第6話 いきなり大ピンチ!!


 山道をチャリオットを押しながら約四時間掛け、山頂付近のユニの実家の小屋に辿り着く。

 日は空の一番高い所まで登っており、今が大体お昼であることを教えてくれる。


 「まあ、あなたは……昨日はルミがお世話になりましたねぇ」


「あっ、お兄ちゃんだ!! もう遊びに来てくれたの!?」


「こんにちはルミちゃん、残念だけど今日は遊びに来たわけじゃないんだなこれが」


 俺はチャリオットのバッグから紙袋を取り出すとおばあさんに手渡した。


「これは?」


「お孫さんのユニさんからの預かり物ですよ、あなたの咳の薬です」


「あら、あの子ったら……こんな高価なものを……」


 おばあさんは大事そうに紙袋を抱きしめると目じりに涙をにじませた。


「お兄ちゃん、ユニお姉ちゃんに会ったの?」


「ああ、偶然ね」


 思い返しても本当に出来過ぎなほど奇跡と呼んでよい偶然だったな。


「どうだった? お姉ちゃん元気にしてた?」


「元気元気、立派に働いていたよ」


「そっか~~~えへへ」


 ルミが屈託なく笑う。


「初めまして!! わたくし、ジェイクと申します!!」


 一方ジェイクはガチガチに固まったからくり人形の様にぎこちないお辞儀をおばあさんに向ける。

 さてはユニのおばあさんだから緊張しているのか……この様子だと手紙などで二人が付き合っているのを報告していないと見た。


「はい、初めましてユニの祖母です、あなたもお疲れ様ね」


「あっ、あの!! 実はユユユユ、ユニさんとおおおお、お付き、お付き合いを……」


 あちゃーーー、ジェイクのヤツあまりの緊張でどもりまくりだな……ここは俺が助け舟を出してあげるか。


「ジェイクはユニとお付き合いをしているのですよ、結婚を前提に……そうだよね?」


「タタタ、タク!?」


 ジェイクは茹で上がったかのように顔が真っ赤だ。

 ギルドでゴロツキに絡まれていた俺を助けてくれた時の凛々しさはどこへ行ってしまったのか。


「えっ? それじゃあジェイクお兄さんが私のお兄ちゃんになってくれるって事?」


「おおお、お兄さん!?」


 動揺し過ぎだ。


「立ち話もなんです、中に入りませんか? ユニのお話も聞きたいですし」


「そうだよ、折角来たんだし寄っていってよ!!」


「分かった分かった、そんなに引っ張らないで」


 おばあさんに促され、ルミに手を引かれ、俺たちはユニの実家に立ち寄ることになってしまった。

 丁度お昼の時間帯だ、ユニから受け取ったランチをここで頂いて行こう。




「ところであれから灰色熊グリズリーには遭遇していませんか?」


 俺自身の状況確認を優先してしまいすぐにここから旅立ったのもあり、その後が気にはなっていた。


「ええ、そもそも熊のテリトリーにさえ入らなければそうそう出くわすものではないんですよ、今の時期の森は木の実などの餌が豊富ですから人間の方から近寄らなければそうそう被害に遭うものではないんです」


