36話 みんなに伝えたいことがあるから!

***


 中学の時から友達なんて一人もいなかった。


 僕はいわゆる中二病だった。いや、今でもそうかな。


 友達のいない僕を慰めてくれるのは、妄想の中だけだったから。


 高校に入ったら、そんな自分を変えてやろう。ずっとそう思ってきた。


 でも、何も変わらなかった。同じ中学のクラスメイトから僕の噂はすぐに広まった。


 クラスの中で僕の存在はまるで居ないものだった。


 話しかけても無視された。それだけならまだいい。


 毎日殴られた。蹴られた。トイレで水を掛けられたこともあった。


 殴られたところが痛くて痛くて、一人、隠れて泣いた。


 僕が強かったらな。イジメてきた連中の前で大泣きでも披露してやればよかったのかもしれない。


 あるいは先生に泣きついていれば。


 でも、出来なかった。だって、妄想の中の自分と、それはあまりにもかけ離れているから。


 二年になってもそれは変わらなかった。いや、暴力はさらに増した。僕の体には毎日新しい痣が付いた。


 生徒会選挙の時、僕をイジメていた連中は僕を無理矢理立候補させた。彼らは何かを期待したわけじゃない。ただ、僕を晒し者にして笑いたかっただけなんだ。


 結局、他に候補者もいなかったし、そのまま会長になってしまったよ。


 「よろしく。」


 そう差し出した手を見て、副会長は短く舌打ちを返しただけだった。


 次の日から、生徒会室は僕一人だけだった。


 副会長も書記も会計も、あれ以来、誰も顔を出さなかった。


 来る日も来る日も一人で書類に目を通し、一人で業務をこなした。


 三年生になってようやく暴力は無くなった。でも、クラスの中で僕の位置付けは何も変わらなかった。


 そんな時だったよ。キミたちが来たのは。


***


 それは、あまりのも重く暗い、藪の過去。


 俺に話しているようでいて、それは独白のようでもあった。


 「教頭先生が教えてくれたんだ。文化祭の時の経緯をね。それでも、それでも僕は…」


 俺は、何か言葉を掛けるべきだったのかもしれない。しかし、彼のそのあまりにも陰鬱な過去、暴力に対する思いを知った今、俺は言葉を紡ぐことがどうしてもできなかった。


 「おいおい、可哀想とか思ってるんじゃないだろうね。僕も悪いんだよ。ずっと自分の殻に閉じこもって、高校三年になって未だに中二病のままさ。そりゃ、同級生も気持ち悪がるさ。」


