41話 修学旅行だから! その4

 バスに乗って約二時間、途中の昼食をはさみつつ、俺たちは美ら海水族館へとやってきた。


 「なんでこんなに移動が長いの?」


 バスを降りた志信は、辟易しながら呟く。


 「南から北まで縦断したからな。道中ずっと窓の外見てただろ?どうだった?」


 「酔って気持ち悪いから外見てただけだよ。景色楽しむ余裕なんてないない。」


 バスの景色はとても綺麗で、沖縄の街並みを楽しむことができた。それを楽しめなかったとは実に勿体ない。


 しかし、実際効率で考えると、とても効率的とは言えないルートである。なぜこのルートにしたのだろうか。


 そんな会話を志信としつつ、長旅で固まった体をほぐす為に伸びをしていると、琴美が小走りに駆け寄ってきた。


 「ちょっと、聞きたいんだけど…」


 耳元に口を寄せ小声で俺に問いかける。


 「優子の様子、どうかな?」


 優子? 確かにいつもと比べれば静かだが特に気付くことはなかった。


 「特に気付くことはなかったな。確かに部室に居る時よりは静かだったけど。」


 俺の答えに琴美は納得できないのか、難しい顔をする。


 「あのね、誠。優子、結構なオタクじゃない。でも、クラスメイトの子といると、やっぱり自分が出せないというかさ。息苦しいと思うんだよ。こんないい方したら悪いんだけどさ、私達だけで回ることできないかな。」


 琴美が言っているのは遠藤さんのことだろう。


 確かに、俺も抜けていた。優子が最も輝ける瞬間は何をおいてもアニメなど、オタクとしての自分を出している時だ。大きな問題になっていなくても彼女の中では自分を自由に表現できない今の状況はかなりのストレスになっていたのかもしれない。


 しかし、本当にここで遠藤さんを遠ざけることが解決となるのだろうか。もしも失敗したら彼女は怒るだろうか。


 心の中に渦巻くどす黒いものを必死でかき消す。


 「いや、このままのメンバーで回ろう。せっかくの修学旅行だ。みんなで楽しもうぜ。」


 「ちょっと、誠!」


 未だ納得していない琴美を尻目に俺はある決意をした。それは彼女が今以上に輝くため。そして、これからも輝き続けるための魔法。


 そして、そのタイミングはきっとすぐに来る。


 各々が班ごとに分かれて水族館の中に入っていく。


 俺達も一足遅れて水族館に入館した。俺たちと同じように他所の修学旅行生や、一般の入場客に囲まれながら、俺たちは四階から見下ろすサンゴ礁を見ながら順路を歩く。色とりどりのサンゴ礁を実際に見てみると、俺たちの期待は否応なく高まっていく。


 そして三階へと歩を進めた俺たちに、先ほど上から見下ろしたサンゴ礁が眼前に飛び込んでくる。


 「わぁ、綺麗…」


 色とりどりのサンゴ礁に発色鮮やかな熱帯の魚たちが乱舞している。


 その時初めてわかった。この非効率なルートの意味が。


 「きっと、この海を見せたかったんだろうなぁ。」


 心の声が口を突いて出る。


 みんなで並んで水槽の前に立つ。淡いブルーにサンゴの赤や黄色。まるで、海の中に天の川があるようだ。


 先ほどから真一は熱心に写真を撮っている。


 「真一、写真ばっかりじゃなくてしっかり目でも見とけよ。」


 俺の言葉に真一はハッとしながら水槽に齧り付く。その姿に笑いながら俺たちはさらに歩を進める。


 そして俺たちは黒潮の水槽の前にやってきた。


 圧巻の大水槽を前に俺たちは食い入るように水槽を見る。雄大に泳ぐジンベイザメ。そして、沖縄では出会ったものに幸福をもたらすと言われているマンタ。広大な水槽の中を泳ぐ彼らは、限られた自由の中でも自己を隠すことなく存在している。


