4章
復活、あるいは消滅 1
「
学校へ向かう前のこの時間。
いつものようにしのぎの仏壇の前に座り、こうして目を閉じれば、すぐに訪れるまどろみ。過ぎ去りしあの日の声が僕の名を呼んでくれる。
柔らかく包み込む、あたたかい声。目蓋の裏で再生されるそれは、いつだって他人を魅了する。こと僕にとっては、綺麗な思い出として記憶に刻まれるほど強いイメージだった。
しのぎという人間が発する音が、今もなお離してくれない。
「佑」
「……」
そう。
この声は、僕の好きな音色だ。
初恋であり、禁断。
『しのぎ』という女の子は血の繋がった家族でありながら、異性に対する態度をとった。
家族にしては余所余所しく、異性としては親しい関係だった。
「姉と呼ばないで」と釘を刺されていたのも大きい。しのぎは曖昧な距離感をつくり出して、強制して……気づけば、僕の向ける視線は家族の域を超えていた。
いけないと、わかっているつもりでも。恋心ほどコントロールできないものはない。
いくら異性として魅力的に見えても、相手は血の繋がった姉。しかし自制心で押さえつけた感情は意に反して膨れ上がり、僕を内側から壊していく。
おしとやかで、優しくて。
小鳥のように小さく笑うことがあれば、頬を膨らませて不満げな顔をすることもある。一歩後ろを付き添ってくれるし、誘う妖精がごとく手を引っ張ることもある。薄く浮かんだ笑みと細められた瞳は昨日のことのように思い出せる。
追い詰めるように女の子らしい振る舞いを見せつけてくる彼女は、僕の欲求を刺激して、これでもかと葛藤させた。
開けてはいけない扉の前で
しのぎが死した今でも。
本人はこの世を去って、生きていないというのに。話したのもずいぶん昔のことだというのに。いまだに解放してくれない。
ほら。今日もまた、片想いの相手として現れて、数ある思い出の中から語りかけてくる。
「――ねえ、佑。私の部屋、こない?」
ある日、夕飯前の時間に部屋を
しのぎは頑なに僕を部屋にいれようとしなかった。同様に、僕の部屋に入ることも。親が踏み入ることは
しかし、最初こそ嫌われているのかと思ったけれど、この日からその認識は変わった。
初めて入ったしのぎの部屋は良い匂いがして、落ち着かなかった。
名前呼びを強制されていたあの頃からすでに、しのぎは恋愛の対象にまで上ってしまっていたらしい。わざわざ掃除されていたその空間は、当時の僕の目には『異性の部屋』と同じように写る。
「お母さんにはナイショね」
しのぎは人差し指を口元に立てて微笑んだ。
「夕飯まで、話しましょう? どこでも座っていいよ」
そう言いつつ、彼女は勉強机のイスに腰掛けた。
「す、すこし照れるけど」
色んなところを気にする僕の視界の隅で、前髪を整えているのが見えた。
雰囲気も、しのぎの仕草も、すべてが新鮮。話し相手が実の姉とは思えないほどに心が踊った。いけないとわかっていても、一人の女の子として意識してしまった。舞い上がってしまった。
夕飯前のわずかな時間は、緊張と高揚で何を話したか忘れるくらいに楽しかった。
「――しのぎ」
目蓋を持ち上げると、仏壇の写真が目に入る。
日課でもあるこの時間。物思いに
いわずもがな、あのノイズがかった影が原因だ。
あの影はしのぎなのだろうか?
何が目的で現れたのだろうか?
夢で見たものとは別人なのだろうか?
答えをくれる人はいない。
「『助けて』……か」
夢の中で、初期から口にするあの言葉。
箇条も疑問に思っていたことだが、『助ける』とは具体的になにを差すのだろう?
しのぎは生前なにを望んでいたのか? 影が幽霊だと仮定して、霊にとっての救いとはなんなのか?
「もし、もしも……」
しのぎが僕を恨んでいるのなら。
僕の死を望んでいるのなら。
「僕は――」
と、そこで思考は途切れた。
背後から迫る叔母さんの足音を聞きつけ、立ち上がる。時間も時間だし、そろそろ出発するとしよう。
「あらちょうど良かった。タスくん、お昼いる?」
「いえ、大丈夫です。向こうで適当に済ませるので」
「そう。気をつけていってらっしゃい。行方不明事件も起きてるんだから、なるべく早めに帰ってくるんだよ」
「わかりました」
そうは言っても、今日は学校で聴取を受けその足で映画を見に行く、それだけの日だ。また夜遅くまで出歩く予定はない。安全を考慮して、箇条もはやめに家まで送り届けるつもりだ。
帰ってくることくらいはできるだろう。僕はそんな軽い気持ちで家を出たのだが……。
まさか、あんなことになるなんて。
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