サロゲート

 まばらに響いていた銃声が鳴り止んだのは、七人目の敵を排除したときだった。

 どこかの武装組織の、なんとかという幹部がいるという理由でぼくらはどこかの国の荒野の集落へと攻め込んだ。一帯は砂埃とも硝煙とも見分けがつかない白い靄でかすみ、静まりかえっている。

 手の中の自動小銃がいくつの身体に弾丸を打ち込んだのか、ぼくの頭は覚えていない。それでもぼくが七人の敵を始末したとわかるのは、視界の右下に表示されたカウンターに七という数字が表示されているからだ。ぼくの視界をソフトウェアが読み取って、何人の敵を倒したか数え上げているのだ。これによって、戦果が公平に、定量的に評価され、給与や昇進に反映される。一度の出撃で十人倒せば特別ボーナスだ。単純明快なシステムで、ゲームのようにわかりやすい。

 七の下には銃のアイコンとともに別の数字も表示されている。ぼくが手に持つ自動小銃の中に入っている銃弾の残数と、バックパックに入っている予備の弾薬の数だ。

 視界の左上にある人型のシルエットは、この身体の損傷具合を表している。これのおかげで痛みを感じることができなくても、どこの部位が損傷しているのか知ることができる。戦闘前は頭から足先までオールグリーンだったシルエットが、今は左の胸部だけオレンジ色に点滅している。気づかなかったが、弾丸が貫通していたようだ。

 痛みを感じない身体というのも便利なようでいて困ったものだ。痛みは人間が己の限界を知るための機能だ。痛みを感じないまま傷を負い、それに気がつかずに行動していたら、怪我の存在を知ったときにはすでに手遅れということもあり得る。

 今回は、左胸の損傷だから、それほど神経質になる必要はなかった。このていどの損傷ならば、この身体の機動性にそれほど影響は出ないだろう。

「敵戦力を鎮圧した模様」

 頭の中に声が響く。戦闘が始まる前、あいさつをしたこの部隊のリーダーの声だ。

 ぼくは穴だらけになった車の影から顔を出し、数分前まで銃弾が飛び交っていた戦場を観察した。動いているものは確認できない。振り向いて傍らにいる相棒に目をやった。相棒もぼくも、金属骨格がむき出しの、サロゲートの姿だった。最初は四人組のフォーマンセルを組んでいたけれど、戦闘が激しくなるにつれ、あとの二人とははぐれてしまった。

 傍らの相棒もぼくと同じように車の影から顔を出して、戦場だった場所を確認した。ぼくのほうを向いて頷き、「前進」を意味するジェスチャーをする。

 ぼくらはゆっくりと物陰から身体を出した。

 銃を構えて、できる限りの注意をしながら。

 いくらこの身体がかりそめのものだといっても、あまりに損傷がひどければ減給されてしまう。それは避けたい。お金に困ってはいないが、気持ちの問題だった。

 戦闘終了後は、残留戦力の掃討作業。まだかろうじて生きている敵の息の根を完全に止めにいく。

 荒野の風が、戦闘中とは雰囲気の違う、単発の銃声を運んできて、他の隊員も掃討作業にかかっていることがわかる。ぼくらのツーマンセルも集落の通りに沿って、転がっている死体や瀕死の敵の脳天に銃弾を撃ちながら、手近な建物を目指した。

 とはいっても、銃弾を放つのは相棒の役目だった。ぼくは必要がない限り敵を撃ちたくなかった。敵の痛みを想像してしまうから。

――想像できる?

