『採掘場の猛る豚』中編

 採掘場にフゴフゴと荒い鼻息が響いていた。


 シャルの父ブルーノは一心不乱に鼻と前足で壁を掘り進めている。


 ここへ来て二ヶ月。

 自分に出来ることは壁を掘ることだけだ。

 この壁を掘り進めないと、ブルーノは──。


 ◇◆◇◆


 馬車の中で、ブルーノは子豚に姿が変わった。

 その後は散々だった。


 シャルの義母ペトラと義妹ナディアは、突如として現れた豚に驚き、馬車からブルーノを投げ捨てたのだ。


 ブルーノは子豚の姿で山中をさ迷う羽目になった。

 そして数日後、ボロボロの身体で何とか馬車を発見することできた。


 馬車は採掘場から目と鼻の先の小さな村の一軒家の前に停まっていた。


 一軒家といってもボロい山小屋だ。

 ペトラとナディアは、その家の庭で畑を耕していた。


 この村では働かざる者食うべからず。ペトラもナディアも、採掘場を取り仕切る鉱夫にこき使われていた。


「お義父様はどこへ逃げたのかしら。本当に使えない人だわ」

「本当に最低よ。あんな能無しなら結婚しなければよかったわ! でもおかしいわね。契約書の効力で逃げられないはずなのにっ」


 二人はブルーノの悪口を言い合っていた。

 その散々な物言いに、ブルーノは一瞬、豚のまま逃げてしまおうかと思ったが、やはり人間に戻りたいと思い、二人の前に姿を現すことにした。


「きゃぁ! 豚よ!」

「まぁ。何て汚ならしいの……。へ? ど、どうしてこっちに──」


 ブルーノはペトラへと真っ直ぐ突進した。

 そしてペトラを地面に押し倒すと、その唇を奪ったのだ。


 ブルーノはおとぎ話が大好きだった。

 きっと愛する人のキスで自分は人に戻れる。

 ナディアだって、そうやってカエルから人に戻ったではないか。

 いや。でも、アシルとナディアは愛し合ってなかったような……。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!? お母様ぁ!!」


 ナディアの叫び声を聞いて村の鉱夫達が集まってきた。


 畑の真ん中には、泥だらけの豚に顔を擦り寄せられ、気絶したペトラが倒れていた。




 ブルーノは人間に戻らなかった。


 ペトラの愛が足りないのか。

 キスで呪いが解けるなど、おとぎ話の中だけなのか。


 ブルーノの微かな希望は砕け散った。


 捕縛されたブルーノは人を襲った凶悪な子豚として、今夜の夕食にあげられる事となった。


 しかし、捌かれるギリギリのところで、ハルから子豚の呪いに関する手紙が届き、ブルーノは食べられることを免れ、ペトラとナディアの元に帰されていった。


 しかし、家族の目は冷たいものだった。


 食事もろくにとれない生活だからか、ブルーノを見る二人の目は疲弊し、飢えていた。


 そして、二人はこそこそ話すとブルーノに縄で首輪をつけ、庭の柵へとくくりつけた。


 家の中からは二人の話し声が聞こえてきた。

 家は隙間だらけだから、中の声が良く聞こえる。


「お腹が空いたわ。あの豚、やっぱり食べましょう? あんなのがお義父様な筈ないもの」

「そうね。……でも無理よ。ナディア。私では豚は捌けないもの。もう少し育ったら豚小屋に混ぜちゃいましょう。そうしたら誰かが料理してくれるわ。あんなのを家にあげるなんて嫌だもの」

「でも、本当にお義父様だったらどうしましょう?」

「まさか……。でも、一ヶ月後がどうとか言っていたわね。それでも戻らなかったら、あいつを豚小屋行きにしましょう!」


 ブルーノは怖くて震え上がった。


 きっとシャルだったら、自分の存在に気付いてくれただろう。

 シャルは母親に似て、心の優しい娘だった。

 シャルを思い出すと胸がチクリと痛んだ。


 やっぱり、ナディアにアシルを譲らずに、シャルをさっさと嫁にやれば良かったのだ。


 そうすればきっとこんなことにはならなかった。

 シャルを追い払ってしまえば、自分はまだ子爵として小さな領地の主だったはずだ。

 王子に目を付けられることもなかっただろう。


 愛するペトラとずっと幸せに暮らせたはずだ。

 ペトラを喜ばせたくて、シャルを蔑ろにしてきた。

 爵位への関心もなく、家族のために嫌な顔一つせず家事を取り仕切るシャル。

 ルシアンの世話をするシャルは幸せそうだったから、ペトラに言われるがまま、シャルを嫁にやらずに、使用人のように扱おうとしていた。


 その方が、自分に都合が良かったから。

 その方が、ペトラも喜んでくれるから。


 でも結局自分に何が残ったのだろうか。


 ブルーノは、これまでの自分の行いを後悔した。


 ◇◇


 ナディアは固いベッドに寝転び、豚に押し倒された母を思い出し声を漏らした。


「ふふっ。お母様が豚と……。でも、だとしたらやっぱり。あれはお義父様なのかしら?」


 自分もカエルだった時の事を少しだけ覚えている。


 誰もカエルがナディアだと気付いてくれなくて、どうしたらいいか分からなかった。何度も大きな足に踏み潰されそうになって、式場から命からがら逃げ出したのだ。

 草むらで一人ぼっちで泣いていると、ふと義姉のシャルの顔が思い浮かんだ。


 シャルならきっと、ナディアだと気づいてくれると思った。

 シャルならきっと、謝れば許してくれる。

 今からでも──。


 ナディアは頭に浮かんできた言葉を必死で振り払った。


「あんな奴……大嫌い」


 採掘場には、宝石の原石を買い付けに来る金持ちそうな商人や貴族風の人間もよく出入りしている。ナディアは玉の輿を狙っていた。


「絶対に私の方が金持ちになって、見返してやるんだから……」


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