 おばあさんはお茶を俺たちに振舞いながらそう言った。


「頂きます」


「あっ、これお姉ちゃんが作ったんでしょう?」


「よく分かったねルミ」


「だってお姉ちゃんが家に居た時はよく作ってくれたもの」


 とても嬉しそうな顔のユニ、本当にお姉ちゃんであるユニの事が好きなんだろう。


「それでジェイクお兄さんはもうお姉ちゃんとキスしたの?」


「ブフォッ……ゲホゲホ……!!」


 ジェイクが盛大に咽る。

 女の子が耳年増なのはどこの世界も変わらないのだな。


「これ!! 何てこと言うのルミ!! 済みませんルミが失礼な事を……!!」


「いえ、大丈夫です……」


 慌ててお茶を飲み干す。


「ジェイクとユニはそれはもう仲睦まじくて見てる俺も羨むほどさ、心配ないよ」


「そうなんだ、それならいいわ」


「おいおいタク……」


 まあまあ、これくらい言っておかないとルミは何を言い出すか分からないからな。

 それから俺たちは少しの間談笑し、俺はこの世界の人々の営みについてまた少し知ることが出来たのだった。


「では俺たちはこれで、お茶ごちそうさまでした」


「また来てね~~~お兄ちゃんたち~~~」


 ルミが千切れんばかりに手を振り俺たちを見送ってくれる。

 何度も振り向きながら俺も手を振り返すが彼女は俺たちが見えなくなるまで手を振り続けていた。

 こうして俺が初めて受けたギルドの依頼は拍子抜けするほどにあっさりと終わりを迎えた。

 いやまだ終わっていないか、家に帰るまでが遠足と昔からよく言うしな、気を引き締めなければ。


「ルミは淋しいんだろうな、こんな山奥に住んでいるんだ友達もいないだろうし」


 この世界において物理的な孤立は文字通り本当の孤立を意味する。

 俺の元の世界ならスマホなどの情報端末でコミュニケーションを取れるだけまだましなのだと思える。


「ああそうだな、だから俺はユニと一緒になったら彼女の家族を街に呼ぶつもりだったんだ……今日彼女らの生活を見て決意を新たにしたよ」


「ジェイク、あんたは本当にいい男だな」


「よしてくれよ、冒険家を選ばざるを得なかったこの俺を褒めるのは」


 今のジェイクの言動から察するにこの世界における冒険家の地位はそこまで高くない様に聞こえる。

 まあ全ての冒険家がそうではないが実際ガラの悪い連中も少なくないし、街や世界の危機を救うなどの余程の手柄でも上げない限りは評価されないのだろうか。


「それより随分日が傾いて来たな、少し急ごう」


「ああ、分かったよ」


 日差しが黄色みを強め空には徐々に茜色が差し込み始めた。

 来た時のようなペースで進んでいては街に付く前に日が沈んでしまう事だろう。

 幸い道筋が単純なので意図的に道を逸れない限り迷う事は無いが。


「ちょっと待ったタク、何か聞こえる……」


 ジェイクが俺の前に腕を差し込み制止させる。

 しかし俺にはジェイクか言うような音は聞こえなかった。

 異変と言えば先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりが聞こえなくなったことくらいか。

 だがジェイクの表情が険しい、恐らく冒険家として培われた感覚がいち早く危機を感知したのだろう、こればかりは俺には真似できない。


「タクは俺の後ろへ、こちらから何かが近付いて来る」


 ジェイクが腰のミドルソードを抜いた。

 ガサガサと激しく音を立てる前方の茂み、そこから勢いよく大きな影が飛び出してきた。


 ガアアアアアアッ!!


「こいつは灰色熊グリズリー!!」


 一体の巨大な灰色熊グリズリーが俺たちの目の前に現れた。

 これは果たして昨日見た個体だろうか? さすがに熊の見分けは俺には分からない。

 

「見ろ、こいつは手負いだ」


 ジェイクの言う通り頭の左上に複数の裂傷があり、目を塞ぐように血が流れ落ちている。

 そしてその熊は俺たちの前で身体を激しく揺さぶるとこちらへと襲い掛かってきた。


「はあっ!!」


 ガアアアアッ!!


