第5話 わたしが頑張るのはあなたのため!
私は走ることが好きだ。走ることなら誰にも負けない。勉強もできる方だったけれど、いつ順位を抜かれるか分からない。そんなプレッシャーが嫌になる度、私は走ることに逃げていた。走ることなら、負ける気がしなかったから。
中3の夏、陸上の大会で短距離リレーがあった。最後の大会だ。負けたくない。私はアンカーだった。
リレーが始まる前、私は水分補給をしようとペットボトルに手をのばした。水筒が空になって困っていたのを舞が買ってきてくれたものだ。観覧席を見ると舞がいた。こちらに手を振っている。私も振返そうと思った、その時だった。
「吉川さん。熱中症で最初に走る子が倒れちゃったのよ。変わりに最初もお願いできないかしら?」
突然だった。
「え、でも代理は…」
「それが、買い出しに行ったっきり、帰ってこないのよ。バスを逃しちゃったみたいで…」
私はリレーではいつもアンカーで、最初に走ったことがなかった。
周りを見る。期待に満ちた表情が並んでいる。吉川さんが走ってくれれば…そんな顔だ。
私しかいない。ならばと私は引き受けた。皆の期待を、裏切るわけにはいかない。
リレーが始まる。私は配置につくと滴る汗を手で拭った。本当に暑い。暑すぎて、今にも溶けてしまいそうだ。
最初は重要だ。最初をミスると、後から追いつくのが大変だ。プレッシャーが苦手な私にとって、1番キツい。
ピストルがなる。皆一斉にかけ出す。
もちろん私も駆け出した。走って走って、走りまくった。
でも、私は1位ではなかった。
なんで、なんであいつがいるの?そいつは昔から大会で見かける度に張り合っていた人で、リレーでも絶対にアンカーだった。なんで、今になって最初に…。
バトンを渡す際、彼女がこちらを振り向いた。ニヤッと笑ったのがわかった。その時、私は初めて負けた。
アンカーとして走っている時も、さっきの負けたときの感覚が頭から消えてくれなくて、精一杯走ることができなかった。私は初めて敗北を知った。
「おつかれー」
私は舞の顔を見れなかった。今朝いつものように勝ってくるからと言ったのに…。だが舞は気にした様子はなく、ペットボトルを差し出してくれた。
「じゃ、何してほしい?」
「え?」
「ご褒美。花梨頑張ったから、なんかお願いあるなら、聞いてあげるよ。遠慮しなくていいから」
「いやいいよ。私負けたし」
そう。私は負けた。中3最後の大会で。部の皆は私に気にするなと言ってくれたけど、水飲み場で静かに泣いている子がいたことを知っている。
私は皆の期待を裏切ってしまった。プレッシャーに勝つことができなかった。私のせいで…私のせいで皆が…。
「いや、勝てなかったのは残念だけどさ。それが目的じゃないし」
顔を上げると、舞は笑ってこう言った。
「私は、花梨が何かに頑張ってる姿を見られたから、それで満足だよ。いつも通りの力出せなくても、走ってる時は頑張ってたでしょ?だったらそれで、いいんだよ」
私ははっとした。この親友は、それでいいと言ってくれる。あの私は全力だったと、そう言ってくれる。
私は泣いた。人目もはばからずに大声で、まるで子供のように大泣きした。
「大丈夫かー」
舞はそう言って、背中をさすってくれた。
舞は、私に過度な期待を押し付けない。花梨のしたいようにしろ、そう言ってくれる。
舞のおかげで私は、頑張ることができるのだ。
「あなた、高坂さんのことが好きなんでしょう?」
5時間目、50m走が始まっている。今走っているのはそこそこ早い女子2名だ。私の番がくるまでは、まだ時間があるだろう。
声のした方を見ると赤城さんがいた。私が答えるよりも先に赤城さんはこう言った。
「あなた、私が高坂さんを好きだと言った時、たいして驚かなかったでしょう。普通、女が女を好きだと言ったら、多少なりとも動揺するはずよ」
「自分が普通じゃないっていう自覚はあったんだね」
「それはあなたも同じじゃないかしら」
私はため息を吐く。もう見抜かれているなら、何を言っても無駄だろう。
「そうだよ。だから私はあなたに負けない。貴方なんかに、舞は渡さないから」
すると赤城さんは何やら不敵な笑みを浮かべた。
「そういえば高坂さんって、告白されたことないの?」
「ないよ。舞は昔っから、1度も」
「どうしてかしら?」
