第22話 友人の結婚式

 時は遡ること数カ月前。新年度を迎える前。つまり、まだミコトと明菜が出会う前の出来事だった。明菜が自室でテレビを見ていると、友人から電話がかかってきた。


 友人の名前は榎本えのもと 朱美あけみ。明菜の高校時代の同級生で、今でもたまに遊ぶ仲である。


「もしもし。朱美? 元気だった?」


「うん。とっても元気だよ。明菜は?」


「私も元気かな。もうすぐ、私が受け持っているクラスのみんなとお別れしなきゃいけないからそれが少し辛いけど」


「そっかー。明菜は先生だもんね。毎年のように別れがあるって辛いね」


「うん。でも、その分新しい出会いもあるし、悪いことばかりじゃないから」


 その後も当たり障りのない世間話をする2人。しばらく会話が続いた後に朱美が話題を切り出す。


「あのね。明菜。私、明菜に報告しなきゃいけないことがあるの」


「なんだ?」


「私、結婚するんだ」


「ええー!! 本当か? 良かったじゃないか! おめでとう!」


 明菜は友人の吉報に喜びはしゃいだ。明菜たちも四捨五入すれば30歳になる結婚適齢期だ。早すぎず遅すぎず丁度いい時期に結婚できた友人を祝福する。


「なあ。相手はどんな人なんだ?」


「えへへー。優しい人」


 表情が見えない電話越しでもニヤついていることが分かるほどの上機嫌な声色。その一言の声だけで、朱美が相手を愛していることが手に取るようにわかる。


「あのねあのね。彼は私を大切にしてくれるんだ。私がこの前風邪ひいた時もね、一生懸命看病してくれたんだ。私の体を心配してくれて、優しい声もかけてくれて。おかゆを作ってくれて食べさせてくれたんだ。私が食べさせて欲しいってお願いすると、嫌な顔一つしないで、あーんしてくれて……もうこの瞬間にこの人しかいないって思ったの」


「あはは。優しい人で良かったじゃないか。どんな顔しているのか見たいから後で画像を送ってくれ」


「おっけー。でも、顔は物凄いイケメンってわけでもないよ。ただ、最低限の清潔感があるから、そこは結構好きかな」


「うむ。清潔感は大事だな」


 清潔感がある男性。大概の女性が男性を選ぶ時に用いる項目に入っているものである。これがない男性は生理的に無理と断られてしまうのは世の常である。


「まあ今度直接会った時にじっくり惚気話を聞かせてくれ」


「え? いいの? 私、引くほど惚気るよ? 今が幸せの絶頂だからね」


「ふふ。いいさ。他人の恋バナは大好物だ」


「他人の恋バナはいいけどさ。明菜はいい人いないの?」


「いない」


 朱美の質問に明菜はキッパリと答えた。明菜は別に男性が嫌いなわけでも興味がないわけでもない。性欲だって人並にはある。難だったらBL本集めが趣味であることから、一般的な女性よりかは男性の体に対する興味は強い。それでも意中の相手が現れないのだ。


「えー。もったいない。明菜は美人なんだから、もっと恋愛した方がいいよ」


「出会いが中々なくてな」


 明菜の趣味と言えば、BL本集めや体を動かすことだ。BL界隈は女性ばかりで、男性との出会いは中々ない。推し作家の中にも男性はいるが、明菜はある種彼らを神聖視しているので付き合うという発想はない。


 スポーツの方も社会人女子のバスケチームに入っているので当然男性はいない。選手もマネージャーもみんな女性だ。


「職場にいないの?」


「私のような可愛げのない女を好きになるのは中々いないだろ」


 明菜は体育教師の牧田に好かれているのだが、本人にはその自覚がまるでない。明菜は恋愛に疎い所謂鈍感なのだ。


「あ、もうこんな時間だ。そろそろ切るね。また結婚式の日取りが決まったら連絡するから」


「ん。わかった。それじゃあまたな」



 そして、数ヶ月後。朱美の結婚式当日。明菜は青紫色のドレスを身に纏い式場に訪れた。


 結婚式場は西洋の建物を模したもので白を基調にしている。正に新しい門出を迎える2人に相応しい様相である。


 明菜は招待状は受付に見せて、ご祝儀を渡し会場に入った。


 披露宴までまだ時間がある。その間、明菜は結婚について思いを馳せていた。


 ほんの数カ月前。宮垣 ミコトに会うまでは好きな人が特にいなかった明菜。ただ、漠然と30歳までに結婚できたらいいなという願望を抱いていた。


 明菜も今現在26歳である。30歳まで後、4年しかない。晩婚化が進んでいる現在では30歳以降で結婚も遅すぎるというわけではない。だが、1つの指標として20代の内に結婚できるかどうかっていうのはかなり大きいのだ。


