第16話 三角関係の昼食

「私が宮垣のことをどう思うかだって?」


 明菜は唾をごくりと飲み込んだ。本心では明菜はミコトのことが気になっていてしょうがない。けれど、それを生徒の絵麻に言うわけにはいかない。


「宮垣は私の大事な大事な生徒だ。それ以上でも以下でもない。私は生徒を差別したりなんかしないさ」


 一教育者としての回答。その答えを受けて絵麻はくすくすと笑うのであった。


「先生。嘘が下手なんですね」


「な」


 絵麻に嘘と見抜かれて明菜は困惑している。もし、この心が周りに知れ渡ってしまったら、自分はもう教師ではいられなくなる。職を失うことになるかもしれない恐怖に明菜は震えた。


「私は好きですよ宮垣君のことが。もちろん。友達以上の感情を持っています」


 絵麻は堂々とそう宣言した。それに対して明菜は羨ましいという感情を抱いた。もし、自分がミコトと同じ学生同士の立場だったら、このように好きだとハッキリ言えたかもしれない。けれど、明菜は教師。生徒と恋愛が許される立場ではない。


「そうか。それなら、私はその恋愛を応援させてもらうかな」


 いっそ、ミコトに恋人ができれば諦めがつく。明菜はそう思っていた。なら、ミコトと絵麻をくっつけて、このいびつな関係を終わりにしたい。そう思っていた。


「先生は本当にそれでいいんですか?」


 絵麻は真剣な表情で明菜を見つめた。まるで、明菜の心の奥底まで読んでいるその瞳。明菜は絵麻のことを恐ろしいと思った。一回りほど歳が違うのに、この小娘には敵わない。そんな気がする。


「先生……私、蜂谷先生のこと本当に尊敬している先生なんです。美人で格好良くて、こんな大人の女性になりたい。そんな見本のような存在なんです」


「え? いや、そんな急に褒められても……もう!」


 絵麻に褒められて悪い気はしない明菜だった。やはり、いくつになっても褒められるというのは嬉しいものだ。特に大人になればなるほど褒められる機会というのは中々なくなる。その分、嬉しさも倍増するというものだ。


「でも、先生。私、それと同時に先生に嫉妬しているんです。先生は私の好きな人が好きな人。それが羨ましくて、妬ましくて……大好きな先生と争わなきゃいけないっていうのが、本当に心苦しくて胸が張り裂けそうなんです」


「い、いや。争うだなんて。さっきも言ったが、私は宮垣のことをなんとも思ってないぞ」


「ふふ。そうでしたね。そういうことにしておきましょうか」


「そ、それに。宮垣が私のことを好きだなんてそんな確証もないだろう」


「それはありますよ。宮垣君の態度を見てたらわかります。女の勘ってやつです」


 女の勘。なんの根拠もないことなのに、なぜか不思議と信ぴょう性がある言葉だ。明菜は思う。もし、ミコトが自分のことが好きなら……それは困るという感情よりも嬉しいという感情が先行するだろうと。


 教師である以上、生徒から寄せられる好意は邪魔にしかならないはずなのに。それを嬉しいと思ってしまう明菜は自分自身を呪わずにはいられなかった。


「藤林は……どうして、宮垣が好きなんだ?」


「うーん。それはですね。まあ、単純に顔がいいですからね。宮垣君は。私、中性的な男の人がタイプなんです。それに、彼は頭も良くて、勉強を教えてくれるくらい優しい。それに、コンピュータに関しての技術力も高いところも尊敬しているんですよ」


 絵麻はスラスラとミコトのいいところを列挙していった。そのことに明菜は少し複雑な思いを抱える。自分はどうして、ミコトのことを好きになってしまったんだろう。明菜はその答えを出せずにいた。別にミコトを好きになる要素なんて明菜にはないはずなのに。それでもなぜか心が惹かれてしまっている。


「あ、宮垣君が来たみたいですよ」


 明菜が振り返るとトイレから戻ってきたミコトの姿があった。


「戻りました」


「ああ。宮垣おかえり」


 明菜と絵麻はミコトに先程までの会話内容を悟られないように平静を装った。お互いなにも特別な話はしていない。そういう体でいくつもりなのだ。


「3名でお待ちの蜂谷様。3名でお待ちの蜂谷様」


 ミコトが帰ってくるのと同時に店員が明菜の名前を呼んだ。


「丁度いいタイミングに戻ってきたね宮垣君」


「うん。そうだね」


店員に奥の方の席に案内される3人。先に絵麻と明菜がそれぞれ向かい合う形で座り、その後、絵麻の隣にミコトが座った。


 メニューは2つしかなかったので、ミコトと絵麻の2人が一緒のメニューを見ることにした。メニューはファミリーレストランらしく、ハンバーグやグラタンやピザなど中々豊富だった。


