42話 修学旅行だから! その5
優子は遠藤さんにオタクであることのカミングアウトをした。今までクラスの中では、そういったものに興味のない女子高生を演じてきただけに、本人には相当の覚悟が必要だったと思っていた。
「全然、そんなことないよ。だって、いずれは言おうと思ってたし、もしそれで嫌われちゃっても、私にはみんなが居るし。なにより、遠慮なくこういう自分が出せた方が、一千万倍楽しいって、気付いたから!」
そう言いながら笑う彼女を見て俺は思った。
「なるほど、だから以前は…」
そこまで出て不意に言いようのない不安感に襲われる。以前?いつのことだ。俺は高校生に戻った時、彼女のことを覚えていなかったはず…
覚えていなかったはず…
思い出したくなくて、忘れようと、記憶から…
俺はそこで、考えることをやめた。いや、拒否した。これ以上、自分の記憶を辿りたくはなかった。
しかし、その考えは、その後の俺の感性を見事に破壊した。その後見た美しい魚たち、海人の海は俺の視覚を通り抜け、記憶に留まることなく、走り去っていった。
きっと俺は操り人形のようなぎこちなさをしていたに違いない。
みんなもきっと気付いた。俺の異変。違和感。
ふと気付いた時には見学時間はもう僅かで、俺の手は美海と繋がれていた。その温かさにも気付けぬほど、俺は長く放心していたのだろうか。
美海は俺の目を覗き込む。
「誠、おかえり。」
そう微笑む彼女に、不甲斐なさやら、申し訳なさでなんと返していいか思い浮かばず、ついつい戸惑ってしまう。
「美海。手、繋いでてくれたんだな。なんか、その、ごめん。ありがとな。」
そう言う俺に美海はきゅっと手を握りながら言った。
「きっと、すごく辛いことがあったんだね。ちゃんと帰ってきてくれて、良かった。」
彼女の言葉に俺は何も言えず、ただただ彼女の大きく澄み切った瞳を見つめるだけだった。その瞳は水槽の青に染められ、より一層神秘的な輝きを纏っていた。
やがて、出口からみんなが呼ぶ声が聞こえる。
俺は、美海と繋がれた手をしっかり握り返し、二人で水族館を後にした。
その後のバス移動はとても騒がしいものだった。
本来のペースを取り戻した優子は、その持前のカリスマ性で、移動中の車内を大いに盛り上げた。オタクコンテンツもこのころには、かなり開かれた世界であったことを改めて実感する。
明日の班での自由行動もきっと楽しいものになる。そんな期待感を残したまま、俺たちの修学旅行のその折り返し地点は過ぎていった。
***
朝、琴美のかけた目覚ましの音で目を覚ます。昨夜、理子先生と話したこと。それは私に一つの確信を与えた。でもそれを彼に直接伝えることなど出来ない。
彼は向き合わなければならない。本当の自分と。本当に隠したがっている、彼の過去と。
そして私も向き合わなくてはならない。私の事を必要としてくれる、私の大切な彼の為に。そして、自分の為に。
昨夜、彼がくれた温もりは私の手のひらに確かに残っている。心から彼を信じると決めた。だから、鏡の自分はもう怖くない。
朝の支度を早めに終えた私は琴美に言った。
「みんなに話したいことがあるの。誠抜きで。だから、優子と真一誘って、少し早いけど、ご飯行こ。」
琴美はその場では何も聞かずに頷いてくれた。誠が彼にしては珍しく、深い眠りの中にいたことも好都合だった。
まるで、最初から決められていたかのよう。私がみんなに話をすることさえも。
朝食後、みんなを私の部屋に集める。
「みんなに、お願いしたいことがあるの。」
そう切り出した私に、みんなは静かに頷き、話の続きを促してくる。
「みんな、誠を、助けてあげて。導いてあげて。それが必要な時、きっと私は誠の傍にいてあげられないから…」
――
そんな話をしたのはもう昨日の事。今日はもう修学旅行も三日となる。明日にはもう、空港へ向かうだけで、実質的な修学旅行の最終日と言えなくもない。
私の中でもう一つ出来た確信。きっと彼は全てのピースを手に入れた。昨日の水族館での彼の様子は、そう思わせるのに十分なものだった。