 ジェイクの剣撃が灰色熊グリズリーを捉える……見事な袈裟斬りだ、傷口から鮮血が噴き出す。

 これで終わったかと思いきや、灰色熊グリズリーは仰け反った身体をすぐさま立て直し腕を振り下ろしてきた。


「くっ……!!」


 鋭い爪がジェイクの左肩を掠めるが寸でのところで回避し飛び退く。


「くそっ……しくじった……」


 肩を押さえ蹲る。

 そういえば聞いた事がある、手負いの獣という言葉。

 野生動物は人や別個体に傷を負わされたら狂暴化する場合があるという。

 そういう状態になると常に興奮状態に陥り力が強くなり、痛みにも鈍感になるという。

 今がまさにそれだ、俺たちがこの灰色熊グリズリーに遭遇した時は既に手負いであった。

 だから本来ならば先のジェイクの一撃で怯み戦意喪失して逃げだすかすぐに絶命したはずだ。

 しかし中途半端に傷を負った灰色熊グリズリーはまさに手負いの獣の特性を発揮して持ち堪え反撃してきたのだ。

 だがジェイクが奴に致命傷を与えたのは事実、このまま時間が経てば絶命するはず。

 ここは下手に追撃せずに逃げるべきだ。


「ジェイク逃げよう!!」


「そうだな……」


 俺たちが後ずさりを開始した直後、再び茂みが揺れ出した……先ほどより激しい。


「おい、まさか……」


 ゴアアアアアアアアアッ!!


 「嘘……だろう!?」


 灰色熊グリズリーの後ろに更に大きい灰色熊グリズリーの個体が現れた。

 身の丈は悠に五メートルはあるぞ。


 ギャアアアアアアアア!!


 その大型の個体が瀕死の個体に噛み付き肉を食いちぎる、共食いを始めたのだ。

 引き千切られる身体に飛び散る血潮……目の前で展開される見るのも憚られる地獄のような光景に俺は足がすくみ一歩も動けなくなってしまった。

 先の個体が手負いだったのはこの巨大な奴のせいなのは明らかだ。


「【赤髪レッドヘア】……この山には頭頂部の毛が赤い主が居ると聞いていたがまさか遭遇することになるとはね……」


「そんな奴が!?」


 ジェイクが息を切らしながら語る。

 いや何だか様子がおかしくないか? 確かにジェイクは傷を負ったがそこまで深い傷ではなかったはずだ。


「ちょっと見せてみて!!」


 彼の袖の衣類を裂け目から大きく裂き広げる、すると。


「何だこれ……」


 ジェイクの肩の傷はそこを中心にして紫色に変色していた。


「どうやら毒を受けたようだ……」


 ふらつき再び地面に膝を付く。


「大丈夫かジェイク!?」


「……舐めていたな、低難易度の仕事だからと毒消し薬を持ってこなかったよ……」


「しっかりしろ!!」


 もちろん俺も毒消しは持っていない、こんな所で平和ボケした現代人の特性が出てしまうなんて……しかし後悔したって始まらない、俺は自分の衣服の袖を破り紐状にしジェイクの肩の傷から上の部分をきつく縛った。

 こうすることで身体全身に毒が回るのを遅らせることが出来る。


「肩に掴まれ!! 逃げるぞ!!」


「済まない……」


 ジェイクに肩を貸し立ち上がるがどうしたものか、軽い女性や子供なら辛うじてチャリオットの荷台に乗せる事は出来たが、大きな体で簡易的な防具を身に纏った男性となると話は別だ。

 しかも毒により捕まる力がない人間と二人乗りするのは却って危険が伴う。


『相棒!! オレっちの事はいい!! 二人で逃げるんだ!!』


「しかしお前を置いていくのは……」


『何言ってる!! オレっちはただの物だ、置いて行かれても食われる事は無い、別の機会に回収しに来てくれればいい!!』


「でもよ……」


『友達の命と自転車、どっちが大事なんだ!?』


「……ジテンシャが……しゃべった……?」


 ジェイクが弱りながらも驚いている。


「済まない、これについては後で話すよ、生き残れたならね……」


 俺はジェイクを担いでいない方の手でチャリオットのハンドルを掴みヨタヨタと前進を始めた。


『おい、オレっちの話しを聞いてなかったのか相棒!?』


「ああ、聞いていたさ友達と自転車どっちが大事かって話だろうそれなら答えは決まっている、友達だ……」


『なら何故!?』


「お前も俺の友達だろう? お前は俺にとってもはやただの自転車じゃない……友達だ!!」


『……馬鹿野郎!! こんな時に……』


 チャリオットの涙声がしたような気がしたが気のせいだろうか?