 違う。それは違うぞ。


 「キミたちにも悪いことをしたと思ったよ。完全な逆恨みに付き合わせて、酷いことも言った。今回は僕が完全に悪かったよ。この通りだ。」


 藪はまっすぐに、俺に向かって頭を下げる。


 「いや、謝ることは何もない。俺も間違ったことはしたつもりもないし、先輩も、何も間違ったことはしていない。」


 藪は驚き、顔を上げる。


 「でも僕は君たちの事情も知らずに色々と酷いことを。」


 「そうだ。知らなかったんだから仕方ない。お互い、自分の正しいと思ったことを突き通しただけだ。何も悪くなんかない。」


 藪は驚き顔のまま、しばし固まり、突然、大声で笑い始めた。


 「あはははは。いや、初めてだよ。こんな形でも、自分が肯定されるのは。気持ちいいもんだな。キミたちとはもっと早くに出会いたかったよ。」


 彼はずっと一人ぼっちで戦ってきたのだろう。自分の中で信念を固め、中二病という武器で自分を守り、決して折れないように、倒れないように耐え忍んでいたのだろう。


 「キミたちは僕の事、気持ち悪がらないんだね。」


 藪はそう言いながら自嘲気味に笑う。


 「十分気持ち悪かったよ。腹も立ったし、ムカついた。」


 「キミはストレートだな。僕でも傷付くんだぞ。」


 「だって、俺も知らなかったからな。仕方ないでしょ。」


 藪は再び声を挙げて笑う。


 「あはははは、全くその通りだ。お互いの事知らなかったんだから仕方ない。」


 藪はひとしきり笑った後、それまでもたれていたフェンスに足を掛ける。


 それはあまりにも突然の事だったため、俺は完全に出遅れてしまった。


 彼は軽々とフェンスを乗り越え、屋上の縁に立つ。


 「な、何を…」


 彼はそのまま縁を歩き、校庭に向かって叫ぶ。


 「僕はここにいるぞー!」


 それは彼の心の奥底からの叫びだったのだろう。


 しかし、そんな彼の声は学校中に響き、生徒たちが集まってきてしまった。


 生徒たちは皆、校庭から屋上の藪を見上げている。


 「とりあえず、危ないからこっち戻って来いよ。」


 俺は恐る恐る藪に声を掛ける。


 そんな俺を片手で制して藪は校庭を見下ろす。


 集まった生徒は藪を指差し、徐々にざわめきを広げる。


 「おい、あれ、やぶ蚊じゃね?」


 「あいつ遂に飛び降りるの?」


 「馬鹿、あいつにそんな度胸ねえよ。」


 「ふふふ、やぶ蚊か。僕にお似合いのあだ名かもね。」


 藪はそう言い、自嘲気味に笑う。


 「そんなことない。なんだそれ?全然上手くねえ。意味わかんねえよ。」


 本当に意味が分からない。どうして、一人の人をそんな呼び方することができるんだ。どうしてここまで追い詰めることができるんだ。


 しかし、事態はさらに俺たちが予想もしていなかった方向へと進んでいった。


 「…飛ーべ!」


 それは、誰か一人の声から始まった。


 「飛ーべ!」


 「飛ーべ!飛ーべ!飛ーべ!」


 下から沸き起こる飛べコール。自分の中の血液が、体中の液体が逆流するような感覚が俺を襲った。


 俺はよろよろとフェンスに近寄る。けして藪を刺激しないよう、彼との距離を保ったまま下を見下ろす。


 こ、こいつら。


 かつて、藪が俺に向けた敵意、悪意。その何十倍もの悪意がそこにはあった。


 彼らは無邪気に悪意を彼に投げかける。無責任に、身勝手に。


 その時、屋上の扉が開く。そこに居たのは天文部の面々だった。


 「誠、どういうこと。なんでこんな。」


 優子は心配そうに俺に声を掛ける。


 「彼は何も悪くないよ。もともと、僕はこうするつもりだったんだ。キミたちを巻き込んでしまって本当に申し訳ないと思うよ。」


 そう言いながら藪は再び下を見下ろす。


 「おい、何言ってんだよ。やめろよ。そんなこと、あいつら何にも感じないぞ。」


 震える声で必死に訴える。だってお前、今まで必死に頑張ってきたんだろ。ずっと耐えてきたんだろ。


 しかし、眼下のざわめきはますます大きくなっていく。


 「飛ーべ!」


 「飛ーべ!!」


 「飛ーべ!!!」


 フェンスを握る手が震え、足の力が抜けていくのを感じる。


 藪はその光景をどこか他人事のように眺めながらため息を吐く。


 「おい!やぶ蚊ー!早く飛べよー!」


 またしても誰かの声が響いてくる。ダメだ。もう我慢できない。


 「…お前ら!黙りやがれ!本当にゴミだな!そうやって人の足を引っ張って。恥ずかしくねえのか!」


 俺の叫びが校庭に木霊し、彼らの中に静寂が走る。


 しかし、それは一瞬のことで、再びざわめきが戻ってくるとその矛先は俺に向かっていた。


 「誰?あいつ?」


 「なんか、キモくね?」


 「マジウザい。なんなの?」


 「お前も一緒に飛べよ!」


 誰かが放ったその言葉に再び周囲が同調を始める。


 「飛ーべ!」


 「飛ーべ!!」


 「飛ーべ!!!」


 それには今まで平静を保ってきた藪も堪えたようで、申し訳なさそうに俺を見る。


 「先輩、こんな奴らの為に死ぬことなんてない。こんな奴らには絶対に負けちゃいけないんだ。」


 生まれて初めて味わう大量の悪意。自分の無力さ、それらが重なり合って涙が止め処なくあふれ出してくる。


 自分の心音が徐々に大きくなり、周りの音が遠くなる。


