第54話 お仕置き

「ちっ!糞が!」


夜分遅く、居酒屋からふらつく足取りで一人の男が出て来る。

男は明かに不機嫌そうに、道端に落ちていたゴミを蹴り飛ばした。


「もう少しで大金持ちだったってのによ」


男は愚痴を零しながら、家路へとつく。

その途中、偶然知った顔を見つける。


「あいつ……へへ、丁度い。賭けなんて関係ねぇ。そうだよ、奪っちまえば良いんだ。あんなヘタレなんざ、ちょっと小突けばイチコロだ」


男はその相手の後をこっそりつける。

その場で声を掛けず後を付けたのは、人目のない場所で実行しようと考えたからだ。


丁度良く人気のない所へと進む相手を見て、男はほくそ笑む。

自分はついていると。


「よお!待てよ、ミテルー」


「バスか。なんだ?お宝を差し出しに来たのか?」


「へっ、そいつは次の賭けに勝ったらくれてやるよ」


「次の賭け?」


「ああ、次の賭けだ。殴り合いをして勝った方が相手の全部を貰うって賭けをよぉ!」


酔っ払い特有の無茶な賭けである。

普通なら無視されて然るべきものだ。


「良いぜ」


だがミテルーは表情一つ変えずそれを受ける。

彼はダンジョン運営に支障の出ること以外、基本的に誰かに大きく干渉する様な事は殆ど無い。

だが明確に喧嘩を売られれば話は別だった。


「へっ!後で泣き言ほざくなよ」


言うと同時にバスが拳を振り上げる。

ミテルーからすれば緩慢極まりない動きだが、彼は微動だにせずその拳を敢えて受けた。

彼は顔面に殴打を受けながらも微動だにせず、冷ややかに目の前の男を見つめている。


「どうした?腰が入っていないぞ?」


「くっ!調子乗んな!」


バスは今度は、その右足を力いっぱいミテルーの股間に叩きつける。

だがこれにもミテルーは微動だにしない。


「な、なんだってんだ!?」


バスは子供の頃から荒い性格をしており、喧嘩自慢の悪ガキだった。

腕っぷしに自信のあった彼は、冒険者となって伸し上がるつもりでこの英雄国へと訪れている。


だが現実は厳しい。

バス程度の腕では冒険者として生計を立てるのは難しく、さりとて大口を叩いて出て来た故郷に帰る事も出来なかった彼は、冒険者である事を諦め、生計を立てる為渋々ポーターとして糧を得るようになっていく。


「ポーター如きが!」


明かに自分の攻撃が効いていない事を悟り、バスは腰に下げていたショートソードを抜き放つ。


夢見た未来と飛燕する、只の荷物持ちの様な惨めな現状。

それを変える事の出来ない無力な自分への鬱憤。

そして同じ底辺ポーターでありながら、まんまと大金をせしめたミテルーへの嫉妬が彼を凶行に走らせる。


「殺してやる!」


もう賭けも糞も何もない。

興奮した彼は、目の前の気に入らない男を殺さなければ止まらなかった。


「剣を収めるなら、まだ見逃してやらん事も無いぞ?」


ミテルーのその声に感情は込められておらず、酷く無機質だ。

それは彼からの――圧倒的強者である男からの最後通告であった。

弁えるのならば見逃してやる、と。


だが、その温情をバスは――


「うっせぇんだよ!このバス様を舐めんな!」


相手の体を断ち切るかの様に、バスは力いっぱいミテルーに向かって剣を振るった。

だが彼の感情の全てを籠めたその一撃は、ミテルーの前でぴたりと止まってしまう。

彼が寸止めした訳ではない。


止められたのだ。

誰に?

