レンズ越しの雑音 10
「じゃあ先輩、また明日」
「なにかあったらメールして。それと一人で行動するのはしばらく避けた方がいい」
「これから一人で帰る先輩が言うと、説得力ないですけど」
からかい口調で笑いながら扉を閉めようとする箇条。親がいる自宅に着いたことで落ち着いたようだ。僕もはやく家に帰ろう。
と、箇条が扉を締め切る直前に、声をかけてきた。
「先輩……ほんとに大丈夫? 親の車で送ってあげることもできるけど」
声音は弱々しかった。
自分だけ先に安全圏まで辿り着いてしまい申し訳なさそうな反応で、扉の隙間から話している。
僕の噂を集めていることもあり、普段の箇条はときおりこっちの身を案じてくれる。いつもはふとした瞬間にちょっとだけ覗かせるその心配顔が、今日はとんでもなく分かりやすい。
ありがたかった。それだけで箇条は心の支えになった。
「ありがとう。でも大丈夫。今日は一人で帰るよ」
僕も箇条を安心させたいがために返した返事。けれど、箇条は神妙な顔をする。
「先輩は……」
「ん?」
「い、いや。なんでも、ないです。じゃあせめて、すぐ電話に出れるようにだけはしておいてください。先輩も、何かあったらすぐ連絡くださいよ!」
「え、うん。わかった」
「おやすみなさいっ」
……なにか怒らせてしまったのだろうか。
言うだけ言ってバタンと扉を閉めてしまった箇条に困惑しながら、僕は
薄暗くなり、あと十分もすれば夜になりそうな帰路を見て、僕はこくりと喉を鳴らした。
僕の家がある場所は、高白市の中ではどちらかというと田舎の地域だ。三糸ヶ先市と比較しても広い面積をほこる高白市は、都市部も自然と調和した発展を遂げている。僕の降りる駅周辺も影響を受け、ファミレスやスーパー、ブランド服を取り扱う店が展開している。しかし一方、離れれば自宅までは静かな住宅街となっており、視線を上げれば大きな山が入り込む。高白市の中でもより自然が色濃く残された地域と言えよう。
北の三糸ヶ先をド田舎、南の高白市の都市部を都会と位置づけるのであれば、ここは両方の良いところを少しずつ有した、ちょうどいい町であった。
箇条と別れた僕は、最寄りの駅まで戻り、無駄に出費をしていつもの帰路についていた。
駅を降りて裏手にまわれば、そこはもう夜の住宅街。駅周辺の明るさは消え去り、漆黒の闇が行く先を覆う。闇に慣れた目でも足下の白線を捉えるのが精一杯で、頼りとなる明かりは所々の外灯のみ。
いつも通っている道だ。なにも変わっていない。
けれど、あの影のこともあってか、感じ取るものすべてに過剰反応してしまう。通りかかった家の犬が蠢いた音も、すれ違った自転車にも。
少し歩くと住宅街があけ、目の前に水田が広がる。僕の家は、この水田と水田の間の一本道の先――また別の住宅街にある。
車はもちろん通れるようになっているし、等間隔に外灯もある。でも、人通りはほとんどないといっていい。
いつもより不気味に感じつつも、真っ暗な海にも見えるその一帯にさしかかり、歩く。
「……」
静かだった。
車が向こうからやってくることもなく、視界に入る外灯に照らされる人もいない。ここ一帯に、僕だけが歩いている。
自分の歩く足音が、コンクリートを叩く。
規則的に、軽く。
頭上を通過する外灯が、僕の影を地面につくる。
ゆっくりと、長く。
地面を見ながら歩くのは耐えられなかった。常に周囲を警戒しながらでないと、気が収まらない。
進んでいる先を、時々歩いてきた後ろを。時には、全く関係のない水田の向こうに視線を上げ、遠くの真っ黒い巨大な山を見る。
今の僕は、真っ暗な空に、真っ暗な地面に、真っ暗な山に囲まれている。そんな中、ポツ、ポツと置かれている外灯を渡り歩く旅人だった。
また一つ、外灯にたどりついた。
次に待っている向こうの外灯まで、たどり着けるだろうか。
明かりの中、何の気なしに後ろを振り向いてから、僕はまた歩きはじめる。
また一つ、外灯にたどりついた。
あと数個の外灯が目の前にならんでいる。僕の他に人影はない。
光に照らされながら、そっと背後の外灯群を見た。なにもなかった。
また一つ、外灯にたどりついた。
明かりの下で、僕は振り返った。外灯が並んでいる。
「……」
暗闇を、見つめた。
そのままそこに居れば、僕は暗闇に呑まれてしまうんじゃないだろうか。そんな得も言われぬ不安が押し寄せて、一度固く
その一瞬も怖くて、すぐに目を開けた。
その直後。
頭上の外灯が、消えた。
「っ……!」
状況把握よりも先に、僕は駆けだしていた。
ブツン、と蛍光灯の切れる音が耳に残る。
ただ寿命が迫っていて、消えただけかもしれない。それでも、僕が恐怖するには十分だ。
神社で遭遇した影がどんなやつか、僕は知らない。未知に対する恐怖はこの上なく大きい。人の想像力の
一度目にしただけで取り憑かれるタイプだったら?
どれだけ逃げても無駄だったら?
一人の時にだけ本性を現わす霊だったら?
アレがしのぎであったとしても、恐怖は僕の足を突き動かす。
息切れしながら頭上の外灯を何個も過ぎ、ようやく向こう側に辿り着く。そのまま背後に目を向けることなく住宅街を走り抜け、自宅に到着。
震える手でカギを開け、中へと逃げ込んだ。
「はぁっ……はぁっ……」
まだ叔母が帰ってきていない自宅。
玄関で扉に背中を付け、ずるずるとその場にへたり込む。
全力疾走したのは数年ぶりだ。息切れしすぎて死ぬかと思った。けれど、なんとか無事にたどり着けた。一安心だ。
「はぁ、は、はは……我ながら、小心者だなぁ。箇条には言えない」
息を整えながら立ち上がり、用心深くチェーンをかける。そして。つい帰ったときのクセで、のぞき窓から外に視線をやった。
身体に染みついた行動だった。
叔母よりもはやく帰宅することが多いためか、いつもカギをかけた直後は外を確認するクセがついていた。
……けれど、このときばかりは、覗いておいてよかったと思う。
「――ッ!?」
神社で見た黒い人影が、そこにいた。
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