取り戻すもの、手放すもの 7

 数多の声が、一気に頭の中へと押し寄せてくる。


 重なり合い、反応し合い、洪水のように襲いかかる言葉。

 男のもの、女のもの――それらは内側から引き裂かんとする爆発音、あるいは、逃れられない嵐に似ていた。膨大な情報量は耳をふさいでも貫通するノイズへとカタチを変え、絶えず流し込まれた。


 衝撃。


 思わず叫んだ声も、身体へ直接響く言葉に呑まれて聞こえない。

 すでに祠の石から指は離れ、その場でひざを着いていた。

 視界はチカチカとして、自分を見失いそうになる。

 気絶寸前で必死に意識を保つ。大音量のスピーカーで鼓膜を攻撃されているのか? と錯覚するほどのその苦痛は、ジャリをかき分けるひざの痛さも気にならなくなるほど。


 見えている景色が、景色として認識できなくなっていく。


 うずくまっているのか、膝立ちになっているのか、わからなくなっていく。


 なにもかもを後回しにしても逃れようとするが、雑音は容赦なくワタシを浸していく。




『――どうしてしのぎちゃんなのッ!』




 次の瞬間。

 背きたくても背けない雑音に混じり、妙に聞き覚えのある、甲高い声が一際おおきく頭を貫いた。声は立て続けに響きはじめた。

 ぐるぐると重力が変になっているというのに、さらに感覚がおかしくなる。

 声が、責め立てる。さらに覚えのない光景までも見え始める。



『しのぎちゃん……! どうしてぇええ……あああああああああああっ』

『ごめ、ん』

『がえじでぇええ!』

『ごめん、ごめん花宮……僕が……僕が死んで、いれば……』



 しらない。

 コレは、わたしのものじゃない。



『グスッ……あの子は、ほんとに良い子だった』

『ああ。いつまでも、しのぎは俺たちの自慢の娘だよ、美代子みよこ

『しのぎ……うぅ』



『なにがしたかったんだよテメェは! あいつのことが、そんなに嫌いだったのかよっ!』

『ごふっ……ぐ……ち、が……』

『おまえが殺したようなモンだろうがッ!』

『――、そう、か。僕が……』



 せんぱいのこえ。

 それだけじゃない。雑音を背景に、聞いたことのある声が次々と再生される。




『岸川の言ってたこと、本当なの?』

『……』

『答えて。あたし、もうこの気持ちをどうすればいいのかわかんない。どうにかなっちゃいそうなの』

『きっと甘坂の、聞いたとおりだよ』

『……あっそ。そうなんだ。そういうこと。やっぱあんたが殺したんだ。なら――あたし、あんたのこと一生ゆるさないから』




 記憶にない会話が繰り返される。

 だけどそのどれもが現実感があって、生々しくて、痛々しい。

 彼がなにを思って、なにを経験してきたのかが示される。強引に直視させられる。




『あれじゃない? 噂の先輩。ほら、お姉ちゃんヤっちゃったっていう』

『うそ、どれどれ? うわー……こうして見るとちょっと怖いねぇ』



『君の噂は聞いている。が、新聞部としては取り上げるわけにはいかない。質が落ちるからな』

『何が言いたいんですか』

『こんなことを言うのは筋違いだとは思うのだが……ネタ探しをしていると、君の噂ばかりが舞い込んできて辟易へきえきしてるんだ。できればこの噂を終息させてほしい』

『……は』

『例えば、なにかイメージを払拭する行動とか、これからは心を入れ替えて生活するとかだな――』



『そんなことを言われたよ。なにか良い案はない?』

『は、そりゃあ無茶なこと言うねぇ新聞部のお偉いさんも。できることなんて、人目を避けるくらいじゃねえの?』

『……そういえば、幹人はどうして普通に話してくれるんだ?』

『おまえが人殺しだろうがなんだろうが、俺にゃ関係ねえよ。……まぁ、噂どおりの美人な姉ちゃんがいるってんなら会ってみたいけどよ。それよか、放課後ゲーセンでもいかね?』



 ――部長。幹人さん。



『なにこの点数? どうしてこんなこともできないの? お姉ちゃんならもっと良い点とってたわよ』

『ごめん、なさい』

『食事の作法も悪いし、姿勢もだらしないし、はぁ……』



『しのぎが居なくなったからでしょっ! 娘が居なくなったら、もう私のことなんてどうでもいいんだわ! だから飲み会ばっかりで帰ってこない――』

『ああもう、うるせえなぁっ! 違うつってんだろ!』



 ――先輩の、両親。




『おーら、御宇佐美! 今日こそ、帰りにファミレスでも行こうぜ! 部活休みなんだ俺』

『ごめん幹人、遠慮しておくよ』



『坊主ぅ、よーこの道通っとんなあ。ん? ああ、砂ノ道通りとは別なんよぉ、ここ。かかか、こんなばあの取り柄なんざ、このくらいでさぁ』



『ああ、お帰り。夕ご飯キッチンに買ってあるから、適当に食べて。……それとお母さん、明日からちょっと遠出してくるから』



『あなたが佑くんね? おばちゃんも美代子から聞いてたわ。ええと、タスくんて呼んでいいかしら、うふふ』



『わたしがいないからって気を抜いてるんでしょ。毎日の日課はちゃんとやっておくこと。こうやって連絡も忘れないこと。そうだ、この前の模試の結果見たけどなにあれ? いいかげんにしなさいよ――』



『はじめまして。新聞部の箇条という者です! よろしくおねがいしますね先輩っ!』



『先輩がお姉さんを殺したっていうのは、ホントなんですか? よく聞くんですけど』



『ほえー、こんなルート通ってるんですねぇ。どうりでいつも捕まえられないわけだ』



『人目? あっははー! 実はもう手遅れなんで、なんていうか吹っ切れちゃって!』



『今でも許してないから。あんたがやったこと、絶対に許さない。私の、一番の親友だったのに……!』



『アンタが死ねばよかったのに!』



『――助けないと』






「は――、っ、あ、はぁっ……はぁっ……!」


 水中からようやく顔を出せたかのように、空気を肺に取り込む。

 息苦しい言葉の奔流ほんりゅうから解放され、私は肩で息をしながら目を白黒させた。


 いつのまにか祠の前で大の字に倒れていた私は、呼吸を整えつつ起き上がった。割れそうな頭を押さえ、頭痛を沈めることに専念する。


「今の、は……」


 記憶。私の知らない、一人の人間が見てきた過去。

 岸川良二、甘坂彩菜。花宮里穗、御宇佐美美代子とその夫。幹人さんに部長。そして――私。


 間違いない。

 今の一瞬で見たあれは……。


「せんぱい、なの?」


 私は一言そう口にすると、拳を握りしめた。

 これが、先輩の過去だったとしたら。すべて真実だとしたら。箇条ゆらもまた、先輩を追い詰める一人であったのかもしれない。

 突然押しかけて噂の真偽を求める――なるほど、彼にとっては、この上なく気分が悪い。避けられて当然だ。

 だが、だからといって悲嘆に暮れるわけにはいかない。

 これは私の罪滅ぼしでもあるのだ。

 この祠の神がどんなやつかは知らないが、私の中に先輩の記憶を残した意味はきっとある。与えてくれたこのチャンス、逃すことは許されない。


「行、こう」


 立ち上がって、私は色の変わった空を仰いだ。


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