レンズ越しの雑音 3
小学生の、ちょうどゴールデンウィークを明けた頃だった。
カン、カン、カン、と規則性のある音とともに、目の前を棒が降りていく。
もう少しで商店街にさしかかる、街路に走る線路。その踏切りはこちら側と向こう側を隔てる門のようにも思えた。
門の向こうはオレンジの夕暮れに照らされ、人々が行き交っている。道行く通行人に呼びかける男性の声や、どこからか流れるラジオ。
けれどその全てが、こちら側の僕には届いていなかった。
オレンジの
ここの踏切りは、棒が下がりきってから電車が通るまで時間がかかる。ゆえに、友人たちと待ち合わせをしている僕は気が急いていた。
「急がないと」
「そんなに急がなくても大丈夫」
「だめ。だって今日しかないんでしょ? みんなに伝えるのは明日の学校で。でもその後は引っ越しの作業で忙しくなるって父さんが言ってたじゃん」
「そうだけど……」
「なら、今日しかないんだよ。ただでさえしのぎは人気者なんだから」
『姉ちゃん』と呼んでいた時期もあった。でも、彼女はそう呼ばれることを苦手としていたらしく、下の名前で呼ぶように頼んだ。
しのぎは不思議な姉だった。
喧嘩することもあまりなく、『姉だから』『弟だから』といった物事を姉は強く否定。幼少期から僕に対して遠慮しており、血の繋がった家族でありながら距離感があった。『今夜部屋に来ない?』と、ただ話すだけなのに許可を取っていたあたり、しのぎは家族としての関係よりも男女二人の関係として振る舞っている節があった。そのため姉弟というよりは距離の近い友達くらいの感覚。
そんなしのぎは学校でも人気者だった。
成績優秀、運動神経抜群。加えて、柔和な性格でちょっと抜けたキャラ。周囲からも引っ張りだこ。転校すると知れば、特にこれから会う友人たちは揃って寂しがるだろう。
「そんなに人気者とは思えないけどなあ」
「しのぎだけだ、そう思ってるのは。少なくとも僕よりはキーパーソンなんだよ。良二なんかはそれはもう悔しがるんじゃないかな」
「……? なんで良二くん?」
しのぎのことが好きだから、とは言えなかった。本人の名誉のために。
「ま、まぁそれはどうでもいいんだけど」
「変なの」
これから会う友人たちはみんなしのぎが大好きだ。良二のように恋愛感情を持っているやつだけでなく、とりわけ僕としのぎが仲良くしていた人たち。
一緒にプールに行ったし、祭りにも行ったし、公民館のイベントも参加した。冬は集まってカマクラも作った思い出がある。
だから、彼ら彼女らにだけは、一足先に伝えておきたい。最後の思い出を残してほしい。そう口にしたのは、
「『最後にどこかで遊びたい』って言ったのはしのぎじゃないか」
「あ、だからそんなに必死になってくれたんだ」
「そうだよ。これから転校のこと言うんだから、心の準備しといてよ」
みんな何か用事があったようだけど、無理を言って今日集まってもらった。だから今日だけは逃せない。
……僕は、いつまでも来ない電車に苛立った。
このままだと遅れる。そうなったら、みんな待たずに帰ってしまうかもしれない。そんな焦りが僕を支配していた。
今日しかない。今日を逃したら、しのぎは、姉は輝かしいこの地での思い出を苦くして終わることになる。それはだめだ。
「……っ」
僕は隣に立つしのぎの手を取った。
「ちょっと」
「大丈夫」
止めるように引っ張るしのぎに対し、僕は言い聞かせるようにして前に進み出た。
幸か不幸か、そのとき背後には誰も待っていない。踏み切りを待つのは僕らだけだった。
「来て」
強い言い方に、しのぎは渋々ついてきた。棒の下をくぐり、侵入してはいけない空間に入り込む。
しのぎは「ちょっとまって」とスカートを気にしつつ四つん這いになり突破。
あとはもう一本の棒をくぐるだけ。
僕は先に向こう側へ渡ると、手を差し出す。しのぎは這いつくばりながら手を――取らなかった。
「あれっ」
「しのぎ? はやく」
「ま、まって、足が動かな……」
足をひねって動かすも、溝にはまったそれはしのぎを解放せず。終いにはその場にうずくまり、自身の右足を掴んだ。
「取れて、なんでっ」
「はやくっ」
まるで待ち構えたように向こうから近づいてくる電車の光と振動。それに合わせて、しのぎも僕も焦りが大きくなる。
薄暗いとはいえ、まだ商店街が混み合う時間帯ではないため周囲に人もいない。様々な偶然が重なってこの状況をつくりあげていた。
「くっ」
僕は再度、踏切り内へと侵入。しのぎの足を引き抜こうと掴むが、靴紐もほどけ絡まっていてうまく抜けない。
「くそっ!」
「どうして、どうしてっ」
はやくしなければ二人とも轢かれる。あの速度でここまで迫ってきたら多分間に合わない! そもそもこの薄暗さで運転手には見えてるのか!?
必死に足を抜こうと試行錯誤するが、焦りからか手元がうまく動いてくれない。驚くべき速度で迫る電車に恐怖しつつ、必死に手を動かす。
冷や汗。
赤いランプ。
「抜、け……ろッ!」
「いたっ、つぅ」
鳴り響く鐘の音。
痛む声。
なんとか足は外れた。
「はや――」
迫る二対の眩しい光。
視線の先には轟音。
どこかで叫びが上がった。
パァァアアアアアッッッッッ――!
激しい警告音。
振動に包まれ、僕らは踏切りの中で停止した。
すぐそこにまで迫った死を、ただ、見ていることしか出来ない。視界、頭が真っ白に染まるなか、しのぎと、姉を支える僕だけがそこにいた。
しのぎだけでも外に突き飛ばせるはず。死の間際、そんな考えは瞬時に頭をよぎった。僕の脳は迷いなく実行に移すべきだと決断を下した。
もとより、姉の付属品のような存在だったのだ。失うなら、不要な方がいい。
目の先の眩しい光から目を背け、しのぎの方を向く。必死に手を伸ばす。
僕などより、望まれているしのぎの方が――!
「しのぎっ――」
ゴリッと、鈍い音が走る。
終わった。
と思った。
僕はあと数ミリで足が吹き飛んでいたんじゃないかというところで助かった。
周囲からは悲鳴が上がっていた。
騒然としていた。
電車は通り過ぎ、先で停車。踏切りのランプは消えた。
なのに、僕の視界はまだ赤色に染まっていた。
なぜか服に水を浴びていて、手で触れてみた。
それが、血であることに気づいた。
しのぎを突き飛ばした――つもりで、僕は尻餅をついた状態で死の境界から逃れていた。
状況を理解した。
しのぎを見捨てて生き延びてしまったことを、理解した。
無意識に
僕は、吐いた。
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