第13話 美海の過去だから!後編

 その違和感にはすぐに気付いた。

 姉が私に朝の準備を促してくる。

 しかし、このころすでに姉は自室に引きこもっていたはず。

 その姉が一張羅のスーツに身を包み、私に準備を促す。

 「私、美海ちゃんの担任持ちたかったなぁ。」

 残念そうに言う姉の言葉もまるで頭に入ってこない。

 「ねぇ、美海ちゃん、部活何するか決めてるの?」

 姉は私に問いかける。私は何も答えられない。

 「お姉ちゃんね、いい考えがあるんだ。新しい部活作らない?美海ちゃんが部長さんでお姉ちゃんは顧問の先生!」

 部活、顧問、先生。思い当たりそうで私の記憶とは全く当てはまらない単語の羅列。その前は担任がどうとか言っていた。

 疑問符だらけのまま姉と家を出る。かつて短い間だったが私が通っていた高校。

 その校舎を見た時、すべてを理解した気がした。それは、かつて私が星に願った事。

 入学式を終えると私は彼を探した。かつて彼がいたクラスは何組だったか。クラス分けの名簿を見て彼の名前を探す。

 姉が担任を務めるクラスにその名前はあった。私は早速彼のクラスを覗き、彼の姿を見つける。

 友人と話す彼の姿を見た時、私の心は歓喜した。そう、それはほんの少し前まで中学生だった子供の姿。なんの罪も穢れも知らない彼の姿がそこにあった。

 やりなおせる。今度こそ。

 帰宅した私に姉は満面の笑みで用紙を渡す。

 新規部活動申請書

 そう書かれた紙を受け取り合点のいかぬ顔をする私に姉は言う。

 「朝言ったでしょ。新しい部活だよ。私ね、天文部がいいと思うな。美海ちゃん、昔から星見るの好きだったじゃない。」

 姉は楽しそうに言う。私は受け取った紙を見ながら考える。

 たしかに、新しい高校生活を彼と同じ部活動で過ごすことが出来たらそれはどれほど素敵なのだろうか。

 「お姉ちゃん、この部室ってとこ、私、希望があるの。」

 それはかつて、私と彼が初めて出会った場所。彼が私に希望をくれた場所。

 次の日から、私は彼を待つ。昼休みに。放課後に。しかし、彼が姿を現すことはなかった。わかっている。自分が行動しなければ、未来は何も変わらない。しかし、その勇気が私にはなかった。

 私が再び高校生になりもう一週間、未だ私はなんの行動も起こせずにいた。今日もいつものように新部活の部室となる自習室で彼を待つ。そして彼は来た。

 彼は誰もいないであろうその教室に私がいたことに少し驚いた雰囲気だったが購買で買ったであろうパンを一人で食べていた。

 しかしその姿に私は若干の違和感を覚える。先日見た子供のような彼とはまるで雰囲気が違う。そう、まるで…私のような。

 背筋を冷たいものが走る。もし彼も高校生になっていたなら。行動しなければと思っていた私の心は途端に臆病風に吹かれる。

 そうこうしているうちに彼はパンを食べ終える。このままでは彼は去ってしまう。私は立ち上がり、彼に紙を差し出す。

 しかし、それだけ。私は彼に言おうと思っていた言葉も何もかもが頭の中から消え、ただ紙を彼に差し出したまま黙り込んでしまった。

 彼の目を直視することもできず視線は宙を舞う。そんな私を見かねたのか彼が尋ねる。

 「部活、何部かな?」

 「天文部、ここに来たから興味あるのかと思って。」

 そんなわけがない。天文部なんてまだない。ましてや、ここで勧誘していることなど、誰にも言ってないのだから。それでも、それが、私にできる最大限の言い訳だった。

 それでも、彼は私を私と気付いていないようだった。今にして思えば、大人の私は眼鏡もかけていなかったし、髪型も髪の長さも全然違う。一目で私と判別するのは無理があったのかもしれない。

