疑念

「陽のおかげでセレンディップは大騒ぎだ」

 颯太が言った。ぼくらがいたのはいつもの居酒屋だったが、目の前にあるのは料理だけで、アルコールの類いはなかった。ぼくはアルコールを入れる気分ではなかったし、颯太はこの後会社に戻らなければならないと言っていたからだ。今日も遅くまで仕事をする必要があるため、夕食を食べに会社を出たのだと颯太は言った。

 アリスはいなかった。アンドロイド反対派の運動が日に日に熱を帯びてきているので、彼らを刺激しないよう、ラボにおいてきたという。

「ヒントをくれたのは颯太だろ」

「こんな騒ぎになると知っていたら教えなかったさ」

「何だよ。パンドラの箱を開け続ければ希望があるとか、かっこつけたことを言っていたくせに」

「こんなことになるとは思っていなかったからな」

 颯太とぼくは笑った。

 例のファイルの中身を暴いたぼくは、約束通り翌日の朝にブリーチを訪れた山上と木下にプログラムの中身について説明した。穢れたコンテンツがアンドロイドから出てきたことに二人は満足した様子で、捜査協力へのお礼を言い残して去って行った。昼過ぎになると、その情報はメディアを駆け巡り、この清浄な社会にあってアンドロイドは穢れは驚きと批難を込めて報じられた。情報の発信源はどう考えても警察で、セレンディップは報道を認めて会見を開いたのがその日の夜遅く。そのときに至ってもいつからそのプログラムが混入していたか調査中だとしていたため、人々の目にはセレンディップの歩みが遅いように映り、さらなる批難を呼んでいた。

「正直、世間は驚きすぎだよ」

 颯太はあきらめがついたといってもいい表情を浮かべて言った。

「というと?」

「アンドロイドから穢れたコンテンツが見つかっただけだ。まだ、アンドロイドが人を殺したと決まったわけじゃない」

 それは受け取り方によっては往生際が悪い、無責任だと言われそうな台詞だったが、冷静に考えれば颯太の言うとおりだった。あの犯行映像に映っていたアンドロイドはいまだ見つかっておらず、全てのアンドロイドの位置情報を管理しているセレンディップは、あの日、あの場所の近くにいたアンドロイドは特定できないと表明していた。セレンディップとしては事実を述べただけなのだろうが、アンドロイドに穢れが潜んでいたという話と合わさって、市民にはセレンディップが隠蔽しているように見えた。

 アンドロイドと思われるものが殺人現場のカメラに映っていた。

 アンドロイドには穢れたコンテンツが隠れていた。

 現状わかっている事実はこの二つで、これらの間には何の因果関係も証明されていない。にもかかわらず、穢れたアンドロイドが人を殺したことは間違いないという論調を誰もが疑いもなく受け入れていた。

「実際のところどうなんだ? アンドロイドが人を傷つける可能性はあるのか?」

 ぼくは単刀直入に訊いた。颯太はまじまじとぼくの顔を見た。どうして虹は七色なのか、と当たり前過ぎて返答に困る質問をした子どもを見るようにして。

「ロボット三原則、知ってるか」

 ぼくが答えるよりも先に、颯太が暗唱する。

「第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない」

「要するに、ロボットは人を傷つけられない、って話だろ」

「そういうこと。アンドロイドの全てにロボット三原則が導入されている。アンドロイドは人を傷つけることができない。だから、アンドロイドは戦場に行けない。まあ、戦闘以外の仕事であれば行けるかもしれないが」

 ぼくはそれだけでは納得できなかった。

「ロボット三原則がアンドロイドに導入されているのはわかってる。けど逆に考えてみれば、導入しないこともできるだろ。ロボット三原則に縛られないアンドロイドを作ることだって可能なんじゃ――」

