捜査協力
「珍しいじゃないか。シフトでもないのに水城がこんな時間まで仕事をしているなんて」
坂上の声に顔を上げる。思わず憎まれ口で返しそうになったが、見上げた先の坂上は申し訳なさそうな表情を浮かべていて、栄養ドリンクまで差し出してきたのでやめておく。おとなしく栄養ドリンクを受け取り蓋を開けた。充填されていた空気が静かな音を立てて外に漏れる。
「警察から依頼されたセキュリティ、進みはどうだ?」
ぼくは肩をすくめる。時計を見ると二二時を回っていた。仕事を引き受けてから八時間以上が経つ。警察の二人が帰った直後から取り組んでいたが、まだ解除はできていなかった。
「滑り出しは良かったんですが」
嘘ではなかった。セキュリティの鍵の概形はすぐにわかった。ブリーチのデータベースにはない形だったが、比較的オーソドックスな形状だった。まだピッタリの形ではないだろうが、ロックアーティストのアシスト機能がうまく働けばすぐに解錠できる。そんなところまでは近づいている感触があった。
けれど、ロックアーティストはうまく働かず、セキュリティはまだ解除できていない。
「水城が解錠できないなんて珍しいな。どこで詰まっているんだ」
そう言って坂上はワークスペース上に表示された、三次元化されたセキュリティの合鍵をゆっくりと回転させ眺め始める。
監視官は合鍵を作ることでセキュリティを突破する。
量子コンピュータが開発されたことで、それまで主流だった素因数分解を基盤にしたセキュリティ設計は意味をなさなくなった。素因数分解のような一次元的なで直線的なセキュリティは、量子コンピュータが即座に解いてしまうからだ。
セキュリティは公開鍵方式から秘密鍵方式となり、暗号鍵は一次元から三次元へと拡張された。文字列から構造物へと転換したわけだ。三次元になれば、量子コンピュータといえど、解読するのに時間がかかるし、セキュリティを構築する側にも自由度が生まれる。
「鍵穴に入れてみてもいいか」
坂上はぼくの返事も待たずにワークスペースを操作する。セキュリティのファイヤーウォールを視覚化した仮想の扉の鍵穴へ、ぼくの作った合鍵が入っていく。
「何だ、入るじゃないか」
「入りはします。けど、回らない」
坂上がカギを回す動作をする。仮想のカギは鍵穴に入って固定されたまま、坂上の手の動作に追従してこない。
「本当だな。カギの概形はこれでいいのか? この谷底には最適解がないのかもしれない」
最適解と局所解。ぼこぼこと、いくつも谷と山が存在する起伏のある地形を想像してみる。谷の底が解であり、その地形の中で最も深い谷の底が最適解。セキュリティを解除するための鍵はそこにある。
谷がたった一つの場合、高いところからボールを転がせば、勝手に谷の底に行き着く。谷は一つしかないのだから、これが最適解だ。けれど、谷が複数あったらどうだろうか。高いところからボールを転がしても、一番深い谷の底に行くとは限らない。ぼくらがたどり着きたいのは最も深い谷だけれど、ボールはいくつもある谷底の中で、最も深いかどうかに関係なく転がり始めた谷の底に行き着く。
三次元的なセキュリティの形を試行錯誤するには膨大な計算量を必要とする。いくらコンピュータの計算速度が速いといっても、網羅的に三次元のカギの形の組み合わせを試していては膨大な時間がかかる。
ロックアーティストはその網羅的な処理を、人間の直感でショートカットすることを設計思想として持っている。
一番深そうな谷を人間の直感で絞り込み、細かい部分はコンピュータの網羅的な処理に任せる。人間はまじめに一つ一つ計算する速度ではコンピュータに劣るけれど、概形をとらえて必要な部分にだけ絞り込むのは得意だ。
けれど逆に言えば、人間が概形の選択を誤っているのであれば、いくらロックアーティストといえども最適解に辿りつけない。
ロックアーティストは鍵の概形があっているかどうかをセキュリティの鍵穴に入るかどうかで判別し、鍵を回している間に細かい修正を施す。鍵が回らないということは、ソフトウェアが微修正を高速で行なっているにも関わらず、最適解に辿りつかないということだ。
つまり、ぼくが設定した鍵の概形がそもそも間違っているのではないかと坂上は指摘している。
「こんなに奥まで鍵が入るのに、概形が間違っているなんてことがありますか?」
