反対運動

「セレンディップはアンドロイドの製造を停止しろ」

 セレンディップ前の広場を占拠する集団から、拡声器で増幅された声が飛び、参加者の合唱が拡声器の声を追いかける。

「停止しろ」

 ぼくは集団から離れた位置で、遠巻きにその様子を見ていた。

 セレンディップは世界で初めてアンドロイドを発明した企業であり、現在でもアンドロイドをほぼ独占して製造している。アンドロイドを名乗る製品は他のメーカーからも多数出ているものの、本物はセレンディップ製のものだけというのが一般的な認識だった。

 世界が人手不足にあえぐ中、アンドロイドの需要が尽きることはなく、セレンディップの富は膨らむ一方だ。それを象徴するかのようにターミナル駅から徒歩五分という一等地に巨大な社屋を構えている。

 メインストリート沿いに建てられた六十階建てのビル。ビルの前にはこの企業の懐の寛大さを示すかのように広場が設けられていて、通常であれば市民の憩いの場となるつくりだ。

 けれど広場が憩いの場になっているところは見たことがない。騒がしいデモ隊がセレンディップへの抗議活動のためにいつも座り込みをしているからだ。

 日本が人口の減少にあえぎ始めたのは二〇〇〇年初頭のこと。日本で顕在化したその現象は、瞬く間に世界中で見られるようになった。

 先進国は言うに及ばず、二十世紀の人口爆発の中心となったアフリカや東南アジアの国々でさえ、人口減少に直面している今の状況を、予想できた人間はいただろうか。

 医療が発展し、世界の平均寿命は伸びたけれど、それを上回る速度で出生率が低下していった。

 人口は減少傾向にあったが必要な労働力は変わらない。むしろ高齢化によって、ケアが必要な人間が増えたことで、社会を維持するためのコストは増加した。

 そもそもの人口が減少しているのに、必要な労働力は増加する。そんな事態になってしまえば、人間の力だけで社会を支えることは不可能で、救世主となったのがアンドロイドだった。

 人間が生まれてから労働力として機能するまでに二十年前後の時間が必要だ。けれど、アンドロイドの場合、受注から生産までに一年ていどの時間で労働力として計算できる。人工的な労働資源であるアンドロイドは、自然の摂理とは関係なく増やすことができる。もちろん工場の生産能力や部品の数といった制約はあるけれど、人間の数を増やすことに比べれば、はるかにたやすい。

 生まれた子どもが働けるようになるまでに早くても二十年。さらに食費や教育費といったコストが加わる。それならアンドロイドを作った方が早いし安上がりだ。

 アンドロイドに搭載された人工知能に、人間と変わらぬ生活を送るための一般常識だったり、就業に必要な職業機能をインストールするのに、場合によっては一年近くかかるけれど、人間を産み育てるよりはずっと早い。

 セレンディップが設定しているアンドロイドの耐用年数が十年というのは四十年以上働ける人間と比較すれば珠にきずだが、アンドロイドを導入するメリットに比べれば、そんなデメリットは無視できる。

 アンドロイドのランニングコストといえば、セレンディップに毎月払う使用料と毎日八時間の充電に使う電気代くらい。使用料は個人で払うには躊躇するような額だけれど、人間を雇うことで発生する人件費に比べれば圧倒的に安い。おまけにアンドロイドは不平不満を言わず、労使交渉にも縁がない。

 聞き分けがよくておまけに安い。人間でそんな人材を探そうと思ったら、なかなかに骨が折れる。

 アンドロイドが誕生したとき、期待された役目は人口減による労働力不足を補うことだったけれど、こんな理想の労働資源が、不足の補充だけにとどまるはずがなかった。アンドロイドは労働力が不足していない分野にも瞬く間に導入され、人間はとって代わられた。

 労働力は次々とアンドロイドに置き換えられ、職にあぶれる人が増えた。

 人工知能が普及したとき、人々は単純作業から解放され、よりクリエイティブな仕事に集中することができると、まるでアンドロイドが人間の創造性を取り戻すための福音であるかのように囁かれたこともあったが、現実には創造性を持つ人は少数派で、単純作業がなくなると困る者が大半だった。

