1-3
朝の日課を終え、続いて薪割をした。
落ち着くように吐く一息は白く、それだけで今の季節の寒さが身に染みてわかる。
薪割でかいた汗はすぐに冷えトキマサの体を冷やす。
動き始めたら暑いのに、やめた途端寒くなるこの季節にそろそろ時政は嫌気が来そうだ。
割った薪を抱え家に入る。
「暖かー」
家の中は暖炉が焚かれ、ヘルメスは火番と言いつつ正面のソファーに座って暇している。
時政は今はヘルメスの森の家に住まわせてもらっている。
ベルが穴に落ち、行方が分からなくなってから一年が経った。
最初王室はアイスベル王女が行方不明であるという事実を隠そうとしていたが、どこからかその情報は漏れて、城下の人々の間ではその話題で持ちきりになっていた。しかし、半年もすればその話をする人も減っていき、今では聞かなくなってしまっていた。
人の噂も七十五日と言うぐらいにその話題で話尽くしてしまえば、適当なものだ。
時政は抱えた薪を暖炉の横の薪置きに置き、ヘルメスが座るソファーとは違う一人掛けのソファーに腰を下ろす。
冷えた体を冷やそうと暖炉に向けて手の平を開けると、その手から金属がすれる音が幽かに聞こえる。暖炉に向けた手の平は、暖炉から受ける火のぬくもりを感じれない。
時政は癖で取ったその行動に嫌気がさす。
もう、この両手では何も感じ取れないのだから。
「もうその手には慣れたかい?呪いの代償に腕の二本喰われたわけだけど、まだ残っているからね。体調に変化があったすぐに言ってくれよ。僕は心配はないと思ってるけど」
一年前、ベルが穴に落ちた次の日時政の腕は一瞬にして四方八方に飛び散り肩から下の腕が爆ぜていた。
本当に瞬きの間に起きたそれは痛みが伴うまでに少しの時間を感じた。
そして、遅れてやってきた腕が絞られ砕かれるような激痛に脳が鋭利なもので刺される痛みに意識が飛んだ。
それは 朝の出来事だった。
時政が無意識に出した金切声のような叫び声でガルが部屋まで駆け付け、何かを悟り、ヘルメスの森の家に連れてこられた。1週間ほどの昏睡状態の後に起きた時政は無くなった両腕が工精な銀色の義手になっていた。
最初は物を握るのも儘ならなかったが、今では生身の腕のように扱えるようになってきた。たまにさっきのように鋼製の腕であることを忘れた行動を取ってしまう。
「大丈夫です」
「君がそう言うんだからそうなんだろうけど、これから本格的に冬になるから冷やさないようにしなよ」
「わかってますよ」
「そう言えばそろそろセツ君がくるんじゃないかな」
「そうですか、それじゃ、僕は出ていきます。夜には帰ります」
そう言って時政は席を立って自分の部屋に向かおうと体を向けて歩き出す。
「まだ、会わないつもりなのかい?もうそろそろいい頃だと思うけどね」
時政は手袋を嵌める。これで、両腕の義手は長袖と手袋で見えなくなった。
「えぇ、僕にはまだ会う勇気がありませんから。あと一歩が踏み出せないっていう感じですかね」
へらへらと笑って頬をその指で掻く。
十五歳の誕生日を迎えてからガルはベルの本国に向かう予定だったが、ベルは行方不明となり、現在は婚約保留となり、オールの城で仕事をしている。
セツはそれと同時に城からの解放だったが、現在もガルに仕えている。
あの日した約束は時政とセツは果たされずにいた。
仕方がないことだ。そう思いたいが、あの時、時政がベルの手を離さなければこんなことに、両腕が義手になることはなかった。
そう思うとどうしても、時政はガルにもセツにも顔を向けられない。
時政は階段を上り、自室に入る。
壁に懸けていた鞄を手に取り、読みかけの本を詰めて家を出た。
あの日以来ガルはおとなしくなった。
十五になってからはしっかりと仕事に打ち込むようになり、サボることは全くなくなった。
しかし、それは前までの友好的で活発な性格が一変したようにセツには感じられた。
業務の終了後と休みの日は一人にしてくれと、ガルはセツに休みを与えている。
なのでセツはその日はヘルメスの家で本を読む。それが習慣になっていた。
しかし、本当はあの日以来一度も顔を合わせていない時政を心配してここに来ている。