 周囲の声、音、それらが全て心音に飲み込まれていく。


 その時だった。


 「炎の精霊よ!彼を悪意から守り給え!アグニボルケーノ!」


 藪は突然叫びだした。


 俺も、声を挙げていた当人たちも、一斉に静寂に包まれる。


 それは、驚き。呆気。


 頭に上った血液が一気に冷やされ体を駆け下る。それと同時に堪えきれない笑いがこみ上げてきた。


 「あははは、なんだそれ。」


 俺は盛大に吹きだした。


 当の藪は顔を徐々に朱に染めて、はにかむ。


 「どうだったかな?」


 「いや、サイッコー!」


 俺たちはもう、やじ馬の声など届かない。


 俺は頬を流れる涙を拭い、藪に笑いかける。


 すると、いつの間にか、俺たちのすぐそばまで来ていたすみれさんが、腕を伸ばし、藪の袖口を掴む。


 「藪君、ごめんね。私も一年の時、クラスメイトからずっと無視されたりしてて、同じような苦しみを持つ藪君のこと、見つけてあげられなかった。」


 そうだ。彼女も一年の時、クラスメイトから無視され続けた過去がある。そして彼女はワンゲル部に自分の居場所を求めたのだ。


 藪は掴まれた袖口を振り払うこともできず、その場にへたり込む。


 天文部のみんなも、慌てて駆け寄ってくる。


 「そうか。俺だけじゃ、なかったんだな。」


 その言葉は哀しさ、安堵、脱力、そして、希望。色々な感情が入り混じった、吐息のような言葉だった。


 俺たちは藪を抱え、フェンスの向こう側へと押しやる。


 飛べと騒ぎ立てた生徒も、ただ野次馬をしていた生徒も、騒ぎを聞きつけた教師たちに次々に散らされ、再び静寂が戻ってくると、藪は事情を聞きに来た教師に連れられ、屋上を後にした。


 翌日、臨時の全校集会が開かれることとなった。もちろんこれは、藪の強い希望があってのことである。


 体育館に集まった生徒たちの騒めきが徐々に静まり、緊張感が高まっていく。


 そして、生徒たちを静寂が支配すると、一人の生徒が壇上に登った。


 それは他でもない。藪自身だ。


 藪は生徒一人一人の顔を確認するようにゆっくりと見渡すと、静かに、しかし、とても力強い口調で話し出した。


 「全校生徒のみなさん、おはようございます。生徒会長の藪です。まずは昨日、大変お騒がせしたことを心よりお詫びします。僕は、一年生の時から、クラス中からイジメを受けていました。」


 その言葉に体育館中にどよめきが走る。


 「クラスの生徒たちは僕のことを無視し、テストの日、僕の回答用紙だけもらえない事もありました。だれも、僕に手を差し伸べてくれる人はいませんでした。」


 どよめきはすぐに収まり、皆、息を呑んで藪の話に耳を傾けていた。


 「クラスメイトの数名から毎日のように暴力を受けました。体中、痣ができ、痛くてシャワーを浴びることができない日もありました。」


 「誰にも相談できませんでした。僕に友達はいませんでしたし、先生方にも相談できませんでした。イジメられていると言うのが恥ずかしかったのです。」


 藪の話に、涙を流す者もいる。


 「そして、遂に昨日、僕はいっそ死のうと…………死んでやろうと思い、実際に行動しました。」


 それはとぎれとぎれの沈黙。藪自身も、言葉に詰まりながら、しかし、声色だけは決意に満ちて。


 「結果として、僕はまだ生きています。それは、僕のことをしっかり見て、理解を示してくれたかけがえのない友人たちを得ることができたからです。彼らは、僕に投げかけられた心無い言葉に一歩も引くことなく、僕のことをかばってくれました。…僕に…………手を差し伸べてくれました。」


 ここで、藪の声色は一つ優しく、それは心に語りかけるような口調に変わる。


 「僕はなにも、僕をイジメた人に復讐や、ましてや同情が欲しくて、こんな話をしているわけではありません。みなさん、前後左右の学友の姿を、顔を、しっかり見てください。」


 もはや、藪の言葉に異論を唱える者はいない。各々、振り向き、振り返り、周囲のクラスメイトや同級生に視線を交わらせる。


 「あなたの隣の生徒は大丈夫ですか?あなたの前後の生徒は毎日楽しく、笑って学校に来てますか?困ったことを抱えた人を無視していませんか?」


 それはこの集会で藪が、一番みんなに伝えたかったことだろう。


 「もしも、思い当たることがあった人はその小さなヘルプを、どうか見落とさないであげてください。ありがとうございました。」


 そう締めながら、藪は姿勢を正し、皆に礼をする。体育館からは万雷の拍手が誰からともなく響き渡る。


 すると、藪は腕をバッとまっすぐ突き上げた。


 一瞬で体育館が静寂に包まれる。


 「万能の神、ジバニトスよ!全校生徒に祝福あれ!」


 藪はそう高らかに宣言した。


 みんなは呆気に取られ、意味も分からず、ざわめき一つ立てられずにいた。


 「藪くーん、やっぱり中二病は気持ち悪いよー。」


 三年生の列からすみれさんの間延びしたツッコミが入る。


 すると、先ほどまでの静寂が嘘のように体育館は笑いに包まれ、藪は満足そうにもう一度、深く礼をして、壇上から降りた。


 その後、俺は、いや、きっと俺たちは赤くなった鼻をもう一度啜りながら、体育館を後にした。

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