第五夜 カワイソウナカワイイボウヤ



 ……はい。

 そうです。僕です。

 O君の事? はあ、そうですよ。高校時代、彼のクラスの学級委員長をやってました。

 ええ、友達でした。たったひとりの、って言ってもいいかな。


 はあ、東京からわざわざ、こんな田舎の大学まで取材にいらしたんですか。

 ええ、知ってますよ、子供向けの、あの、いわゆるオカルト雑誌でしょ。まともに読んだことないけど。

 あ、ごめんなさい、ええ、知ってます。


 コーヒー? 僕はコーヒーは嫌いだな。紅茶ならいいですよ。

 あそこの角の喫茶店なんかどうですか。ええ。


 おーい、君たちも、いっしょにどう? うん、O君のこと聞きたいんだって。


 ……おやおや、みんな血相変えて逃げちゃいましたね。


 ええ、僕はかまいませんよ。

 もう別に内申書にも関係無いしね。



          ◎



 ほら、おいしいでしょ、なかなか。


 そうです。あらましは、そんなとこです。こんな田舎じゃ、めったにない大事件でしたからね。

 新聞にも、全国版まで、ずいぶん詳しく載りましたよね。


 ……今になって考えると、O君のやった事ってのは、もちろん行為としちゃ許すわけにいかないけど、心情的にはなんとなく解る気もするんです。

 ええ、そりゃあ悪い事ですよ。でも、完全に頭がおかしかった訳でしょう。僕だって、受験受験のあんな時期にまるきり頭がおかしくなったとしたら、何をやりだしたかわからない訳で、そのとき何をするか、まあ、状況によっては、ああいう事しないとも限らないわけですよね。


 でも僕なんか、家の事考えると、やっぱり出来ないだろうけど、彼の場合、ほら、あれだったでしょ。そうです。なさぬ仲、ってやつ。

 ええ、暮らしそのものは良かったですよ。この町では一番裕福にしてたんじゃないかな。グランドピアノなんて代物を自宅に置いてあったのも、こんな地方都市じゃ、あそこんちだけですしね。


 でも、親父さんのしごとが、ほら、あれでしょ、駅前の裏通りの。そうそう、夜だけはやたら色とりどりで明るくて、昼間はというと、ただ薄汚いだけで。


 まあ、そのためだったのかどうか、僕にはわかりませんけど、確か小学校の五年の夏休み。

 ええ、僕、O君とはその頃からいっしょだったんです。

 その夏、夜中に突然彼のお母さんが――ええ、新しいお母さんが来る前の、本当の母親のほうですね――そのお母さんが、ポリタンク持って道に飛び出してきて、なにやら大声で喚き散らしながら、タンクの中身、頭からかぶって……。

 もう知ってますよね。そう、ガソリンだったんです。


 実はそのとき、僕、彼といっしょにいて、見ちゃったんですよ。本当です。

 ちょうどその晩、ほら、あそこのお薬師様で、縁日やってたんです。

 ほかのみんなといっしょに夜店見て遊んで、帰る道がいっしょだったから、二人で帰って来てね、じゃあまたねって、言おうとしたとたん、火だるまの……これ、もういいですよね。とにかく、人間があんな得体の知れない声出せるなんて、今でも信じられないくらいで。それに、火だるまになってから、あんなに長いこと走り回れるってのも……。


 ええ、ショック受けてましたよ、O君。そりゃ当たり前でしょう。

 でも、その後、案外、特に変わったわけじゃなかったですね。夏休み明けにも、僕たちとは前と同じようにしゃべってましたしね。


 ……こんなこと言っていいかどうか、実は、かえって気が軽くなったようにも見えたんですよね。

 というのは、その本当のお母さんって人、昔からちょっと、おかしかったんです。ヒステリーのうんとひどいのって言うか、ちょっとした事で、訳がわかんなくなっちゃうんですね。外に出ちゃあ、あることないことしゃべってまわったり、お父さんともしょっちゅう喧嘩してたらしいし、彼自身、顔にひどい痣を作って学校に来たこともあったし。


 やっぱり、元来、そんな血が、彼に流れていたからなんでしょうかね、は。



          ◎



 紅茶、おかわりしていいですか?