トキマサもガルも変わってしまったのはセツたちしか知らないベルの一件があったからだろう。そんなガルは今どうしても辛そうで心が疲弊しているように感じていたセツはトキマサなら元のガルに、仕事はしっかりしてほしいが元気な前までのガルに戻らせることができるんじゃないかと、ただ会いたいと思ていた。
目の前で大切な友達が消えた。それはトキマサにとっても酷く心を抉るような事件だっただろう。
もう少しすれば会ってくれる。いつか顔を見せてくれるはずだとセツは願うように思っていた。
「おはようございます、先生。今日もトキマサくんは居ないんですか?」
「やぁ、おはよう。さっき出掛けて行ったよ」
「‥‥‥そうですか…」
いつものことっと思っているのに、会えなくて、避けられてしまうことにセツは心が重く苦しくつらい気持ちを胸の中に抱えてしまう。
「‥‥‥‥‥いつになったら会ってくれるんだろう……」
ボソリと吐かれるその言葉に誰も答えない。そもそもここにはセツとヘルメスしか居ないし、離れたところで呟く言葉などヘルメスには聞こ得るはずがない。
「今日は冷えるからこっちで読むといいよ。この席が空いているからね」
ヘルメスはトキマサのいつも座る一人掛けの席を指さす。
今日は今年初めての雪が王都で舞った。森の方に来るとちらほらと積もって最近の寒くなっていく季節を感じさせる。
寒いのって嫌いだなとセツはこの家の書斎から一冊の本を本棚から抜き出し、暖炉の前の席に腰かける。
(トキマサくんも寒いのは苦手って言ったっけ)
そんなトキマサがセツが来る前に必ず出て行ってしまうことにもう一段と悲しく思ってしまう。
「どうしたんだい?そんな顔をして」
気が付くとセツの表情はその気持ちを表すようになっていた。
ヘルメスの言葉に返すための口は重く、開こうとする本もどうしてか重い。
この苦しい気持ちから分厚い本の中に逃げようとする自分を自分が止めたんだと理解した。
「‥‥‥私は、もうトキマサくんに嫌われてしまったのでしょうか」
ただ、そう口から洩れた。
言おうと思っていなかった気持ち。
言ってしまったら本当にそれが事実であることが確定してしまうような気がして避けて考えようとしなかった言葉がもう抑えることができなかった。
どうして避けられているのかわからない。きっと私が何かしたんだ。そう思い考えるがその何かがわからない。気づかないうちに何かしてしまったにちがいない。謝りたい。
トキマサの側に居たい。もっと一緒に居させてほしい。
無意識のうちに首に掛かる貴石を握った。
「そう、涙を流さなくてもいいよ」
「え、どうして、涙が‥‥‥!」
涙を零さないように我慢していたはずなのに気がつけば流れてしまっていた涙をセツは急いで拭う。しかし、一度流れ出た感情の涙は止められず次々と流れる続ける。
「トキマサは決して君を嫌ったりなんかしていないよ。僕が保証するよ」
「どうして、分かるんですか」
優しい微笑みを浮かべ安心させるようにそう言うヘルメスの言葉をセツはすぐには受け入れられなかった。信じれなかった。
「ただトキマサは自分自身を受け入れるのに時間がかかっているのと、怖がっているんだと思うよ。ああ見えてトキマサはヘタレでビビりだからね」
にかッとヘルメスは悪戯っぽく笑ってそう言う。
「だから、セツ君もう少しだけ待ってあげてほしいんだ。トキマサが自分から君に腕の事を言えるまでは」
「腕?どういうことですか?」
「フフフ、内緒だよ。それは本人から聞きなさい。それに本当にもう少しだからさ」
すべてを見透かしているかのようにそう言うヘルメスはそう言って席を立った。
「これでも飲みながら本でも読んで気長に待とうよ。今頃トール君がトキマサと喧嘩している頃だと思うからね」
「‥‥‥‥‥‥‥」
どうしてガルには会うのに自分には頑なに会ってくれないのかセツにはわからず心の中は苦しいまま、いつものように本を開いて今は考えるのを辞めた。
渡された暖かいハーブティーの入ったマグカップは冷えたセツの指先を温めた。
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