勿論ミテルーにだ。


手にしていた剣が落ち。

続いてバスの体が崩れ落ちる。


「なんだ……これ……」


「安心しろ。魔法で麻痺させただけだ。後、酔い覚めもかけておいてやったぞ」


「魔法……ふざけんな……」


バスは必死に体を動かそうとするが、指先一つ動かせない。

酔い覚めの魔法の影響で急速に酔いがさめ、彼は自分の置かれた状況に恐怖を感じ始めた。


「ど……どうするつもりだ?」


「安心しろ。殺しはしない。ちょっと餌役・・をやってもらうだけだ」


「餌役……何を言って……」


「しかしあれだな、ここまで馬鹿だと本当に救いがない。ああ因みに、居酒屋でお前の前を横切って此処まで連れて来たのは……わざとだ」


ミテルーは視線だけで自分を見上げるバスに笑顔を向ける。

彼を見かけたのは只の偶然などでは無かった。

追いかけてきて自分に害を成すようなら、後々問題が起こると判断し、事前に処分するつもりでミテルーは彼を誘いだしたのだ。


「てめぇ……」


バスの苦しげな声の中に、恐怖の感情が強く含まれているのが分かる。

態と呼び寄せられ、こんな状態に追い込まれているのだ。

恐れるなと言う方が無理だろう。


「さて、一応言っておくか。ようこそ、パンデモニウムへ」


瞬間、視界が暗転し、バスの転がっていた筈の道端が硬い岩盤へと変化する。

周囲からは地に響くような重々しい雄叫びが轟き、ドサリと音を立てて、何かがバスの隣に落ちて来た。


「ひっ!?」


それを見てバスは悲鳴を上げる。


それは人間だった。

但し口元はだらしなく開き、そこから涎がぽたぽたと滴り落ちている。

さらに瞳孔は開き切り、それが尋常ならざ状態である事は一目瞭然だった。


「これからお前の同僚になるゲリルって男だ。他にも3人いる。これからずっと一緒にやって行く仲間だ。仲よくしろよ」


そう言ってミテルーは指を鳴らした。

それは魔法を解いた合図だ。

急に体が軽くなったバスは勢いよく起き上り、周囲を見渡す。


「なんだこれ……夢……か………夢だよな?なぁ?」


周囲には、新たな餌に寄って来た巨大な魔物達が居並ぶ。

それを見たバスは、今自分に起こっている事が夢だとしか思えなかった。


「ああ、そうだな。これは夢みたいな物だ」


「だ、だよな……こんなの現実じゃない……」


現実なら死ねる・・・・・・・。だが、悪夢に終わりはない・・・・・・・・・。最高の悪夢を楽しんでくれ」


そう笑顔で言い放つと、ふっとミテルーの姿が消えてなくなる。

同時に魔物達が我先にと獲物に喰らい付いた。

2匹が同時に齧りついたため、バスの体は真っ二つに裂けてしまう。

だが直ぐに新しいバスが補充される。


「ひぃぃぃぃぃ!!」


悲鳴を上げるバスに再び魔物達が群がって襲う。

直ぐ近くにはゲリルの抜け殻があるが、其方に魔物は見向きもしない。

魔物達にとって動かなくなった獲物より、悲鳴を上げる生餌の方が遥かに魅力的なのだ。


体を引きちぎられ。

粉々にする潰され。

丸呑みされて胃の中でゆっくりと解けていく。


そんな地獄の中、バスは夢なら早く覚めてくれと天へと祈る。

だがその願いは決して聞き届けられる事は無い。

苦しみに狂った彼の心が張り裂けるその時まで、地獄は続くのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「その時は御贔屓に頼むよ」


「ざーんねん!パンデモニウムにはロビーから飛べちゃうから、暫くはミテルーの出番は無しだよ」


「ははは、そいつは残念だ」


「じゃあ買い物の途中だから、あたしいくね!」


そう言うとフィニーは手を振りながら行ってしまう。

まあいくら神器が手元にあるとはいえ――手に入れた6本の神器は彼らがそのまま使用できる様に取り計らっている――あの様子では、本格的な攻略を始めるのはまだまだ先の様だ。


ミシェイルの方も大分手こずっている事を考えると、少々難易度を上げ過ぎた気がしなくもない。

流石にあまりにも進展しない様なら、魔物の数を減らすなりして調整する事も考えよう。

まあ暫くは様子見だ。


「んじゃ、俺達は帰るとするか」


「はい!」


俺はカイルを連れ、国営の特殊な宿屋への帰途に就いた。

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