「なんでも好きなやつを頼んでいいぞ。私に気を遣う必要なんかないからな」


「はーい。ありがとうございます蜂谷先生」


 絵麻が笑顔でそう返した。先程まで、けん制しあっていた間柄とは思えないほどの変わりようだ。


「ねえ、宮垣君。なに食べようか?」


「うーん。僕はハンバーグが食べたいかな」


「いいね。私もハンバーグにしようかな」


 2人して楽しそうにメニューを見ている姿を見て、明菜は少しヤキモキしたそんな感覚を覚えた。


「先生。私たちは決まりました」


「そうだな。私も決まった。それじゃあ店員を呼ぼうか」


 明菜がボタンを押す。しばらく待つと店員がやってきてメニューを訊き出す。それに対して、ミコトと絵麻はハンバーグ。明菜はシーフドドリアをそれぞれ注文した。


 しばらく待つと、店員が注文した料理を運んできた。3人はそれぞれ、注文した料理を口にする。


「なあ。宮垣と藤林はその……2人でよく出掛けたりするのか?」


 明菜は思い切って訊いてみた。すると、絵麻は意地悪そうな笑みを浮かべる。


「ふふ、そうですね。私と宮垣君は愛し合っている仲なので、よく休日に一緒にデートするんですよ」


「な!? 愛し合ってる!?」


 明菜は驚いて、思わずその場で立ち上がってしまった。その様子を見て絵麻はケタケタと笑うのであった。


「藤林さん。そういうしょうもない嘘をつくのはやめて」


 ミコトの言葉に明菜は落ち着きを取り戻した。嘘だと聞いて心底安心したのだ。


「な、なんだ。2人は付き合っているわけではないのか」


「そうですよ。全く。藤林さんは変なことを言って。今日だって、藤林さんの弟の誕生日プレゼントを買うために付き添いで来たようなもんですから」


「そうか。そうだったのか」


 明菜はゆっくりとその場に座った。そして安堵のため息をつく。


「全く。心臓に悪い嘘をつくな! 藤林!」


「あはは。先生って揶揄からかうと面白いんですね。普段は恰好いいのに、こういう時は可愛いんですね」


「なにを言うか。私はいつも可愛いよな? な? 宮垣」


「え? あ、その……」


 ミコトは突然話を振られて、ドギマギしている。明菜としてはツッコミ待ちのボケで言ったつもりの発言であったが、ミコトは本気で言っているものと受け取ってしまったのだ。


「はい……先生は可愛いです」


 本気のトーンでそう言うミコト。それに対して、明菜の頬がほんのりと紅潮する。


「あ、あはは。そ、そうだよな。私は可愛い。うん。可愛い」


 照れ隠しに同じ言葉を繰り返す明菜。


「そうですよ。先生は可愛いですよ」


 絵麻もミコトの発言に乗っかってきた。明菜は恥ずかしくて死んでしまいそうになるほど顔が熱くなる。まさか教え子2人からそう言われるとは思いもしなかった。明菜は自分は可愛げのない女だと思っていたし、同年代の友達からもそう言われてきた。それだけに、可愛いと面と向かって言われることに慣れていないのだ。


「そんな可愛い先生にお願いがあるんですけど、私デザートが食べたいなって」


「おい! まあ、いいけど……藤林。お前将来大物になるぞ。間違いない」


 絵麻は舌を出してお茶目さをアピールする。


「将来と言えば、宮垣と藤林は進路はどうするつもりだ? キミたちはまだ1年だけれど、3年なんてあっという間だ。今の内に方向性を固めておいて損はないだろう」


 先程までの茶化されていた雰囲気とは打って変わって明菜は教師の顔になった。


「私は、イラストレーターになります。今もポートフォリオを作って色んなところにアピールしてますが、まだ成果は出てませんね。高校生の間に成果が出なければ、美大か専門学校に進学して、アピール続行ですね」


「藤林は色々と考えているんだな。宮垣はどうだ?」


「僕は……わかりません。大学に行こうかどうかも迷ってますし」


「なぜだ。宮垣ほどの頭ならいい大学行っていい会社に入るのが安泰だと思うけどな」


「実は、僕は既に色んな人に誘われているんですよ。一緒に起業しないか? とか うちの会社で働かないか? と。それぐらいの技術力と実力はあると僕は自負してるんですよ」


「そ、そうなのか。凄いな。宮垣はパソコンが得意だと思っていたけど、予想以上だったな」


「そんな状態で大学に行く意味って果たしてあるのかな? って思うんですよ。今の時代、学校で勉強しなくても欲しい情報は検索すればいくらでも手に入りますからね。高卒や大学中退で成功しているIT関連の人は多くいますから。難だったら中学生や高校生ですら大人顔負けの技術を持っている子だっています」


「うーむ。難しいところだな。私は教師になりたかったから、迷わず教育大学に進んで、教員免許を取った。けれど、宮垣の進もうとしている道は資格や免許が必ずしも要るとは限らない世界なのか」


 明菜は頭を悩ませた。今までの明菜の教師人生の中でミコトほど優秀な生徒はいなかったからだ。そのミコトが真剣に大学に行くかどうかを悩んでいる。その解決策をすぐに提示するということは今の明菜にはできそうになかった。


「そうだなー。宮垣。親御さんはなんて言っているんだ?」


「両親は僕が大学に行くものだと思っているようです。今の久城学院だって結構無理言って入れさせてもらったんですから、大学くらいはいい所行けって言われてるんです」


「そうか。なら、もし大学行かないとなったら親御さんを説得するのは大変そうだな」


「そうですね。間違いなく張り倒されるでしょう。だから、まだ両親には僕が進路で悩んでいることは言ってません。先生だけですよ。こういうことを言ったのは」


「そ、そうか。私だけに言ったのか……」


「ありがとうございます。先生。話したお陰で少しスッキリした気がします。1度両親と相談してみて、自分の進路は自分できっちり決めたいと思います」


「そうだな。それがいい」


 思いがけなく出会った明菜とミコトと絵麻。少し変わった休日だったけれど、昼食後、解散となり幕を閉じた。

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