『呪いに魅せられし少女』前編

 アリスは隣国の山奥でクレスと二人、慎ましやかに暮らしている。


 しかし、愛する人と心穏やかに……とはいかなかった。


 右の小指に刻まれた忌々しい銀色の文字を見つめると、アリスの心には暗い影がさした。


「どうしてかしら? 城にいたときより、自由な筈なのに……」


 ◇◇


 婚約者を呪い殺せれば、アリスは結婚しないで済む。

 大好きなクレスとずっと一緒にいられる。

 そう思っていた。


 婚約が流れ、傷ついたふりをすればいい。

 一生、婚約者の喪に服している様に振る舞えばいい。

 もし、次の結婚の話が来ても、妹に譲り、ずっと城に居座り続けようと考えていた。


 しかし、呪いは失敗した。


 小さい頃から、気に入らない人間に小さな呪いをかけていた。

 それと同じで、死の呪いだって上手くいくと思っていた。


 でも、自分が死にかけた。


 婚約者は毛皮好きで、動物の襟巻きやマントなど、身体中に毛皮を身に付けていた。


 アリスが得た髪の毛は、婚約者の物では無かったのだろう。

 だから、上手くいかず、呪いが還ってきてしまったのだ。


「運のいい人……」


 アリスは指に刻まれた誓約の証に視線を落とした。

 そこらの魔法使いが執り行った誓約なんて、簡単に破れると思っていた。


 しかし、どうしても解けない。


 呪いはアリスにとって唯一の楽しみだった。

 弱っていく相手を観察するのは面白かったし、自分にしか相手を救うことが出来ないと思うと、笑いが止まらなかった。


 あの快感を楽しめないなんて……。


 いくら愛するクレスが側にいてくれたとしても、物足りなかった。


「あの噂が本当なら……」


 ◇◇


「それで……。この誓約を解いて欲しいのね?」

「はい。ある魔法使いが、私の魔力を恐れ、力を制御されてしまったのです」


 涙をポロポロと流すアリスに、北の魔女アネットは胸を痛めた。アリスのか細い指を手に取り、誓約の証を確認する。


「……これは私には解けないわ。誓約書を燃やさないと無理そうね」

「だったら、その誓約書を燃やしてください。私は誓約により、その誓約書がある国には入れないのです!」

「そうなのね。……その誓約書を書いた魔法使いは、誰?」

「セオドリック=シルヴェストです。でも、誓約の証を立てたのは助手の少女でした」

「セオドリック=シルヴェストね……」


 アネットは腕を組みアリスを見つめた。

 これがセオが言っていたアリス姫だと確信する。


 流れる艶やかな金髪。

 仄かに光るエメラルドの瞳は、涙で濡れている。


「その誓約を解いて、貴女は誰を呪うの?」

「な、何でそんな事を言うの!?」

「だって、そうでしょう?」


 アリスはアネットの迷いのない言葉を受け、自分を偽ることを止めた。


「フフフっ。そうよ。貴女だって、数多くの人々を呪ってきたのでしょう?──なら、分かるでしょ?」

「……? 何を?」


 きょとんと首を傾げるアネットに、アリスは拍子抜けした。しかし、アネットからは自分と同じ様な匂いを感じ取っていた。


「何をって……。楽しいじゃない。誰かを呪うって。私の力で、気に入らない人間を簡単に苦しめる事が出来る。でも、私が解けばすぐに良くなる。その人は私次第で、良くも悪くもなるのよ。最悪、死すら与えられる。──最高じゃない!?」


 感情を顕にしたアリスに、アネットは優しく微笑みかけた。


「……そう。貴女はまた誰かを呪いたくて誓約を解きたいのね」

「ええ。そうよ。でも、それだけじゃないわ、私も貴女と同じよ。北の魔女さん。……私も貴女みたいに、困っている人を助けたいの。私の力で。──だから、私を助けて……」



 頬を伝う涙は美しく、アリスの儚げな美貌を引き立たせた。


 でもアネットは、アリスの望みを叶えてあげたい、とは思えなかった。


 アネットだって、嫌な奴には仕返ししたい。

 少し前の自分だったら、アリスに共感していたかもしれない。


 しかし、呪いは自分や周りの人に還って来ることだってある。そして、呪いを扱う人間からは、自然と人は離れていってしまうのだ。


 アネットが今いるこの場所は、とても孤独なものだった。

 アリスの望みをアネットが叶えたとしても、きっと、アリスはアネットと同じ様に孤独になるだけだろう。


 それでは、アリスを救うことにはならない。

 

「アリスちゃん。私は貴女の味方よ。だから、その誓約は解かないわ。貴女は、呪いを扱う力を持たない方が幸せになれると思うの」

「そんなこと無いわ。私の幸せを勝手に決めないで!? お金さえあれば何でも叶えてくれるんでしょ? 味方なんかいらない。この誓約さえ解いてくれればいいのっ」

「……人を呪っても、自分は幸せにはなれない。誰かを呪うより、誰かを愛する道を探してみたら? 私にはそれしか言えないわ。──さようなら。アリスちゃん。誓約は解けないけど、お喋りしたくなったら、また来てね」

「ちょっ──」


 アリスはわん子サマにひと飲みにされ、消えていった。


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