 愛梨の声が聞こえてくる。頭の中ではなく、心の中で。

 相棒の放つ銃弾が敵の身体に吸い込まれるのが見える。けれど、血は流れない。

 いや、それは正確な表現ではない。ぼくには血が見えていないというのが正しい。

 ぼくらが暮らす清浄な社会は、いくら戦場とはいえ「血」という暴力の象徴をその社会の構成員が見ることを許さない。だからぼくらの視界は画像解析ソフトに常時チェックされている。血が視界に入ると、画像処理が施される。ぼくらが見ているのは仮想現実越しの世界だから、そうすることでぼくらは血を見ずに戦場を進めるわけだ。

 だから、この戦場にはズタズタに引き裂かれた死体がいくつもあるはずなのに、ありがたいことにぼくにはそれが見えていない。視界には入っているはずだが、知覚していない。知覚するより先にソフトウェアによってブロックされている。

 数十メートルほど歩いたところで、前を行く相棒が手近な建物を指さした。

 赤土で作られた平屋の建物。

「人の気配がする」

 相棒がジェスチャーで伝えてきた。


 赤土の壁に開けられた小さな入口を潜り抜けた。

 相棒とは建物の外で別れた。

 ぼくは裏口から。相棒は入口から。

 二方面から室内を探索しようと提案してきたのは相棒のほうだった。

 戦闘前、望遠で確認した集落の建物の壁はどこも滑らかだったけれど、今ではどの建物も無数の弾痕でぼろぼろだ。その小さな穴を通り抜けた太陽の光を、室内に入り込んだ砂埃が乱反射させて、いく筋もの光の線を作っていた。

 裏口から台所を抜け、手近な部屋の扉を開けた。

 そこは寝室だった。

 弾丸が貫通したと思われる無数の穴から無数の光の筋が伸びている。その中の一本が、粗末なベッドの上の膨らみに届いていた。膨らみはゆっくりと上下している。

 ぼくはその膨らみに銃口を向けて近づく。

 手を伸ばし、布団を剥ぎ取ろうとした。そのとき、背後に人の気配を感じた。

 とっさに銃口をそちらに向けた。

 戸口に立っていたのは建物に入るときに別れた相棒だった。

 相手が銃を下ろすのを確認して、ぼくも肩の力を抜く。

 銃口をベッドの上の膨らみへ向け、そこに何かがいることを知らせる。

 相棒はぼくの意図を汲み取って頷いた。敵の居場所を突き止めたことで、相棒は緊張の糸をほどき無線で会話を始めた。

「他の部屋は全て確認した。残っているのはこの部屋のそいつだけだ」

「そうか」

 ぼくはベッドの上、布団の中で縮こまっている人物の心情に思いを馳せた。同じ部屋に敵が二人いる。そいつらはきっと自分を殺す。そんな状況を体験している、彼ないし彼女は、絶望の真っ只中といったところだろう。

 一方のぼくと相棒は、自分たちが圧倒的に有利なのを知っているから、敵と同じ部屋にいるにも関わらず、リラックスして会話する。相棒が手近にあった椅子に座り話し始めた。

「水城陽。聞いたことのない名前だ。普段から戦闘に参加しているわけじゃないみたいだな」

 相棒に名乗った覚えはないのだけれど、会社のデータベースから呼び出したのだろう。調べようと思えば、仮想現実の視界にそれくらいの情報は表示させることができる。

「監視課からの応援さ。普段はネット回線をモニターしているだけだ。こんなふうに回線にダイブして、サロゲートで地球の裏側の戦闘に参加するのは本業じゃない」

「それじゃあ、本業は監視官なのか。ネットの清浄さを維持するための職についている人間が、こんな穢れの本丸のような戦場に派遣されるのはよくあることなのか?」

「サロゲートのオペレーターも、監視官も、高い心的ストレス耐性が必要とされる。色々な職業でそれが必要とされるにも関わらず、必要な耐性をもつ人間は限られているから、引く手数多なんだよ」

「なるほどな。監視官のストレス耐性は戦場でも役立つってわけか。身体はどこにある?」

「君の隣で寝ているよ」

 そう答えると相棒はふっと笑った。

「そんな古い冗談を言う奴がまだいるなんてな。ベッドの場所は?」

「日本だ。ブリーチの本社」

「そうか。さっきのはあながち冗談でもなかったか。俺もブリーチから作戦に参加している。隣で寝ているかどうかはわからんが、同じ部屋にはいるらしい」

 相棒の口からふっと空気が漏れた音が、無線越しに聞こえてきた。

「それより何でまた近接通信なんだ?」

「ん?」

 ぼくが問うと相棒は、質問の意図掴みきれないというような感じでこちらを見た。こちらを見ても、見えるのは表情のないサロゲートの顔だけだというのに、そうしてしまうのは人間の性というものか。