 ああ、どうも。


 どこまで話ましたっけ。

 そうそう、で、それだけなら、案外うまく行ってたと思うんですよね。お父さんも、仕事はあれですけど、いい人ですからね、気持ちの方は。

 でも、やっぱり一人で暮らせる人じゃなかったんですね。ああいう仕事してるくらいだから。


 いえ、新しいお母さんが悪かったとは思いません。

 遊びに行ったとき、何度か会いましたけど、駅前のあんなとこで働いていたにしては、品も良かったし、優しかったし。まあ、ああいう仕事の男性が見栄も含めて選んだんだろうから、当然と言えば当然でしょうけど。


 むしろ、O君の方が、他人行儀に意識しすぎてたんだと思います。僕だったら、嬉しがって甘えちゃうところだけど。だって、まだ若いし、きれいだし。

 でも彼の場合、やっぱり、ほら、前のお母さんのことなんか、いろいろある訳でしょう。

 素直に甘えられなかった気持ちもわかりますよね。


 ……うーん。事件そのものの心当たりですか。そうですね。実は、あるんですよね。

 新聞にも書いてなかったから、彼自身、しゃべらなかったらしいけど。

 彼が急に無口になったのが、確か中学三年の時で、新聞見た限りじゃ、を始めたのも、その頃だったって言うでしょ。そうなんです。


 高校受験の事でみんな煮詰まっちゃってた頃だから、たしか秋口です。

 土曜の午後、彼が映画に行こうって言ったんです。すごく面白い映画がかかってるからって。

 僕もちょうど憂さ晴らししたかったところなんで、誘われるままついてったんですけど、ほら、駅からここまでの途中にあったでしょう、市役所んとこの、あの映画館。

 いや、ロードショーのほうじゃなくって、あの二階に、小劇場ってのがあったんです。

 ええ、おととしつぶれちゃったけど、古い洋画を二本立てでやってたとこ。東京とかだと、三番館っていうのかな。

 そうそう、そんな感じです。小さくて汚い、学校の物置みたいな感じの映画館。そこに連れてかれたんです。

 やってた映画がですね、いいですか、題名は忘れちゃったんですけど、こんなサイコ物の洋画だったんです。


 母親に溺愛されて育った少年がいるんです。

 溺愛っていっても、いわゆる猫っかわいがりじゃなくて、きわめて厳格な過保護、っていうのかな。

 で、その母親は、女の子ばかりの寄宿学校の校長先生をやってて、近ごろの若い娘はスベタばっかりだ、そんな愚痴ばかりこぼしてるんですね。

 ――だからお前は、うちの学校の生徒なんかに興味を持っちゃいけない。まあそれぞれ取りえはあるかもしれないけれど、完全な娘なんて一人もいない。お前の嫁は、絶対私の眼鏡に適う娘を探して――

 そんなことを息子に毎日毎日言ってるわけです。

 そのうち、寄宿舎の娘が、ひとり、またひとり、行方不明になって行く。

 厳しい寄宿生活が厭になって逃げ出したんだろうって、女校長も最初はたかをくくってるんですが、そのうち、息子の挙動がどうも怪しくなる。

 で、最後に、その母親が、息子の後をつけて屋根裏の一室に忍び込むと、息子は明るい声で、


 ――ほら、お母さん、いつもお母さんが言ってたとおりのお嫁さんを、紹介するよ。首は気立てのいいジェーン。メリーは腕が上品だって、母さんいつか言ったよね。胴と脚は――