「いいから試してみろって」
坂上がすすめる通り、ぼくは鍵の形を変更する。一般的なセキュリティであれば、これだけ形を変えれば鍵穴に入らなくなるくらいに。
「まあ、それくらいだろうな」
鍵を鍵穴に差し込む。先ほどのものと同じように奥まで入る。
「だから言っただろ?」
坂上の顔には自分の考えがあっていたことに対する誇りが見てとれた。
「けれど、この形でも回りません」
鍵を回す動作をしてみせる。先ほどと同じように、鍵はぼくの手の動きに従わず止まったままだ。坂上は困ったように顎に手を当てる。
「面白いなこのセキュリティ。どんな鍵の概形でも合うのに、肝心なところは一致しない。ロックアーティストのアシスト機能が働いていないみたいだ。アシスト機能が手当たり次第に解を試している間に、セキュリティのほうが変化している感じ」
「こんなセキュリティは今まで扱ったことがありません」
「そうか? 昔はよくあったぞ。ネットの浄化が始まった頃には。こっちで合鍵を作ると、それに合わせて――というか、あわせないようにセキュリティのほうが変わるものが」
「でもそれは、セキュリティを設定した側も鍵がわからなくなるということではないですか?」
「その通りだよ。だから、ただの嫌がらせでしかないんだよ。実用性は全く皆無。こっちに余計なコストを使わせようとするためのいたずらでしかない。そのうち拡散者側も飽きて、そういうセキュリティを見ることもほとんどなくなったけどな」
「解決方法は?」
「無視すること」
ぼくと坂上は同時にため息をつく。残念ながら、それは実行できそうにない。クライアントの要求はこのセキュリティの中身を知ることなのだから。明日までに。
「明日、警察に謝る準備をしておかないとダメかもな。うちでもセキュリティを突破することはできませんでしたって」
坂上のまとっている空気が弛緩して、帰り支度を始めそうな雰囲気で歩き始めた。
「帰るんですか」
「ああ。水城もあきらめがついたら帰れよ」
息を吐き出す。坂上は帰っていいと言ったが、このまま何もできずに明日を迎えるというのは悔しい。
かといって、これ以上、セキュリティを突破するアイデアが出てくる気もしない。
席を立ち、休憩室へ向かう。すこし仕事から離れれば、何かいい案が浮かぶかもしれない。
周囲の席に他の社員はいなかった。夜のシフトの監視官たちは、二つ向こうのシマに固まって、談笑しながら作業をしていた。
休憩室に入り、コーヒーを煎れながら颯太に連絡をとる。
アンドロイドのことは、専門家に訊いたほうがいい。颯太はまだセレンディップにいるはずだ。あんなニュースがあって、セレンディップがどうなっているかも興味があった。
「陽か。何の用だ」
三コール目で颯太の声が聞こえた。周囲を気にしている素振りは感じない。個室をあてがわれていると聞いたことがあるから、気楽に応対できるのだろう。
「ちょっと仕事で行き詰まってしまったから、その息抜きに」
「こんな時間まで仕事をしてるのか? 奇遇だな。こっちも仕事中だ。例のアンドロイドの殺人事件のせいで」
「それは奇遇とはいえないな」
「どういうことだ?」
言ってしまってから、これはセレンディップの社員である颯太に話してしまってもいいものなのかという疑問が浮かんだが、全て話してしまうことにする。
「こっちの仕事も例のアンドロイド関連だからだよ。警察が捜査協力を依頼してきたんだ。例のアンドロイドから取り出したプログラムの正体を知りたいからセキュリティを解除してくれって。聞いてないか?」
「プログラムの件は聞いているが、ブリーチに話が行っているというのは初耳だ。上のほうに情報は行っているかもしれないが、俺みたいな末端には回ってきてないな」
「個室をもらっているような上級研究員が末端ね」
「そう誉めるなよ。とにかくこっちに来ている指示は、あるプログラムが、いつからアンドロイドにインストールされているか、調査しろというだけさ。ほとんど説明もなく、急に回ってきたものだから例のアンドロイド関連だろうなと思ってはいたけど、陽の話を聞いて確信したよ」
颯太の話ぶりからはセレンディップの焦りが伝わってくる。
「こっちで調べているプログラムと、颯太が調査しているプログラムは同じものかもしれないな」
「きっとそうだろう」