「セレンディップはアンドロイドの製造を停止しろ」

「停止しろ」

 広場の集団は同じ言葉を繰り返す。単純作業だった。

 アンドロイド反対派の中心にいるのは、アンドロイドの普及によって職を追われた者たちだ。この人たちは自分の生活がかかっているから活動に熱心で、目は血走り、髪には脂が浮いて光っている。余裕のない状況がこちらにも伝わってくる。

 次に大きな勢力を持つのは、宗教的な理由でアンドロイドを糾弾する人たち。彼らの主張は、遺伝子工学の黎明期、その学問へ向けられた批判に似ている。生物の神秘を解き明かし人間の手を加えることと同様に、人間のように思考し、行動する機械を作ることは神への冒涜に等しいというのだ。彼らはきれいな身なりをして、達観したような表情を浮かべているからすぐにわかる。その振る舞いからは余裕さえ感じられて、職を追われた者たちとは対照的だ。

 これら二大勢力に、その他の動機をもつ人たちと、単にお祭り騒ぎに参加したい人たちが加わって、セレンディップ前の広場のアンドロイド反対運動は形成されている。

 集団の何人かは手にプラカードを持って、セレンディップを糾弾するスローガンを掲げている。

 スローガンは流動的だ。数ヶ月、同じ言葉を掲げているときもあれば、二、三日で変わることもある。

 今日は『セレンディップの人間性はどこに?』というものだった。

 文字の背景には、銃を構える兵士の写真がある。それを見て、彼らが何を指してそのスローガンを使っているのかはすぐにわかった。

 二日ほど前、政府から依頼を受けた企業が運用するサロゲートが、地球の裏側の紛争地帯でとある施設を破壊した。ところがその施設は一般市民の集落であったことが発覚。複数の民間死傷者が出たというニュースが世界中に広まった。

 どんなに入念に設計されたシステムであっても、エラーは必ず存在する。そもそもシステムを作り、操る人間がエラーの塊みたいなものなのだから。それが誕生してから日が浅いシステムならばなおさら。サロゲートのシステムは構築されてからまだ数年しか経っておらず、成熟しているとはいえない。会議室で想定できるトラブル以外にも、現場で発覚するトラブルというのが必ずある。そういったものは、トラブルが起こるたびに対策を講じるしかなく、エラーをゼロとするのはほぼ不可能だ。

 何を隠そう、間違って集落を襲撃してしまった会社はブリーチだった。ブリーチのサロゲート部隊は身体や姿勢制御にセレンディップのアンドロイドの技術を応用している。その繋がりを理由にして、セレンディップは糾弾されている。

 当然、ブリーチの前にも抗議隊はいたけれど、セレンディップの広場に集まっている人数の方が圧倒的に多い。ブリーチは数十人規模で、セレンディップは数百人規模だ。

 なぜ当事者であるブリーチよりも、セレンディップのほうが責められているのか。単純に注目度の差だろう。

 アンドロイド反対派はアンドロイドとその製造元であるセレンディップを糾弾するネタに飢えている。だから、アンドロイド反対派がサロゲートのスキャンダルを足がかりに、セレンディップへの攻撃の手を強めるのは当然のこと。ネット監視とサロゲートなんて、ハナから怪しげな事業をしているブリーチが何か間違いをおかしたところで意外性がないし、責めたところで彼らにとって利益はない。

 広場を占拠する反対派が持ち込んだプラカード大の液晶パネルに、次々と画像がスライドショーで映し出されていく。

 難民キャンプに入るため、行列を作る現地住民。包帯を巻かれた子ども。ブリーチのサロゲート部隊が参加している紛争の悲惨さを訴えるために、使用しているのだろう。このような悲惨な状況を作り出したのは、人間性の欠如したセレンディップだ、と主張するための画像だ。

 けれど、普段から吐き気がするほど悲惨な穢れたコンテンツを閲覧している監視官の立場としては、いささかインパクトに欠けると言わざるをえない。人間性はどこに、と問いかけるなら、もっと人の心を揺さぶるようなコンテンツにしなければ。