きっと、このままというわけにはいかない。そんな予感が私の中にあった。
「美海ー?もう行くよ。準備できてる?」
そう問いかける琴美に私は笑顔で頷きながら、部屋を後にした。
***
班別の自由行動。私達が最初に向かったのはもちろん国際通りだった。自由行動では各班に一台ずつハイヤーがチャーターされる。俺たちのように人数の多い班には、希望に応じてワンボックスタイプのハイヤーを手配してくれた。
なのでいきなり最初にお土産物を買ってしまったとしても、荷物に困るという事はない。すべて車内に置いておけば良いのだ。
国際通りの土産物屋をみんなでゆっくり回る。
定番のちんすこうに沖縄限定のお菓子、シークワーサー味にパイナップル、黒糖に紫芋なんてものもある。
色とりどりのお土産物を流し見ながら国際通りを歩く。
「真一は兄弟多いからお土産も大変だな。」
すでに両腕を買い物袋でいっぱいにしている真一に声を掛ける。
「みんな、好きなものも違うし、分け合ったりするから種類は多い方がいい。」
そう言いながらまた違う土産屋で別のお菓子を見繕っている。やはり妹、弟だとお菓子の方が喜ばれるのだろう。
今度は琴美の方を見ると、彼女はシーサーの置物を眺めていた。
「シーサーの置物を買うのか?」
視線を上げた彼女は少し照れるように、明後日の方を向きながら言う。
「だって、パパが病院のデスクに置きたいって言うから。それに、せっかく私の部屋に置くんだったらお揃いの方がいいでしょ。」
照れながら話す彼女はどこか嬉しそうな様子だった。
「美海はなにか欲しいものあるのか?」
傍らの美海に声を掛ける。
「私は、特にないよー。お菓子とかはお姉ちゃんがいっぱい買うって言ってたし、特にお土産を渡す相手もいないからね。」
七海は美海の姉でもあり、保護者でもあり、教師でもある。なんともお得なようで、学校行事ではどこに行くにも保護者同伴となる。しかし、彼女たちは仲がいい。その事がストレスになることはないだろう。
「俺に買ってほしいものとかないのか?」
俺は少し勇気を出して聞いてみた。
「特に今はないよ。欲しいものがあれば遠慮なくねだるから、安心してね。」
語尾に星マークが付きそうな勢いで彼女は言った。
俺たちはさらに散策を続けていくと、遠藤さんが不意に言った。
「ねえねえ、この辺りにさ、よく当たる占いおばぁって言う人が居るんだって。」
「なにそれ?占いおばぁ?」
琴美は首を傾げる。
「うん。クラスのみんなも噂してたよ。私も先輩から聞いたんだけど、すっごく良く当たる占いおばぁがこの辺りで占いやってるんだって。」
そう言い、遠藤さんは俺たちを引っ張っていく。
「この辺りのはずなんだけどなぁ。」
遠藤さんに連れてこられたのはモールの一角。その薄暗い角に確かに占いと書かれた看板に小さく区切られたスペースがあった。
「人気なんだよな?人いないけど。」
遠藤さんの話だと、噂を聞きつけた学生なんかでいっぱいになっているはずなのだが、そこに人影はなかった。
「あれ、今日はお休みなのかな。」
その一角の様子に遠藤さんはきょろきょろと辺りを見回す。
「あ、そこね、去年からもうやってないよ。」
通りすがりであろうおじさんが挙動不審になっている遠藤さんに声を掛ける。
「え。もう辞めちゃったんですか?」
遠藤さんは食い下がる。
「もういい歳だからねぇ。繁盛はしてたみたいなんだけどねぇ。」
おじさんは肩を落としてそう言うと、去っていった。
「もう辞めちゃったんだね。」
優子は遠藤さんに慰めの声を掛ける。
「うん。でも、これでよかったのかもね。未来がわかっちゃったら、つまらないじゃん。」
琴美も優子に続いて遠藤さんに声を掛ける。
遠藤さんはしぶしぶといった様子ではあったが、一応の納得はしたのか、項垂れながら踵を返した。
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