「あのプログラムの正体は何なんだ?」
「それがわかったら、陽のところに仕事が行かないだろう。俺が知りたいくらいだよ。上は対象のプログラムだけ教えて、中身については何も説明してこない。アンドロイド開発当時の資料を調べてみたが、そんな名前のプログラムはどこにも登場しない。上もファイルの中身については掴み切れていないみたいだ」
「こっちと同じ状況なわけか」
「そういうこと。で、陽はどこで行き詰まっているんだ?」
ぼくは状況を説明した。合鍵を作ったがどんな鍵でも開きそうにないこと、鍵を入れるたびセキュリティが形を変えているようだということも。
「なるほどな。でも、それは当たり前のことだと思うぞ」
「当たり前?」
「忘れたのか? そのファイルはアンドロイドの中にあったんだ。だったらアンドロイドの情報処理構造を考慮にいれないとダメだろう」
「どういうことだ?」
「普通のコンピュータであれば、入力と出力は一対一で対応する。それに対して、アンドロイドの場合は複数の入力がないと、出力がでないようにしている部分がある。全部ではないけどな。モデルは人間のニューロンの発火現象だ。周囲のニューロンが同時に発火しないと、次のニューロンの発火に必要な閾値を超えず、発火が伝播しない」
「難しくてよくわからない」
「まあ、原理は置いておいて、陽が試すべきは、ロックアーティストだっけか? そのアシスト機能をオフにした上で、同じ鍵を複数同時にセキュリティに差し込むことだよ。アシスト機能があると、短時間のうちに何度も形を変えてしまうから、アンドロイドの人工知能は同じ入力だと判断しないはずだ」
「結果、セキュリティも開かない」
「そういうこと」
ぼくは解決の糸口がつかめたことに礼を言ったあとで、颯太に訊いた。
「でもいいのか?」
「何の話だ」
「セキュリティを突破したら、あのプログラムからセレンディップに不利な情報が出てくるかもしれない」
「かもな。でも、いずれは開けなきゃいけないパンドラの箱さ。開け続ければ、思ってもみなかった希望が見つかるかもしれない」
颯太との通話を終了し、ぼくは冷えたコーヒーを持って席へ戻った。
颯太のアドバイス通り、ロックアーティストのアシスト機能を切り、適当な形の鍵を例のファイルに差し込む。前と同じように鍵は入るものの回せない。
一度鍵を抜き、再び入れる。鍵の回転は途中で止まったが、回せるようになっただけ前進といえる。
もう一度。今度は感触が元に戻り、回転できる角度が浅くなった。
時間が関係しているのかもしれない。
ロックアーティストのアシスト機能をオンにする。ソースプログラムを呼び出して、アシスト機能を書き換える。鍵の形を変えないまま、高速で抜き差しするように。
普段はやらない作業なので書き換えに時間がかかったが、再び鍵を差し込む。回すとやはり抵抗を感じる。けれどその抵抗は、書き換えたアシスト機能のおかげですぐに緩くなり、回転が深くなる。そして再び抵抗が強くなると、アシスト機能が働いて抵抗が緩くなり、回転が深くなるの繰り返し。粘性の強い液体をかき混ぜるような感触を繰り返すうち、鍵はついに最後まで回転を終えた。
カチャリという小気味の良い音とともに、難攻不落に思われたセキュリティゲートが開く。
達成感もつかの間、ゲートの向こうに見えたものに凍りつく。
そこにあったのはコンテンツの山だった。ぼくが認識するやいなやブリーチのコンテンツ評価ソフトウェアが動き始めてコンテンツに色づけを開始する。
最初の一秒間で、どのコンテンツもそれぞれに色づいてモザイク調の壁画ができあがった。
次の一秒間で、全ての色が混ざり合い、さらに一秒たってコンテンツの評価が終了した。
どのコンテンツも灰色だった。ワークスペースは水で薄めた墨汁を広げたみたいになった。いくつかのコンテンツに触れて、タグの内容を確認する。
暴力、性描写、流血、などなど。
どれもコンテンツが色づくには十分な、一級品の穢れたコンテンツだったが、決定的に黒いコンテンツはなく、どれもくすんだ色をしていた。
なぜこんなものがアンドロイドに? という疑問が浮かび、ぼくはカンダタを起動してコンテンツの由来を探り始めた。
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