「ロボット三原則を取り除くだけでアンドロイドが人を殺せるようになるなら、とっくの昔にやっているさ」

 ぼくの話を遮って颯太が言う。そんなことは颯太にはなかなかないことなので驚いた。

「どういうことだ?」

「サロゲートがこれだけ重宝されている時代だ。アンドロイドの軍事利用を誰も考えたことがないと思うか?」

 ぼくは首を振る。

 どれだけ殺しのテクノロジーが発展し、優れた兵器が開発されようとも、一度の戦闘に投入できる兵器の数は、それを操作する人間の数に制限される。いくら無人機やサロゲートが浸透したところで、操縦者は必要なのだ。自動操縦はあるけれど、それにも限界がある。百の兵器を投入しようと思えば、百人の操縦者を用意しなければならない。人間の操作を必要とする限り、兵力にはオペレーターの数に律速する。

 アンドロイドを戦場に投入できれば、それは自律的に動く兵器だ。

 人間が想定した状況に対して、規則通りに対応するしかない融通の利かない自動操縦と違って、どんな状況においても柔軟に判断し行動をする兵器。

 アンドロイドを戦場に投入できれば、操縦者の数に左右されず、アンドロイドの保有数で戦場のパワーバランスは決まるだろう。それはどこの軍隊も喉から手が出るくらい欲しい技術のはずだ。

「アンドロイドが生まれてすぐ、兵器に利用しようという声があった。いや、もしかしたら俺がそう聞いているだけで、兵器に利用しようという声が先にあって、アンドロイドの開発が進められていたのかもしれないけど」

「ニワトリが先か、卵が先か」

「どちらが先かは別として、とにかくアンドロイドの兵器化というアイデアは、考えられただけではなく、実験され、検証された。けれど、うまくいかなかった。ロボット三原則を外しても、どんな訓練をしても、アンドロイドは人を傷つけるようにならないんだ」

「ロボット三原則を外しても人を傷つけないなんて、それならロボット三原則の意味は何なんだ」

「ただの飾りなんだろ。アンドロイドに懐疑的な人間たちの不信感をぬぐうための。特にアンドロイドの黎明期には大いに役に立ったはずだ。ロボットが反旗を翻して人類を滅亡させるなんて映画が流行っていた時代だからな。アンドロイドはロボット三原則を導入しています、だから安全ですっていう説得は効果的だったはずだ」

「全く意味をなさないものに対して、ぼくらは安心感を抱いていたってことか?」

「そこはハッタリというか、ニワトリと卵の問題というか……。開発から十数年が経っているが、アンドロイドが人間を傷つけたという例はない。

 考えてみれば人間だって同じだろ。善意だとか、道徳だとか、人間性だとかいうものをありがたがっているけれど、そういうものが先に存在していて、それに人間の行動を合わせているわけじゃない。

 人間の行動がまず先にあって、そこから人間のあるべき姿みたいなものが抽出されて、善意や道徳や人間性として認識されるんだ。後付けでそうした善性とやらが明文化されて、別の人間や次の世代の規範になる」

 確かにそうだ、とぼくはうなずく。颯太は続ける。

「アンドロイドもそうなんだ。ロボット三原則なんてなくたって、アンドロイドは人を傷つけない。けど、アンドロイドは人を傷つけませんなんて主張するだけでは説得力に欠けるから、実質的な意味がなくても三原則を実装する必要があった。道徳に反することをしても罪にはならない。けれど、道徳を明文化した法律を破った人間は罰せられる。それぐらい何かを言葉として書き留める、形にするってことには力がある。そこをセレンディップ、もしくは邑岡は利用したわけさ。形にしようがしまいが本質的には変わらないとしても、形にしたほうが人は信じやすくなる」

「でも、アンドロイドがなぜ人を傷つけないと言い切れる?」

「経験則さ。帰納法とも言うな。はたまた再現性とも。いずれにせよ、科学が最も重要視することだ。

 アンドロイドが生まれる前は、そんなものが発明されたら、たちまち人間に反旗をひるがえすと恐れられていた。ところが、最初のアンドロイドが生まれてから三十年、昔の人間たちが考えたようなロボットの反乱が起こっていないことを見るだけでも、アンドロイドが人間を傷つけないということの充分な証明になるんじゃないか」