 チラリと優子を見る。遠藤さんにあれこれと話を振られ、ぎこちない笑みを浮かべている。


 「おい、優子!ジンベイザメとマンタとタイマイだぞ!あれやろうぜ!」


 俺が言っているのは最近話題になったアニメの主題歌だ。その主題歌の中でキャラクターたちが独特のダンスをするので有名になったのだ。


 「え、いや、だって、その。」


 優子は驚きと焦りを隠せないでいる。


 「ほら、マーンタ!タイマイ!ジンベエー!はい!」


 俺は音頭に合わせて手足をくねくねさせて水槽の前で踊りだす。


 正直、メチャクチャ恥ずかしいがここで止めるわけにはいかない。


 「なーみーにゆられーてーおしりだーしてー!」


 気が付くと、隣で琴美も一緒に踊っている。


 「ほら、優子も!」


 優子は未だに戸惑っている。


 「え、なになに?これどういうこと?」


 遠藤さんは突然のことに驚きを隠せないでいる。


 美海と真一も、俺の真意を察して、見様見真似で踊りに参加する。同じフレーズを繰り返している俺たちの声はだんだん大きくなり、周囲も人だかりができ始めていた。


しかし、声量だけは落とさない。


 やがて、周囲の人の中でもアニメを知っている人が合唱に参加しだす。


 ここまでなってしまうと参加するにも相当の勇気が必要だろう。でも、優子なら絶対に乗り越えることができる。その確信めいたものが今の俺にはあった。


 優子は俯き、肩を震わせると、ガバッと顔を上げて言う。


 「もう!みんなへたっぴ!恥ずかしがってやるダンスじゃないの!」


 優子は吹っ切れたように俺たちのダンスの列に加わるとキレッキレのダンスを披露する。


 周りの観客からは歓声が上がり、ますます人込みが増えていく。


 騒ぎを聞きつけた警備員さんが走ってきたので、俺たちは慌てて逃げだした。


 「はー。はー。なんのつもりよ。もう、最低だよ!」


 息を切らしながら優子は俺に文句を言う。


 「ぜー。はー。わかってるだろ。もう、自分を隠すの、やめようぜ。」


 俺も荒くなった息を整えながら優子に笑いかける。


 「もう!こんなやり方、最悪!こんなことする必要なんてない!」


 優子はぷんすかと捲し立てる。


 「私、自分の事もう隠すつもりなんてなかったのに。皆にいっぱい勇気もらったから話すタイミング考えてただけ。」


 そう言う彼女の目尻には涙が浮かんでいる


 「だから、私の為に…みんなが恥なんて…かかないでよ…」


 やがて、彼女の言葉は途切れ途切れになり、瞳からは大粒の涙が零れ始める。


 「私…みんなと会えて、本当に嬉しかったの。最初は事故みたいな始まりだったけど…でも、自由に自分のこと、表現できるみんなと会えて、本当に…嬉しいの。そんな最高の友達に…恥なんてかかせたくない!」


 彼女の真摯な思いは俺たちに言葉を呑み込ませるには十分だった。


 やがて、美海が静かに彼女の肩を抱く。


 「恥だなんて、思ってない。だって、友達の為に、親友の為に何かしたいって立派な事じゃない。」


 「アタシも優子に会えて良かったと思ってるよ。優子はいつでもアタシに本音でぶつかってくれた。自分の好きなもの、いっぱい教えてくれた。」


 琴美も優子の反対側の肩をそっと抱く。


 そこに、どれほどの想いがあったのだろうか。どれほどの感情が渦巻いていたのであろうか。優子の涙は止まるところを知らず、流れ続けた。


 「ちょっと、みんなー。急において行かないでよー。」


 しばらくすると、遠藤さんが俺たちに追い付いてきた。


 「え?なに?何で優子泣いてるの?警備員に怒られた?」


 俺たちの異様な光景を目の当たりにした遠藤さんがフリーズする。


 優子は目元の涙を拭いながら、遠藤さんに向き直ると、はっきりとした口調で言った。


 「私ね、オタクなんだ。アニメとか大好きだし、アニメの話とかいっぱいしたい人間なんだ。」


 優子の告白に遠藤さんは呆気に取られつつ、口を開いた。


 「知ってるよ。だって、優子時々アニメネタとか、キャラの口調マネするじゃん。今時、女子でもアニメのこと位わかるよー。」


 俺たちの間に沈黙が流れる。なんだ?優子が今まで巧妙に隠し通してきたと思っていたことはすべてバレていたのか?


 「で、でも、みんなそんなこと一言も言ったことなかったじゃない。」


 優子はしどろもどろになりながら遠藤さんに問いかける。


 「だって、優子、隠したがってるんだなって思ってたもん。皆と話したいなら素直に言えばいいのにさー。」


 「私の苦労っていったい何だったの。」


 優子の体から力が抜けていく。


 「案外、悩みって本当に当人の心の中だけに有って、周りからすれば全然大したことじゃないのかもしれないな。」


 俺のビシッと決めた統括に一瞬の静寂が走る。


 「あはははは。カッコつけないでよ。振り回されてあんなへっぴり腰のダンスしたくせにさー。」


 遠藤さんは吹き出しながら俺を指差して笑う。


 それにつられてか、琴美、美海、真一、そして優子。次々に笑いが伝染していく。


 ひとしきり笑い終えた後、優子は遠藤さんの手を握る。


 「ありがとう。」


 そう微笑んだ彼女は、俺たちに振り返る。


 「みんなも、ありがとう!」


 最高の笑顔を湛え、高らかにそう言った。

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