第23話 夏休み前
期末テストも終わり、暑くてじめじめとした季節がやってきた。肌に絡みつく湿気と熱気。その相乗効果で不快指数はどんどん上がっていくのだ。ミコトは特に暑がりや寒がりというわけではない。ただ、彼の手足のような存在であるパソコンは熱に弱いのでこの季節はあまり好きではないのだ。冷房をつけなければパソコンが故障する可能性すらある。
「お! チィース! ミコト! 元気か?」
廊下でミコトを発見した龍人が笑顔で近づいてきた。
「まあまあ元気だよ。コンテストに作品を提出したし、夏休みはゆっくりできそうだからね」
ミコトたちが4月からコツコツと制作を進めていたゲームは夏前に完成したのだ。龍人のクラスメイトや明菜にテストプレイしてもらって、フィードバックをする工程の繰り返しでなんとか完成にまで漕ぎつけた。
「いやー。夏はいいねー」
「そう? 僕はあんまり好きじゃないけど」
「そりゃ、女子が薄着になるだろ? 肌の露出が多くなるし、白いシャツを着ている子ならブラが透けて見えることだってある。目の保養になるいい季節だ。なあ、男ならわかるだろ?」
龍人が同意を求めて来たけれど、ミコトはそれを冷たくあしらう。それでも龍人はめげなかった。
「それに今の時代はSNSで水着って、検索すると水着を着た女の子の投稿がズラーっと出て来るんだぜ。本当にこの夏様様だぜ。あ、別に夏とサマーをかけているダジャレじゃないぞ」
龍人がなにか熱弁している気がしたけど、ミコトは聞かないフリをしていた。
「それより、龍人。期末テストの点数はどうだったんだよ」
「一応全部平均点以上は取ったぞ」
「うわー。それ藤林さんが聞いたらショック受けそう。藤林さんは数学は平均点下回っちゃったみたいだからね」
「はっはっは。ここが違うのだ。ここが」
龍人は人差し指で自身の頭を突いた。それを言うなら、ミコトも総合点は学年1位だ。ミコトにとっては、子供がイキっているようで微笑ましい光景を見ているようなものだ。
「なあ。ミコトは夏休みになったらなにがしたい?」
「さあ、家でゴロゴロとしているんじゃないかな」
「なんだよそれ。お前なあ。高校生にもなってそれはないだろ。どこか遊び行きたいとかないのか?」
「ない」
「このインドア小僧め」
夏休み。それは大半の高校生が待ち望んでいたものだ。しかし、ミコトにとっては違う。意中の明菜と会うことができなくなる期間。それが夏休みなのだ。
明菜と出会うまでミコトは学校というものが特段好きなわけではなかった。ただ、行かなきゃいけない場所だからなんとなく行っていただけ。小学校も中学校も楽しい思い出なんてほとんどない。だけど、高校に入って明菜と出会ってからは灰色だった学校生活が色づき始めたのだ。好きな人がいると学校に行くのが楽しくなる。今まで好きな相手がいなかったミコトにとって初めての経験だった。
◇
龍人とわかれたミコトは教室に入った。するとなにやら教室がざわついている。休み時間だから多少の会話があるのは、自然なことだ。けれど、今日は様子がどうも違う。ミコトはなにやら異様な状況を察した。
「ねえ、宮垣君も聞いた? 佐山さんの話」
クラスの女子がミコトに話しかけてきた。ミコトと特に喋ったことはないけれど、明朗で誰とでも分け隔てなく話せる女子。この女子が話題に出している佐山という女子はミコトと同じクラスの女子だ。
「ん? 何の話? 佐山さんは今日学校休んでいるけどそれと関係あるの?」
「う、うん。実はね……佐山さん妊娠したんだって」
「はあ!?」
ミコトは思わず驚いた。クラスメイトが妊娠したという話を聞いて驚かない人間は果たしているのだろうか。それも高校1年生という時期。中にはこの歳で妊娠したり、子供がいるという人もいるかもしれない。けれど、この少子化や晩婚化が進んでいる現代社会においては圧倒的少数派なのだ。
「え? 冗談だよね?」
「ううん。佐山さんと仲が良い女子から聞いたんだけど、今日病院で検査して貰ったら3ヶ月だって」
「ええ……」
3ヶ月前。それは、入学したてのほやほやの時期。最早、驚く他ない。