 そして、彼は私の作る天文部に入ってくれた。彼の差し出す入部届に、彼の名前を見た時、涙が溢れて止まらなかった。

しかも彼は部活設立のために部員のみんなを集めてくれた。彼が尽力すればするほど私の不安は大きくなった。

 そして、GWに入り、私の疑問は確信に変わった。

 きっかけは姉と一緒に行った並木先生のマンション。そこに彼は居た。

 「ねぇ、並木先生と…どんな相談してたの?」

様子を見る。彼の姿はまるで高校生ではない。大人そのものだ。

 私は確信した。彼は私との記憶を持っている。そして、その上で私と一緒に居てくれている。

 微かな喜びとともに彼に対する罪悪感が、呵責が私の中で膨らんでいった。

 彼は以前と変わらず私のことを愛してくれるのだろうか。私のことを許してくれるのだろうか。

 私はしばらく彼の顔もまともに見れなくなった。二人になっても、彼にどんな言葉を言えばいいのかわからなかった。

 七夕の日、私は部室で一人、雲に覆われた空を見ていた。そして彼はそこに来た。

 私の横で同じように空を眺めた。私は少し震える声で彼に問いかける。

「どうして七夕の日って毎年雨なのかな。」

 帰ってきたのはあの日と変わらぬ答え。私の心が喜びと罪悪感でいっぱいになる。それでも彼は私の隣に居てくれる。

 彼は私に言う。嫌いになどならないと。

その言葉だけが、押し潰されそうな私の心を支えた。

 そして、私はずっと考えている。

 どうすれば…彼の心を救えるのだろう…

***

 みんな、美海の言葉を黙して聞き続けていた。美海が過去の記憶を持っていることに、俺はもう気が付いていた。

 しかし、美海が俺の元妻と、奈緒子と会っていたとは…

 「どうして、この話を私たちにもするの?」

 優子が沈黙を破る。

 「知っていて欲しかったから。みんなのことは仲間だと思ってるから。」

 暗闇のせいでお互いの表情はわからない。

 「やっぱり、あれはアニメの話なんかじゃなかったんだね。

 優子が呟く。

 「じゃあ、誠がウチに来た時、見た未来って言ってたのも…」

 「実際に見たことなんだ。未来が見えるわけじゃない。実際に体験したことなんだ。」

重苦しい沈黙が流れる。

 「私、美海が並木先生と話してるところ、聞いちゃったんだ。正直信じられなかったけど、思い当たることもたくさんあったからさ。」

 優子は穏やかな口調で言う。

 「みんなには隠していて、ごめんなさい。」

 「ほんとだよ。ずっとずっと寂しかった。美海と誠が私たちとはまるで違う位置に立ってるようで。」

 「おまけにすぐ二人の世界に入っちゃうしさ。まるでアタシたちなんて眼中になくてさ。」

 美海の謝罪を皮切りに優子と琴美が堰を切ったように不満をぶつける。

 「誠が許してくれないとか言ってあんなイチャイチャしてて何言ってんのって感じ。」

 「二人とも中身はもういいオジサンオバサンなんでしょ。それなのにそんな拗らせ方してて周りのアタシたちが恥ずかしいよ。」

 「誠も恥ずかしいと思わないの?こんなに女の子に言わせてさ。黙って聞いてるだけなんて卑怯だよ。誠の想いも話したらどうなの。」

 二人の言う不満は尤もだ。俺たちはお互いを意識して仲間のことをないがしろにしていたのかもしれない。

 「俺は…俺の想いは…」

 「逃げるなよ。オジサン。未来変えるんだろ。」

 言い淀む俺に琴美が拳で胸をつつく。

 「…聞いてくれるか。俺の話。」

 「うん、聞かせて。」

 美海が言う。それに合わせて、表情まではわからないが他の三人もうなずいているのがわかる。

***

 最初から、気付いていた。俺が妻と別れて田舎に逃げた先、そこで就職した会社で始めて美海を見た時から。

 記憶の中にある姿は朧気ではっきりとした確証を持てたのはあの夜。二人の愛を確かめ合った時。でも、その以前から俺には美海があの時、自習室にいた女の子だということはわかっていた。

だって、隠しようがないから。心の奥深くまで映し出すような澄んだ瞳。俺はかつて、その瞳を持つ名前も知らない女の子に恋をした。

でも、俺がその子に会えたのは一度だけ。その後俺は事故に遭い、再び登校してきた時にはその子は学校のどこにも居なかった。

俺はその子のことを忘れるようにバイトに励んだ。余暇など作りたくはなかったんだ。

 そしていつか働くことに目的をすり替えていった。そんな張り詰めた思いの中、奈緒子に出会った。

 確かに俺たちの亀裂は奈緒子の浮気が決定打だった。でも、俺はそのことで奈緒子を責めることはできない。

 奈緒子の浮気を知ってしまった日。俺は気付いてしまった。本当は奈緒子のことを愛しきれていない自分に。その時から俺は女性に触れられなくなった。

 本当は知っていた。奈緒子は子供の玲が生まれる前からいろんな男の人と会っていた。

 だって、奈緒子は微塵もそのことを隠そうとはしてなかったから。いや、最初の方こそ隠してはいたのかもしれない。

 でも俺は、仕事を言い訳にそこから目を逸らし続けていたんだ。

 そしてある日、また気付いてしまった。玲の俺を見る時の父親への純粋な愛情を向ける視線に。俺はそれまでの偽りの愛情に塗れた自分があまりにも惨めになった。

 「もう終わりにしよう。他に、好きな人が出来たんだ。」

そう言うと奈緒子は憑き物が落ちたような顔で言った。

 「そう、私もやっと自由にできるのね。」

 俺は、未だに奈緒子が浮気をしたとは思っていない。最初に、いや、最初から気持ちが離れていたのは俺の方だったから。

 逃げるように地元を去った。逃げた先で美海を初めて見た時は驚いた。かつて俺が恋をした澄んだ瞳。

 俺たちは恋をした。俺とは違う道を歩んできた彼女はあまりにも無垢で、あまりにも純粋で、あまりにも眩しかった。そんな彼女に俺はますます惹かれていった。

 彼女に面識があったことを自分から告げることはできなかった。単純にそんな奴、気持ち悪がられるんじゃないかと、そう思ったからだ。

 俺は自分があまりにも汚れていると感じた。本当に彼女と恋をする資格が自分にあるのだろうか。そんなことを考えるようになった。

 そしてあの夜。彼女が俺との面識を覚えていたことを知った。それだけじゃない。あの時から、ずっと彼女は俺のことを想い続けてくれていた。一途に純粋に俺を愛し続けてくれていた。

 そして彼女は言った。

 「逃げないで。」と。

 俺は逃げてばっかりだった。彼女のいない日々から奈緒子に逃げて。またそこからも逃げ出した。俺はどうしたらいいのか、わからなかった。

 俺は、美海からも逃げ出した。

 せめて少しだけでもと、奈緒子に連絡を取り、玲に対する父親の責任を果たそうとした。

 奈緒子は迷惑そうだったが、俺の申し出は一応受け入れてもらえた。

 その行為をいつまで続ければいいのか。それで本当に向き合ったことになどなるのだろうか。わからなかった。わからないなりに続けた。

 そして、ある日俺は高校生に戻っていた。

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