「外ではジャスチャー、ここでは近接通信。どういうふうに使い分けているんだ? 近接通信のできない生身の身体だったら、ジェスチャーでコミュニケーションをとるのはわかる。声を出したら、敵に聞こえてしまうから。けれど、近接通信ができるサロゲートなら、声が聞こえているのはぼくらの間だけだ。なら最初から近接通信を使っていればいいような気がするんだが」

「そのことか。俺らの仲間内じゃ常識なんだが。そうか、あんたはピンチヒッターだから、知らないのも当然か」

 質問の意図を理解した相棒は続ける。

「近接通信は意外とメモリを必要とするんだ。だから、近接通信を使っているときは姿勢制御用のリソースが食われてしまって、身体の動きに少しばかりラグが生じることがある。今だって動いてみれば、近接通信を使っていたときとの違いを感じることができるはずだ」

 相棒の言う通り、腕を上げたり下ろしたりと色々と身体を動かしてみたが、よくわからなかった。言われてみれば反応が遅くなっている気もするし、全く違いがないようでもある。ぼくが身体を動かすたびに、サロゲートの身体から金属音が発生する。それに反応して、ベッドの上の膨らみが震えていた。

「よくわからない」

 ぼくが正直に答えると、相棒の笑い声が送られてきた。

「確かに、ピンチヒッターの初心者には、違いがわからないかもしれない。けれど、戦闘中とか通信量が多くなる状況だと、明らかにラグを感じるんだ。それを嫌って、多くの部隊は近接通信を使うことを制限している。近接通信を使用していいのは、ジェスチャーでは伝えきれない複雑な指示や、こんなふうに戦闘が終わり、安全な状況で息抜きをしているときだけさ」

 話が途切れた。遠くで、散発的な銃声が聞こえた。残党狩りが続いている。

「さて、と」そう言って相棒は立ち上がった。「早く仕事を終わらせてしまおうぜ」

 相棒がベッドの上の膨らみを指し示す。

 膨らみは小刻みに震えていた。

 この部屋に二人の敵が入ってきているのには気づいているはず。ぼくらは会話をしていたけれど、近接通信だからベッドの住人には何も聞こえていない。敵と思しき二体のサロゲートが無言でガシャガシャと油圧ポンプと金属部品が触れ合う音を立てていたら、生きた心地がしないことだろう。

 粗末なベッドの膨らみを見てから相棒は言った。

「先に見つけたのはあんただ。あんたにやるよ」

「いらないよ」

 ぼくがそう言うと、相棒の驚きが無線通信越しでも伝わってきた。相棒がぼくを見る。

 軍用ということで見てくれよりも、機能性を重視したサロゲート。その顔はアンドロイドのように人口皮膚で覆われてはおらず、機械が剥き出しの状態だ。目は、無機質な小型カメラでしかないのだけれど、その向こうで相棒が戸惑っているのが不思議とわかった。

