第12話 美海の過去だから!前編

 私達は私がまだ幼い頃に両親を亡くしており、親戚の家で育てられた。そんなこともあり、私は自分の気持ちを人に伝えるのが苦手だった。

 姉はそんな私を気遣ってか「私が就職したら、二人で暮らそうね。」とよく私を励ましてくれた。

 そして、姉は教師として働きだし、私たちは親戚の家を出た。

 しかし、そんな生活は長く続かなかった。

 姉は就職先の学校でのストレスが原因で、私が高校に上がるころには部屋に引きこもりほとんど外に出なくなった。

 そんな生活がいつまでも続くはずもなく、私と姉は今度は遠く離れて暮らす祖父母の家に引き取られることとなった。

 そんな時、彼と出会った。

昼休みの自習室、いつも誰もいないと思っていたその教室。彼はそこにいた。一人で購買のパンを齧り、誰と話すでもなく静かに佇む。

 きっと私の方が不意の来訪者だったのだろう。普段利用者のいない自習室。きっと彼はいつも一人でそこで昼食をとっていたのだろう。

その日は雨で、私は空を見ていた。小さな時に両親と話した僅かな思い出。

 「ねぇ、どうして七夕って、毎年雨なのかな。」

 本当にどうかしてたんだと思う。一人そこで昼食を食べていた彼に私は声をかけた。最初彼は驚いた顔をしたが、その言葉が自分に向けられていることを悟ると窓辺に来た彼は私と同じように空を見上げてこういった。

「昔、母ちゃんに聞いた話だけどな。七夕の日には彦星様と織姫様が年に一度だけ出会う日だろ。だから、そんな二人が誰にも邪魔されないように、神様が雲で二人を隠すんだよ。もし七夕に晴れたら、そんな二人が人々のお願いを叶えようと空の上から俺たちを見ているんだ。」

 私は耳を疑った。昔両親にした質問。その質問に彼は両親が私に帰した返答と同じ返答を私に返すのだ。

 「二人はさ、年に1回しか会えなくて、それまで遠い遠い星にいてさみしくないのかな。」

 同じく両親に投げた質問を試すような気持ちで彼に投げかける。

「どんなに距離が離れていても、どんなに会える時間が少なくとも、二人がお互いを思い続けている限り、いつかまた出会える。そう思ってるからきっと二人も寂しくないんだよ。」

 またしても両親と同じ返答が帰ってくる。彼とのやり取りは高校生活の中で、たったそれだけ。一目惚れにも満たないような歪な想い。

 けれど、私の中で彼は急速に大きくなっていった。彼のことがもっと知りたくなった。

私は彼の友人、同じ中学校の出身者。色々な人に彼のことを聞いた。小さな時からリーダー格で、ずっと空手をしていた彼は中学の時に突然空手を辞めた。

 そして時期を同じくして必要以上に人とかかわるのを避けるようになっていた。昼食は人のいないところで一人で取り、放課後はバイトがあると言いすぐに帰宅する。

 彼のクラスメイトもそんな変わり者の彼を煙たがっているような雰囲気だった。ただ一人、彼の幼馴染の子だけが、嬉々として彼のことを話してくれた。

 そして、彼を自習室で見かけた翌日から、彼は自習室にも来なくなった。というよりも学校で彼を見なくなった。

 彼のことを話してくれた彼の幼馴染に話を聞く。どうやら、その日の帰り道事故に遭い骨折。今は入院をしているらしい。

 私はもう一度彼に会いたかった。私が高校を去り祖父母の家に引き取られるまで幾何の時もなかった。でも、私は彼に会いに行く勇気はなかった。

 彼の幼馴染は彼の病室に毎日のように行っているある生徒のことを教えてくれた。

 私はその生徒に会いに行く。彼とは別のクラス。教室でポツリと座ってはいるが大きな体格に強面の顔。正直話しかけるのを躊躇った。

 「どうして彼に会いに行くの?」

 私は強面の彼に聞く。彼は私の意図を理解してか知らずか、静かに答えた。

 「彼も、寂しそうな雰囲気がするから。」

 そう言葉少なげに答えた彼に、私はお願いをする。

 「彼の事、見てあげて。」

 強面の彼は静かに頷いた。

 それから間もなくして、私と姉は祖父母の家に引き取られた。彼とはあの日以来会うことは結局叶わなかった。

 祖父母の家でも姉の生活は変わることなくほとんど部屋から出てこない。髪は伸びっぱなしで服はよれよれ。そんな姉を見るたび、私は自責の念に駆られた。

 姉は私を守るため、心を壊したのだと。私は高校を卒業後、すぐにそこの地元の中小企業に就職した。従業員は20人くらい。その過半数はもう壮齢以上で私と同年代の人もほとんどいない。

