44話 美海がいない……だけど……

 修学旅行が終わり、そのまま土日を挟み月曜日を迎えた。今日からまた通常の学生生活が幕を開ける。いつも通りの通学路を歩き学校へと向かう。


 道中、志信が前を歩いていたので声を掛け、一緒に学校へ向かう。


 教室に着き、志信は自分の席へと向かっていった。俺は自分の席に鞄を置いて隣の仲の良い女子に声を掛ける。


 「おはよう。優子。」


 隣からはいつもと変わらぬ元気な声が返ってくる。


 「誠。おはよう。」


 彼女は姫川優子。一年の時から同じクラスで、同じ天文部に所属している。入学時から何かと良くしてくれている気のいいクラスメイトだ。


 適当に朝の雑談を交わしていると担任の男性教諭が教室に入ってきたので俺たちは席に戻る。


 いつもと何一つ変わらぬHRのはずだったのだが、ふと優子の方を見ると彼女は真っ青な顔をしていた。


 「大丈夫?気分でも悪いのか?」


 そう小声で尋ねる俺に、彼女は青ざめた顔のまま歯をぎりりと鳴らし、席を立つ。


 「こらぁ。HR中だぞ。座れ。」


 驚いた教師が彼女を諫めるが、彼女はそのまま教室を飛び出してしまった。


 一瞬、彼女を追いかけるべきか迷ったが、席を立つことを躊躇ってしまう。そんな俺を尻目に同じく天文部の細田真一が彼女を追いかけて教室を出る。教室を出る間際、彼は一瞬こちらを振り向いたが、その視線が何を意図していたのか、俺は理解することが出来なかった。


 そのままHRは続いたが、結局午前中、彼女たちが教室へと帰ってくることはなかった。


 異変があったのは昼休みに入った直後だった。


 「誠!ちょっと来なさい!」


 養護教諭の並木理子先生が血相を変えて、まだ授業も終わり切っていない教室に飛び込んできた。


 「ちょっと、並木先生。まだ授業終わってませんよ。痛いですって。」


 そう言い、軽く抵抗する俺を有無も言わさず、彼女は保健室へと引っ張っていった。


 保健室に着いた俺の目に飛び込んできたのは馴染みの天文部の面々だった。


 優子に真一、それに2組の鈴原琴美、二年生の霧崎すみれさん。みんな一様に神妙な顔つきをしていた。


 「なんだ、天文部勢ぞろいで。今日って誰かの誕生日だった?」


 もちろん、彼女たちの表情からそんなことはあり得ないとわかってはいた。しかし、そんな陳腐な切り出し方しかできなかったのだ。


 「誠…勢ぞろいって、それ本気で言ってるの?」


 琴美の質問の意図がわからない。


 「全員揃ってるじゃないか。なに、これ。ドッキリなの?」


 本当に意味が分からない。何を言っているんだ。天文部にはもともと俺と優子、琴美、真一の四人に去年の秋にすみれさんが入って五人だけだったはず。今年の新入部員も居なかったはずだ。


 「美海が、美海が居ないじゃない。何言ってるの?誠。」


 優子が震えた声で言う。美海?誰だ?いったい何の話をしているんだ。


 ドン!


