siesta


 我々が人間の日常を支えている。なんて、君たちの想像も及ばないだろう。

 一日は大きな電子音で始まる。

「!───……」

 ふかふかのベッドから飛び起きると、うんざりしながら主人の布団に潜り込んだ。

 人間というのはこんな大きな音でもなかなか目を覚まさないのだから、図太い生き物だ。家なんてものに守られて安心しきった人間は、大きな動物に襲われた時、真っ先に喰われてしまうだろう。

(起きろ、起きろ)

 仕方なく主人を揺り起こす。

 薄らと瞼を上げた主人は優しく微笑んで、私を抱き締めて寝返りを打った。溜め息が出そうだ。

「起きてくれよ、煩くて敵わない」

 なるだけ大声で喚いてはみるが、主人は気持ちよさそうに私の頭を撫でて満足気だ。いや、満足されては困る。目を覚まして欲しいのだ。

「起きろって!」

「なんだよ、腹減ってんのか?」

 思い切り頬を引っ叩いて、主人はやっと体を起こした。枕元の小さな端末を手に取り、やっとのことで電子音が止まった。

 毎朝この調子だ、本当に困ったものである。

「ほら、リビング行くぞ」

 主人はまだおぼつかない足取りで先を行く。

「どけ、私が先に行く」

 行く先はわかっている。餌場だ。

 人間は毎朝、目を覚ますと真っ先に餌場へ行く。あんな音でも目を覚まさないくせに、目を覚ましたらまずは飯だなんて、ぐうたらでどうしようもないダメな生き物だと思う。

「ほらよ」

 それでも、我々は付き合ってやる。

 人間はきっと、襲われれば抵抗もできず、あっという間に喰われてしまう。そうして滅亡するのだろう。だから、我々が守らなくてはならない。弱いものを守ることは、強いものの義務だから。自然界の掟だ。

 そんなことを考えながら一心に食事を摂る。代わり映えしない食感と味。時折、機嫌の良い人間が分け与える柔らかい餌の方が美味だ。しかし、美味でなくとも腐っていなければ食べられるし、食べなければ死んでしまう。だから、食べるのだ。

 まあ何より、とても空腹だったのもある。

「げっ、もう昼前じゃん」

 人間が針を見上げて声を上げる。あらかた食事を終えたのでそれを横目に見ながら汚れた口元を舌で拭った。

「はぁー。まあ、こういう休日も良いよな」

 縦に伸びをする人間はどこか晴れやかだ。

「太陽が高いな、もう出かける時間じゃないのか」

「あ?食い終わったのか。遊ぶか?」

 声をかけてやったのだが、まるで聞こえない振りをする。普段は厭に疲れた顔をしながら黒い格好に身を包んで玄関へ急いでいたが、今日は特に行くのが嫌らしい。

「私は知っているぞ、人間。お前らにはお前らの仕事があるのだろう。毎度同じ格好で、毎日同じ時間に家を出ていく。だがいつもなら、もっと太陽が低い。お前、さては寝坊したな」

「わかったわかった、今おもちゃ持ってきてやるよ」

 わざわざ足元まで出向いて叱ってやろうとしたのに、人間は何故か笑顔で部屋を出ていった。まったく困った奴だ。

 まあ、人間が職を失おうと、餌が得られるなら構わないのだが。

「持ってきたぞ〜遊ぶぞ〜」

 こちらの心配も知らずに、人間は楽しそうだ。先端に羽根を結び付けた紐を持ち出して、私の鼻先で振る。まったく興味が湧かない。私は欠伸を一つして、ごろりと床に横になった。

「なんだよ〜遊ぶんじゃないのか」

 人間は執念深く羽根を振りつけてくるが、正直この羽根にはもう飽き飽きだ。生気が無いのは数年前から知っているし、無我夢中に獲物を追うほどもう幼くもない。

 肩を落とす人間を後目に窓の外を眺める。強い日差しは浴びたものを焦がすようだ。私は別に暑がりなわけでは無いが、以前あの日向で昼寝をして、目覚めると知らない建物に連れ去られて以来近寄らないことにしている。

 日差しは私を夢へ連れて行ったのだ。

 意識がはっきりするころにはもとの家だったし、あの白い建物はきっと死の世界に違いない。私は日差しに焦がされて、一度死の夢を見たのだ。だから日向には近寄ってならない。注意事項なので二度言った、決して近寄るな。三度目だ。君も気をつけろ。

 おまけに太陽というのは酷く意地悪な性格だ。日陰だと思って休んでいると、いつの間にか日向に変わっていたりする。全く油断ならない。

 まあこれがもっと寒い季節なら、日向は楽園へと姿を変えるのだが……。

 ───眩しい日差しを眺めていたら、瞼が重くなってきた。また大きな欠伸を一つ。

「昼寝か、タマ」

「妙な名前で呼ぶな」

 人間が私を抱き上げて柔らかいソファへ横になる。それより断然に柔らかな腹の上で、私は母を思い出しながらうとうとと微睡んだ。

『強く生きなさい。決して気を抜いてはいけない』

 母に貰った名がある。しかし、居なくなった母以外に、その名で呼ばれたいとも思わない。私をこの家へ連れてきた人間に呼ばれる名にはいつも不服を申し立てていたのだが、それも悪くないと思うようになった……いや、そんなことはない。申し立てをしても聞く耳を持たない人間にわざわざ反論するのが馬鹿らしくなったのだ。だから受け入れた訳では無いが、拒絶するのにも飽きた。それだけだ。

「こういう休日も良いもんだ」

 人間が私の喉を撫でながら穏やかな声で言う。休日などあるものか、生活とは常にサバイバルだ。生き抜くために神経を尖らせ、仕事をこなして餌を得なくてはならない。

 ……そんなことを喚こうと思ったが、良い心地で人間が寝息を立てるものだから、私も大人しく目を閉じた。天井から吊るされた透明な鈴が涼やかな音を立てる。機械を使って快適な環境を作っているくせに、わざわざ音でも涼を取ろうとは、人間とは欲深い。

(まあ、いいか。私が考えても仕方がない)

 そんなことは神が叱るべきことだ。今はただこの穏やかな昼寝の時間を堪能しよう。


 こんな日も悪くは無い。

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