食事
「あいつらにはアンドロイドとサロゲートの区別さえついていない」
颯太の声はアルコールが入ったせいで熱を帯びたものに変わっていた。
セレンディップの本社から歩いて十分ほどのところにある居酒屋にぼくらはいた。個室だから直接はわからないが、店は繁盛しているようすで、方々から客の声が聞こえていた。それらは混ざり合って意味をなくし、ホワイトノイズとなっていた。
「仕方がない」ぼくは颯太をなだめるつもりで言う。「アンドロイドもサロゲートも、セレンディップが造っているんだから。サロゲートを運用しているのはブリーチだけど」
「それがおかしいんだって」
颯太の怒りは、セレンディップ前で展開されていたアンドロイドへの抗議活動に向けられていた。
サロゲートの写真を使ったセレンディップへの糾弾。あれを見た人たちは、サロゲートとアンドロイドを混同するに違いない。そして、抗議団体の狙いはそれだった。
「責められるべきはサロゲートとブリーチだ。アンドロイドじゃない」
「アンドロイドもサロゲートも一般人から見れば同じ、人間の形をした機械だよ」
言ってからアリスへ配慮を欠いた言葉だと気づく。
「気にしないで。慣れているから」
アリスはその言葉の通り、何食わぬ様子で大皿から小皿へと料理をよそっている。ぼくは言葉を続ける。
「専門家の颯太から見ればアンドロイドとサロゲートは別物かもしれない。けれど何も知らない一般市民からすれば、同じものだと言われても違和感はないだろう。アンドロイドと違ってサロゲートは人工皮膚を使用していない金属むき出しの外見とはいえ、同じ二足歩行でシルエットは同じ。皮膚を取り除いていることで、嫌悪感はむしろ増しているかもしれない。それにサロゲートのボディや姿勢制御の技術はアンドロイドからの流用というのは事実なんだから」
「俺が問題だと言っているのは、アンドロイドが責められていることだ。サロゲートを作っているのも、そこにアンドロイドの技術を流用しているのも、セレンディップの勝手だろう。アンドロイドに罪はない。アンドロイドが責められる理由はない。俺にはそれが許せない」
「会社が責められるのはいいのかよ」
「颯太は会社に忠誠心というものがないからね。あるのはアンドロイドに対する興味だけ」
アリスの言葉にその通りというふうに颯太はうなずき、ジョッキに残ったビールを煽る。
「共通点ではなく、相違点で物事を見るべきだ」
「相違点?」
「サロゲートはラジコンさ。この国のどこかにあるオペレーションルームから、人工衛星を経由して信号を飛ばして、地球の裏側にある人型の金属の塊を操作する。動かすのは人間だ。一方で、アンドロイドには人工知能があって、一人ひとりが独自に判断し行動できる。一人ひとりが個性を持っていて、その独立性は人権を与えられてもいいぐらいのものだ」
いつも飄々としている颯太にしては珍しく熱のこもった口調だった。颯太はアンドロイドを「一台」と数えず、「一人」と言った。そこにアンドロイドへの愛情があった。だから、アンドロイドとサロゲート、颯太にとっては全く異なるものを一緒くたにされて、アンドロイドは人殺しの道具だと言われることに耐えられないのだろう。
「アンドロイドに人権か」
「反対派の人間が聞いたら怒るでしょうね」とアリスが言い、颯太が引き取る。
「特に過激派の連中はな。またどこかから何体かアンドロイドを拉致して、破壊するに違いない」
「こないだのやつは特にひどかったな」
ぼくが水を向けると、颯太は身震いした。
「電源を入れたまま、アンドロイドの首を切るなんて残酷すぎる」
「先週だったか」
「ああ。セレンディップのロビー活動が過激派の怒りをかった。あいつら、セレンディップに破壊されたアンドロイドのボディを送りつけてきたんだ。脅迫のつもりなんだろうな。残骸からデータを取り出して、アンドロイドのログを解析してみたら、ひどいもんだったよ。恐怖と痛みでいっぱいだ。予想できたからやりたくはなかったが、犯人を特定するためだから仕方がない」
アンドロイド反対派の中の、特に過激派と呼ばれる集団は、何かにつけてアンドロイドを連れ去っては破壊し、破壊の様子をネット上に公開する。
法律上、アンドロイドはモノだ。アンドロイドは人工物なのだから、仕方のないところではある。アンドロイドが傷つけられたとしても、傷つけた人間には、軽い刑罰しか発生しない。