 並木先生が座っていた机を拳で叩く。


 「美海だけじゃない!七海も!二人とも居なくなった!あんたでしょ!?二人のこと返しなさいよ!!」


 俺の教室に来た時からずっとイライラしていた並木先生は血相を変えて俺の胸倉を掴み、怒鳴る。


 「痛い!並木先生。痛いですよ!放してください!」


 並木先生は興奮冷めやらぬ様子ではあったが、なんとか俺を解放してくれた。


 俺は息を整えながらみんなに問いかける。


 「みんな何を言ってるんだ。美海って…一体誰のことなんだ。」


***


 窓から差し込んだ眩しい光で目を覚ます。枕元の目覚まし時計は七時二五分。いつもよりほんの少し余裕がある。


 布団から出たアタシは大きく伸びをして、洗面台に行き顔を洗う。


 去年に比べると随分髪も長くなった。アタシの髪は癖っ毛で肩の長さを越えてくるとウエーブがかってくる。


 そろそろ美容院の時期かな。


 そんなことを考えながらリビングへ行き、洗いたての夏服へと着替える。今日は七月三日。暑く茹だる様な日も日に日に増えていた。


 修学旅行が終わり、その後の休日もなんとなく過ごしてしまったアタシにとって、学校は程よい刺激と生活リズムを提供してくれる。去年の春には考えられなかったことだ。


 今では毎日学校に行くのが普通に楽しい。


 「行ってきます!」


 そう言いながらアタシは家を飛び出した。


 2組の教室に着き自分の席に座る。少し時間もいつもより早いせいか、まだ教室の人影は疎らで、アタシは時間つぶしに一限目の数学の教科書を開いて眺めていた。


 やがて、HRの時間が近づき、教室も生徒が多くなってきた。


 「琴美、おはよう。」


 クラスメイトの芽衣が挨拶がてらアタシの机にやってくる。


 「おはよう、芽衣。」


 「まだ修学旅行気分が抜けないよねー。授業怠いなー。」


 芽衣は肩を落としながら言う。


 「そうかな?アタシは学校楽しいよ。」


 そう言うと芽衣は琴美らしいと明るく笑う。


 「琴美は修学旅行どうだった?」


 「うん。楽しかったよ。美海が誠とお揃いのキーホルダー買っちゃったりしててさ、美海もああいうの意外と好きなんだなって。」


 「そうなんだ。誠君って4組だよね。ホントに仲いいもんねー。」


 うんうんと相槌を打つ。


 「で、美海って子は何組なの?」


 え?