 ともあれ今は赤髪は食事に夢中だ、この隙に行ける所まで行ってやる。


「ハア……ハア……ハア……」


 さすがに人一人に肩を貸しながら自転車を押すのは辛いものがあるな。

 しかし俺に二人を置いて逃げ出すなどという選択肢はもはや存在しない。


「俺を置いていけ……君だけなら自転車で逃げられる……ユニの事は君に託すよ」


 ジェイクの顔がチアノーゼを起こして真っ青だ。


「馬鹿な事を言うなよ、チャリオットの時も言ったけどそれは却下……今度そういうこと言ったら絶交だからな?」


「それは……困るな……」


「へへっ、そうだろう?」


 そうさ、冗談でも言い合ってる方が気が紛れるってもんさ。


 ゴアアアアアアアアアッ!!


 背後から唸り声が聞こえる、どうやら赤髪の食事が終わってしまったらしい。

 しかも食べ足りないのかデザートが欲しいのか今度は俺たちをターゲットにしたらしい……確実に追い駆けて来ている。

 だが俺だってただ逃げる為だけに距離を取っている訳じゃないぜ、わざと立ち木や茂みの多い所に逃げ込んでいるのだ。

 林道から離れてしまったのは痛いが、今の俺たちの状況では開けたところでは絶対に奴から逃れられない。

 しかし俺は相手を見くびっていた、見た目の巨体に似合わぬ俊敏な身のこなし……赤髪は確実に俺たちに迫りつつあった。

 振り向くと奴の姿が見え隠れするところまで来ていた。


「くそっ……もうダメなのか!? こんなところで終わるのか!?」


 ゴアッ!!


 遂に追い付かれてしまった……赤髪が血に染まった爪の生えた丸太程の太い腕を俺たちに振り下ろす。

 こうなったら最後までみっともなく抗ってやるよ!!

 仮にこれで終わってしまうとしても最後の最後まで命を諦めない!! 絶対にだ!!

 必死に身体を捩り攻撃を回避するが、足元の岩が崩れ体勢を崩す。


「あっ……!!」


 いつの間にか俺は崖のある方に逃げてしまっていたようで、幸か不幸か岩が崩れたおかげでそこから落下、赤髪の爪から逃れることが出来たのだ。

 しかし今度は崖を落下中である、これは流石に幸運とは言い難い。


「わああああああっ……!!」


 俺は背後から落下している、落ちた拍子にジェイクともチャリオットとも離れてしまった。

 崖がどれほどの高さかは分からないがこれは無事では済まないだろう。

 ゴメンなジェイクにチャリオット。

 しかしこの世界に来て特に何も成せずに終わってしまうのか? 

 こう、特殊なチート能力で無双して魔王を倒したりできるんじゃないのか?

 案外シビアなんだな異世界転生って奴は。

 そんな事を考えながら俺は目を閉じた。

 その直後、物凄い高速で身体が宙を移動した感覚がした……死ぬときってこんな感覚なんだ?


「君、大丈夫?」


「あれ? 女の子の声がするぞ……もしかして迎えに来てくれた天使だろうか?」


「私は天使なんかじゃないわよ……ほら目を開けなさい」


「えっ?」


 この背中の感覚は誰かに抱きかかえられているのか? 俺は恐る恐る目を開けると目の前には緑の髪の毛の美少女の顔があった。

 しかしどこか違和感がある、角だ、この子の頭の両側から角が生えているのだ。

 しかも背中からやたらと骨ばった翼が生えている……まさか悪魔?


「失礼ね、命の恩人に対して……ほら地上に付いたわよ、自分で立ちなさいな」


 突然背中に回されていた手を退けられ俺は背中から地面に落下した。


「いってええええええ!! 何すんだ!!」


「まったく、人間族はこの程度で大げさに痛がるのね、情けない」


 この時俺は初めてこの女の子の全身像を拝むことになった。

 緑のショートヘアー、頭に二本の角に縦長の瞳孔の瞳、口元に小さな牙、背中には羽毛などのない骨ばった翼……極めつけはお尻から生えている蜥蜴のような尻尾。


 彼女はいったい何者なのだろう?

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