じく、森が広がっていたが、その森の木々がざわめき、その形を変えていく。樹皮はアメジスト・ヴァイオレットに染まり、枝は禍々しく捻れる。葉は鋭く形を変えてプラムに染まる。足元の草花も同様に毒々しい色と形に変化する。
先程まで明るかった周囲は一瞬で夜に変わり、唯一空に浮かぶ血の様に赫い月だけが、不気味な光を地上に届けている。
領域内の風景は領域の主の性質によって変化する。この毒々しい風景を作り出しているのは決して動物から適当に変化した様な妖魔では無い。もっと禍々しい者だ。
「ふむ!体の調子が外に居た時と同じに戻ったな!一方で、お前は随分と動きが遅くなったなあ?」
「キキキィィィ!!」
悲鳴の様な鳴き声を上げ、経立は踵を返した。
経立の本能が逃げろと警告した。領域はあの上級怪に奪われた。今の自分は唯の下級怪でしか無い上に敵対者の領域に入っているので力が大幅に削られている。眼の前の中級怪に勝てる訳がない。
「遅い!!」
「キィ!?」
逃げる経立に冷たい声が浴びせられ、その視界が左右でズレる。
「キィ!キキィィィ!!!」
そのまま、経立の意識は闇に包まれた。
―○●○―
縦に両断された猿の死骸を無表情に見おろる順一さんに俺はゆっくりと近づく。嬉しい報告が有るのだ。
「順一さん!」
「ああ。忍殿。勝ちましたよ!そちらも上手く行ったようですね」
当たりを見回し、順一さんは苦笑する。俺も苦笑いしたい気分だ。当たりは禍々しい場所に様変わりしている。なんだかあの猿より、俺の方が邪悪な妖怪みたいに思えてしまう。
まあ、ヴァンパイアである事実を考えればこの領域の様子は納得だけどね。いかにもそういう者の根城っぽい雰囲気だし。
領域の見た目はさておき、要件を済ませよう。猿を殺して自分の敵討ちが出来た以上、順一さんにとっては一番大事な事だろうし。
「攫われてた女の人たちを見つけましたよ!蔦から出来た折の中に閉じ込められてました。殺された人や、そのそういう目に遭った人は居ないみたいです」
「ほっ本当ですか!!」
「ええ!向こうです!行ってあげて下さい!」
「は、はい!!」
順一さんは加速も使用して高速で俺が指した方に向かう。俺も慌てて後を追う。
「あ!居た居た!!」
蔦の檻が消え、外に出られた女性たちはオロオロと周りを見回している。青い顔で震えている人が多いのは周囲の禍々しさのせいだろう。
「聡美!!」
「え!?順ちゃん!!」
奥さん名前を呼びながら走る順一さんに、人混みをかき分けて1人のが近づく。
「良かった!!本当に良かった!!」
「え!?順ちゃん!!本当に!!でも、何で?」
涙を流しながら聡美さんを抱きしめる順一さん。一方で聡美さんは目を白黒させている。今の状況が理解できていないのだ。おそらく、順一さんが経立に殺される場面も目撃していたのだろう。
「あの時、順ちゃんはあの怪物に…」
「ああ。話さないといけないことが色々有る」
聡美さんの困惑を感じ取ったのだろう。感極まった様子から僅かに落ち着きを取り戻した順一さんは、自分が殺された後でゾンビに成っていた事。ヴァンパイアに助けられて今はダンピュールである事。そして、今、この領域はそのヴァンパイアの物になり、猿の経立は自分が殺した事を伝えている。
俺も出ていった方が良いかな?でも、ちょっと威厳を込めて出て行こう!だって、水母曰く、近隣で最も力が強い領域の主に成った訳だしね。今までと違ってちょっと大物感出さないと!