「今までがそうだからといって、これからもそうとは限らない」

「でも、困ったことに、世の中のほとんどはそれで動いているんだよ。明日生きている保証はないのにみんな明日があると思って眠りにつくし、昨日まで真であった法則が今日も真であると信じて科学者は研究をする」

 颯太はそう自嘲してから続けた。

「おまけにアンドロイドを軍事利用しようという話は昔からあったけれど、どんなに訓練しても人を傷つけるようにならないんだ。これだけ状況証拠が揃えば、アンドロイドが人を殺さないと信じてもいいだろう?」

「でも、世間はそう考えていない」

「それは間違いない。何で今回のようなことが起きたのかセレンディップにもわからないんだ。でもな、陽。幼い頃にロイと一緒に暮らしていたお前なら、アンドロイドがそんなに危険なものではないとわかっているはずだ」

「アンドロイドが人を殺していないって、信じたいのは颯太と一緒さ。でも、あの穢れたプログラムを調べていてわかったことがあるんだよ」

 ぼくは向かい合う颯太との間の空間に三次元マップを展開する。

 夜空に浮かぶ星のように、小さな点がいくつも出現した。

「何だ、これは?」

「アンドロイドから出てきた穢れたコンテンツの足跡をブリーチのソフトウェアを使ってトレースしてみた。ネットワークで情報を共有していたみたいだ。小さな点がノードなんだが、その数がセレンディップが公表しているこれまでのアンドロイドの出荷台数とほぼ一致しているんだ」

「それは気味が悪い」

 颯太は興味を持った様子で、ぼくが表示したノードマップに手を伸ばし、様々な方向から眺め始める。マップを回転させ、拡大し、ノードの一つを指先でたたいた。ウィンドウがポップアップし、ノードのプロパティが表示される。

「アンドロイドに使っているIDに似ているな。通信プロトコルはアンドロイドのものだ。ますます気味が悪い」

「アンドロイドが穢れを共有していることは間違いない。もし、あのプログラムがアンドロイドの暴走の原因なのだとしたら、一人や二人、人が死ぬていどでは済まないことになる。すべてのアンドロイドにあのプログラムは広がっているのだから」

「逆説的に考えれば、それが起こっていないことからして、あのプログラムは今回の事件の原因ではないのかもしれない」

「かもな」

「問題はどうすればそれを確かめられるかだ。このマップに間違いがないのなら、あのプログラムは初期のころからアンドロイドに実装されていたことになる。にもかかわらず、セレンディップにはあのプログラムに関する記録が残っていない。おそらく、邑岡が何かの理由で隠していたんだろうが、調べようがないぞ」

「この真ん中のノードが集まっているところが手がかりになるんじゃないかと思う」

 マップには銀河の中心のようにノードの光が密集しているところがあった。

「アンドロイドはここに密集しているノードのどれかと必ずつながっている。ここがいったい何なのか、颯太にわかるか?」

 颯太はマップ中心部のノードを叩いてウィンドウを表示した。さらに周囲のノードのいくつかを確認すると、驚いた表情を浮かべてつぶやいた。

「死者と交信していたわけか」

「死者?」

「ああ。その密集している場所にあるノードのIDは十年以上前に出荷されたアンドロイのものだ。すでにセレンディップが回収しているはずのな」

「どういうことだ? 回収したアンドロイドは廃棄しているんじゃないのか?」

「一般的にはそう思われているみたいだが、セレンディップの中で廃棄していると聞いたことはない。悪いが、これ以上はわからない」

「せめて、このノードが密集している場所が、現実世界のどこにあるのかだけでもわからないか」

「無理だ。回収後のアンドロイドの処置は、どういうわけか社内でも知っている人間はわずかなんだ」

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