23. 俺の話を。

 車内ではマコトセレクトのロックミュージックが小さな音で流されている。

ギターの音色をひずませ、度々ウィンウィーンとチョーキングするような派手なギターソロが特徴のこの荒々しい曲が最近の彼のお気に入りだ。

ヒカルはジャズ調の曲ばかり聴くのであまり耳馴染みはない。

 そんな荒々しさとは対照的に、ヒカルはバッグを膝に置き抱きつくようにしてうなだれていた。瞬きをほぼせず、目が乾いていく。

 そして彼は無意識的に何かを口走っていた。


「ごめんなさい、俺がいなかったから、ごめんなさいごめんなさい……」


 言葉を発すれば発するほどヒューヒューという呼吸音はひどくなる。そして次第にそれは言語の形を取らなくなり、奇妙な呻き声へと変化していった。

 しばらく何も言わずただ車を前進させていたマコトが、赤信号で止まったときヒカルの腕を掴んだ。

その掴む手が震えていて、ヒカルは怯えたように口を閉ざしてマコトの様子を窺う。


「ヒカルが自分を責めるのはわかっていた。俺の不注意だ、止められなくてごめん」

「違う、俺がいなかったから……」

「お前のせいじゃない。落ち着け、昔のことを思い出すな。これはお前の過去じゃない」


 頭が冷えてきて、何かを口走る代わりに涙がぽろぽろと零れる。

 もうオオサカから出たのか。あれ? 先の方が少し渋滞しているな。

 そういうことを思考できるようになってきた。

 ずっとぐすぐすと声を出して泣くヒカルを、今度はマコトは止めなかった。

ロックミュージックと泣き声が絶妙なハーモニーを奏で、彼らはトウキョウへ帰っていく。


 クリニックを警察や役所の児童課担当者などが囲み、物々しい雰囲気が漂っていた。

 イノウエが疲れ果てた顔で駆け寄り何かを言おうとしたが、ヒカルの泣き腫らして赤くなった目を見て口をつぐむ。

 手錠を掛けられたアミがパトカーに乗せられ、クリニックから出ていった。パトカーの窓越しに叫び声が漏れる。


「私じゃない! あの子が悪いのよ!」


 そのヒステリックな声は誰でも耳を塞いでしまうほど嫌な響きを生んでいた。

 マコトは全身が震え始めたヒカルの肩を支えてクリニックへと入る。

 タクミの部屋のドアは開け放されていて、その前に警察などに混じってカワムラの姿があった。彼は部屋の中を絶望の表情で見ている。

 部屋の中へ進むにつれてじわりと広がる血の臭いに2人は顔をしかめる。

ドア付近に3滴、血液が垂れていた。


「タクミくん」


 ベッドに座って顔を手の平で覆い、嗚咽を漏らすタクミに、ヒカルは優しく声を掛けた。

大声で泣かず、必死で堪えているようなその泣き方が尚更痛ましく感じる。

 顔を上げた彼の頬には、刃物で切りつけられたと思われる横一直線の傷があった。

そこから流れ出す血液と涙が混ざり合い、赤黒い液体がぽたぽたと胸元に落ちていく。

 そのときやっと、彼の腕に内出血の跡があることに気が付いた。殴られ、切られ、罵られ……ここで親子が過ごした時間を想像するだけでヒカルは目眩がする。

 1人の警察官が彼らに近付いてきた。彼は汗ばんでいて、疲弊しているようだ。タクミの様子をちらちらと窺いながら小さな声で話す。


「あの子に話を聞くことになっているのですが口を開いてくれません。僕らが近付くと嫌だ嫌だと繰り返すだけで」

「実は俺らも近寄れないんだ。だから外傷に効く香りはこの部屋に入れてるけど、あの傷口に直接治療が出来ていない」


 マコトもそう言った。

自らの力不足を恥じ、悔いるように。

 ヒカルはしばらく、また泣き始めたタクミを見つめていた。いや、見つめているというよりまるで遠いところを見ているかのようだった。

 そしてひとつ瞬きをしてタクミのほうへ真っ直ぐ歩き始める。


「やだ、僕をどっかに連れて行くんでしょ」


 片手で顔を覆い、もう片手でハエを追い払うかのように嫌だという仕草をする。

 ヒカルはそれにも構わず真っ直ぐ歩き、タクミの腕と脚にそっと手を置いた。タクミは体をびくりとさせる。

 いや、と再び振った腕をしっかり掴み、もう片方の腕も取って、タクミの小さな両手をヒカルの大きな両手で包み込んだ。

 2人とも恐怖や絶望のせいか手が冷たい。

しかし冷たいながらも、そのわずかな体温を分け合って互いに溶かし合っているかのようだった。

どちらかが消えたら、もうひとりも消えてしまう、そんな危うさを孕んでいる。


「これ以上考えなくて良い。タクミくんの言いたくないことは言わなくて良い。だから、この夜は俺の話を聞いてもらっていいかな?」


 タクミは手にぎゅっと力を込める。ヒカルの手にすがり付くように。

何を感じ取ったかはわからないが、タクミの心が少しだけ開いた。


「とりあえず怪我を治療して良いかな? ……俺、血の臭い苦手なんだ」


 そういって部屋を出たヒカルに続いて、マコトや警察官も部屋を出る。

 マコトは、ヒカルはわざと話を聞いて欲しいとか血の臭いが嫌いだとか、そういった自分本位な理由を付けてタクミと話す機会を作ったことに気付いていた。

タクミより“かわいそう”のように演じることで、自分が力になってあげようと思わせるために。

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