一方で、アンドロイドはその人工知能のおかげで、動物のペットと同じく、人間と信頼関係を結ぶことができる。人間と同じように話し、コミュニケーションができるから、時にその関係はペット以上のものとなる。子どもの独り立ちを機に、子ども代わりにとアンドロイドを導入する家庭も多い。
そんな、モノ以上の存在になったアンドロイドが、ある日突然行方不明になり破壊されて返ってきたら。その所有者の悲しみは相当なものになるだろう。器物破損なんて軽い罪で裁かれたら、納得がいかないはずだ。
だから、セレンディップを中心とするアンドロイド人権派が政府に働きかけた。アンドロイドを破壊した場合は、より重い罪に問えるような法律をつくってほしいと。そのロビー活動が過激派の怒りをかって何体かのアンドロイドが犠牲になった。
「まるで人間を殺しているみたいだった」
颯太は惨劇をそう形容したが、ぼくには違和感があった。
「人間だったらもっと血が――」
そこまで言ってからぼくは気づく。監視官であるぼくは、人の身体から血が流れることを知っている。だから、首を切られたアンドロイドが一滴の血も流さなかったのを見て、これはモノの破壊だ、人間の死とは別物だと、切り分けてみることができる。
けれど、穢れたコンテンツに接触したことがない颯太は違う。人の身体から血が流れることを、当然ながら知っているけれど、実感はないはずだ。血は穢れの中でもかなりの上位カテゴリーにあるから、日常生活を送る上では、出血を伴うコンテンツを見ることはない。
ニュースなどに使う映像に血が映りこむときは、映像が加工されて、血は跡形もなく消えてしまうし、子ども向けのアニメなどで正義のヒーローに倒される悪役は、血を流すことなく爆発四散する。だから、血を流さずに首を切られたアンドロイドは、颯太の中では首を切られて死んだ人間と同じように見えるのだ。
「アンドロイドのああいう映像は、規制の対象にならないのかよ」
「それは難しい。アンドロイドは人間と違うから。法律的にはモノの破壊と一緒だし、ブリーチのネット走査システムも、アンドロイドに対する暴力を抽出してくるようには作っていない。融通が利かないんだ。前に颯太が言っていただろう?」
「融通の利かないアルゴリズム」颯太はため息をついた。「その通りだな。柔軟なアンドロイドの人工知能とは大違いだ」
邑岡秀喜が開発したアンドロイドの人工知能。邑岡はセレンディップの研究員だった。
今世紀の始めから、コンピュータは指数関数的な進化をしてきた。今でこそ、その速度は鈍化したけれど、その進歩の速度は人類に夢を抱かせるには十分だった。このままコンピュータが進化していけば、いずれ人間のような知性を持つ存在を作り出すことも可能だという夢だ。
実際、今世紀の初めまでにはコンピュータに幾千万の画像を読み込ませることで、コンピュータが猫を猫であると認識できるようになった。
それは確かに大きな進歩だったけれど、それだけだった。
猫が猫であるという認知判断は、人間だったら四歳児でもやっている。子どもにできることを、数千万もするスーパーコンピュータを使ってできるようになったところで何になるだろう。
人工知能が研究室から飛び出し、現実世界に浸透するためには、もっと飛び抜けたアイデアが必要だった。
そもそもコンピュータと人間の思考回路は、その性質からして異なる。
コンピュータは人間から与えられた作業を、あらかじめ定められた規則にしたがって実行する。だから、計算速度で人間を大きく上回るコンピュータは、ルールのはっきりしたボードゲームのようなものでは人間を凌駕することができた。
一方で、コンピュータの処理速度は人間と比較にならないほど速いけれど、その性質はどこまでも受動的だ。ルールがなければ動くことすらままならない。ルールが明確でない現実世界に放り込んだとき、コンピュータと人間の力関係は逆転する。人間は予想されていない事態に遭遇しても柔軟に対処することができるけれど、コンピュータはエラーやフレーム問題に陥ってしまう。
コンピュータは融通が利かない。
人間が持つ知性と、コンピュータが達成していた知性を比較し、邑岡は次の結論に至った。
半導体を集積して作られる既存の線形的なコンピュータは、人間から与えられた硬直的な手順を高速で実行することに優れている。けれど、移ろいゆく環境の中で人間のように柔軟な判断を下すことは、原理的に不可能に近い。人間同様の知性を作るには、これまでのコンピュータの枠組みから離れなければならないと。人工知能はコンピュータの延長線上にあると考える研究者が多い中で、邑岡秀喜の考えは異色だった。