それに対して、ミコトはまだ15歳の高校1年生。結婚可能になる年齢まで最低3年かかる。この状態で結婚すれば、明菜はまだ29歳。ギリギリ30歳以上にはならない。ただ、これは結婚可能な年齢というだけで、18歳でミコトに結婚を強いるのは彼にとって負担になる。高校卒業後、すぐ結婚。進学するにしても就職するにしても、結婚という人生の一大イベントを背負わせるにはまだ若い年齢だ。


 明菜のミコトに対する想いは日に日に募るばかりである。それでも、結婚を視野にいれた場合。もし、ミコトと付き合えたとしても2人の年齢差は大きいせいで厳しいものがある。


 明菜は溜息をついた。友人の朱美は順当に歳が近い男性と結婚をしている。それに対して、明菜は手を出せば犯罪になる年齢の少年に恋心を抱いてしまっているのだ。数カ月前の自分は朱美を見ても羨ましいという感情は抱かなかった。だが、今の明菜は人並の幸せを手に入れた朱美を少々恨めしく思うのであった。


「どうしたの? 明菜。溜息ついちゃって」


 明菜と同じテーブルに座っていた友人。彼女が明菜の顔を覗き込んで心配している。


「ああ。すまない。なんでもない。朱美も結婚したんだなって……」


「なに、今更当たり前のこと言ってんの。朱美の結婚だって別に早いわけじゃないよ。私たちの同級生も既に結婚している子多いよ」


「そうだけどさあ……」


 明菜の胸にはもやもやとした感情が渦巻いていた。焦燥感、嫉妬、願望そう言った感情が明菜の心を憂鬱にさせた。


「まあ、私も明菜と同じで結婚してないけどさ。彼氏はいるし……あ、そうか。明菜って今は彼氏いないんだっけ?」


「ああ。生憎、今はフリーだ」


「だから、朱美の結婚で焦ってるんだよ。彼氏の1人や2人できれば、明菜も心が晴れるって」


「彼氏が2人もいたらまずいだろ」


「あはは。別に結婚しているわけじゃないんだから、キープ君作るのはありだって」


「なしに決まってるだろ。私は教育者だぞ。そんな爛れた生活していたら生徒に示しがつかん」


「じゃあ、1人でいいよ。彼氏作りなよ。今度、いい人紹介してあげようか?」


 友人の提案に明菜は胸が締め付けられる想いがした。友人の申し出はありがたい。明菜のためを思ってしてくれていることだ。けれど――


「すまない。私はこれでも好きな人がいるんだ」


「ええ!」


 友人は明菜の突然の発言に驚いた。ほんの数カ月前までは友人間では好きな人はいないと通していた明菜が急に好きな人がいると言い始めたのだ。


「なーんだ。明菜もちゃんと恋しているんだ。へー」


 友人がニヤニヤとした流し目で明菜を見る。


「なんだよ……いちゃ悪いのか」


「ごめんごめん。そういうわけじゃないよ。え? 相手はどんな人? 職場の人?」


「あ……まあ、職場と言えば職場……なのか?」


 明菜の職場は学校だ。ミコトも生徒であるから、職場の人という括りになるのかどうか。曖昧なところだったから、少し言葉を濁す。


「そうなんだ! 相手はどの教科を教えている先生なの?」


 友人はすっかり明菜が先生間で恋をしているものだと思っている。けれど、明菜が恋をしているのは先生ではなく、生徒だ。担当教科なんて当然あるわけがない。まさか、いい年した女教師が生徒に惚れているなんて言えるわけがない。


「あ。いや。教科とかそういうのはなくてな」


「え? まさか校長先生? 明菜ってそんな年上が趣味なの?」


「ち、ちがーう!」


 そんな会話をしていたら、花嫁が登場した。純白のウェディングドレスを身に纏った朱美を見て、明菜は心を失った。


 とても綺麗だ。自分はまだ当分着ることができない憧れの衣装……


 式はスムーズに進行していった。新郎の職場の上司のスピーチ。友人代表のスピーチ。花嫁による両親への感謝の手紙。それらが読まれて会場は感動に包まれた。先程までドス黒い感情を持っていた明菜も心が浄化されて、素直に朱美を祝福する気持ちになった。


 そして、例の時間がやってきた。一部の未婚女性にとっては本命のイベントであるブーケトス。朱美がサっと投げたブーケ。それは放物線を描き、明菜の眼前に落ちてきた。ブーケを落すわけにはいかないので明菜はそれをキャッチする。


「あ……取ってしまった」


 会場が祝福の空気に包まれる中、明菜は受け取ったブーケを見つめて複雑な思いをするのであった。


「良かったじゃん明菜。もしかしたら好きな相手を落せるかもよ」


 友人が明菜の耳にそっと囁く。


「そうか……少しだけ夢見てもいいのかな」


 明菜はブーケを抱きしめて、ミコトへの想いを馳せた。

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