 ……顔色、変わりましたね。

 そうでしょう。O君が捕まったっていう新聞読んだとき、すぐ思い出したんですよ。

 O君の場合、たぶんお嫁さんのほうじゃなくて……そう、理想のお母さんが欲しかった訳ですけど。



          ◎



 紅茶、もう一杯いいですか。話してると、喉が乾いちゃって。

 あ、どうも。


 現場ですか? ええ、それも知ってます。そう、もう見てきたんですか。あそこの廃工場の、裏山でしょう。

 ええ、子供の頃、仲間とよく遊んでました。O君も、いつもいっしょでした。

 あの頃から、裏山のあちこちにありましたよ、粘土を掘り出した後の、洞穴ですよね。

 ええ、どれもかなり奥が深くて、探検のしがいがあったし、粘土持って帰って、いろいろ遊べたし。


 でも、あんな市街の目と鼻の先で、どうしてそれまでみつからなかった訳ですかね。

 だって、もう三年も続いてた訳でしょう。六人も行方不明になっていた訳でしょう。

 これはどう見たって、警察の怠慢ですよね。


 ええ、それはわかりますよ。

 みんな駅前のあそこらへんで働いてた女なんでしょう。

 そう、言わば彼の新しいお母さんの、仲間って訳ですよね。

 あれって、ほとんど県外から流れてきた人ばかりらしいですからね。

 不意にいなくなっても、誰も気にしない。


 そもそも、あんな不潔な場所があるからいけないんだ。

 その頃の僕たちの学校だって、良くないやつが急に増えちゃって、たいていあそこんとこの息子や娘ですよ。

 まあ、これは余談ですけどね。

 はじめのうちに発見できてれば、少なくとも、U子さんだけは死なずにすんだんだ。それが僕には悔しいんですよ。


 ええ、U子さんも、子供の頃から知ってます。

 昔から、彼女、O君に同情的で、中学の頃なんか、彼女が彼に惚れてるの、誰にでもわかりましたもんね。

 でも、O君のほうは、当時はさっぱり気にしてませんでした。

 あんな可愛い子なのに、まあ、彼の気持ちは、あの頃から別の世界に行っちゃってたのかもしれませんね。


 でも、もしO君があの頃からU子さんに心を開いてたら、今度のようなことは起こらなかった訳ですよね。実際、見つかる半年前から、犯行のほうはやめてたって言うし。ちょうどその頃から、U子さんと彼がいっしょに歩いてるのを、僕も何度か見かけてるし。

 O君も以前よりは明るくなってたし。


 ……だから、結局、彼の最後の犯行だけは、僕としては、信じたくないんですよね。

 でも、やっぱり、彼は根本的に、気が狂っちゃってたんでしょうね。でなきゃ、あんな可愛い子を……。


 え? あの噂ですか。

 U子さんを襲ったのは、O君じゃないって言う?

 まさか。信じませんよ。

 ええ、荒らされたU子さんの部屋に、古い頭髪や、腐った皮膚が残ってたって言うんでしょ。

 それぞれ違う女性の、違うところの。

 馬鹿馬鹿しい。信じやしません。だって、僕は正気ですよ。


 え? 正式に確認されてたんですか。……それは、知らなかったな。


 そう、そのとおりでしょう。あの映画みたいなもんですよ。O君が置いたんでしょうね。もしかしたら、自分を見失っているうちに、自分でをかつぎ出して、動かしたりしてたのかもしれない。


 もうひとつの噂? ええ、それも知ってますけど。

 あの晩、U子さんの部屋から逃げた人影を追いかけて、警察の人達が、あの廃工場の裏山にはいったときの話でしょ。


 どこかから、かすれた、女の声みたいなのが聞こえる。


 ささやき声のようでもあるし、子守歌みたいにも聞こえる。


 警察の人達が、足音忍ばせてたどって行くと、あの洞穴の中から、くりかえしくりかえし、聞こえてたっていうんでしょ。


 女の声で……「カワイソウナカワイイボウヤ」って。


 でもね、いくら子供だましの――ごめんなさい、低年令層向きの雑誌の記事でも、せめて『それは狂った彼自身が、彼自身を慰めていたに違いない』とかなんとか結ばなきゃ、今時、子供だって、そんな絵空事信じやしませんよ。


 え? その時、O君は、の横で気絶してた?


 誰に聞いたんですか、そんな話。

 なんだ、あのお爺さんですか。

 だめですよ、あの人の話なんか信じちゃ。

 あの人、あの事件の後、すぐに警察を依願退職して、それっきりボケちゃってるんだから。

 たぶん事件前から、ボケが始まってたんでしょうね。



          ◎



 ……ちょっと、世の中、おかしいですよ。

 そのうちみんな、O君みたいになっちゃうんじゃないですか。


 O君、やっぱり、病院から一生出てこれないんでしょうね。


 ……残念だな。

 偏差値だって、僕と同じくらいあったんですよ。

 国立一発合格、確実だったのに。



                         【終】




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