VOL.6

”灯台下暗しとはこのことだな”

 その病院の前に立った時、俺は心の中で苦笑した。

 安井弁護士から聞き出したのが、この病院だったからだ。

 何しろそこは、新宿四丁目にある、俺の事務所兼ネグラのあるビルからでも、直線距離で歩いて30分のところにある。

『田中内科クリニック』という個人病院だった。

 病院、とはいっても、それほど大きいわけでもなく、院長以下、常勤の医師が二名、看護師が十五名ほどというささやかな病院だった。


 診療科目は内科に限定されていて、内科一般ならば大抵は診て貰えるというので、結構有名だそうだ。

 病院に入ると、一階に『総合受付』という看板が下げられていて、その前の座席に幾人かの男女が座って順番を待っていた。


 俺は椅子に腰かけて順番を待つ。

 病院の待合室というのは、お世辞にも気分のいいものじゃない。

 どこからか漂ってくる消毒用エタノールの匂い。

 そして陰気な顔の・・・・いや、陽気な顔で病院に来る人間などいやしないから、当たり前と言えばいえるんだが・・・・・。

 彼ら(いや、正確には彼女もいた)は、皆下を向いて、互いに目を合わせようとしない。

 受付の上を見ると、外の看板よりもっと細かく診療科目が書かれてあった。

・呼吸器内科。

・循環器内科。

・消化器内科。

 とあり、一番下に、

・性感染症内科。

 とあった。

 即ち、

『性感染症も診ますよ』ということなのだ。


 間もなく俺の名前が呼ばれ、受付に行く、


 俺は”性器に痒みがあるのだが”というと、受付の女性は無機質な声で、

『初診ですか?』と聞く、そうだと答えると、

『では、保険証を』と来た。

 俺は素直に保険証を提示し、問診票に必要事項を書き込んだ。

『では、体温を測ります』と、ピストル型の電子体温計を額に当てられる。

『36度2分ですね。3番診察室の前でお待ちください』

 また無機質な声が帰って来た。


 廊下を少し南に歩くと、

『3番診察室』という札の出たドアがある。

 ドアの前には、

『医師、夏八木春江』という札が出ていた。

 俺はその前のベンチに腰を掛けると、辺りを見回した。

 男性の患者が二人、マスクをしてサングラスをかけ、座っている。

 一人は顔にあばたのようなものが出ており、もう一人は黄斑・・・・つまりはジャクソン氏病の顕著な症状の出ている患者もいた。


 待ち時間は凡そ40分ほどだったろうか?

 二人目の患者が病室から出て、2~3分ほど経った時、

『乾さん、どうぞ』

 と、中から中年を過ぎた女性看護師が顔を出し、俺の名を呼んだ。


 椅子から立ち上がり、診察室に入る。

 診察台と机、パソコン。血圧計・・・・・今時のクリニックにありがちな光景だ。

 椅子を回して、俺を見たのは、白衣姿にマスクで顔を覆っていたが、間違いなくあの時、本倉家の前で会った、

”BMWの女”であった。


『今日は、どうされました』

 ここは皆だれもがこういう抑揚のない、無機質な声で喋るのかと思えるような声だった。


『・・・・』

 俺は黙ったまま、上着の内ポケットから認可証ライセンスとバッジのホルダーを出して、彼女に提示する。


『ひやかしだったらすぐに出て行って下さい』

 こっちを跳ね返すような、より無機質な響きが戻ってきた。


『ウソをついたのは謝ります。しかしこうでもしないと会って頂けないと思ったものですからね。先日、N市の本倉さんのご自宅の前でお目にかかりましたね?』 


 彼女はそれ以上何も言わなかった。

 俺は椅子に座りなおし、彼女の目を正面から見据える。

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