何かを感じ取った様子の赤城さんに気づかないフリをしたがら、私は動揺を隠すように下を向いた。
「ほら高坂さんって、客観的に見ても可愛いじゃない。貴方の言うように少し気が強いところがあったとしても、男なんてしょせん顔よ。それに高坂さん、男性の方とは積極的に話しているし。なのに彼氏はおろか、告白もまだなんて…。一体どうしてでしょうね」
「さぁ、私にはさっぱり…」
「まるで、誰かが高坂さんに彼氏ができるのを邪魔しているみたい」
かまをかけているのか、もう分かっているのか…。恐らく後者だろう。私が軽く睨むと赤城さんは「当たりみたいね」とまた微笑んだ。この女…なめてはいけない相手らしい。
「それで、わざわざこんな勝負仕掛けてくるなんて、なにか私に要求でもあるんじゃないの?」
この時間、わざわざ私に構うということは、この勝負で何か賭けよう、そういうことなのだろう。
「理解が早くて助かるわ。そういうことよ」
やっぱり。私がそう思うと同時に「次、吉川さんだよね?頑張って!」と、同じクラスの女子が背中を押してくれた。私は「ありがとう」と答えると配置につく。
まるで、あの大会のように。
「それじゃあ、よーい…」
息を吐く。軽く足を曲げ、前を見据える。何も考えるな。空っぽにしろ。そう自分に言い聞かせる。
「ドンッ!」
その声を聞いた瞬間、全速力で駆け出した。足が進んで前に出る。気持ちいい。そう感じた。だが…。
「なっ…!?」
隣には、赤城さんがピッタリとくっついてきた。コイツ…私についてきてる!?
ならばと思いさらに走るがどんなに早くしてもついてきた。
負けたくない、負けたくない、負けたくない。コイツにだけは、絶対に。
気づいた時にはもう終わっていた。ほぼ同時だったと思う。だが、そんな私の考えとは裏腹に、体育の先生は結果を告げた。
「赤城、6.8秒、吉川、6.9秒!」
「っ…!?」
負けた。これまでの人生で2度目の敗北だった。
バカな…。そんなはずはない。全力を出していたはずだ。なのに、なんで…。
「少し驚いたわ。0.1秒差とはいえ、私についてこれたなんて」
悔しい。ただひたすら悔しかった。こんなやつに…
「すっご。6.9とか、マジで尊敬するわ」
顔を上げると、あの時と同じように舞がいた。
「ごめん…負けた」
唇を噛み締めながらそう言うと舞はあっけらかんとして
「なんで花梨が謝るの?まぁそれはどうでもよくて。頑張ったじゃん。今までで1番早かったんじゃない?」
と言った。そうか。舞はそうだった。舞は勝ち負けで判断しない。頑張ったねと、認めてくれる。
舞がそう言うなら、もういいかという気になってきた。
「それじゃ、何してもらおっかなー」
「え…何が?」
「何って、舞が言ったんでしょ?中学の時、頑張ったらご褒美あげるって」
「ええ!?あ、なんか言ったような記憶が…」
「ふっふーん。どうしよっかなー?」
「ええと…。高いものは勘弁してくださいぃ~」
私は泣きながら訴えてくる舞の頭をガシガシと撫でると、舞の耳元で、皆には聞こえない小さな声で、こう言った。
「好き」
するとキョトンとした顔で舞は
「え?ああ私も好…」
「違うよ。友達として…じゃない方の意味」
そう言って舞の顔を見る。
と、無だった。
私は不思議に思い舞に「舞ー?」と呼びかけてみるも反応がない。すると、
バッターン!
舞が倒れた。
「ええ!?ちょっ…舞ー!?」
「どっどうしたの高坂さん!私が次の記録当番に行っている間に!」
「ああ、そういえばいなかったね。あんた」
「これは熱中症…ではないわね。なにかしら…顔は真っ赤だけれど」
とりあえず保健室に運ぼうとしているところを、私は呼び止めた。
「そういえば、0.1秒差とはいえ負けは負けだし。要求って、何?」
そう聞くと、赤城さんは口元に笑みを浮かべ、こう言った。
「あら?聞かなくても、あなたなら分かってるんじゃないかしら」
「高坂さんっ!」
声の主を見ると、宇城くんが走ってきていた。どうやら舞が倒れたのを見ていて駆けつけたらしい。
「あら、噂をすればなんとやら、ね」
そう赤城さんが言ったのを聞いて、私は赤城さんが言う要求が何かを理解した。
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