45話 でも…だけど…だから…

***


 「誠、やっぱり美海の事、覚えてないの?」


 美海?わからない。俺がおかしいのか?みんな、やめてくれよ。そんな目で見ないでくれ。


 「何のこと言ってるんだよ。わかんないって。」


 手が震える。


 「どうしたの?誠。なんでそんなに怯えた顔してるの?」


 優子が一歩こちらに近付く。


 「だって、みんなおかしいだろ。居ない人のことを覚えてないとか…」


 俺も一歩下がる。


 「なんなんだよ。今日のみんなおかしいぞ。先週楽しく修学旅行行ったばっかりじゃんかよ。土日になんかあったのか?」


 訳が分からない。今すぐにでもここから逃げ出したい。


 「ねぇ!誠。何かあったのは誠の方だよ!美海の事、忘れてるなんてありえないよ!」


 琴美が詰め寄ってくる。


 「だ、だって、知らないものを…その、ありえないとか言われても…」


 琴美の目もまともに見ることができない。声が震えて言葉もまともに出てこない。


 そんな俺を見ていた優子が不思議そうに俺に近付く。


 「誠。あなた、本当に未来から戻った誠なの?」


 未来?何を言っているんだ。俺は確信した。やはりみんながおかしいのだ。さっきからありえない事ばかり言われているのもそのためだ。


 そう考えると少し気分も落ち着いてきた。


 「おい。さっきから本当にみんなおかしいぞ。未来?なんのことだよ。俺はずっと高校生してるだろ。」


 ガタン。


 琴美がその場にへたり込む。


 「そんな。」


 優子も口元を抑え、信じられないものを見るような目で俺を見る。またその目か。やめてくれ。


 「もういいか?俺昼飯もまだ食ってなくてさ、腹減ってるんだよ。」


 俺は保健室を出ようと踵を返した。その時だった。


 ドン!