おりしも人間の神経細胞の機能を模倣したニューロチップが開発され始めた頃だった。邑岡秀喜はそれを利用して従来のコンピュータとは異なる人工知性を作ろうと考えた。人間の知性の源は脳にある。脳は数億の神経細胞の塊で、それぞれの神経細胞が独立しながらも相互に関連し合い、柔軟な演算を行う。その結果、意識が生まれる。
邑岡は存在しうる限りの自律分散システムの制御理論を総動員して人工知能のフレームワークを設計した。その作業は困難を極めた。
従来のコンピュータは線形理論で動いていた。だから設計が容易だった。けれどニューロチップ型のコンピュータを積み重ねてできたシステムはカオス系だった。カオスを制御するのは原理的に困難だ。
それでも邑岡はあきらめることなく、人工知能の人間らしさを測定する人間関数を開発し、それを評価関数とした遺伝的アルゴリズムで最適解を探し出してブラッシュアップをくり返した。人間の学習を再現するために、ニューロチップが時間発展的にランダムに結びつきながらも、全体としての「人間的な」バランスは崩壊しないような制御理論を作り上げた。その理論は、ランダム制御と名付けられた。「ランダム」と「制御」という矛盾した単語が結び付けられた理論の名にその異色さがうかがえる。その作業は誰もができる再現性が重視されるテクノロジーの世界において、邑岡にしかできない職人技ともいえるものだった。
当時、邑岡はセレンディップの研究員だった。セレンディップの社内の誰もが「成功するはずがない」といって嘲笑するなかで、邑岡は自分を貫いた。その結果、アンドロイドの人工知能の開発は成功し、誕生から三十年近く経った今も、セレンディップの独占技術だ。人間の知能という、世の中で最も複雑なものを体現した人工物は、他の企業の数十歩も先を行っている。似たようなものを開発している企業はいくつかあるが、邑岡が開発した「人間らしさ」にはどこも及んでいなかった。
「前時代的で直線的なアルゴリズムとは違って、有機的で柔軟な人工知能。それこそがアンドロイドを特徴づけるものなんだ。サロゲートはただのラジコンさ。二足歩行ができるし、オペレーターはサロゲートのいる何千キロも離れた場所を仮想現実を通して、今、自分がいる場所として感じることができる。とても高度な技術の塊であることは否定しない。でもそれはアンドロイドの延長線ではなく、ラジコンの延長線だ。とても高価な人殺し用のラジコン。サロゲートとアンドロイドが同じ身体を持っていたとしても、その本質は違う。サロゲートはただのあやつり人形で、アンドロイドは人工知能という魂の入った有機体なんだ」
颯太の演説が一段落したところで、個室のドアを叩く音がする。
「失礼します」
店員が来て、なみなみとビールの入ったジョッキを颯太の目の前に置く。ジョッキの縁から泡がこぼれた。店員はこぼれた泡に気を止めることなく部屋を出ていった。目はうつろで、動作は緩慢だった。アリスがテーブルを拭きながら、ぼくと颯太にジョッキを回す。それを受け取りながら、颯太が口を開いた。
「今の店員、アンドロイドか人間か、どっちだと思う?」
「人間だろ」
「どうしてそう思う?」
「全然、生き生きとしていない」アリスとは対照的だった。「人間らしさを感じない」
ぼくがそう言うと颯太とアリスは笑った。
店員が去った後の個室の出入り口を眺めながら、颯太は言った。
「最近、思うんだ。アンドロイドと人間の差が縮まったというけれど、本当にそうなのかって。確かに、この世に誕生したときのアンドロイドは人工であることが丸わかりの、どこか不自然な見た目をしていた。その後、より自然に見える人工皮膚とかが開発されて、人間に近づいた。けれどそれは初期のアンドロイドの話だ。この十年は外見に目立った技術革新はない。内面は昔からあまり変わっていない。手を入れようとすると、邑岡が作った絶妙なバランスが崩れてしまうから。それなのに、人間とアンドロイドの差は確実に縮まっているとみんなが言う。それどころか、陽の言うように、アンドロイドのほうが人間らしいと思うことさえある。それが不思議なんだ」
アンドロイドは人間に近づいたっていうけれど、人間のほうがアンドロイドに近づいたんじゃないか。颯太はそう言った。
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