ブリーチ

 ブリーチが行うネット監視の源流は、通信会社が始めたフィルタリングというサービスにさかのぼる。

 二十一世紀の初め、コンテンツが急速に増殖し、複雑さを増したインターネットには、暴力的で性的な、今で言うところの穢れたコンテンツがかなりの割合で混ざりこんでいた。

 子を持つ親たちは、そうした穢れに自分の子どもたちが傷つけられないように、汚染されないようにと望み、通信会社はその要望に応えるために、子どもが使用する情報端末では穢れた情報にアクセスできないようにフィルタリングサービスを始めた。

 当初は子ども向けだったフィルタリングも、穢れたコンテンツを徹底的に排除したピュアネットという形で、今では全年齢を対象に行われている。

 ピュアネットの構想は昔からあったが、長いあいだ実現することはなかった。穢れの拡散に対する懸念よりも、表現の自由の制限や、検閲への恐怖が優勢だったからだ。

 大人も子どもも分け隔てなく公平に、フィルタリングされた情報にだけアクセスするようになったのは最近のこと。

 きっかけは二〇四〇年の世界的な混乱だ。

 その年の夏、世界各地でテロが起こった。いや、テロというのとは少し違うかもしれない。それらテロを起こした実行犯たちに、政治的な目的も、宗教的な信念もなかったのだから。テロというより暴力といったほうが近い。

 何人もの実行犯が声明を残したけれど、そこには「殺したいから殺した」というような動機にもならない自己撞着しかなく、初めのうちはどこの国も、頭のおかしい人間が犯罪行為に及ぶという事例が続いただけという受け止め方で、大した焦りもなく事態を眺めていた。

 殺人を犯したい人間が、社会に何人もいるわけがない。

 世界は人間の善性を信じていた。

 だから、この単発のテロの連続が、大きなうねりとなって世界を覆うことになるなんて、初めは誰も予想していなかった。

 けれど、動機のないテロをいくつか見たことで「自分にもできる」という自信が生まれたのか、心に異物を抱えていながらも社会に適応していたサイコパスたちが次々と武器を手にして、世界各地で暴力を振るい始めた。

 やがて彼らは、アモルファスと名乗り始めた。

 暴力の実行犯たちは口々にアモルファスと名乗ったけれど、同じ名前を語っていても統一された目的はなく、お互いにつながりもなかった。

 ただ単に自分のやりたいことをやるだけの、勝手気まま人間の集まり。そこに政治的な意図はなく、宗教的な動機もない。

 あるのは反社会的な行動をただ楽しみたいという、暗く純粋な欲求だけ。その欲求はネットを通じて伝播して、同じく暴力を振るいたいという賛同者を獲得していった。

 始まりはどこで起きたのかもわからない小さな波紋。

 その波紋の先で、新しく石が投げ込まれ、新たな波紋を生んでいく。

 無数に起きた波紋は重なりあって、凪いだ湖面のように静かだった世界は、嵐の海のように荒れた。

 そうして穢れは無秩序に広まって、世界は混沌へと転がり落ちていった。

 ヨーロッパでは天然ガスのパイプラインが占拠され、冬になっても暖をとれずに一万人近くの人間が凍死した。

 アメリカでは核施設が襲撃された。奪われた兵器が使用され、ニューヨークのど真ん中に、大きなクレーターができた。

 日本でも化学プラントが占拠され、そこで作られた有毒物質が隣接する住宅地に向かって撒かれた。

 その他、単発の殺人事件や強姦事件など、規模の小さな無数の暴力の犠牲者・被害者を数えると、その数は世界で数十万人規模になるという。

 ただ単に暴力を楽しみたい。

 そういう人間が集まったアモルファスに明確な指揮系統は存在しなかった。どこを叩いてもしなやかに変化し恒常性を保つ、自律分散的な構造を持つ組織だった。

 そんな組織に立ち向かうノウハウを、どこの国も持ち合わせていなかった。

 固く繋がった結晶構造のような組織ならば、ノードを一つ失うだけで全体が脆くなる。けれどネットを媒介にして、構成員が緩くつながり、自律的に行動するアモルファスは、ノードをいくつ失っても、その欠落はしなやかに修復されて、組織構造全体が壊れることはなかった。