「あんた、本気か?」

「ああ。何人の止めを刺そうと俺はヘルプだから、昇進には関係ないし」

「それでもボーナスはつくだろう?」

「微々たるものさ」

「……あんたが譲ってくれるというのなら、もらってやらないこともない、かな」

「君が欲しいと言うのなら、譲ってやらないこともない」

 ぼくがそう言うと、クスリと笑う相棒の声が聞こえた。

「戦場で、自分の成果を人に譲るやつに初めて会ったよ。じゃあ、決まりだ」

 相棒は粗末なベッドに近づいた。

「あんた、変わってるよ。楽しくないのか? 敵を倒すのが」

「あまり」

「俺は楽しいけどな。戦場を駆け抜けて、自分の身体を犠牲にして、正義のために戦っている。これほど楽しいことはない」

 相棒はそう言って、ゆっくりと布団に手を手をのばす。

「仕事が楽しいなんて、俺は幸せ者だ」

 相棒がそう言ったのと、布団をめくり上げたのは同時だった。

「この悪魔!」

 中から出てきたのは、日本にいれば中学生だろう、幼い少女だった。少女は現地の言葉で叫んだはずなのだが、聞きたくなくてもサロゲートの身体は律儀に翻訳してくれる。

 布団の中で震えていたにもかかわらず、布団をめくられたことで覚悟を決めたのか、少女は素早く拳銃を構えて相棒めがけて撃った。

 相棒の腕に弾丸が当たる。

 けれど、それだけ。

 少女の放った弾丸は相棒に当たったけれど、サロゲートの鋼鉄の身体を傷つけられるような威力はなかった。弾丸を受け止めた相棒は、冷静に、少女の右腕を撃ち抜いた。少女は腕を痛そうに抱え込んだけれど、血は見えない。サロゲートに組み込まれた画像処理機能が、ぼくを心的ストレスから守ろうとする。

 彼は、戦場を駆けることが楽しいと言った。

 そんなやつが、たった一発の弾丸で満足するはずがない。

 左腕、右脚、左脚と、即死になる場所を確実に外しながら、少女を無力化していく。いたぶっているのだ。近接通信は切ってあったが、相棒の興奮した息遣いが聞こえてくるようだった。

 相棒が少女の身体のどこを傷つけようとも血は出ない。その光景を見て、ゲームのようだとぼくは思った。

「やめ……て……」

 少女の声が弱々しく響く。

 そこへ容赦なく弾丸を撃ち込む相棒の姿は、悪魔のように見えた。

 相棒を残し、ぼくは建物から出た。ぼくが部屋を去るときにはすでに、少女は抵抗する気力さえ失くし、弱々しくやめてくれと懇願していた。

 けれどあの相棒が突然、慈愛に目覚めて拷問をやめるとも思えない。少女の懇願はむしろ、相棒の嗜虐心をあおるだけだろう。

 唯一の救いは、サロゲートの身体では性的な衝動を満たしようがないから、あの少女が最大の辱めを受けることはないということだ。

 あの少女は愛梨のようにならなくて済む。

 自分で考えたことのくせに、ぼくの心は乱される。外に出たぼくは、心を落ち着かせるために空を仰いだ。

 抜けるような青空が、地平線まで続いていた。

 ぼくはゆっくりと、自分の心を落ち着けようとしていた。

 脳波をなるべくフラットに。そうすることで、この非現実的な状況に対応しようとした。

 それをするにはかなりの集中力を必要とする。

 だから、右手に気配を感じたときには手遅れだった。

 気配に気付いて振り向くと、物影から少年がナイフを持って飛び出してきたところだった。

「このゾンビ!」

 少年は叫びながらぼくの身体に飛びついて、脳天にナイフを突き刺した。少年の目に涙が見えた。

 視界端に浮かんでいた人型のシルエットの頭部が赤く輝いた。

 ゾンビを殺すには、頭を壊せばいい。

 そんな昔ながらの設定を忠実に守ったわけではないだろうが、少年の行動は正しかった。ゾンビと同じように、サロゲートの制御系は頭部に集中している。四肢を欠損してもサロゲートは動き続けることができるが、頭部を破壊されたら、ただのスクラップになる。

 急所の頭部を破壊されたことで、ぼくとサロゲートの通信が途切れる。

 ぼくの視界がフェードアウトしていき、意識が中東の砂漠地帯から離れていく。

 薄れゆく意識の中で、ぼくに飛びかかった少年の肩越しに、小屋の中にいた相棒が外の騒ぎに気づいて建物の外に出てきたのが見えた。相棒は何の躊躇もなく、それまで少女に向けていたのと同じ銃口をこちらに向け、ぼくに覆いかぶさる少年を撃った。