 私はそんな会社の事務職として私は会社と家の往復をする毎日だった。

就職してしばらくは言い寄ってくる男性社員もいたが私が取り付く島のない面白みのない女だとわかるとそんな人もいなくなった。

尤も、私は彼以上に興味を惹かれる人に後にも先にも会っていない。だから、パートナーも女としての幸福も欲しいとは思わなかった。

 ずっとそんな生活をしていた。もう彼とは会うこともない。彼の居た所とは何の所縁もない片田舎の中小企業。そこで姉と一生を過ごしていく。それでいいと、そう思っていた。

 私の適齢期も過ぎようとしている、そんなある日のことだ。

 「今日からここで一緒に働くことになる結城君だ。」

 私は目と耳を疑った。社長が紹介する彼は、私がずっと、高校時代から忘れることなく恋焦がれた彼だったからだ。

 彼はそこでの活躍も目覚ましく、工場採用だったにも拘らず翌年にはもう事務作業の方も任されるほどになっていた。

 自然、私との関わりも増える。私は嬉しかった。彼と共に働き、彼をもっとよく知ることができた。

 彼はいつもニコニコし、ヘルプやミスが出ても嫌な顔一つせず対応していた。現場や私の他の事務職からの信頼も厚かった。私のことも何度も助けてくれた。まるで、どちらが先輩かわからないほどだ。

 そして、彼は私に恋をしてくれた。ずっとしていた片思いが実った瞬間でもあった。

 しかし、彼が心に抱えた傷は私の想像したものより遥かに大きかった。彼がバツイチであることは聞いていた。彼は彼の女癖の悪さで奥さんに逃げられたと。彼本人からそう聞かされた。

 そして、いろんな女を抱くうちに女を抱けなくなったと。彼はそう言っていた。しかし、私には本当にそうだとは思えなかった。

 確かに彼と離れていた期間は長い。その間、私の知らない彼はたくさんあるだろう。いや、私の知っている彼など彼のごく一部でしかないのかもしれない。それでも私はどうしても彼がそんなことができるとは思わなかった。

 なにより、彼は嘘をほとんどつかないが、嘘をつくときには決まってする癖があった。その癖がその話をするときは決まって出るのだ。

 私は彼を以前よりも深く愛した。彼とはやっとのことで触れられるのは掌だけ。未だにキスもできない。私はそれでもよかった。しかし、きっと彼はずっとその心を痛め続けていたのだろう。

 彼は姉にも良くしてくれた。私の家に来た時、私は躊躇ったが姉とも会ってくれた。私のいないときなどよく姉の話を聞いたりもしてくれた。

姉も彼には少しずつ心を開いていった。少しずつ自分の容姿を気にするようになり、彼のために台所にも立つようになった。

 人との距離感がわからない姉はよく彼に抱き着くようになった。彼はそんな姉を拒絶することなく、優しく頭を撫で受け止めるのだ。そして、誰もいないところでつらそうな顔をする。私はそんな彼を見るのが辛かった。

 ある日、彼と二人で星を見ていた。地元ではほとんど晴れることはなく見ることのできない星空。いつものように彼と掌を合わせながら。

 私は恐れていた。自分がその言葉を口にしてしまうのを。言葉にしなければきっと彼はそばにいてくれる。けれどそれは、彼の心をこれからも蝕んでいく。

「逃げないで…ちゃんと向かい合って。…誠の真実から。私はずっと、あなたのことを愛してる。これからも。離れてしまっても。ずっとずっとあなただけを思い続ける。だから、誠も人を、自分を愛して。」