「よし!」
蝙蝠型の式神を大量に作り、それらを従えて悠然と空中を滑る。
式神を作る時の妖気の消費量が驚くほど少ない。自分の領域の中に居るからだろう。
俺は作り出した無数の蝙蝠型の式神を従え、順一さんと女性達の前に姿を現す。
「順一よ!妻は取り戻せたか?」
俺の姿に多くの女性達が顔を青くして身を寄せ合う。順一さんも空気を読んだのかその場に跪いて答える。因みに、他のグールの人たちも空気を読んだのか、左右に別れて跪く。
「はっ!貴方様のおかげで無事に妻を取り戻すことが出来ました。感謝しております!」
「そうか!それは良かった!!」
俺はなるべく威厳が出るように悠然と答える。
「順一よ!」
「はっ!」
「お前はまだ太陽の下に出られぬであろう?妻共々この領域に住むと言うのなら構わぬぞ」
俺の問いかけに順一さんは熟考するが、先に聡美さんが答える。
「はい!ぜひそうさせて下さい!何かお役目が有るならば全力で果たします!!」
「聡美!?」
いざという時は女性の方が強いというのは本当の様だ。順一さんが考え込んでいる間に聡美さんが決めてしまった。
「解った!では、その様に手配しよう」
俺はなるべく大物に見えるように微笑を浮かべ、悠然と空中を滑るように移動する。
「ついてまいれ!」
「は、はい!!」
「ちょ!聡美!危ない!!」
俺の後を慌てて追おうとした聡美さんだが、足場が悪い事に心配した順一さんが抱きかかえて運ぶ。
順一さんの脚なら、普通に飛んでもついてこれるな!
速度を落とさず、そのまま進む。
「あれは!?」
やがて一軒の小屋が見えてくる。この小屋、元々在った訳ではなく、俺が念じたことで生じた物だ。
領域内では領域の主が念じたものがある程度出現する。ある程度であって何でも出せるわけではない。領域の力の限界、領域の主の強さの限界、領域の性質による縛り、主の性質による縛り等が有る。
実際この小屋も、俺は小屋としか念じていない。しかし、ヴァンパイアの性質の影響か、結構不気味な雰囲気が有る作りになっている。
「結構メルヘンな小屋!」
「悪い方にな」
本当にね!周囲の禍々しい森と合わせれば魔女が「こんにちは」してきそうな小屋だ。
「此処に住むと良い」
「あ!ありがとうございます!!」
聡美さんのお礼に、俺は微笑のみで答える。結構大物感出てるかな?
「ではな!」
俺は高速でその場を後にする。ちょっと確認したいことが有ったのだ。猿からこの領域を奪った時、領域の西側に有った巨木が何やら変わった。形だけの話じゃない。何やら妙な力を感じるのだ。
「これは!?」
そこに有ったのは天まで届かんとする巨木。毒々しい色をしており、樹皮からは禍々しい赤紫の光を放っている。
「スマフォ!これ、何だ?」
『不明です!しかし、当機の能力で調べられるかも知れません』
「解った!」
早速禍々しい巨木を写真に収めてみたのだが、出てきた説明がこれだ。
呼称 :禁断の魔樹
品種 :万果の宝樹(変異種)
種族特性:果実産出・癒やしの樹液
固有特性:禁断の果実産出
状態 :領域主の宝物
備考 :果実産出(現実に有る、ありとあらゆる果実が実っており、取るとすぐにまた実る。
ただし一定期間に実る回数は領域と主の力に依存)
癒やしの樹液(一定の傷を癒やし、体力をある程度回復させる特別な樹液を出す)
禁断の果実産出(特殊な力を持った紫色の林檎が実る。林檎の効果は不明)
うん。なんか凄いのが出現したね。でも、領域にはこんなの生えるの?水母言ってなかったし、水母の領域にはこんなの無かったよね?今度訊いてみよう。
『忍!』
「ん?どうしたのスマフォ?」
『聡美さん以外の捕まっていた女性を放置してきてしまいましたが良かったのですか?』
「あ!」
そう言えばそうだった!!良いわけないよね!!
その後、俺は慌てて女性たちが居る場所に戻り、彼女達を無事に外まで送り届けた。残してきたグールの人たちが生前知り合いだった女性に色々説明していたし、彼らが落ち着かせてくれていたので、結構スムーズに外へ誘導できた。4人程は領域内に残ることにした様だ。4人の内、3人は聡美さんと同じく、旦那さんや恋人だった人がグール化していたので、此処に残ることにしたらしい。
しかし、いくらスムーズに行ったとは言え、威厳ある様子を維持しながら誘導するのは中々大変だった。
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