 少年の血が飛び散った。

 少年の一撃が画像処理ソフトウェアに影響を与えたのか、確かにぼくは少年の血を見た。

 そこでぼくの意識は暗転した。


 目を開くと、砂塵の舞う赤土の集落は消えていた。刺すように荒々しく照りつけていた太陽はなくなり、代わりに作り物の青白い人工光が天井から降り注いでいた。

 中東の砂漠地帯から、日本にあるブリーチのオペレーションルームへとぼくの意識が舞い戻ってきたことを理解する。

 枕元では代理課の臨床技師が作業をしていた。数時間前、ぼくを戦場に送り込んだのと同じ技師だった。中肉中背の男で黒縁のメガネをかけている。

「そのままでいてください」

 技師が言った。いくつかの装置をいじった後、ぼくの頭に付けられていたヘッドギアを外した。ヘッドギアが生み出す磁界のおかげで、ぼくの意識は地球の裏側まで一瞬で移動できたのだった。地球の裏側で、ぼくは銃を撃って敵を殺し、少年に脳天をひと突きされた。

「いくつか質問をしますので、答えてください」

 横になるぼくの傍に座った技師は事務的に言った。戦場から帰還のたびに行われる儀式だ。意識環境が急激に変化したことで、障害が残っていないかを検査する。

「あなたの名前は?」

「水城陽」

「今は西暦何年ですか?」

「二〇五五年」

 ぼくが横になっているベッドの脇にはモニターがあって、ぼくの脳の輪切りの画像が表示されている。脳の各部位の活動が青から赤のスペクトルで視覚化され、リアルタイムに表示される。ぼくが技師の質問を聞いて答える度に、脳が反応しているのがわかる。その反応のパターンを見て、ぼくの意識の状態を技師が判断する。

「ここはどこですか?」

「ブリーチ本社の四階。代理課」

「ブリーチとは何ですか?」

「セレンディップの関連会社。主に、ネット監視や戦場のサロゲート事業などの汚れ仕事を行う。要するに儲かりはするけれど、セレンディップが表だっては行えない事業を行うための会社。何かあったときには、セレンディップのスケープゴートととなる」

 ぼくの軽口に技師は頰を緩めた。

「軽口もいつも通りですね。さすがに聞き飽きましたよ」

「それはすまない」

 ぼくは監視課に籍を置いている身だが、こうして不定期に代理課の業務にあたることがあった。監視官と同じく、心的ストレス耐性を求められるサロゲートのオペレータはいつも人手不足で、大規模な作戦業務の発注があった場合は、ぼくのような監視官が応援を求められるのだった。

「いいでしょう。意識ははっきりしているようですし、記憶の混濁もない。軽口も叩ける」

 技師はぼくの身体に張り付けられていたメディカルチェック用の電極を外していく。電極を外し終えると技師は起こしますとぼくに声をかけてリクライニングの背を上げはじめる。

「気分の悪いところはないですか」

 リクライニングを起こし終わったところで、ぼくの目をのぞき込みながら技師が言った。

「大丈夫です」

 ぼくはそう答えたが、技師は答えなんてはじめから参考にする気がないかのように、ぼくの目に手を伸ばし、まぶたを持ち上げて目をいっぱいに開かせてチェックする。段取りがいつもと違うことに少々戸惑う。代理課の応援は何度かしたことがあるが、ダイブ後のメディカルチェックはいつも決まった質問に答えるだけの淡白なもので、こんなふうに念入りなチェックを受けることはなかった。

「いつもより丁寧ですね」

「今回、水城さんは強制的にサロゲートとのリンクが切断されたわけですから、問題が残っている可能性が非常に高い。いつもより任務後のチェックは入念になります。夢から急に醒めると、夢と現実の区別がつかなくなるときがあるでしょう? それと同じで、水城さんがここを戦場と勘違いして誰かに切りかかるようなことがないとも限らない」

 技師はぼくから手を放すと、手元の端末に何かを入力した。

「まぁ、問題なんてめったに起きないんですがね。今回の水城さんも大丈夫でしょう。心的ストレス耐性は言うまでもないですし。もしかしたらサロゲートとのリンクが切れる直前のシーンが何度か夢に現れるかもしれませんが、どうします?」