 並木先生が俺の胸倉を掴み、壁に押し当てる。咄嗟のことに俺は壁に頭をしこたま打ちつけた。


 「てめぇ!ふざけんじゃねえ!」


 並木先生は俺の胸倉を掴んだまま締め上げる。


 「ちょっと。痛いですって。並木先生、苦しい。放して…」


 「お前!また逃げるのかよ!それで散々後悔したんだろ!それでここに戻ってきたんじゃないのかよ!」


 そう言った彼女の瞳からは、大粒の涙が幾重にも零れていく。


 その涙を見た俺は罪悪感のような心のもやもやを、どう処理していいのかわからず、抵抗する手を緩めた。


 次第に、並木先生の俺を締め上げる手もその力を失っていき、彼女はその場にへたり込んで、ただただ泣いた。


 俺はどうすることもできず、ただその場から動くこともできず、立ち尽くしていた。


 いったい、俺が何をしたというのだ。なんの罪でこんな気持ちを味あわなければならないのか。


 やり場のない思いで、俺は拳を握りこむ。


 「せめて美海ちゃんの姿だけでも見れたら、何か思いだすかもしれないのにね。」


 すみれさんが呟く。


 「そうだ!写真!修学旅行の写真があるよ!あれに美海も写ってるんじゃない。


 優子が突然大声を上げ、手を叩く。


 「俺、カメラ取ってくる。」


 真一もその言葉を聞くや否や保健室を飛び出していく。


 しばらくして、真一はデジタルカメラを抱えて戻ってきた。彼が戻るやみんなは一斉に彼のカメラを覗き込む。


 「いる!美海がいる!」


 琴美が安堵の声を挙げる。


 俺も、恐る恐る真一の持つカメラを覗き込む。


 そこには首里城の奉神門をバックに満面の笑みを浮かべる真一、琴美、優子、俺、そして…一人の女の子。


 俺はこの子を知っている。だけど、この子は。


 この子と会ったのは一度だけ。去年の七夕の日。自習室で空を眺めて…


 自習室?違う。我らが天文部の部室だ。


 その後俺は足を骨折して、病院を退院したころにはもう、この子はどこにも居なくて…


 違う。俺は骨折なんかしていない。


 なんだ。俺もどうかしてしまったのか。どうしてこうも記憶がちぐはぐなんだ。


 頭が混乱してめまいがする。立っている事さえもやっとだ。


俺はデスクにもたれかかる。足がもつれて椅子が音を立てて床に転がる。


 「ちょっと、誠。大丈夫?」


 琴美がそんな俺を心配して覗き込む。


 琴美、そうだ。バイト先で突然来なくなって…


 違う。俺も琴美もバイトなんてしていない。


 「や、やめろ。も、もうたくさんだ。」


 誰に言うでもなく言葉が漏れる。


 「誠、やっぱり変だよ。」


 優子も駆け寄ってくる。


 優子、彼女は…


 その時だった。俺の脳裏に強烈なフラッシュバック。あの時の気持ち、あの時の後悔。これまで、記憶の奥底に封印してきた忌まわしい記憶。


 優子は…修学旅行の二日目に…


 「うわぁぁぁぁ!!」


 俺は半狂乱になって保健室を出ようとする。


 「真一、誠を止めて!!」


 琴美の指示で真一が俺の腕を掴む。


 「やめろ…。放せぇぇ!!」


 俺は真一に向かって構える。


 真一も咄嗟に身構えるが遅い。


 俺は真一の鳩尾に正拳を突き立てる。いくら頑丈な真一でも急所の一撃をまともに受けその場に蹲る。俺は保健室の扉を開けその場から逃げようとした。


 しかし、真一は蹲りながら俺の足首を掴んで離さない。


 「放せ!放せ!放せぇぇ!!」


 俺は必死に真一を蹴り上げる。しかし、彼は放さない。


 「うわぁぁぁ!」


 何度も彼を蹴り上げる。すると、彼の俺を掴む指の力が僅かに緩んだ。


 その隙を俺は見逃すことなく、彼を振り切って走る。


 すると、前方から、俺の様子を見に来たのだろうか。志信がこちらに歩いてくるのが見えた。


 「志信君、誠を捕まえて!」


 廊下に飛び出した優子が志信に叫ぶ。


 その言葉に志信は俺に向かって身構える。


 「どけ!志信!俺には敵わないだろ!」


 そう言いながら俺は志信に勢いに任せて殴り掛かる。


 俺は混乱していた。真一を殴ったこと、志信に拳を向けることの罪悪感はあった。しかし、油断はしていなかった。


 俺の拳は志信の急所目がけて伸びていく。


 彼とのインパクトまであと僅か。その刹那。


 俺の体は宙を舞った。志信のそれは、言ってみれば空手と合気道の合わせ技。きっと俺と相対する日の為にかなりの鍛錬を積んで、幾重にも練習を重ねてきたのだろう。


 あまりにも予想外のことに、俺は受け身を取ることも適わず、リノリウムの床に思いきり背中を打ち付ける。


 動けなくなった俺に、志信はにこやかな笑みを浮かべながら声を掛ける。


 「誠、弱くなったね。」


 いろんな思いで涙が流れた。俺は悔し紛れに言葉を返す。


 「将来のお巡りさんには、敵わないな。」


 俺の言葉を聞いた志信は、きょとんと不思議そうに首を傾げる。


 「あれ?僕、誠に将来の希望言ったっけ?」


 言ったも何も、志信は警察官になって…


 なんだ。さっきから。俺は何を…


 その時だった。


 俺の胸ポケットから、赤いガラス球の付いたキーホルダーが零れ落ちる。


 思わず、床に落ちたそれに指を伸ばす。


 そのガラス球に触れた瞬間。


 俺の中に今までの記憶が、まるで津波のように押し寄せた。


 「…美海…」


 どうして俺はこんなにも大切な人を思い出せずにいたんだ。


 駆け寄ってきたみんなが心配そうに俺を覗きこむ。


 「みんな、ごめん。俺がどうにかしてた。もう大丈夫。」


 そう言って、美海からもらったキーホルダーを握りしめ、軋む身体をゆっくり起こす。


 すると、今まで倒れていたはずの真一が俺に手を差し伸べる。


 「ありがとう。みんな、みっともないところを見せて、悪かったな。」


 その手をしっかりと掴むと、俺は立ち上がる。


 「…美海を、俺たちの仲間を、俺の大切な人を、取り返しに行こう。」


 そう言った俺に、理子は先ほどとは打って変わってご機嫌な様子で言う。


 「七海のことも、絶対に取り返すのよ。」


 理子の言葉に、俺は力強く頷いた。


 きっと美海はあそこにいる。俺たちが再開を果たした、あの場所に。


 絶対に美海を取り戻す。その思いだけが今の俺を支えた。

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