 芽衣が何を言っているのかよくわからなかった。


 「何言ってるの?美海じゃん、クラスメイトの。」


 アタシの言葉に芽衣はきょとんと首を傾げる。


 「琴美、何言ってるの?このクラスに美海なんて子いないよ。」


 目の前が真っ暗になるような気分がした。美海はこのクラスにいない?芽衣はいったい何を言っているの?しかし、芽衣が嘘を言っているわけではなかった。


 その後も芽衣が色々話をしていたようだったけど、何を話しているのか理解することもできず、アタシは放心してしまっていた。


 やがて、担任の先生がやってきて、朝の点呼を取り始める。しかし、美海の名前が呼ばれることはなかった。アタシは焦燥感に駆られ美海の席を見る。


 そこに彼女の席はなく、別の生徒が腰かけている。空席はない。


 思わずアタシは立ち上がり、教室を飛び出してしまった。後ろから担任の先生や、クラスメイトの呼ぶ声が聞こえてくるが、アタシは止まることが出来なかった。


 教室を飛び出ると、4組から優子と真一が出てくるのが見えた。アタシは急いで彼女たちに駆け寄る。


 「優子、大変なの!美海が!」


 慌てて言うアタシに優子も息咳き切らせて言う。


 「七海先生も居ないの。それに、誠が…」


 優子はアタシ以上に慌てて言葉も途切れ途切れになっている。


 「誠?誠がどうかしたの?」


 優子の肩を掴み、少しでも落ち着かせようと試みる。


 「誠が、変なの。七海先生居ないのに、その事に全然気づいてないみたいで。」


 アタシはもう、どうすれば良いのか皆目見当も付かなかった。いつも、誠や美海が何とかしてくれた。でも、美海はいないし、誠の様子もどこかおかしい。


 そんな時だった。並木先生が、アタシたちの姿を見つけて走ってくる。


 「あなたたちだけ?誠は?誠はどこ!?」


 並木先生は剣幕でアタシたちに詰め寄る。


 「ま、誠なら教室です。」


 優子の言葉に彼女は4組の教室に向かい、駆け出す。


 「ま、待ってください。誠も様子が変なんです。アタシたちだけでも状況を整理しないと…アタシたちも混乱してるんです。」


 何とか並木先生を伴って保健室までやってきたアタシたちは状況を整理するため、今起こってることを話し合った。


 並木先生は終始椅子にどっかりと腰かけ、片腕で頬杖を突きながら、不機嫌に机をタップしている。


 「すみれさんはどうなのかな?誠と同じように異変に気付いてないのかな?」


 不意に真一が言う。


 「そっか。もしかしたらすみれさんも誠みたいになってるかもしれないもんね。」


 優子がそう言うや否や、並木先生は保健室を飛び出していく。


 数分後、並木先生がすみれさんを引っ張ってきた。


 「並木先生、痛いです。そんなに引っ張らないで。」


 そう言いながら保健室に入ってきたすみれさんはアタシたちの姿を見て安堵の息を漏らす。


 「なんだ、みんなも居たんだ。あれ?美海ちゃんと誠くんは?」


 この時、この場の誰もが胸を撫で下ろした。すみれさんはちゃんと美海のことを覚えている。


 「それが、美海と七海先生が、居なくなってしまったんです。」


 すみれさんは理解できないと言わんばかりに頭の上に?マークを大漁に浮かべている。


 この後、アタシたちはすみれさんに事の経緯をアタシたちの知る限り懸命に伝えた。


 美海と七海先生が、居なくなってしまったこと。それも元々居なかったかのように。そのことに、アタシたち天文部の中で誠だけがこの異常に気付いていない事。


 もちろん、いくらおおらかなすみれさんでも、急に全ては理解できていなかったようだ。しかし、必死で伝えようとする私たちの言葉をなんとか呑み込んでもらえた。


 「でもどうして誠くんだけが美海ちゃんの事忘れちゃってるんだろうね。一番覚えてなきゃいけないのは彼なのに。」


 みんなで頭を捻るが、その原因は思い浮かばない。


 「やっぱり、誠連れてこなきゃ埒が明かないわよ!私引っ張ってくるから!」


 並木先生はそう言いながら保健室の扉に手を掛ける。


 「ちょっと、並木先生!ダメですよ。私の時も授業中にいきなり飛び込んできたのに。問題になっちゃいますから!」


 並木先生の手を掴みながらすみれさんは抗議する。


 「うるさい!離せ!七海が居ないんだったら、私が教師やる理由なんてないのよ!いつでも辞めてやるわよ!」


 ここまで余裕のない彼女を今まで見たことがあっただろうか。いつも冷静で、常に余裕をもってアタシたちのことを見てきた並木先生が、ここまで取り乱すとは。


 何とか並木先生を宥め賺し、昼休みに誠を連れてくることとなった。


 「あの、もしかして、これのことじゃないかな。」


 真一がぽそりと呟く。


 「真一。なんのこと?」


 優子が真一に問いかける。


 「ほら。美海が修学旅行の時に言ってた。誠を助けるとか、導くとか。」


 そう言えば、修学旅行の時美海は言っていた。


 「その時私はそばにいられないって…これのこと。」


 アタシたちの中に沈黙が流れる。並木先生はもう居ても立っても居られないといった雰囲気だった。


 そのまま、もう昼休みに入ろうかという頃、並木先生が保健室を飛び出していった。きっと、誠を強引に連れてくる気なのだろう。


 その後すぐに、誠を引きずりながら並木先生が戻ってきた。

 「なんだ、天文部勢ぞろいで。今日って誰かの誕生日だった?」


 誠がそんなことを心から思って言っていないことはアタシじゃなくてもわかる。しかし、そんなことに今は付き合っていられない。


 「誠…勢ぞろいって、それ本気で言ってるの?」


 アタシは誠に問いかける。


 「全員揃ってるじゃないか。なに、これ。ドッキリなの?」


 きっと彼も相当の居心地の悪さを感じているのだろう。誠らしくもない。いや、アタシたちの知っている彼とは何か違う。


 「美海が、美海が居ないじゃない。何言ってるの?誠。」


 優子が震えた声で言う。アタシももう気を失いそうだった。


 ドン!


 並木先生が座っていた机を拳で叩く。


 「美海だけじゃない!七海も!二人とも居なくなった!あんたでしょ!?二人のこと返しなさいよ!!」


 朝からのイライラがピークに達したのか並木先生は誠に掴みかかる。


 「痛い!並木先生。痛いですよ!放してください!」


 並木先生はしぶしぶといった様子で誠を離す。その動作は離すというより、突き飛ばしているようだった。


 そして、誠は言った。


 「みんな何を言ってるんだ。美海って…一体誰のことなんだ。」

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