レンズ越しの雑音 2

 寝起きは最悪だった。

 背中は汗でべったりとしており、部屋の空気が詰まっているように息苦しかった。


「くそ……」


 僕は前髪をかき上げるようにひたいに手をあてると、少しだけ残る頭痛を治そうと努めた。

 直前まで見ていた夢の内容を反芻し、ベットの上で呆然とする。

 べつに、うなされることは珍しくない。ただ、今日の夢はいつもと少しだけおもむきが違って驚いている。今までの夢では、見知った人物が何かを口にしたり、行動を起こす内容がほとんどだったのに対し、今日のソレは意味不明な内容だった。あの場所も知らないし、あの影の正体も掴むことはできなかった。声もノイズのように不快な音で、なんとなくしか伝わらなかった。

 ただ、推測はできる。

 『たすけて』と訴えるあの言葉。そして、真正面に立つ黒い影。夢の内容がヒトの記憶や経験、トラウマによって形成されることをかんがみれば、これだけで事足りる。

 つまりは、僕の記憶に引っかかる人物がいるということだ。



 一階に降りると、台所には叔母が作り置きしたオムライスが置かれていた。添えられていたメモの小言に目を通してからレンジに入れると、洗面所に向かい顔を洗う。

 スプーンでオムライスをかき込みながらニュースをつけ、ゴールデンウィーク前の浮かれた話題を冷めた目で見つめる。

 日付は四月二十六、月曜日。時刻は午前七時半。

 気温は暖かい方へと傾き、春の陽気に包まれていた。この過ごしやすい毎日も地域特有なのだろうが、温暖化の影響か? と独りでに憂慮もする。


『では続いての話題はこちら! テレビの前のみなさんもご覧になった方が多いのではないでしょうか。昨夜も高白たかしろ自然公園は、流星群を求めた観光客で賑わいを見せました!』


 結局は空を仰ぐこともなく昨夜を過ごした僕は、興味のない内容に移ったニュースを切り、食器を片付けた。

 僕にとって、この時期はあまり心地のいい期間ではない。そのため世間で話題になっていることにもほとんど無関心に過ごしていた。ゴールデンウィークを控え、はやくも観光客で活気を集めているここ、高白市についても「へーすごいな」くらいの心持ちだ。

 食器を水に浸け、部屋に戻り布団を畳んで窓を開ける。詰まったような部屋の空気を吸っていると今朝の夢を思い出しそうなので、入れ替えが終わるまで一階に降りる。

 そして、居間を横切り隣の部屋へと入った。

 僕の自室ほどしかない狭い部屋は、仏壇のためだけに使われているスペースだ。


「おはよう。しのぎ」


 仏壇の前に座り、数分間そのままだった。

 写真には姉の微笑んだ姿が映っており、それを見つめたまましばらく動けなくなる。こうして長い時間向き合う癖は数年前から治らず、学校に遅刻しそうになったことすらある。

 叔母はそんな僕を痛ましげに見つめることはあっても、何も言わずにいてくれる。そのため、この時間は御宇佐美おうさみ家の日常風景となっていた。未だ受け入れられていないようで申し訳なく感じることはある。だが、それも仕方のないことなのだ。どうか僕の心情を汲み取って、こうしていることを許してほしい。


「なあ、しのぎ。また夢を見たんだ」


 会話するように、語る。

 誰も家にいないこんな朝は、決まって独り言を口にしてしまう。


「今日はよくわかんない夢でさ。レンズを通して、花で埋め尽くされた丘を眺めてたんだ。そしたら真っ黒なモヤに包まれた影が現れて、僕に言うんだ。『たすけて』って。変な夢だろう? 昨日は同級生に屋上から突き落とされる夢だったんだけど、今日のはひと味違った怖さがあったよ」


 幸いなことにまだ記憶に残っている夢の内容をこぼす。

 それから一度口を閉じ、ゆっくりと疑問を放つ。答えなど返ってくる訳がないのに、無意味にも写真に答えを求めてしまう。


「……やっぱり、しのぎなのか?」


 あの影は、彼女ではないだろうか。

 でなければおかしい。姉以外に、僕に助けを求める人間はいない。僕の知り得るかぎり、そんなことを言う存在は他に思い浮かばなかった。後にも先にも、たぶん彼女だけだ。


 なぜなら姉は――僕の代わりに死んだのだから。



 

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