46話 美海と七海

***


 目を覚ますと、見覚えのある天井が目に入る。


 そこは昨日まで居た私の部屋とは違う、大人の私が住んでいた部屋。


 私は特に驚くこともなく、体を起こす。


 遂に始まった。何が起こるか、わかっていたわけではない。でも、私は彼の傍に居られない。そんな確信はあった。


 「それにしても、ずいぶん遠くに来ちゃったな。」


 独り言が宙を舞って消える。寝起きの頭がグルグルして、今はあまり深く物事を考えられない。


 「そうだ。お姉ちゃん…」


 不意にお姉ちゃんのことが気になった。私がここに居るという事は、彼女はどうなったのだろう。


 ベッドから立ち上がる。


 しかし、正直お姉ちゃんの様子を見に行くのが怖い。また以前のように部屋から出られなくなってはいないだろうか。


 「ふえぇぇー!ここどこー!?美海ちゃーん!」


 そんなことを考えていると、ドアの向こうから、お姉ちゃんの叫ぶ声が響いてきた。


 聞こえてくる声に私は安堵した。以前の彼女なら、こんな大声は出せなかったはず。


 私はドアを開けて廊下に出ると、泣きべそをかいたお姉ちゃんが私を見つけ、走ってくる。


 「美海ちゃん!ここどこなの?何で私、髪の毛こんなにぼさぼさなの!?」


 彼女はパニックになりながら、私に抱き着いてくる。


 「落ち着いて。お姉ちゃん。ここはおじいちゃんの家だよ。ほら、昔来たことあったじゃない。それに、大声出したらおじいちゃんもおばあちゃんも心配するから。ね。」


 そう。ここは私たちの母方の祖父の家だ。母の実家でもある。私たち姉妹は以前に両親を事故で失っている。


 泣きじゃくるお姉ちゃんを私の部屋の中へ導く。お姉ちゃんをベッドに腰掛けさせ、その隣に座る。


 時刻はもう学校に行く準備をする時間だけど、登校する気になんてなれない。彼女をこのままにもしておけない。


 「お姉ちゃん、落ち着いて。私たちがどうしてここにいるのか、私もよくわからないの。でもね、私たちは以前というか、私の前の未来ではここに住んでたのよ。」


 我ながら説明が下手すぎて、自分でもちんぷんかんぷんだ。


 「どうして?私たち、ちゃんとアパート借りて暮らしてたじゃない。」


 どうしてかと聞かれれば、私はその答えを持ち合わせているわけではない。


 「きっと、誠が私たちを迎えに来てくれるからね。」


 話をごまかす様にすり替え、私は彼女の頭を優しく撫でる。


 「それに、どうして私こんな髪の毛もぼさぼさだし、なんでなの?」


ここで私はずっと置き去りにしてきた疑問を彼女にぶつけてみることにした。


 「お姉ちゃん。私と誠が未来から高校生に戻ったことは誰から聞いたの?」


 私は未来から戻った話を直接彼女としたことはない。しかし、彼女はそのことを知っていた。私は勝手に理子先生が伝えたものだと思っていた。


 「誠君だよ。ほら、去年の文化祭の前に私一人病院に行って、そこで問い詰めたの。」


 誠が。彼はどこまで話したのだろうか。


 「誠からはどんなことを聞いたの?」


 彼女はうーんと顎に手を当てる。


 「誠君からは誠君と美海ちゃんが未来から高校生に戻ったってことぐらいだよ。あとは、私が教師を出来てるのは理子のおかげってことくらいかな。」


 誠はお姉ちゃんのことを伝えていたわけではないのか。


 「あのね、お姉ちゃん。落ち着いて聞いてほしいの。以前の未来でなにがあったのか私が知ってることを全部話すから。」


 彼女は半べそのまま、少し佇まいを直してこちらに向き直る。


 「うん。どうぞ。」


 なんとも間の抜けた声で彼女は私に話を促す。


 私は出来る限りゆっくりと話すことを心掛けながら、彼女に真実を告げていく。


 「以前、お姉ちゃんは確かに教師だったの。でもね、私が高校に入学する頃にはもう、自分の部屋から出られなくなっていたの。」


 彼女は目を丸くする。私は話を続ける。


 「今までもそうだったけど、お姉ちゃんの働いたお金で生活してたでしょ。お姉ちゃんが働けなくなった私たちは前のアパートには居られなくなっちゃったの。」


 そういうと彼女はまた涙を浮かべる。


 「ごめんね。美海ちゃん。」


 「ううん。いいの。私はお姉ちゃんのこと、恨んでないよ。それでね、おじいちゃんがお姉ちゃんの療養も兼ねてって、ここに私たちを呼んでくれたの。」


 「ここでもお姉ちゃんはあまり部屋から出られなくて、髪の毛がぼさぼさなのはあの時のお姉ちゃんのままなんだね。」


 そう言うと、彼女は自身の髪の毛を目の前に持ってきたり、クルクルと所在なさげにする。


 「私たちが引っ越すときにはもう、美海ちゃんと誠君は仲良しだったの?」


 私は静かに首を振る。


 「以前、彼に会ったのは一度だけ。お互い、名前も知らなかった。でも、忘れることもできなかった。そんな彼と再会したのは私が社会人になってから。誠が私の勤める会社に入社してきたの。」


 「それは聞いたよ。誠君が離婚した後に地元を離れてこっちに引っ越してきたんでしょ?」


 誠は自分のことだけを話すようにしたのだろうか。きっと、彼なりの気遣いだったのだろう。


 私は頷く。


 「彼と再会して仲良くなれた。そして、彼は何度もウチに遊びに来てくれたの。」


 「私とも、会ったの?」


 コクリと頷く。


 「誠と会ってから、お姉ちゃんすごく変わったよ。外に出て、髪の毛も切りに行ったし、オシャレにも気を遣うようになった。お料理も作るようになったし、何より彼に会いたいって言うようになったよ。」


 彼女は私の話を静かに聞いていた。


 「恋、してたのかな。」


 寂しそうな呟きは私の胸に突き刺さる。


 「…うん。たぶん。きっと。」


 私は恐る恐る答える。


 「そっか。」


 そう呟いた彼女ははち切れんばかりの笑顔をこちらに向ける。


 「私、きっと幸せだった。今も毎日が幸せだったよ。」


 彼女の笑顔と言葉に私は何度も救われる。


 「誠君、早く来てくれるといいね。」


 私は微笑み返す。


 「きっと、すぐに来てくれるよ。」


 その言葉は彼女に言ったようで、自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。


 「ねぇ。」


 彼女は私の顔を覗き込む。


 「美海ちゃんはどうしてそんなに落ち着いていられるの?」


 「だって。」


 大きく息を吐く。


 「彼のこと、信じてるから。」


 「そっか。」


 彼女はもう一度、私に笑みを向けた。

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