 一人のカリスマよって率いられていたり、中央集権的で司令塔を持つ組織ならば、その権力の中枢を叩けばよい。けれど、アモルファスには狙うべき中心部が存在しない。

 小集団の集まりが、それぞれ好き勝手に行動している。

 普通なら、そんな組織はすぐに自壊するはずなのだけれど、ただ反社会的な行動をしたいという純粋な欲求のもとに結成されたアモルファスは、その純粋さゆえにしなやかに組織を維持することができていた。

 結局アモルファスによる混乱は世界中で二年近く続き、最後は各国政府がインターネットを一時的に遮断することで解決された。通信手段を失ったアモルファスは徐々に勢いを失い、消滅した。

 混乱が収束した後、人々はネットを元通りにすることを望まなかった。アモルファスの快進撃を支えたのがネットだったというのが理由のひとつ。元通りにしたところで、第二、第三のアモルファスが生まれるのはではないかという恐怖があった。

 もう一つの理由は自衛のためだ。アモルファスが放った穢れは組織の消滅以降も、ネットにあふれていた。ネットサーフィンを楽しんでいたら、突然、目の前に人間の焼けただれた死体が映ったりする。そんな世界は誰も望まない。

 そういうわけでアモルファス対策として遮断していたネットを復旧させる際、多くの国がネットの検閲に踏み切ることを決定した。コンテンツを常時検閲するピュアネットを各国が設立した。ピュアネットはいわば上澄みで、その下層のレイヤーには旧来のネットが動いているけれど、一般の人間が接続できるのは、ピュアネットだけだ。

 言論の自由、表現の自由を叫ぶ人たちはまだいたけれど少数派だった。民主主義の世界では、少数派の意見はなかったことになるのがルールだった。

 日本も他の国と足並みを揃えるようにして、ピュアネットの構築を進めた。

 政府が資金をひねりだし、ネット監視業務を目的としたブリーチが設立された。

 そしてその監視業務の実行部隊が、ぼくら監視課のネット監視官というわけだ。

 アモルファスが消滅してから、もう二十年近く経つ。それでも、その記憶は鮮明で、社会の、ネットの穢れに対する嫌悪感は根強い。だから監視官には、ネットに溢れる穢れに対処するために、ハッキングまがいのことを行う権利が与えられている。

 穢れたコンテンツはウィルスのようなものである。

 それを野放しにしておくことはネットのような仮想世界のみならず、現実世界の治安にも影響しかねない。他人の行った、もしくは想像した穢れを楽しむだけだった人間が、いつ何時、それを実行する側にまわるとも限らない。

 それがネット監視を必要とする理由だった。

 さらにブリーチでは、ネットという公共の場にある穢れだけではなく、個人の所有している穢れも浄化する。個人所有の穢れであっても、遅かれ早かれネットに溢れ出すことになるはずだ。それを積極的に浄化することで、穢れが共有されることを未然に防止するのだ。

 社会が狂気に満たされないように、ネットを監視し守るのがネット監視官。

 その任務を果たすには、社会の狂気を見続けなければならない。狂気を直視し続けるには一定の適性が必要で、ぼくらネット監視官はその適性を証明するために、試験を受けている。

 穢れに対するストレス耐性を証明する試験。

 コンテンツの審査過程では、画面越しとはいえ屍体を拝むことになる可能性がある。ストレス耐性が高くなければ、監視官の仕事はやっていられない。

 もっとも、ストレス耐性の証明が必要なのは監察官だけではない。兵士や警察官、医者など、心的ストレスにさらされる危険性のある職業にも必要だ。

 兵士は人を殺すから。

 警察官は穢れた市民と接するから。

 医者は血を見るから。

 様々な職種の就労条件にストレス耐性の項目を設けられている。そうすることで社会は人を穢れから守っている。

 人が穢れに傷つけられないように。

 人が穢れに毒されないように。

 人が穢れずにすむ世界を、ぼくらは望んでいる。

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