「しかも、父親が誰かわからないんだって。複数人の人とそういうことしていたみたいだから。その相手も一夜限りの相手で連絡先も知らないんだって。相手はみんな大人だったみたいだけど」
次々に笑えない情報が出てきた。一夜限りの関係を女子高生と持つ大人がいる。本当に世の中は腐っているなとミコトは感じていた。
「意外だよねー。あの大人しそうな佐山さんが……」
ミコトは佐山という女子とロクに話したことすらない。だけど、そんな間柄の相手でも妊娠したと聞いたら衝撃を受ける。これが、大人だったら素直に祝福できたのに、高校生が妊娠とかなんてリアクションしたら正解かがわからない。
「どうしよう……」
教室の隅で活発そうなポニーテールの少女が青ざめている。
「佐山さん。女子バスケ部のマネージャーだったの……ああ、どうしよう。これから夏休みの合宿が始まるタイミングで抜けないでよ!」
ポニーテールの女子が頭を抱えて嘆いている。その時、ミコトの脳裏にあることが浮かんだ。
明菜は確か女子バスケ部の顧問だった。ということは、明菜もこの一件で困っているかもしれない。そう思うとミコトは明菜が気の毒に思えてきた。
◇
「はい……はい……わかりました。こちらこそ至らず申し訳ございませんでした。わたくしから上の方に伝えておきます。はい、それでは……」
職員室にて、明菜は電話越しにペコペコと謝っている。受話器を置いた明菜はハーとため息をついた。
「妊娠ってなんだよ……」
明菜が教師になってから初めて遭遇する珍事。今まで問題を抱えていた生徒はいたけれど、これほど大きい問題はなかった。
明菜は憂いていた。自身が顧問を務める女子バスケ部から妊娠した生徒が出てしまったことに。しかもその生徒はそれをきっかけに退学すると申し出てしまった。
「私の指導が足りなかったのかな」
高校生本人たちはもう十分成熟した大人だと思い込んでいる。だが、世間的にはまだまだ守らなければならない子供だ。明菜は高校教師として、真摯に生徒と向き合っていたつもりだった。自身が顧問を務める女子バスケ部も心身を鍛えて、非行に走らないように指導をしてきたつもりだった。それが、性に関するトラブルを起こして退学するとは思いもしなかった。
「蜂谷先生。元気出してください。先生が悪いわけじゃありません」
体育教師の牧田が明菜に話しかけてきた。牧田は落ち込んでいる明菜を慰めて、ワンチャン狙おうとしている。
「蜂谷先生は悪くない。もちろん、佐山だって悪くありません。悪いのは、高校生を食い物にしている悪い大人たちです。まだまだ未成熟の子供を狙うなんて卑劣すぎます。大人は子供を守らなきゃいけないのに、危害を加えるなんてもっての外です」
「そうですよね……」
「大体にして、高校生なんてまだまだ子供なんです。そんな相手とどうこうしたいだなんて大人として恥ずべき行為です」
牧田のその言葉に明菜の心がズキンと痛んだ。明菜はミコトと直接性的なことはしていないが、心が惹かれているのは事実だ。生徒は守るべき相手である。その当たり前の事実が、今回の一件で再認識させられる。それが明菜の心を締め付けた。
「全く。子供に欲情するやつの気がしれませんな。異常者ですよ異常者。そうですよね? 蜂谷先生」
「え? ああ、うん。そうですね」
明菜はミコトに恋心を抱いているし、男子高校生モノのBL本だって持っている。もし、この事実がバレたら明菜はもう教師ではいられないだろうなと危機感を抱いた。
「これから夏休みになり、ハメを外す生徒も多くいます。また佐山の悲劇を繰り返さないためにもより一層生徒に目を向けなければなりませんな」
「はい。そうですね……」
明菜の心は暗くて晴れないままだった。生徒を守れなかったこと。好きになってはいけない相手を好きになってしまったことを自覚したこと。そして、これから夏合宿があるのに部活のマネージャーを失ってしまったこと。それらの要素が一気に降りかかり、心労が重なってしまったのだ。
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