 思わず口をついた言葉。私は彼を抱きしめた。彼は私を抱きしめ返す。姉にするような優しいものではなく、ずっときつくきつく。

 「誠、つらいの?」

 私は堪らず聞いた。

 「ううん、温かい。俺も愛してる。これからも。ずっと美海のことを思い続ける。だから、どれだけかかるかわからないけど、俺ももう少しだけ、頑張ってくる。」

 彼は言葉を続ける。

「どんなに距離が離れていても、どんなに会える時間が少なくとも、二人がお互いを思い続けている限り、いつかまた出会える。そう思ってるからきっと寂しくない。」

 あの日彼が私に話した星の話、その後半部分。私は彼に高校時代のことは話していない。けれど彼が私の思い出を、未だ胸に抱いていてくれていることが嬉しかった。

 そして私たちは星空の下で口づけを交わした。まるで誓いのキスであり、別れのキスのような。お互いずっと望んで届かなかった心からのキス。

 その後も私たちは星空の下で抱き合い、何度も何度も唇を交わした。お互いの存在を確認し合うように、互いの愛の重さをぶつけ合うように。

 その時、私は星に願った。

「お互い、綺麗なままなら、私があの時ちゃんと行動していたら。きっともっと、素直にお互い愛し合えたのに。私の願いが叶うなら、あの時まで時間を戻してほしい。」と。

 そして、数日後、彼は私の前から姿を消した。

 彼が消えて数日後、私はある連絡先に連絡をする。以前、一度だけ、彼のスマホを見た時確認していた連絡先。

 久しぶりに地元に来た。彼はこの町のどこかで今働いているのだろう。しかし、今日の目的は彼に会うことではない。

 駅の近くの喫茶店に入り、目的の人物を待つ。約束通り彼女は一人で来た。

 彼の元奥さん、奈緒子さんだ。

 私の想像よりもずっと穏やかそうな人に思えた。私は軽く自己紹介をし、ずっとしたかった質問をぶつける。

 それは彼と彼女の真実。

 「単刀直入に聞きたいのですが、誠との過去のこと。教えていただけませんか。」

 不躾な事は重々承知している。だが、他の切り出し方など、わからなかった。

 私の言葉に意を決したように彼女は語りだす。

 「誠がどう言ってるのか知らないけど、浮気してたのは確かに私よ。でも、私だって辛かったのよ。彼、子供が生まれてからは特に。ずっと仕事仕事で。家に帰れないこともあったし。その間、私は家に子供と二人きり。仕方ないじゃない。」

 「誠は…自分が浮気して別れたって言ってます。」

 「なにそれ!?何かの罪滅ぼしのつもり?あの人がそんなこと出来るわけないじゃない。家族が一人増えただけでプレッシャー抱えちゃうような人が。」

 「あの、誠の事…愛していたんですか?」

 「もうわからないわ。あの人が私の事愛していたのかもわからない。結局私達、流れに流されるままだったのかもね。」

 彼女は他人のことを話す様に淡々と言う。

 「あの、娘さんのことは。」

 「さぁ、彼なりに愛していたんじゃない。」

 彼女は興味なさげに言う。

 「でも、奈緒子さんが引き取って育ててらっしゃるんですよね。」

 「当り前じゃない。なんで私が子供手放さなきゃならないのよ。あの人、急に子供も抱けなくなって、そんなのに任せられるわけがないじゃない。」

 それはきっと、彼が彼女の浮気に気付いた時からだ。しかし、私は彼女にそのことを伝えることができない。

 「それが急に消えたと思ったらまたひょっこり戻ってきたみたいで。いきなり連絡してきてさ。だからたまに子供の写真送ってあげてるのよ。プレゼントなんかも買わせてあげてるしね。彼はそれで父親してる気になれるんだから幸せよね。」

 私は彼に残酷なお願いをしてしまったのではないだろうか。そんな不安が脳裏をよぎる。

 「ほら、これ、この間彼に送ってあげた写真。綺麗に撮れてるでしょ。」

 そう言いながら彼女はスマホで写真を見せる。そこには笑顔の彼女と子供。そして、その隣には負けない位笑顔の見知らぬ男性。

 「あの、この方は?」

 心臓が喉から飛び出しそうだった。振り絞るように尋ねる。

「その人?私の今の彼氏よ。子供にも良くしてくれるのよねぇ。誠から聞いてないのー?」

 私はそれ以上声が出なかった。どう返していいのかわからない。私は誠になんてことをしてしまったのだろう。

 私は気分が悪くなり、代金を置き、店を出てしまった。

 家に帰り、私は泣いた。私が彼に望んだことは茨の道を歩くことだった。きっと、私は今までも他人に対してそうしてきたのだろう。

 だから姉は、心を壊したのだろう。

 だから彼は、私の前から姿を消したのだろう。

 私はかつてこれほどまでに自分の存在に嫌悪したことはなかった。消えてしまいたい。いっそ、初めからいなければよかった。心から思った。

 涙は止まることを知らず、流れ続けた。どれほど時間が経っただろうか。

 気が付くと、背後に姉が立っていた。

 「美海ちゃん、泣いてるの?」

 私は答えられない。言葉が出なかった。

 「嫌な事でもあったの?」

 姉は私を抱きしめる。

 「ごめんね。お姉ちゃん。」

 微かに震えた声で姉に謝罪を告げる。

 「大丈夫だよ。誠君が美海ちゃんのこと、守ってくれるよ。お姉ちゃん、誠君も美海ちゃんも大好きだよ。誠君、次はいつ来てくれるのかなぁ。」

 姉の無邪気な言葉に、優しさに、私は声を出すこともできずにただ泣いた。

 彼はもう来ない。それをこの無邪気な姉に伝えることはどうしてもできなかった。

 心臓の音が大きくなっていく。まるで嫌な自分に押しつぶされるようだった。世界が自分の心音で埋め尽くされる。姉の暖かな抱擁が遠ざかっていくように感じた。大きくなった心音が徐々にその律動の速度を落とす。

 そしてついには、とまった。

 気が付くと、私は姉と二人暮らしをしていた家で目を覚ました。

 高校一年生。入学式の朝だった。

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