 技術者はモニターを示した。ナイフを振り上げる少年の姿が映っている。ぼくが地球の裏側で最後に見た光景。

「どうしますというのは?」

「薬ですよ。もし不安があるなら鎮静剤を出しておきます」

「大丈夫です。あれくらいの映像なら監視課で毎日見ていますから」

 そう言って薬の処方を断ると、技師は笑った。

「それもそうだ。心強い答えをありがとうございます。監視官の方を相手に変なことを聞いてしまいました」

「それより、すみませんでした。貴重なサロゲートを一台、ダメにしてしまった」

「いえいえ。水城さんが謝ることはありません」

恐縮するぼくを慰めるように技師は言い、声を潜めて続けた。

「もともと、サロゲートの専門家ではない監視課の人に運用させるほうが無茶なんです。けど、サロゲートのオペレーターの数は限られているっていうのに、営業は構わず仕事をとってくる。ただでさえ心的ストレス耐性の高い人材は少ないっていうのに。だから今日みたいに急に欠員が出たときに、他の部門に応援を頼まなくてはいけなくなる。サロゲートのオペレーターとしては門外漢の人に。慣れないオペレーションを代理課が無理やり頼み込んでお願いしているわけですから、サロゲートの損失は代理課の過失です」

「とはいえ、仕事を引き受けたわけですから」

「いいんです。さっきも言ったように、監視課の水城さんに、オペレーターを頼むのが無茶なんですから。それは上もわかっている。だから、サロゲートの一つや二つダメになったところで利益はちゃんと出るように、依頼主にはバッファーを持った料金を請求していますよ。幸い、サロゲートの市場はセレンディップと強いパイプのあるブリーチの寡占市場。価格競争には陥っていないので、損益分岐点からはかなり余裕のある額を請求できています」

「そういうことであればいいんですが」

 技師から目を逸らして周りを見渡す。ぼくが今、座っているのと同じ椅子が部屋の中に三十ほどあって、それぞれにオペレーターが寝ていた。ぼくのように起き上がっている者はいない。ということは、あの相棒は、少年の奇襲攻撃に上手く対処したということだろう。それはつまり、あの少年が死んだということになる。

「けど、本当に水城さんは変わっていますね」

 気づくと技師が笑みを浮かべながらぼくを見ていた。何のことを言っているのかわからず首をかしげると技師が続けた。

「サロゲートを壊して謝るの、水城さんくらいです。普通はサロゲートの調整不足のせいだと言って、我々技師が怒られます」

「どうして怒るんです?」

「わかりません。それが理解できればこちらも理不尽な思いをせずに済むんですが。そもそもサロゲートを調整しているのはここにいる我々ではなく、現地にいるスタッフですし」

 技師は自嘲気味に笑った。

「ところで、もう一度戦場に行く気はありますか? 実はこの後、別の作戦行動が予定されていて、そっちのオペレータの数も十分とはいえないんです。もちろん、ボーナスははずむと上の人間が言っています」

「少しメッセージを確認してからでもいいですか」

 ぼくはそう言って、オペレーションのためにオフにしていた拡張現実を起動する。オペレーターの賃金は魅力的だが、本業の監視官のほうで何か仕事があるならそちらを優先せざるをえない。そう思って開いたメッセージアプリだったが、ぼくの目は業務とは明らかに関係のないメッセージに引き寄せられた。

 差出人の名前のないメッセージ。二つのファイルが添付されていた。

 一つは何かのマッピング画像。説明はなかったが、先日、颯太に見せたアンドロイドの穢れたプログラムのマッピングによく似ていた。

 もう一つはGPSの座標。

 そしてメッセージにはこう記されていた。

「六文銭を覚えている?」

 ぼくの中でメッセージを読み上げたのはロイだった。颯太はぼくの作った三次元マップを見て、死者と交信していたのかとつぶやいていた。ぼくのところにも、死者からの招待状が届いたようだ。

「すみません」ぼくがメッセージを確認している間、手持ち無沙汰にしていた技師に声をかける。「どうしても外せない用事ができてしまって」

 技師は残念そうな表情を浮かべた。

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