 腹が切り裂かれながらも生きていて、苦悶の表情を浮かべながら、愛する人や母の名前を繰り返す人間とか。

 無人機の爆撃にあい、四散した肉片や、黒く焼け焦げてくすぶった死体とか。

 もちろんそんな刺激の強い画像や映像の類をこんなオープンな場所で掲げることは違法だ。ネットの仮想世界でさえ穢れたコンテンツを人の目の触れるところに置いてはならないのだから現実世界ではいっそう規制も罰則も厳しい。

 穢れたコンテンツを現実世界でばら撒けば、穢れに耐性のない一般市民は卒倒することだろう。そうなればすぐに警察が出動し、デモ隊は心的傷害罪で連行される。

 広場のシュプレヒコールがやみ、拍手が起こる。抗議隊の急ごしらえのステージの上に立ち、唾を飛ばして演説を始めたのはこの運動のリーダーらしき人物だった。

「セレンディップは機械人形に人間のように考え、思考する、いわば心のようなものを吹き込んだ。彼らの仕事は成功した。それは認めよう。けれど、彼らは機械人形に心を吹き込むことに熱心だったくせに、自らの心を失うことには無頓着だったようだ。セレンディップはアンドロイドの技術をもって紛争に介入し、世界に穢れをまき散らしている。セレンディップは心を失ってしまっている」

 プラカードの言葉に合わせてか、風に乗って聞こえてくる演説の中には、心という人間性を連想させる言葉が並んでいた。けれど、それはとても抽象的な言葉で、全く意味をなしていないようにぼくには聞こえた。たぶん、あそこに立って叫んでいるリーダーもそれに同調して声を上げている参加者も、心や人間性というものが本当はどんなものなのか、理解していないだろう。

 そもそも人間性は何なのだろう。

 きっとこの人間性という言葉は流行語に過ぎなくて、一時の役目を終えれば使われなくなるのだろう。

「お疲れさま、陽」

 広場に響くデモ隊の喧騒の隙間から、聞き慣れた女性の声がする。

「お疲れ、アリス」

 声のしたほうを振り返り挨拶を返す。セミロングの髪を風に揺らして、ワンピースにジャケットを羽織ったアリスが立っていた。可愛らしい雰囲気で、そのあたりをひとりで歩いていれば、見知らぬ男から声をかけられることもあるだろう。

 でもそれもアリスが人間だったらの話だ。

 ワンピースから覗く胸元には、セレンディップのロゴマークがLEDのバックライトに照らされて、皮膚の下から透けて見えていた。アリスは颯太の研究をサポートするアンドロイドだ。ぼくらと年恰好の変わらない外見で、アンドロイドらしい均整のとれた顔立ちをしている。それは特別なことではなく、セレンディップは世界中からサンプリングした人間の頭部モデルから、複数のサンプルをランダムに混ぜ合わせてオリジナルのアンドロイドを造るから、必然的に顔立ちは美人の条件であるという平均顔に近づく。

 作り物であるにも関わらず、瞳の奥には生命力を感じさせるみずみずしい輝きがあって、そのへんにいる人間よりも人間らしかった。

「颯太は?」

「ラボに忘れ物をしたって言って、一度戻ったの。もうすぐ来ると思うよ」

 アリスがセレンディップの正面玄関のほうを指さすと、ちょうど颯太が出てくるところだった。

「悪い。待たせた」

 小走りできた颯太が言う。誰もが好感を抱くアリスとは対照的に、颯太の服はよれよれで、無精ひげを生やしていた。小学校以来の付き合いだが、思春期のころでさえ颯太が身だしなみに気を使っているところを見たことがない。

「そんなに待っていないけど」

 颯太の謝罪にぼくは応えた。

「今日、アリスも一緒でいいか?」

「もちろん」

 ここでアリスと別れる理由もない。颯太とアリス、ぼくの三人で食事をすることはそれほど珍しくなかった。

「よかった。じゃあ、行こうか」

 颯太を先頭に、ぼくらは歩き出す。

 広場のデモ隊の喧騒はまだ続いていた。

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